変わる日
悪夢にうなされたとは言え、仕事は休みには成らない。
時間が来れば、支度を始める。
先ずはと、洗面所へと向かい、顔を洗う。
スッと上げられる顔を見て、まりさは「うっわ」と声を出した。
見える自ゆんの顔だが、一言に酷い。
寝不足ですと、そのままに見える。
「あんなの食べなきゃ良かったのに……」
仕事を無事に終えたなら、それこそ美味いモノでも食べて、英気を養う事は人でもする。
だが、肥えた舌を正そうとした結果が、まりさに見えていた。
「どうしよ……」
どうもこうも無い。
撮影に当たり、ゆっくりまりさを演じねば成らない。
昨晩に悪い夢を見たとしても、ソレはまりさの都合に過ぎず、撮影する側に取っては関係が無かった。
如何なる言い訳も【それがどうかしましたか?】と切り捨てられる。
仕事とは、遊びではない。
なんとかすべく、まりさはもう一度顔を洗い直した。
✱
仕事先へと向かう間、まりさは考えていた。
ゆっくりまりさを演じるだけがゆん生かと問われれば、実はそんな事は無い。
「あ、そっか……」
後輩のようむも語っていたが、嫌なら仕事を変えた所で、誰に文句を言われる筋合いも無い。
勿論の事、引き留められるかも知れないが、ソレは向こうの都合でしかなく、まりさの都合ではなかった。
長々と続ける内に、そうしなければ成らない、とまりさが思い込んで居ただけである。
その為に先ずはと、次の仕事を考える。
その気に成れば相談する相手には事欠かない。
そんな簡単な事すら思い付かない程に、まりさは演じるゆっくりまりさへと馴染みつつ在った。
だが【変えよう】と思えば、ソレはそうなる。
不思議な事に、まりさの中に在ったゆっくりまりさへの執着は薄れていた。
✱
「おはようございまーす!」
転職しようと心に決めたからか、まりさの自ゆんでも驚く程に軽い。
あと何回かは【ゆっくりまりさ】を演じれば、それなりの余裕も出る。
心機一転、といったまりさだったが、その顔から笑顔が消えた。
何故かと言えば、既に共演するゆっくりが先に居たからだ。
体調が戻ったらしいれいむ種は兎も角も、またあの金バッジのありすまでもが顔を揃えていた。
「あ、まりささん、おはよう御座います!」
実に屈託の無い顔を見せるありす。
傍から見ている分には【良いゆっくり】に見える。
しかしながら、その裏にはゆっくりんピースが居る事をまりさは忘れて居ない。
「……おはよう御座います」
裏に誰が居ようが、それは仕事とは関係が無い。
あくまでも、現場ではゆっくりまりさを演じるのみ。
仕事に徹しようとするまりさだったが、その前へとありすがパタパタとかけて来た。
それだけでなく、いきなりペコリと頭を下げる。
「まりささん。 この前は、すみませんでした」
「……えっと?」
別に、ありすからは謝られる様な事はされて居ない。
真意を確かめるべく、口を開く。
「なんで、謝るの?」
まりさの声に、ありすが頭を上げた。
見える顔には、如何にも困っています、という色が在る。
「なんて言いますか……その、せっかく来て頂いたのに、無作法晒しましたから」
そんな声に、まりさもゆっくりんピース養成所での出来事を思い出す。
授業らしい授業は特にしていない。
その代わりに、議論を吹っ掛けてくるゆっくり達の尽くを、まりさは居丈高にも成らず諭していた。
ソレは、プライド高いゆっくりに取ってはかえって辛い。
ただその際、ありすはまりさに何も言っていない。
「別に、気にしてないから」
「そうですか? 良かったぁ」
心底ホッとした、というありすだが、直ぐに顔を真面目なモノへと変える。
「あの、まりささん」
「はい?」
「こんな事を、いきなり云うのもアレなんですが……もし良ければ、ウチへ移籍出来ません?」
正に、ありすの申し出はいきなりに過ぎた。
訳もわからないまりさへ【ゆっくりんピース】へ来い、と言う。
「え~と、話が見えないんだけど?」
まりさにして見れば、団体の裏は見てしまった。
とてもではないが、褒められた功績が無い。
寧ろ、愛護団体を名乗っている割には、ゆっくり達に取っては害悪としか映らなかった。
「今すぐって訳じゃ無いんです。 ただ、出来れば、まりささんに来てくれるように頼んでって言われまして」
ソレを指示したのが誰か、コレは大した問題ではない。
問題なのは、ゆっくりんピースがまりさを確保しようとして居る点である。
その裏だが、推察する事は難しくは無い。
まりさが見ただけでも、金バッジ迄しか居なかった。
ソレはつまり、ゆっくりんピースは特級鑑札の育成には成功していない事を示している。
もしソレを実現して居たなら、今頃は大声にて自慢をしている筈だった。
