勇者フェイトと持続可能な食生活
ギルドの「偉大な夜」が終わり朝になり、そしてまた夜が訪れようとしている。
荷台のスティナは疲れ果ててスヤスヤ夢の中。フェイトはローブを脱ぎ、目を擦って必死に眠気を払いながら手綱を握っていた。
「フェイト・シェイファーさん? そろそろ本名を教えてもらえないかい?」
「だから偽物扱いはやめろ。俺は本物だぞ」
「はいはい。君に救われた僕からすれば確かに本物と同じだよね」
「こいつ信じてないな……。あ、見えた。公都はもうすぐだぞ」
真正面に怪しく光る公都の夜景が見える。せっかく離れたのに、図らずもまたこの街に戻ってきてしまった。
尤も、今回は訪れる地区が違う。富裕層の人間は昔ながらの城壁に囲まれた「ゲーテッド・コミュニティ」に住むが、彼のような亜人や貧困層はこれから向かう、壁の外にある貧困地区に住む。
要は所得に応じた棲み分けだ。何とも、釈然としない話であるが。
ここには騎士団も殆ど寄り付かないらしく、逃亡先には悪くない場所だった。
「本名といえば、あんたの名前はなんだ? 『オーク』って呼び方も変だろ?」
「僕はゴリアテ・スミス、呼び方は任せるよ。君たちは命の恩人だ。もしも君たちが来てくれなかったらと考えるとゾッとするね」
「そうか。ゴリアテ、なぜギルドの連中に捕まった? 急に拉致されたのか?」
「食堂で肉食を止めるよう彼らに説得したんだ。『動物は食べられるために生まれたんじゃない、君たちもエルフーディストになるべきだ』ってね。そしたら逆上されて……」
聞き慣れない単語にフェイトは思わず首を傾げた。
ゴリアテ曰く、「エルフーディズム」とは肉や乳製品に代表される動物由来の食品を摂取しない生活を送ることらしい。
長寿で知られるエルフにあやかろうと彼らの食生活を模倣したことが始まりで、最近では人間や他の亜人たちの間で「ある種の宗教」として広がってきているのだとか。
「変な話だ。オークは人間の肉、特に女の肉が大好物なものとばかり思っていたが」
「なんて差別だ! 僕たちだって食生活を選ぶ権利くらいあるのに!」
数分後、ゴリアテの自宅前にたどり着いた。
辺りから漂う汚物やら何やらが混ざり合ったような耐え難い悪臭に思わず鼻をつまむ。
「命を助けてもらった上に、家まで送り届けてもらえるなんて。君たちは良い人だね。もし良かったら夕食を食べていかないかい?」
足の踏み場も無いほどに汚物で溜まった道路を歩きながら、内心「結構だ」と断りたい気持ちでいっぱいだったが、他に頼る相手もいない。
そして何より、眠すぎてこれからまた馬に乗る気分になれそうになかった。
久しぶりの冒険で心底疲れ果てたフェイト。
ゴリアテのベッドを借りて、スティナを抱きかかえながら横たわった。
「勝手なことしてごめんなさい。ゴリアテさんを助けたいと思ったら、自分でも止められなくて……。本当に、本当にごめんなさい」
随分と恐縮した様子のスティナが話す。
しかし彼女の行いは称賛に値するものだとフェイトは考えていた。
あの時もう少し遅ければゴリアテは死んで、自分はベッドで眠れなかっただろう。
それを謝罪する必要など無い。ただし、一点だけ聞きたいことはあった。
フェイトは彼女の頬を軽くつねる。
「気にするな。それより『あの風』、お前がやったのか? 風が突然ビューってさ」
「……分かりません。自分でも何がなんだか……。こんな私、不気味ですよね……?」
ギルドの連中に囲まれた時、あの風が吹かなければどうなっていたことか。
あんな都合の良い風が自然と吹くなんて不思議なものだ。信仰心に神が報いてくださったのだろうか。
「いや、良いんだ。もう忘れよう」
「ご主人さま、これからはちゃんと言うことを聞いて、良い子にするって誓います。だから見捨てないで。一人にしないで……」
「首輪を着けたまま放り出すかよ。スティナが本当の意味で自由になるまで一緒だ」
「……それなら、ずっと首輪を着けたままで良いかも」
そう小声でボソッと呟いて、フェイトの胸に顔を埋めるスティナ。
当のフェイトは照れくささから、たまらず目を伏せた。
「二人とも早く起きておいで! 特製のディナーが出来たよ!」
ゴリアテの呼ぶ声がした。
フェイトは「これから寝るところだったのに」と不満を口にしながら食卓へ歩く。
そしてテーブルに並ぶ奇妙な料理に思わず眉をひそめた。
「どうだい? 肉の代わりに大豆を利用したソーセージにサラダ、豆乳で出来た豆入りシチュー、そしてサラダだ!」
「……要するに豆とサラダ、そして豆とサラダだろ?」
「違うよ、本物のソーセージやシチューよりも低カロリーでおまけに健康に良い。そして何より肉を使っていない、つまり持続可能な料理なんだ」
呆気にとられながら、ゴリアテお手製のソーセージ「もどき」を口にする。
うん、確かに思っていたほど不味くはない。しかし美味くもない。
「本物のソーセージは発ガン性物質を含んでいる。きっと今までの食生活を続けていたら長生き出来なかったよ。君たちは僕と出会えて幸運だったね」
自信たっぷりに解説するゴリアテ。
仮にガンで死ななくても、こんな不衛生な場所に住んでいたらいつか別の病気で死ぬだろう。食材にこだわるだけの経済的余裕があるなら、引越しを考えるべきだと感じた。
「ムシャムシャ……はむはむ……」
スティナがシチューもどきを床に置いて、四つん這いになって食べている。いつもの悪い癖だ。
「おい、スティナ。地面で食べないでちゃんと椅子に座れ」
「ご、ごめんなさい! 私みたいな奴隷が皆さんと同じテーブルを囲むなんておこがましく感じて。こうやって犬のように食べる方が慣れていますし」
「ど、奴隷!?」
ゴリアテが軽蔑するような目線をフェイトに向ける。
そう、彼にはまだ自分たちの関係を何も話していなかったのだ。
「おい、勘違いするな。これにはわけがあるんだ!」
事情を説明するため、首輪を隠すためにスティナが着ていた外蓑を脱がした。
しかし何を勘違いしたのか、彼女は顔を赤くして抵抗する。
「あっ! ご主人さまぁ、脱がしちゃらめぇ‼」
「ご、ご主人さま!? それに首輪!? こ、このぺドフィリアの変態め‼」
ゴリアテの痛烈なパンチがフェイトの顔に炸裂する。
いくら彼が喧嘩慣れしていないとはいえ、力自慢のオークのパンチを受けてまともに耐えられる人間はいない。フェイトもその例に漏れず昏倒した。
「大丈夫だよ、スティナ。君を安全な所へ連れていってあげるからね」
「そんな、嫌です、嫌っ‼ ご主人さま、ご主人さまぁぁぁぁ‼」
視界が霞む。思考能力が失われ、目の前が徐々に真っ白になっていく。
薄れゆく意識の中、フェイトはジークムントから告げられた言葉を思い出していた。
『取り返しがつかなくなる前に人生を省みるんだな』