第108話・過去の過ち
茨の壁を抜けた先には、やっぱり青空の下に、建っている一軒の家だった。
あれは……。
博の家だ。
十年前まで、毎日のように遊びに行っていた家。
何故、今まで忘れていたんだろう。
あの家に、毎日のように遊びに行ってたのに。
目の前に現れたこの家を、室内も室外も、日々出入りしていたあの家を。
ただ、明らかに違うと分かるのは、たった一つ。
博の家は住宅街の中にあった。なのにこの家は、茨に囲まれた壁と、青空に包まれて、それだけしかない。家だけが取り残されたかのように。
「ひーろし」
オレの視界は子供のオレの肩に固定されていて、子供のオレはいつものように玄関に靴を脱ぎ散らかし、跳ねて入った。
「ゆーと」
「遊びに来たぞー」
ベッドの中の幼い日の博は、オレが覚えているよりずっと細くて。
あれ?
博って、ガキの頃、身体、弱かったっけ?
必死で記憶をほじくり出す。記憶の中の子供の時の博は、ベッドの中にいた。少なくとも小学校を卒業する頃までは。
そう言えば、母ちゃんに言われてた。
博くんは身体が弱いんだから、あんたみたいなバカ体力の持ち主に付き合わせちゃ倒れるからね、家から絶対出ちゃいけない。
まるで呪いのような母ちゃんの言葉。
博を外に連れ出してはいけないと、何度も繰り返し。
だからオレは毎日、毎日――。
「今度は対戦ゲームしよ」
「えー。やだよ」
「なんで」
「絶対ひろし勝つもん」
「じゃあハンデつける」
「それもやだ」
子供のオレはむくれている。
そうだ。オレは対等じゃないと嫌だった。友達が自分以上にゲームが上手くても、ハンデ付の勝利は嫌だった。対等の立場で勝ち負けしてこそ。
だから……。
「オレ、強くなる」
「え?」
「お前以上に、ゲーム、強くなる!」
「どうやって」
「母ちゃんに頼んでゲーム買ってもらって、強くなる! そしたらひろしと勝負する!」
「それまで……」
ひろしもむくれている。
「それまでぼくはなにしてればいいんだよ」
「ゲームできるだろ!」
「ぼくんちでやればいいだろ! ぼくんちでゲームできるんだから! ゆーとがいなくなったら、ぼく、ひとりでゲームするしかないじゃん!」
「だって、いっしょにやってたら、おれがつよくなれないじゃないか!」
「いっしょにつよくなればいいだろ!」
「だって、おまえつよすぎるんだもん! いっしょにやってたら、おまえどんどんさきいっちゃうじゃん!」
子供のケンカだよ。
てか、オレこんなこと言ったっけ。
てか、この状態を見ると、オレより博の方がゲーム強そうなんだけど。
あれ? オレって物心ついた時からゲーム好きだった気がするけど、違ったっけ?
……そう言えば、子供の頃、悪ガキ仲間と一緒に神社の段を段ボールで滑り落ちたりと、結構ハードでヤバいこともやってた。気がする。
ゲームにどっぷり詰まったのは、いつだっけ?
「ぼく、ゆーととここでゲームすることしかないんだ! ゆーとみたいにそとにでてあそぶこともできないんだ! ゆーとがいなくなったら、ぼく、だれとあそべばいいんだよお……」
「だから、すぐにつよくなる! ひろしにかてるくらいにつよくなるから!」
「だめだよ、ゆーと、かえっちゃだめだ!」
博は子供のオレの服の裾を掴んで、涙でぐしゃぐしゃの顔で、叫んでいた。
「ぼく、ひとりで、なにしろって、いうんだよお……!」
博の、幼い博の、絶叫。
それに返したオレの言葉は、残酷で、傲慢で、我儘だった。
「ゲームしてればいいだろ」
身体が弱くて、しょっちゅう学校休んで、友達もいなかった博。
一人だった博。
そうだ。思い出した。
オレが博の家を出入りするようになったのは、ゲームがしたいからだった。
友達がみんな持っているテレビゲームは、家にはなくって、悪ガキ仲間にハブされそうになって、家でゲームするしかない博の家を思いついて、遊びに行くようになった。案の定博は一人でゲームをしていて、博の両親も同い年の友達が遊びに来るのを歓迎して好きなだけゲームをさせてくれた。新しいゲームは必ずゲットしているので「あ、そのゲーム? オレ、やった」と言えればそれだけでリスペクトされたし。
だけど、家の中でゲームするしかない博に格闘や対戦ゲームでオレが勝てるはずもなし。
勝った時の得意げな博の顔にムカついて。
質の悪い交渉を思いついた。
博と話を合わせたいから、ゲームを買って欲しいと。
最初は母ちゃんは嫌そうな顔をしていた。「あんたが夢中になると後が怖い」と言っていた。だけど、博の両親がゲームを進呈しましょうかと言われて、いえいえそんなことを、とさすがの母ちゃんもオレにゲームを買い与えるしかなかった。
博の両親はオレのことを可愛がってくれていた。子供の友達で、しかも初めての友達だからと、ゲームもやらせてくれたし時々遊びにも連れて行ってくれた。そんな友達が、子供と話を合わせるためにゲームが欲しいと言って、……そうだな、あの頃のあの家を思い出せばわかる、子供の頃は分からなかったけど、ある程度育てば、その家は結構裕福な方だったと分かる。
だからオレは家にこもって、ゲームを始めた。
最初は博に勝てるようになるためだった。
ゲームの攻略本を見ながら、勝ち筋を見つけて、強くなって……。
視界が不意に高くなった。
横に意識を向ければ、そこには、真っ直ぐにテレビ画面を見つめるオレ。成長している。中学生くらいか?
格闘ゲームで博に完勝している。
「強いな、雄斗は」
博はコントローラーをベッドに放り投げて、自分もベッドにダイブした。
「おめーが弱いんだよ」
オレは胸を張っている。当たり前だろ、と言いたげに。
……なんて傲慢な、オレ。
ゲームに強くなりたいのは、何のためだった?
博と対等になりたかったからじゃないのか?
だけど、凝り性のオレは、一人で勝手に強くなって、ゲーセンにも出入りして、時々フラッと博の家に遊びに行ってはコテンパンにする、と言う日々が続いていた。
「今度はいつ来る?」
明後日か。明日か。それとも泊まり込みでゲームをしようか?
そんな博の誘いを、オレはあっさり切り捨てる。
「いや、もー来ないわ」
「え?」
博の顔が、笑顔のまま凍り付く。
「だって博、弱ーもん。対戦してる意味なくない?」
やめろ。
「ネットのゲームでもっと強いヤツいるし、遊べるし……わざわざ出てこなくても、家の中だけで遊べるし」
「雄斗」
凍り付いた笑顔のまま、博は過去のオレを見上げている。
やめろ。やめてくれ。
「だって、おまえ」
やめてくれ――!
「もう、いらないし」