【ゆっくりんピースはプラチナバッジをもたせる事に成功した!】と。
愛護団体を名乗っている以上、人並みの扱いをされるプラチナバッジ持ちのゆっくりを輩出して居るとなれば、誉れである。
だが、どういった教育方を取るにせよ、ソレは実現を果たせて居ない。
ありすの言動からしても、無理からぬ事と言えた。
学力や作法は勿論の事として、特級鑑札に求められるのは、自ゆんの責任を自ゆんで背負えるかどうかで決まる。
試験の際には、口頭にてソレが試される。
事実として、まりさも一度は試験に落ちた経験もあった。
金バッジ迄ならば、指示に従うのは正しい。
逆に言えば、責任を追う立場ならば、ソレは間違いとなる。
【誰かに言われたから、そうします】ではお話に成らない。
そして、まりさにありすの申し出を受ける決定権こそ有れど、義理は無かった。
だとしても、答えは吟味する必死が在った。
【嫌です】と、一言で切り捨てる事は出来る。
だが、相手の誘いを無碍に断わったとあっては、遺恨が残る。
相手がゆっくりんピース所属して居るという時点で、それは考慮せねばならない。
何せ、かの団体は自ゆん達の行いには責任を追うことはしていなかった。
それを知ってか知らずか、ありすの目がまりさをジッと見る。
「どうです?」
「……どうって言われても、急には困るよ」
この場ではハッキリさせずに、まりさは曖昧に応えた。
下手に【考えておく】等と言えば、前向きに受け取られ兼ねない。
其処で、あくまでも自ゆんとありすは所属が違うという事で御茶を濁す。
まりさの声に、ありすは露骨に眉をハの字にする。
「……そう、ですか」
「うん、ごめんなさいね」
一応は謝る。
すると、ありすは首を横へと振った。
「いえ、まりささんの言うの事も最もですよ」
一応はまりさの意見を尊重はする。
だが、その目は諦めた、という色は無い。
「でも、考えて置いてくださいね?」
ありすは、念を押して来た。
それに対して、まりさが出来るのは苦笑いだけである。
✱
「こんにちは! ゆっくりまりさだぜ!」
「こんにちは! ゆっくりありすよ!」
先ずはとばかりに、まりさとありすが揃って挨拶を贈る。
「あれ? まーたれいむは休みなんだぜ? こんなに休んでたら、視聴者の皆に忘れられちゃうんだぜ?」
れいむ不在の事を尋ねるまりさに、ありすがムフフと笑う。
「えぇ? いーんじゃない? だって、代わりに私が居るんだし」
演技が上手いだけあり、視聴者からはありすの評判は悪くない。
だからこそ、こうして出演が掛かっている。
ただ、この時はまりさとありすに「ちょーっと待つんだよ!」と割って入る声が在る。
それは、体調不良から復帰したれいむ種の声だった。
「まったく! ちょっとお腹壊して寝込んでたら、とんだ泥棒猫ね!」
本来ならば、このゆっくりはまりさと揃いで主役を張っていた。
個ゆん間の間柄は別にすれば、視聴者からの評判は悪くない。
急遽ありすが登場したのも、あくまでも体調不良の代役である。
「やっとれいむも復活したんだぜ。 ま、という事で……」
まりさこ声を合図に、それぞれが息を吸う。
「「「ゆっくりしていってね!」」」
軽い小芝居を挟みつつ、そんな挨拶がされた。
✱
復帰した以上は、なるべく自然な形で動画に登場させたいのが撮影側の気持ちだろう。
まりさとありすの動画も評判は悪くないが、動画のコメント欄にはれいむの存在を尋ねる言葉も無くはない。
【居ないと寂しい】というのも在った。
「まぁったく、貧乏巫女の癖に、拾い食いなんてするからお腹壊すんだぜ?」
金バッジのれいむ種が何処に住み、どの様な生活を送っているのかをまりさは知らない。
【金欠で雑草を食べるしかない程の貧困】というのはあくまでも台本の上での設定に過ぎない。
寧ろ、この金バッジのれいむは何方かと言えば裕福だろう。
肌や髪はよく手入れがされ、お飾りもピンと張っている。
ソレは、偏に飼い主が努力を重ねている結果と言えた。
対して、ありすはどうかと言えば、やはり整っていた。
ゆっくりんピースも、金を稼げるゆっくりは丁重に扱うのだろう。
出演させるのに、ありすボロボロでは画にならない。
だが、裏を知っているまりさにすれば、ソレはやはり鍍金に見えた。
養成所で見た金以下の銀バッジ程度では、ろくな扱いをされて居ない。
その裏が、透けてくる。
敢えて金バッジを丁重に扱う事で、銀バッジに発破をかける。
【こうなれば、貴方も大事にしてあげるよ?】と。
とはいえ、ソレは愛護団体のやり方として如何なものか。
だとしても、まりさが口を挟む問題でもない。
監督官からも【関わるな】と言われている以上、まりさもありすとは仕事の上でしか関わるつもりは無かった。