苦い記憶
歯を磨き、うがいをしても消えない口の中に残る味に辟易しつつも、寝床へと入る。
如何に不味い餌を頬張ろうとも、変えられぬ事も在った。
一度良い暮らしに慣れると、其処からは抜け出せない。
事実として、飼いゆっくりだった場合も、その快適な生活が忘れられず、例え飼い主に叩き出されようとも、人に縋るゆっくりも多かった。
勿論、まりさに飼い主は居ない。
だからこそ、自ゆんで自ゆんを律する必要が在る。
でなければ、街の片隅で段ボール箱を住処とするゆっくりに墜ちるのもあっという間だった。
部屋の灯りは落とされ、常夜灯が僅かに光る。
そんな中で、まりさは目を閉じるのを恐れていた。
眠れば、疲れは取れるかも知れないが、同時に悪夢に悩まされる。
必死に忘れようとすれど、ソレが頭から消える事は無い。
だが、ウトウトとする内に、まりさの目蓋が閉じた。
✱
朧気に流れ始めるのは、過去の記憶。
家族と引き換えに、自ゆんは拾われた。
最初こそ、飼いゆっくりにでも成れるのかと期待したが、往々にして世の中はそうは甘くない。
拾い上げた加工所の職員は、確かにまりさとの約束を果たした。
潰しはしなかったのは気紛れか、それとも良心の絞りカスなのか。
それは定かではない。
ただ、事はそれで終わらない。
拾ってくれと頼まれたからこそ、拾いはしたが、別に飼ってくれとは頼まれて居ない。
その身柄は、加工の為に運ばれる。
身体の汚れは拭われ、頭の上のとんがり帽子にはあるバッジが付けられた。
ソレは金銀銅といったモノではなく、単純にプラスチックに番号が割り振られただけの簡素な代物。
其処には【35】と印されていた。
『諸君には、立派なゆっくりと成って貰いたい』
そんな声と共に訓練が開始される。
加工所の訓練は、一言で過酷に尽きた。
それもその筈で、ゆっくりを商品として加工する工程なのだから無理も無い。
バッジ習得の為に、生き方を矯正され、知識を頭に叩き込まれる。
その工程は、人間ですら墜ちる可能性が高い程に厳しい。
ソレが出来ないゆっくりは、篩から落ちて行く。
『たすけて! たすけてね! だでがでいぶをだずげでねぇぇ!!』
『ゆんやぁあああ!! イヤだよ! じにだくなぃい!?』
度々に行われる試験に落ちれば、そのゆっくりは工程から省かれていく。
加工所とは、ゆっくりんピースの様な愛護団体ではない。
書いて文字の如く、ゆっくりを加工する場である。
訓練所の工程は、あくまでも体面の為でしかなく、慈善からではなかった。
品質が一定の規格に達して居なければ、当たり前として餌代が無駄に成ってしまう。
加工所にすれば、そんなゆっくりを養うのは、無駄でしかない。
段々と省かれていく仲間を、まりさは鼻で笑って居た。
自ゆんは努力をして居る、彼奴等はソレが足りないのだ、と。
少しずつ知力は向上し、バッジの色が変わる。
銅から銀へ、銀から金へ、金から白金へと。
こうなれば、押しも押されぬゆっくりであろう。
但し、ある時、まりさの前に、あの監督官が立った。
『三十五番、不合格だった』
そんな声を聴いた途端に、まりさの全身が寒気が走り、ぶるぶると震えだす。
頭に浮かぶのは【そんな筈が無い、何かの間違いだ】という声。
『そ、そんな筈無いんだぜ!? だって、だって私はプラチナバッジを……』
『残念だ。 おい、運び出せ』
言葉とは裏腹に、大して残念そうでもない声と共に、まりさはスッと持ち上げられた。
必死に全身を揺さぶろうとも、人間の手は振り払えない。
何故ならば、この時のまりさはまだ饅頭型だった。
訓練から落ちた者が何処へ行くのか、それは知らされていない。
ただ解っているのは、二度とは戻って来ず、その顔を見ることが無いという事だった。
『やだ、やだやだやだ! 嫌だ! なんで!? なんで私が!?』
どうして自ゆんが落ちたのか、色々と様々な事が頭を過る。
そもそも何に失格したのかを理解出来ない。
だが、どんなに足掻いても作業員の手はまりさを捕まえて放そうとはしなかった。
『誰か! みんな!?』
見慣れた顔のどれもが、まりさへと憐れみを向けてはくれる。
だが、憐れみは助けには成りはしない。
その目は、家族を見捨てたまりさと同じ目であった。
『あの、冗談ですよね? どうして、こんな……』
まりさは必死にそう訴えたが、作業員は取り合おうとはしない。
教室から連れ出されたまりさは、段々と加工所の奥へ奥へと運ばれる。
何故に特級鑑札を取った筈の自ゆんが運ばれるのか、理解が及ばない。
連れて来られたのは、大きな金属製の箱である。
其処では、他にも捕まったらしいゆっくりで溢れていた。
そんな場所へと、まりさも投げ込まれる。
他のゆっくりがクッションになる事で、怪我は避けられたが、悲鳴があがった。
『いだぁい!? なにするんだよ!?』
『おもいんだぜ! まりさのうえからどくんだぜ!』
野良特有の舌っ足らずな声。
相手の怒りも兎も角も、まりさは脅えていた。
合わない歯が、カチカチと鳴る。
気付けば、特徴的なとんがり帽子も取り払われている。
勿論の事バッジなど無くなっていた。
寒気と怯えに、全身の震えは収まらない。
