9.音楽レッスン
(うう~、頭が痛い……)
徹夜した後みたいだ。
昨日何かしたっけ?
社会人になってからあんまり徹夜で歴代ライブビデオ見ながら寝落ちなんてしてなかったんだけどなあ、と思ったところで目を覚ます。
(ここ、どこ!?)
わたしが痛む頭をかばいながらのそりと起き上がると、
「あ、起きた?」
そこにはのんびりとした口調で微笑む栗色のくるくるとした猫っ毛の青年がいた。
「あ……えーと」
「おはよう。昨日のこと、忘れちゃったかな?」
ああ、そういえばわたし、見知らぬ世界に来ちゃったんだっけ……。
フロリアンさんに促されるままに顔を洗い、昨日食事をしたリビングに向かう。
どうやらわたしは昨晩、力を使い果たしてそのまま昼まで眠ってしまったらしい。
なし崩し的にわたしを受け入れざるを得なくなったアンスさんは、今は使われてない2階の神父さんの部屋へとわたしを運んでくれたのだと、フロリアンさんから聞いた。
「そういえば、アンスさんは?」
わたしは遅めの朝食を取りながら、姿が見当たらないアンスさんの行方を尋ねる。
「ああ、彼は……」
彼はわたしが目覚めないことに責任を感じて、森に薬草を取りに行ってしまったという。
森には、魔力の回復に効く薬草が自生しているらしく、そのへんはアンスくんのほうが詳しいから、安心していいよとフロリアンさんは言った。
「それにしても、昨日すごかったね。昨日はふたりとも急に黙り込んじゃって何かと思ったけど、急にマリアがばたーんて倒れるんだもん。
そしたらアンスくんが『オレのせいだ』って言い始めて、なかなか面白かったよ」
あんな素直な彼はここ数年見たことがないなとフロリアンさんは笑う。
(そっか、昨日の光景、やっぱりアンスさんにしか見えないんだ)
わたしはそう、昨日あの世界で言う慣ればアンスさんとピアノセッションをしたのだけど、やっぱりフロリアンさんには何も見えてなかったらしい。
あれは『音』属性同士の共鳴……のようなものだろうか。
「でも、変な話ですよね。教会で聖歌は歌うのに、『音程』はわからない、なんて」
「う~ん、正直聖歌なんて僕も歌ったことがないからな。あれも習うって言うよりは、親とか近所の神父さんとかから口伝てで知ることが大半だろうし。
そのどれもが人によってまちまちで、統一されたものがあるわけじゃないしね。祈りの言葉としての側面が強いものなんだ」
フロリアンさんの説明から考えるに聖歌とは、日本で言うところのいろは歌みたいなものだろうか。
もし口伝てで教えている人の中にわたしみたいな者が混ざってたら、一気に崩壊していた可能性もある。
……自分で言ってて悲しくなってきた。この世界では歌とはなんと儚い状態なのだろうか。
「もともと、文字が読めない人のために、教会の教えを広めるために作られたものだからね、聖歌なんて。戦争が終わって平和になって、識字率も上がったら一気に廃れちゃったって感じ」
「へえ~。フロリアンさんって何でも知ってるんですねえ」
わたしが感心すると、彼は照れくさそうに微笑んだ。
「そうでもないよ。こう見えて世間知らずの箱入り息子だったから、この村に来てからいろんなことを必死に覚えたって感じ。そういう意味ではマリアと一緒だね」
「そういえばフロリアンさんて、元々この村に住んでたわけじゃないんですよね?どこから来たんですか?」
「僕?僕は帝都だよ。帝都じゃ元々文字読める人が多かったし、軍部の力が強くて教会なんて行く人ほとんどいなかったからな……」
彼はどこか遠い目で、過去のことを述懐した。
そうやってフロリアンさんと過ごしてると、玄関のドアがガチャリと開いた。
アンスさんだ。アンスさんが、大量の花を抱えている。
それのなんと絵になることか。
「あ、マリア起きてんじゃん」
「お、おはようございます」
「ん」
そう言うと、彼はわたしに花を渡してくれた。
