第106話・ハザマ神社にて
「それが一番いいだろう……」
低くかすれた声に、オレたちはそっちを見た。
「篠原先生!」
「大丈夫ですか!」
「あの野郎、遠慮も容赦もなく人を壁に叩きつけやがって……俺でなけりゃ死んでたぞ」
ワールドハーフの肉体がその力に耐え抜いたのだろう。だけど、立ち上がろうとする力は弱い。
「先生……」
「ハザマ神社へ行け」
ケフッと血混じりの痰を吐き出して、篠原先生は斧で教室の反対側を指した。
「あの神社は、敵と戦う運命にある人間に力を与える。お前たちは正にその運命にある……」
先生はスマホを取り出して、緊急連絡をタップした。
「篠原だ……S級通告! 安久都が裏切って生徒に手を出した!」
スマホに篠原先生は苦痛混じりの怒鳴り声を叩きつける。
「理由? 知るか! 担当の神那岐に執着していて、キールとの戦闘で弱った今の神那岐を倒しても面白くないと学校を攻めに出て行った! すぐに生徒たちを退避させ、戦闘可能な勇者を並べろ! 相手はただの勇者じゃない、キールの魔力を取り込んだ他にも何か色々力を増やしているバケモノだ! 捕えるなんて甘いことを言っていたらこっちが殺られる!」
しばらくスマホに向かって肩を上下させていた篠原先生は、ぐるりとこっちを見た。
「こうは言ったが、恐らく今の安久都はワールドハーフ以上の力を持ち合わせたバケモノだ。かなり厳しい戦いになるだろうし……恐らくはお前らしか倒せない運命にある。勇者やってるとな、分かるんだ。目の前にいる敵が、誰と戦う運命にあるか、誰が倒せる相手なのか……」
「運命論ですか」
おっさんの言葉に、篠原先生は首を竦める。
「魔王と呼ばれる者の中には、ある特定の存在にしか倒せないヤツがいる。本来は、その魔王を倒す存在のことを勇者と呼んだんだ。それ以外の相手には、どんなレベルが高くても、どんな武器を持っていても、倒せない……。運命論と言いたければ言うがいい、だが、そう言う人間を俺は何人も見てきているんだ。そして安久都を倒せる可能性があるのは、恐らくお前らだ……。そんなレベルであんな奴を相手にしなきゃならないってのはきついだろうが……。ハザマ神社に行け。あそこは倒す運命にある人間に寛容だ、何かを教えてくれるはずだ」
「何か?」
「そうだ、何か、だ」
篠原先生は博の行った方向に向かいながら、斧で反対側を指した。
「神社へ行け! そして鍵を頂くんだ、あいつを倒す鍵を!」
「わ、かりましたっ」
オレは治癒が浅くてまだ痛む右手を庇いながら、教室を横断して窓を開け、飛び降りる。
「先生、御無事で!」
ハルナさんが叫んで後に続き、おっさんと那由多くんも追いかけてくる。
途端、息の詰まりそうな邪悪な気配。結界で覆われているはずの学校が……いや結界で覆われているからこそ、この空気が消えないのか?
一科、二科のみんな……先生たち……親方たち……死ぬなよ……?
オレたちは校庭に張られた結界を飛び越え、斜面を駆け下りた。
神社は、清浄な空気に満たされていた。
山に張られた結界内は空気が重苦しくなっているのに、神社の範囲内はいつものように透き通った空気だった。
「とりあえず魔力ポーション飲んで」
オレが左手で魔力ポーションを飲んでいる間、ハルナさんは治癒の軟膏をオレの右手に塗りたくっていた。
「少しはマシ?」
「右手貫かれると死ぬほど痛いって初めて知った」
「武器が握れるくらいになるまで治さないと」
「ポーションっ腹になりそうだ」
「少しでも魔力を回復してくれ」
那由多くんは空いたポーション瓶を無限ポーチに放り込みながら、息をついた。
「キールを倒す自信はあったけど、まさか安久都先生とはね」
「土田さんは知ってたのに、どうして言わなかったの」
「こんなことがいち早く起きたからだろ」
おっさんを攻めるような声色だったハルナさんが、オレの言葉に振り向いた。
「オレと博のつながりは知らないはず。でも、担任が生徒を殺したいほどに憎んでいるというのはショックだろうからって……それまでに心構えをしておくべきだと、そう思って黙っていてくれたんだよな」
「……済まない。まさか幼馴染とは知らなかったから……。多分君は、個人的に狙われていると分かった時、安久都先生……彼と話をしたんじゃなかろうかと思った」
「ああ、した」
オレは首を竦めた。
「オレの過去……引きこもりゲーマーニート時代以外のオレを知っていて、手っ取り早く聞けるのは、親と、……十年ぶりに再会してこの学校のことを教えてくれた博しかいなかった」
魔法の軟膏が効いて大分痛みも引いた右手をぐーぱーさせて、オレは学校の方向を見た。
「でも、倒さなきゃいけないのが博だなんてよ……信じらんなくって」
「とりあえずお社のほうへ行こう」
オレの容体がある程度落ち着いたと見た那由多くんは土をはたいて立ち上がった。
「何か倒す鍵があるのは、恐らく本殿だろう」
裏口から入るような形になってしまうが、この際仕方がない。大きく回り込んで、本殿に向かう。
「……なんだ?」
本殿の屋根に、鳥のような影を見つけ、見上げる。もしかして、オウルかもとの期待を込めて。
だけど、あいにくそこにいたのはフクロウじゃなかった。
丸みを帯びたフクロウとは全く違う、鋭い目、鋭い爪、鋭い嘴……。猛禽類と言えば誰もが真っ先に思い浮かべるだろう鳥、鷹だ。
しかも半端な大きさじゃない。
人ひとり乗せて飛べるんじゃないかってくらいの大きさの鷹が二羽、鋭い目でこちらを見下ろしている。
「神鷹だ……」
「シンヨウ?」
「神の鷹、と書いてシンヨウと読む」
おっさんは真剣な目で、威嚇するように嘴を開く一羽と、嘴を閉じたままこちらをじっとうかがっているもう一羽を見上げる。
「この神社の使いは鷹、と知っていたが……」
ここが神社で、あれが神社を守る聖獣なら、口を開いている方は阿、閉じている方が吽、それくらいならゲーム脳で知っている。
だけど。
神鷹は……一対の鷹は、何のためにオレたちの目の前に現れたのだろうか。