ゴクンと鈍い音と共に、ゆっくり質を囲んでいた壁が迫り出す。
すると、否が応でも逃げ場を探す他は無い。
このままでは、ゆっくり達は潰される。
『あ! みんな、あそこへにげるんだよー! すぐでいいよー』
どのゆっくりが、ソレを言ったのかは問題ではない。
皆一斉に、ポッカリと空いていた壁の穴へと急ぐ。
但し、その穴の先は真っ暗。 何処へ続くのか、全く見えない。
高まった知能が、その穴は危険だと告げる。
一目散に穴へと飛び込もうとするゆっくり達を、まりさは慌てて押さえようとした。
何故かは知らないが、其処へ行っては駄目だと本能が告げる。
『駄目だよ! そっちへ行ったら!』
なんとかしようとするのだが、誰もまりさの声を聞いてはくれない。
それどころか、バチンと弾かれてしまう。
『うるっさいんだよ! このげす! かってにしんでね! すぐでいいよ!』
同類を助けようとするまりさを、他のゆっくりはゲス扱いをする。
それでも、まりさは助けようと足掻いた。
『だめ! 駄目だったら!』
どうしたら良いのか、訳もわからず周りを見る。
すると、顔を覆う作業員達がジッとまりさを見ていた。
『なんでこんな事をするんですか! どうして……』
自ゆんは特級鑑札を持った立派なゆっくりの筈が、野良と同じ扱いをされていた。
まりさの疑問に、作業員達は首を傾げる。
『はぁ? なに言ってんだよ、コイツ?』
絶望的な程に、無感情な声。
『ま、いいわ、さっさと撹拌機動かしちまえ。 磨り潰せば黙るだろ?』
ゾッとする程に、淡々と事を進める。
こうしている間にも、壁はどんどんとゆっくりを穴へと押しやって行く。
まりさにしても、壁には逆らえず穴へと押しやられる。
近付けば解るが、穴からは不気味な作動音と共に、ゆっくりの悲鳴が響いてた。
同時に、ゆっくりの死臭も漂い出す。
『ゆぎゃあ!? いっぢゃ!?』
『ゆぎ……』
悲鳴と共に、ブチブチと何かが潰される音が交じる。
最初こそ悲鳴が響いて居たが、ソレは少なくなっていく。
いよいよ、まりさの番が来ていた。
『誰か、誰か! 助けて!』
作業員達は、誰もがまりさの声には取り合わない。
寧ろ、何の感情も無い目が、不思議そうに見るだけである。
ジリジリと、壁が無理やりにでも穴へとまりさを運ぶ。
『いやだ……やだ……死にたくないよ……死にたくない!?』
直後、全身を引き裂く痛みと共に意識が途絶える。
✱
ハァと息を吸い込むと同時に、まりさがガバっと身を起こす。
必死に息を確保しながらも、辺りを見渡した。
今まで見ていた全ては、ただの夢である事に気付く。
その証拠に、感じた筈の痛みは失せていた。
「ゆめ? 夢……」
その事に、まりさは安堵するものの、全身はまだ寒気と震えが残る。
「……どうして、あんな夢を……」
まりさは、知らない筈の事を夢として見てしまった。
ただの悪夢と切り捨てる事も出来るが、ソレは決して空想ではない。
まりさが食べたゆっくりフードだが、その原材料は、実はゆっくりである。
加工所が掻き集めた野良を、加工する為に機械へと放り込む。
捕らえたゆっくりを無駄にしないと言えば聞こえは良いが、逆に言えば底知れぬ人の闇とも言える。
そして、加工される際の恐怖や痛みが、そっくりそのままに凝縮され、フードに詰め込まれていた。
ソレは粒状へと加工され、袋へと詰め込まれ、出荷される。
味を良くするには、一度濾過し、別の素材を加えて風味を混ぜれば良い。
廉価品のフードが不味いのは、潰されたゆっくり達の後悔や苦悩。
引き裂かれる痛みへの絶望感等が濾過もされずに混ぜ込まれているからである。
そういったゆっくりフードを、飼い主が買い、ゆっくりへと与える。
この際、飼いゆっくりもまりさと同様に他ゆんの記憶を引き継ぐのだが、往々にしてソレを憶えては居ない。
何故ならば、一般的なゆっくりの多くは、嫌な記憶を排泄物として体外に出してしまうからだ。
であれば、嫌な記憶や不味い餌の事など大して憶えては居ない。
大抵の場合も、トイレの後に【何か遭ったかな?】と思う程度である。
では、まりさの場合はどうかと言えば、ソレは体内に残る。
必死に知識を溜め込もうした分だけ、それはまりさを変えていた。
勉強した事を忘れまいと思い込めば、それがそうなるのはゆっくりの特徴と言える。
だからこそ、人間以上の速度で知能が高まるのだが、同時にそれは弊害を齎して居た。
記憶とは良い面もあれど、同時に悪い面もある。
高い記憶力故に、忘れようとすれど忘れられない。
例えソレが、どれ程に絶望的な事であろうとも。
磨り潰され、ゆっくりフードへと加工された他ゆんの記憶は、まりさを蝕む
だからこそ、綯い交ぜに成った記憶が苦い味として残っていた。
✱
一度目を覚ますと、なかなかに寝付けない。
同時に、悪夢が恐ろしい。
暫く間、まりさはベッドの上から動けなかった。
毛布を頭から包まり、自ゆんで自ゆんを抱く。
部屋には他に誰も居ないのだから、自ゆんでそうする他は無い。
「……寂しいよ」
ソレが誰のものか、まりさ自身の言葉か、それともフードになったゆっくりの言葉なのか、解らない。