照れくさいのか、少し視線をそらしながら。
「え、わたしにくれるんですか?どうもありがとうございます」
神父さんのお部屋に花瓶なんてあったかな、と思い立ち上がり部屋に持っていこうとすると、「どこ行くんだよ」と言われた。
「え?どこって……。お花、もらったから、飾るための花瓶無いかなって」
「『飾る』?何考えてんだよ!それは食うためのもんだろ。フロリアンくんから聞いたけど、お前ほんとにこの世界のことなんにも知らないんだな」
「えええええ!」
とっさにフロリアンさんの反応を見ると、彼も同意見のようだった。
「すごい珍しいハーブがいっぱいあるね。どこで見つけてきたの?」と興味津々ですらある。
え、わたしこれ食べなきゃいけないのかな……。
わたしがそう思って花を見つめていると、アンスさんは
「早くそれ食って魔力回復させて、そんで、教えろよ。……昨日の、『音楽』の続き」
まるで可愛らしい天使のように、そう言ったのだった。
なんとか花を洗い、茹でて、スープっぽくしてわたしでも食べられる状態にしたそれは、やっぱりなんとも言えない渋い味がした。
それでもなんとかそれを食べきったわたしは、昨日とは場所を変えてアンスさんの部屋で向かい合うように座り、『音楽』のレクチャーを開始した。
見ていると楽しいのか、フロリアンさんもベッドの上に座り、そのレッスンの様子を静かに眺めている。
「昨日、お前が教えてくれた『音階』ってやつ、とりあえず今朝お前が寝てる間にコントロールできるようになったから」
そう言うと彼は綺麗にピアノの音色を再現し、ドレミファソラシドを奏でてみせる。
「お、おお~、すごいですね。もうそんなことまで出来るんですか」
わたしは素直に感心する。彼も満更でもないのか「へへ」と笑った。
(素直だ……)
昨日は手負いの獣のように噛み付いてきたのに、どうやら一晩でだいぶ懐かれたらしい。
わたしは先程の音に対し、気になったことを指摘する。
「でもちょっと、ラの音だけ違うような。半音の……半音くらい上っぽい?」
「ん、こんな感じ?」
ーーポーン。
「あ、そうそう、合ってます。ばっちり」
「すごいなーマリア。音が完全に頭の中に入ってるんだね」
「いえいえ、言われてすぐ対応できるアンスさんもすごいですよ。そしたら今日は……そうだな……」
わたしは何から教えるべきか悩む。ピアノ以外の他の楽器も教えたいと思うし、もっと他のことも教えたいと思う。
でもまずは……、
「アンスさん、ドとミとソ、同時に出せたりします?」
「同時に?それは相当高度な魔法だよマリア。難しいんじゃないかな……」
フロリアンさんが心配そうに言うが、アンスさんは「とりあえずやってみる」と言った。
アンスさんはふう、と一呼吸置いた後、魔力を発動させた。
ーーポロローン。
「わあ、すごい、ちゃんと和音になってます!」
「うわ、一気に疲れた。なにこれ?ワオン?」
「そうです、そうです。和音というのはですね、元々……」
わたしは音の構成や和音の成り立ち、定義、そして音符や楽譜の話まで一気に説明してしまった。
理屈っぽい話も多かったが、アンスさんは全て興味深そうに聞いてくれていた。
「その、じゃあ『和音』ってのは、複数の音階から成り立ってるってのはわかったけど……流石にこれ、ずっとやってんのは疲れるんだけど」
「そうだろうね、複数の魔法を同時に出すなんて芸当、なかなか普通の人にはできないよ」
「やっぱり、そうですか……」
わしゃわしゃ花を食べながらレッスンを進めるわけにもいかないし、どうしたものか……と悩んでいると、「そうだ」とフロリアンさんが声を上げた。
「ふたりとも、僕の工房に来ない?『魔法記憶装置』でアンスくんの魔法を記憶させて簡単に再生できるようにするんだよ」
「それだ!」
「いい案ですね!」
フロリアンさんの提案に乗っかり、私達は早速彼の工房に向かうことになった。