お似合いの仕事
ふとした時、少し騒ぎが起こった。
その理由だが、ある実況者が引退を表明したからである。
「みんな! 今までありがとうなんだぜ!」
ソレを言ったのが誰かと言えば【ゆっくりまりさ】であった。
それなりの人気を博し、再生回数も稼げる実況者が急に引退するとなれば、多少の騒ぎが起こる。
とは言え、それが社会に波及する程の影響が在るかと言えば、そうでもない。
寧ろ、知らない、という方が多いだろう。
多少のすったもんだは在ったものの、まりさの代わりが居ない訳ではない。
其処には、別のゆっくりが後釜として配置される。
惜しまれつつも、まりさは実況界隈から引退をした。
✱
自宅だったアパートから、荷物が運び出される。
加工所の計らいによって、引っ越しが行われていた。
段々と、少なくなっていく家具や荷物。
それに伴い、部屋は空へと近付いていく。
そんな部屋を見ていると、何とも言えない感覚をまりさは感じていた。
それなりの期間住んでいた事も在り、愛着も湧いていた。
仕事に関しても同じ事で、寂しく無いと言えば嘘になる。
「じゃあ、此方で運んで置きますので!」
「すみません、宜しくお願いします」
引越屋の作業員へと声を掛けつつ、まりさ部屋を見渡す。
如何に特級鑑札を持っていても、やはりまりさもゆっくりである以上、その種族的特性は残されていた。
ゆっくりの多くは、自ゆんの住処を【ゆっくりぷれいす】と呼称する
それ即ち、其処は自ゆんの縄張りである事を示す。
だが、諸事情から離れねば成らない。
後ろ髪を引かれる想いは在る。
しかしながら、それに拘れる立場でもない。
「お部屋さん……今まで、ありがとうなんだぜ。 まりさは離れちゃうけど、次の誰かが来たら護ってあげて欲しいんだぜ」
ボソリと、まりさはそう呟く。
敢えて昔の口調を用いるのは、自ゆんのなりの気持ちを贈りたいからだ。
ゆっくりは、ほぼ全てのモノを【さん付け】で呼ぶ。
それは、生き物だけに留まらない。
動かない筈のモノや、風や雨、太陽の光や夜の闇、燃える炎という現象にも及ぶ。
唯一、さん付けしないのは、自ゆんだろう。
その理由だが、明らかには成っていない。
勿論、まりさ成りに持論は在る。【万物には、魂が宿るのだ】と。
科学的にはなんの根拠も無い。
だが、ゆっくりにしても不思議な生物という点は同じと言える。
それを踏まえて、自宅であった部屋へと礼を贈っていた。
すっと振り返り、出ていくまりさ。 部屋の戸が閉じられる。
誰も居なくなった部屋には、カーテンも取り払われた事から、陽射しが差し込んでいた。
✱
引っ越しその物だが、恙無く終わった。
それもその筈で、掛かる筈の費用はまりさ持ちではない。
費用の出処だが、ソレを問う業者も居なかった。
金の出処が何処であれ、ソレに綺麗汚いも無い。
料金さえ支払ってくれるなら、仕事をするだけである。
それと同じで、まりさも新しい仕事をする事に成っていた。
監督官が、新しい仕事として紹介したのは【指導員】と言う。
何の指導員かに付いては、一応前もって聞かされて居た。
其処で、まりさに紹介されたのは【盲導ゆっくりの指導】であった。
盲導犬、という存在に付いては、今更言うまでもない。
目の不自由な人を、助ける存在である。
では、何故にゆっくりが採用されたのかと言えば、言葉を話せるからだ。
訓練を受ける事によって、犬も人を助けられるのだが、出来ない事も無くはない。
当たり前の事として、喋る犬という存在はまだ確認されて居なかった。
そうした事を踏まえて、ゆっくりが採用された。
飼い主の為に、物を見て、本や手紙すら読み聞かせる
または、訓練によっては代筆すら可能だろう。
加工所での訓練生時代、まりさもそうした事をお試しとしてした事は在る。
その際の記憶は、悪い思い出ではない。
まりさはその時、内心では【めんどくさい】と思っては居たが、いざその訓練が実施された際の事。
あれやこれやと世話をするまりさに、盲導ゆっくりとして働くまりさは、感謝を贈られていた事を思い出す。
最もその際は、あくまでも訓練の一環であった。
だからこそ、擬似的飼い主とは別れねば成らなかったが、その際には、まりさは感じた事を忘れては居ない。
だからこそ【解りました】と仕事を引き受けていた。
✱
出勤初日。
やはり、新しい所へと来るのは、まりさでも緊張してしまう。
何せ、今のまりさはドが付く新人である。
目をチラリと配れば【盲導ゆっくり訓練所】と在った。
やや硬い表現なのは、其処が加工所が受け持つ施設だからだ。
比較的優秀なゆっくりを引き上げ、其処へ回す。
そんな説明を思い出しつつ、まりさは足を進めた。
「おはよう御座います!」
事務所らしき場所へと顔と挨拶を出す。
すると、作業服姿で書類を弄っていた誰かが顔を上げた。
