第110話・過去の清算
狂ったように笑う博の幻影が消えて、再び辺りは漆黒の静寂に。
目の前には対の神鷹。
『どうする?』
どうする、と言われても。
博はもう越えてはならない一線を越えてしまっている。オレを傷つける為ならどんなことでもやるだろう。オウルを大事にしていると気付いてオウルに瀕死の重傷を負わせたように。オレが死にそうな顔をするなら、どんな罪でも犯してのける。博はそう言う状態に陥ってしまった。
時間が巻き戻せるならば、いくらでも巻き戻す。命と引き換えにしても構わない。でもそれはできない。時間を巻き戻せるのはそれこそ神とでもいう存在なのだから。そして目の前の神鷹はそんな答えを望んではいない。神……ハザマ神社に坐す神の使いであれば、その手があるならとっくの昔に伝えているはず。
博は、このままでは人間でなくなってしまうかもしれない。
既に不死王の力を得て半分死霊と化してはいるけれど、まだ辛うじて人間の部分に引っかかっている。
オレを殺せば……オレを隷死にしたら、多分博の人間の部分は吹き飛んでしまう。狂った喜びで箍は外れ、それがきっかけに、本当の死霊王都なってしまう。オレをもてあそぶのに、痛みや悲しみを感じる人間の部分は不要だから。
だから……。
……倒す、しかない。
かつて、オレが裏切った相手を、これ以上ひどい状態にしないためには。
オレが……倒す……しかない。
勝手に利用して、利用しつくして捨てた相手を……。
倒……す……?
手が震えてくる。
オレが蒔いた種だ……倒さなきゃ……オウルは救えない……みんなも傷付く……だから、オレが倒さなきゃ……。
だけど、こうなったのはオレのせいで……。
オレが死ねば……いや、オレがただ死んでも博は納得しないだろう……あいつの望みはオレを永遠に傷つけることなんだから……。
……そうなれば……。
オレは覚悟を決めた。
『決めたようだな』
阿の鷹が言った。
ああ。決めた。
多分、これしかない。
博が納得して、他の人間とかを傷つけないようにするためには。
『ならば、これを与えよう』
掌大の輪っかが十個ほど。
戦輪……?
確か、ヒンドゥーの神が武器としていたものだ。指に引っ掛けて回し、敵目掛けて投げつけ切り裂く投擲武器の一種。これが、何の役に?
『お前の為そうとしていることに役立つ』
役立つって言っても……。
『お前が過去を清算しない限り、世界の歪みは増殖し続ける。世界の歪みを正すことこそ、勇者たるお前の使命』
あんなことをやっても、オレは勇者と呼ばれるのか?
『勇者とは邪悪なる存在を倒す為に選ばれる存在……悪を生み出した存在がその責任を取る形で勇者となることもある。お前はその類型。あの巨悪を生み出した責任を取らなければならないため、お前は勇者として選ばれた』
責任、ね……。それなら納得できるわ。
オレは安久都博と言う巨悪を創り出してしまった責任を取らないといけないわけだ……。
『巨悪を抑え込める時間はもうない。お前は行って、目的を完遂しなければならない。理由も方法も、すでにお前には分かっているはずだ』
……分かってる。
オレがやってしまったことなんだから……。
『ならば戻ろう、辛い事実の待つ現実に』
暗闇が粘性を増して歪み、うねり、そして。
次の瞬間、オレはハザマ神社の境内にいた。
「うわびっくりした」
那由多くんがミスリルの杖を抱えて呟いた。
「消えたと思ったらいきなり現れて。あの対の鷹はどうしたんだよ」
「悪い。状況は」
「最悪だね。思いつく限り」
おっさんはスマホを耳に当てながら呟いた。
「生徒八人は避難して、勇者の教師が迎撃してるけど、魔法の塔に攻め込んでいるらしいよ。恐らくは学校の結界を破るため」
「……いや」
オレは呟く。
「あいつはオウルを狙ってるんだ。オウルを痛めつければオレも痛い思いをするから」
「先生がああなった理由は……分かったの?」
「分かった……でも言えねえ」
手の槍を握りしめて、オレは答える。
「言えるのは、オレが全面的に悪いということだ」
「全面的って……」
「とにかく、オレはあいつを倒しに行く」
「倒しに行くって……報告を聞く限り、相手は相当よ。勇者の卵が一人だけで勝てるはずがない」
オレは左手に引っかかったものを掴んだ。
輪っか。
戦輪。
「それは?」
「博をどうにかできるもの。多分ハザマ神社の神様が下賜してくださったもの」
「じゃあ、僕たちが援護するから……!」
「いや、一人で行かせてくれ」
オレは唇を舐めた。乾燥しまくってカッサカサだ。
「これは、オレのやらなきゃいけないことなんだ」
それに、と付け加える。
「あいつはオレがみんなを好きだってことも知ってる。みんなを傷つければオレが苦しむって知ったら、みんなひどい目に遭う」
「私達も勇者だよ」
「ありがとうおっさん……でも、あの安久都博を生み出してしまったのはオレで……神鷹はオレが責任を取らなければならないと言った……」
「あんな化け物を、雄斗一人で倒せるのかよ!」
「何とかしなきゃならないとも言ってた」
オレは学校の方角を見る。
「生徒や非戦闘要員をこの神社に逃がすよう連絡をつけてくれ。ここは聖域中の聖域だ、確実に守れる」
おっさんがスマホにそれを叫び、ハルナさんと那由多くんがオレの前に立つ。
「一緒に行くわよ」
「一人で何て行かせない」
「……残ってくれ」
「仲間だろう!」
「仲間だからこそ!」
オレは叫んだ。
「知られたくないんだよ、オレの最低で最悪な部分を!」
「一体何したんだよお前」
「最低で最悪な事だよ」
オレはそれだけ言うと、学校の方向に向かった。
「雄斗!」
「睡眠」
オレは目の前の二人に、眠りの魔法をかけた。
神鷹が与えてくれたのだろう、オレの魔力は戻っていて、二人はかくん、と崩れ落ちた。
「雄斗君!」
おっさんが叫ぼうとして、小さく首を振った。
「……そうだね、誰にだって、知られたくないことがある」
「おっさん……」
「だけど、生きて戻ってきたら、説明してくれるかい?」
「……生きて、戻れたら」
オレは頷き。
眠った二人を置いて、ひどい騒ぎになっている学校に向かって歩き出した。