勇者フェイトと「見えざる帝国」
「ご主人さまは普段、何をされている方なんですか……?」
夜、寒さをしのぐため二人で焚き火を囲んでいた時、スティナが不意に尋ねた。
とてつもなく答えにくい質問だった。
「うーん、あれだな。狩りとか、剣の才能を生かす仕事かな?」
「そうですよね、ご主人さまは剣が得意ですから。……私は何も出来ません。だから本当は奴隷にも向いていないんですよね」
彼女が心に負った傷はフェイトの考えていた以上に深刻だった。
「もう奴隷じゃないだろ、先へ進むんだ。過去を振り返る必要はない。過去に拘りすぎると、それに縛られたままになってしまうからな」
「それはご主人さまの経験ですか?」
「いや、ち、違う! そんなことより、ほら。これでも食え」
フェイトは携帯していた干し肉をスティナに差し出した。
「ご飯! 実はお腹ペコペコだったんです、ありがとうございますっ!」
干し肉を手にして嬉しそうに笑うスティナ。菜食主義と聞くエルフに肉を与えて良いものかと心配していたが安心した。
しかしその直後、スティナは干し肉を地面に置いて、犬のように噛り付いた。
奴隷時代の癖が抜けていないのだろう。その姿を見て思わずため息が出た。
「先へ進む前に、その首輪を外さないとだな」
従属魔法は高度な魔法だと聞く。当然それを解くにも高度な魔力が必要だ。つまり、より強い魔力で従属の効果を打ち消すのである。
しかしフェイトに魔法は無縁、十二勇者にいた魔法使いとも近年は絶縁状態。首輪を外すためにはどこかの町で魔法使いを探し出すしかない。
食事を取った後、二人はその場で横になった。
火に焼べた木の枝がパチパチと燃え落ちる音を聞きながらフェイトは目を瞑る。
彼の脳裏には先ほど自身が言った言葉が何度も反響していた。
過去に拘りすぎると――か。自分が先へ進めるのは一体いつになるのだろうか。
翌朝。昨日と比べて辺りは急速に冷え込んでいた。吐いた息が真っ白に染まる。今夜も野宿だと命に関わるかもしれない。
そう感じたフェイトは、公都から見て南の方角に目的地を定めた。
かつて南部でひと仕事した経験があり、多少の土地勘があったのだ。
そのひと仕事とはズバリ、ダンジョン攻略。
ここから更に南へ下った場所に、かつて大きなダンジョンがあった。フェイトもジークムントや他の十二勇者とともに攻略に参加したのだ。
ダンジョンの近場にルートリッヒ・スプリングスという町があったのも覚えている。ひとまずそこを目指せば凍死は免れるだろう。
「今の、聞こえましたか?」
突然、スティナが真剣な声色で呟いた。
フェイトには全く何も聞こえなかった。
フードを被っていても聞こえるとは、エルフのデカイ耳はダテではないようだ。
「何が聞こえた? 追手か?」
「多分違います。助けを求めるような声と、何か獣のような……。ほら、また!」
「どの方角からか分かるか?」
「は、はい!」
魔族との戦争は終わったが、未だモンスターは帝国全土に蔓延っている。住宅地に侵入したり旅人が襲われたり、こうした例は少なくない。
義憤に駆られたフェイトは馬の進路を急転回し、近くの茂みの奥深くへ入り込んだ。
「うわっ、もうこれ以上は無理だっ! 誰か、誰か助けてくれー‼」
ようやくフェイトにも助けを求める声が聞こえた。
急いで駆けつけると、複数の黒い影と戦う二人の若い剣士を見つけた。
影の正体は毛皮をまとった二足歩行の野獣、「人狼」の群れだ。……いや、「コボルト」かな? モンスターは種類が多すぎて覚えられない。
「ここで待っていろ、加勢してくる」
「き、気をつけてくださいね……!」
フェイトは馬を降りて腕を回す。そして剣を抜いてゆっくりと人狼たちの前へ歩み寄る。
「助けに来てくれたのは嬉しいが、あんた一人だけじゃ無理だっ! 相手は血に飢えた『フェンリル』だぞ!」
もうこの際、敵が何者であろうと関係ない。
フェイトは人狼(仮)の群れに急接近し、その内一体の胸元に剣を突き刺した。
「おいっ、後ろにもいるぞっ」
言われずとも分かっていた。
体を反転させ、背後から迫るもう一体目掛けて、腰元に差したダガーを素早く投げつける。それは人狼の眉間に突き刺さった。
「ウガーーッッ」
まだ生き残りがいた。
あいにく、剣は人狼の肋骨に挟まって抜けそうにない。
刃物のように鋭い爪を振るう人狼。フェイトは身を屈めてそれをかわす。
そして接近した人狼の毛皮を掴み、何度も何度も素手で殴打した。
最初は抵抗してきたが、何発か殴った頃には静かになった。
「ご主人さまっ! もう気絶しています、充分ですよ‼」
「ハァ、動くなって言っただろう?」
スティナに止められ、フェイトは人狼に恩赦を与えることにした。
一方、二人の剣士は彼に助けられた礼を言う。
「ありがとう、あんたのおかげで助かった。それにしても焚き火に安心しきって二人とも眠り惚けてしまうとはなぁ。冒険者として恥ずかしいよ」
彼らは自らを「冒険者」と名乗った。懐かしい響きだ。フェイトもかつて勇者と呼ばれる前は同じ冒険者だった。
二人の田舎者然とした素朴な態度も相まって、フェイトは妙に親近感を覚えた。
「ウォルターだ。こっちはバージル。よろしくな」
「ああ、よろしく。俺はフェイト・シェイファー、このちびはスティナだ」
スティナはフェイトの紹介に合わせてペコっと頭を垂れた。
「フェイト・シェイファー……。ハハハ、良い渾名だ。『フェイト・シェイファー二世』か。昔の勇者の名を使うなんて、センスが良い」
珍しく「フェイト・シェイファー」の名を聞いて眉をひそめない相手と出会えた。
とはいえ自分が本物であると信じてもらえず、おまけに「昔」の勇者扱いだ。
スティナのように「知らない」と言われるよりはマシだが、少し複雑な気分だった。
「二人に何かお礼をしたい。今夜、公都近くの森に仲間で集まるんだけど、一緒にどうだい? 酒もおごるし、仲間たちに紹介するからさ」
公都近くか。来た道を戻る形になるが、彼の提案は悪くないものだった。
どうせ目的地など無いし、タダ酒が飲めるのであれば尚更都合が良い。
「お言葉に甘えようかな。それで、なんの集まりなんだ?」
「冒険者の集まりだぞ? 決まっているじゃないか、『ギルド』だよ!」
ギルド、これもまた懐かしい響きだ。モンスターから人々を守る自警団。この時代にもまだ残っていたのか。
フェイトは感慨深そうに腕を組み、ギルドで出会った仲間たちを思い出す。色々な職業の奴がいた。剣士、聖職者、それに、そうだ、魔法使い‼
「あんたらのギルドにも魔法使いっているか?」
「もちろん、なんたって今夜の集まりに出席する指導者は『大魔法使い』と呼ばれているからね」
「本当か!? なら、俺たちもギルドに入れてくれないか?」
「もちろんだ友よ。僕たちが推薦しよう」
こうしてフェイトは彼ら、「見えざる帝国の冒険者ギルド」と接近することになった。