顔や衣服は違うが、どことなく監督官に似ていなくもない。
「ああ、おはよう御座います……」
チラリと、まりさのお飾りに輝くバッジに目をやる。
「そうか、君が聞いていた新人さんかい?」
「はい、まりさです。 宜しくお願いします!」
すんなりまりさが受け入れられるのは、特級鑑札のお陰だろう。
でなければ、人はそうすんなりとはゆっくりを受け入れない。
スックと机を離れると、男はまりさへと近付く。
普通のゆっくりでは【にんげんさん】を恐れるものだが、まりさは既に慣れていた。
「ま、あれやこれやと言うよりも、とりあえず案内しようと思うんだが?」
そんな声に、思わずまりさは微笑む。
やはりと言うべきか、そんな所も良く似ていた。
「はい、お願いします」
✱
訓練所に付いて言えば、柔らかい雰囲気である。
もっと厳しい施設を想像していたまりさにすれば、拍子抜けであった。
それもその筈で、盲導ゆっくりを育てるに当たり、あまりにも厳しい環境では問題が在った。
人に接し、人と暮らす以上、性格が下衆では困る。
何せ相手は目が不自由なのだ。
である以上、下手をすれば被害が出てしまう。
その為には、ゆっくりが下衆に成らぬ様な配慮が要る。
ゆっくりんピースに所属するゆっくりの如く、表面上だけ良いゆっくりでは飼い主が困る。
それこそは、相手に寄り添える様なゆっくりでなければ成らない。
案内される途中、まりさは時折授業を受けるゆっくりを見る事が出来ていた。
その中には、人間の様に授業を受ける風景も見られる。
「結構、沢山居るんですね?」
思わず出たまりさの質問に、前を行く男はウンと鼻を鳴らす。
「正直な所、需要に対して供給が追いついて居ないがね」
「そう、なんですか?」
「君もプラチナバッジなら解るだろうが、最低でも金バッジ位には成って貰わないと無理なんだ」
そんな説明だが、解らなくはない。
例え漢字が読めずとも、生活を送る事は出来る。
だが、やはりとソレを用いねば成らない事もある。
近場の人に読んで貰う事は出来るだろうとしても、言葉の意味を理解出来る知能が無ければ意味が無い。
それを踏まえると、ゆっくりを金バッジにまで引き上げるのは楽ではない事はまりさも知っていた。
よくよく選別し、多大な費用を賄い、教育を施す。
ゆっくりを金バッジにまで育てる事は、一個人でも出来なくはないのだが、その数は限定される。
「だからこそ、君の様な優秀な者が来てくれるのは正直に有り難いよ」
褒められれば、まりさも悪い気はしない。
だが、同時に苦悩も見て取れる。
盲導ゆっくりとは口で言うのは簡単だとしても、ソレを育て上げるには多大な努力を要する。
「頑張ります」
月並みながらも、まりさはそう言った。
【是非とも自ゆんにお任せください!】とは大言を吐かない。
口では如何に大きく言えても、実際に実行出来るかは怪しいものである。
「謙虚だね……そういう所も、期待をして居るよ」
思わぬ評価に、まりさはコッソリと手を握り締めていた。
✱
あちらこちらと、施設をだいたい案内されたが、最後にと案内されたのは、実技指導の場である。
其処では、ゆっくり達が忙しそうに動き回っていた。
一目で解るのは、其処が所謂、検品の場である事が伝わる。
飼い主に代わり、ある程度の家事の代行や、書類の代筆、必要な物の運搬。
そういった事が、本当に出来るのかを試す。
そして、試されるだけあり、其処のゆっくり達の動きは目覚ましい。
ヘラヘラと笑っているだけでは、盲導ゆっくりとは呼ばれない。
皆が忙しそうである。
その様には、まりさですら目を丸くさせられる。
「……凄い、ですよね」
「そうだな、でなければ困るんだがね」
言いつつ、男はスッと息を吸い込む。
「おーい! ちょっと良いか?」
そんな声に、奥の方で何かをしていた誰かが振り向く。
チラリと顔が見えるのだが、まりさは小首を傾げた。
奇妙な話だが、何処かで見た様な気がする。
作業服姿の青年は、白い杖を着いていた。
それは、彼の目が見えていない事を示している。
「はい所長さん、何か?」
「あぁ、忙しい所をすまない。 今度来た新人を紹介しようと思ってね」
軽い説明に、青年は手を挙げる。
その手は、握手を求めていた。
「新人さんは大歓迎ですよ。 何せ人手が足りなくて」
差し出される手に、まりさも恐る恐る、自ゆんの手を重ねる。
「えと、あの、宜しくお願いします……だぜ」
「え? ゆっくりさん? あれ、でも」
何かを思い出しそうな青年に、まりさは、笑みを顔に浮かべて居た。
相手には見えないかも知れないが、意味は在る。
「変な事聴くんですけど……前にも、会ったこと無いですか?」
そんな事を言う青年だが、まりさは「はい」とだけ応えていた。
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