唐突な訪問
まりさが演じる【ゆっくりまりさ】だが、評判は良かった。
様々な動画に顔を出演させる訳だが、其処でモノを言うのは、何処まで演じられるのかにある。
台本を読めない程度のゆっくりではお話に成らず、最低でも銀バッジが現場では求められていた。
その上で言えば、まりさの様なゆっくりは引く手数多である。
なにせ難しい原稿であろうときっちり読める上に、軽い小芝居も出来ると成れば、業界にすれば呼ばない方がどうかしていた。
無論の事、中には自分で【使えるゆっくり】を生み出そうとする者も居なくはない。
但し、此処で多くの者が躓く事となる。
演技の指導は出来ても、人とは違うゆっくりを育成するのは並大抵の努力では務まらない。
単に優秀なゆっくりを排出できるだけでも【ブリーダー】として名を馳せる事が出来るからだ。
勿論の事、それが飯の種であるブリーダー達にすれば、自分達が積み重ねた知識を明かそうとはしない。
餌だけ与えれば育ちはしても、優秀なゆっくりを創り出せる訳ではなかった。
✱
「おはよう御座います」
予定の時刻に、予定の現場に顔を出す。
それは当たりの事かも知れないが、返事が無い。
「あの~?」
もしかしたら自ゆんが間違えたのかと思って軽く覗くと、其処では、今日の仕事を頼んだ相手が電話をしていた。
「は? 困りますよ、急に出られないって言われたって。 いやいや、そんなのそっちの都合でしょ? こっちとは関係ないと思いますけど?」
時折、そんな光景にはまりさも出会す事は在った。
擬似的なゆっくりを用いるやり方と違い、生のゆっくりを使う場合、今見ている様な出来事は実は多い。
何せゆっくりも生物である以上は、時に体調不良を起こしたりもする。
食べたモノが体に合わなかった、病気に掛かった、過度のストレスにて動けない。
体調管理も仕事の内とは言えど、飼われているゆっくりは基本的に飼い主が面倒を見ている為に、この手の事案も無くはない。
とりあえず、まりさは相手が電話を終えるまで、待つ事にした。
別にこの仕事が仮に破棄に成ったとしても、別に損はしない。
相手の勝手な都合で仕事が流れたのならば、其処には違約金が発生するからだ。
だからこそ、まりさにすれば何方でも良かった。
✱
暫く後。
ようやく電話が終わり、相手はフゥと息を吐く。
其処で、まりさは今一度「すみません」と声を掛けた。
「え? あ、すんません、まりささん、いらっしゃったんですか? だったら声を掛けてくれても良かったのに」
実際には掛けたが、電話に夢中だった相手が気付かなかっただけである。
とは言え、それはそれ、これはこれとして、打ち合わせをせねば成らない。
「御電話中でしたので、ところで……」
「え、あ~、それでなんですけど……」
バツが悪そうな相手だが、別に急かす必要は無い。
まりさひとゆでも実況は出来るが、基本的には【ゆっくり実況】はふたゆで一組というのが常であった。
「いま、代わりの代役を用意して貰ってるんですが、午前中はちょっと……」
ハイどうぞと、優秀なゆっくりを用意するのは難しい。
手配したところで、ポンと運ばれて来るのは稀である。
何処かで手空きが出れば話は違うが、ゆっくり実況の需要が多くなるに連れ、その空きもまた多くは無かった。
つまりは、午前中の仕事は午後へ以降という事になる。
「私は構いませんが……」
規約に置いて、勝手な変更は言語道断だろう。
相手の都合で時間をズラすとなると、やはり違約金は発生してしまう。
「あ、ハイハイ、それは大丈夫です」
相手にしても、今まりさを手放す事は出来ない。
一つの動画を作り上げ、ソレを流せば広告収入が見込めるのだ。
つまりは、多少の違約金はやむ無しと言える。
「……そうですか、解りました」
「すんませんねぇ、どうもゆっくりって奴は勝手で……」
言い掛けたところで、相手は口を慌てて噤む。
何せ、如何に人間に近いとは言えど、まりさもゆっくりなのだ。
悪口を言われては良い気はしない。
ただ、まりさが怒るのかと言えば、そんなことも無かった。
「大丈夫ですよ、気にしてませんから」
道行く野良に少しでも何かを言えば、烈火の如く怒るゆっくりも多いが、その程度ではバッジなど遠き夢である。
多少の事では動じない精神こそが、基本中の基本であった。
「では、午後にまた此方へ寄ればよろしいので?」
「はい、それでお願いします。 お手数取らせて、すんません」
まりさの声に、相手は人間にも関わらずペコペコと平然と頭を下げる。
その様は、野良が見たなら目を白黒とさせる光景であった。
✱
意図せず、午前中が暇に成ってしまう。
他に予定が無い以上、何処かで暇を潰さねば成らない。
「どうしよう……あ」
其処でふと、まりさはある事を思い出す。
道路に近付く成り、手を挙げてタクシーを呼び留めた。
普通のゆっくり相手では、運転手も車を止めたりはしない。
何せ愚かなゆっくりの中には、何も考えずに道路に出てしまう者も多いのだ。
そうなるとどうなるかと言えば、仮にタイヤがゆっくりを踏み潰したところで、何の罰則も無い。
だからこそ、街の至る所で、潰れたゆっくりはよく見られる光景であった。
だが、特級鑑札持ちのまりさとなれば、話は違う。
普通の人間の様に、呼び留めて乗り込んだ所で運転手も何かを言ったりはしない。
中にはルームミラーにて、まりさを見て顔をしかめる者も居るが、露骨に文句を言われた事は無かった。
「何方まで?」
「図書館へお願いします」
「はい、解りました」
走り出す車。
平然と料金が発生するタクシーを用いているが、別にまりさが金持ちということでは無い。
プラチナバッジに限り、其処には国からの補助が出る。
如何に権利を与えられたとは言え、流石に車の免許までは与えられないからか、その分の配慮と言えた。
だからこそ、人間に比べるとだいぶ安く乗る事が出来る。
この制度に関して、多くの人間からは不平不満も出たが、では同じ試験を受けて受かる人間は居るのかと問われ、皆が口を閉ざしていた。
✱
まりさを降ろし、タクシーは走り去る。
さて、何か図書館に用が在るのかと言えば、その物には無い。
ただ、中に居るであろう者に、まりさは用があった。
ガラスの自動ドアを潜り、中へと入る。
もしこれが普通のゆっくりがやろうものなら、即座に叩き出されるかも知れないが、まりさにはその心配は無い。
寧ろ、そんな事をした方が咎められてしまうからだ。
時折、歩くゆっくりであるまりさをチラリと窺う者も居たが、直ぐに目を反らして居た。
そういった事は、既にまりさも慣れっこである。
チラチラ見られる事などは、日常茶飯事であった。
人の目は兎も角も、まりさの目がある方を見る。
それは、客と職員を隔てる物と言える細長いテーブル。
そして其処には、まりさと同じバッジを頭のお飾りにつけたゆっくりが居た。
近付けば、そのゆっくりもまりさの気配に気付いて体を向ける。
「むきゅ? これは珍しい事もあるわね? 何か御用かしら?」
「お久しぶりです、先輩」
まりさが【先輩】と読んだゆっくり。
柔らかい顔立ちに、紫色の珍しい髪色を持つのは、ぱちゅりーであった。
ふたゆは、かつての同じ場所で暮らしていた事がある。
基本的には賢い種なのだが、勿論の事欠点として体は他のゆっくりに比べると虚弱気味故に、激しい仕事は得意ではない。
だからか、ぱちゅりーはバッジを取って以来、図書館の司書として働いていた。
「それで、今日は何かの本を盗りに来たとか?」
ゆっくりの中には、手癖の悪い者も多い。
それは、ある意味ぱちゅりーなりの茶化しかたでもある。
「そんな事しませんよ。 ただ……ちょっと暇が出来まして」
「そ、もう少しで休憩だから、少し待てるなら時間を取れるけれど?」
ぱちゅりーの声に、まりさ「はい」と返した。
✱
司書とは言え、別に二十四時間勤務でもない。
当然の事ながら、職員の休憩さ確保されている。
そしてそれは、勿論の如く、特級鑑札持ちのぱちゅりーにも認められていた。
「わざわざ後輩が会いに来てくれたのだから、お昼でもどう?」
「はい、是非とも」
「むきゅ、でも、意外よね?」
「はい?」
「あなたが、わざわざパチュに会いに来るなんて」
立場的には、ふたゆには差が無い。
何方も押しも押されずのプラチナバッジ持ちのゆっくりである。
それでも、一応は先輩後輩という間柄でも在った。
「まぁ、ちょっと相談に乗って貰おうかと……」
思わせ振りなまりさに、ぱちゅりーはフゥンと唸った。
ふたゆが選んだ店だが、特段の珍しい場所ではない。
図書館からそう離れていない場所にあるファミリーレストラン。
「いらっしゃいま……せ。 あ~、お二人様でしょうか?」
「そ、ふたゆ」
やはりと言うべきか、店員の対応は人間へのモノに比べると違いは否めない。
それでも、人の目に慣れたふたゆは「此方へどうぞ」と案内される席へと向かった。
胴体を獲得したまりさは椅子に座る事が出来るが、普通のゆっくりと同じ饅頭型のぱちゅりーはそうも行かない。
「ごめんなさいね? 無作法で」
仮に椅子に乗せられた所で、頭を少し覗かせるだけである。
其処で、ぱちゅりーは仕方なくテーブルに体を乗せていた。
それに付いて、まりさは咎めるつもりは無い。
「いえ、お気になさらず」
元々は自ゆんも同じ饅頭型の体をしていた頃も在る。
「むきゅ……それでと、聞かせて貰いましょうか? 売れっ子ゆっくりのお悩みを」
唐突な先輩の声に、まりさは苦笑いを浮かべた。