勇者フェイトと奴隷の少女
オークション会場を離れ、人目を避けるようにさらに裏道に入ったフェイト。
ドサッ
突として飛び出してきた子供とぶつかった。フードを被っているため、顔は見えないが仕草を見るに女の子のようだ。
「イタタ……。ご、ごめんなさい‼」
「全く、急に飛び出したら危ないだろうが」
「——あのガキはこっちに逃げたぞ‼」
剣を背負った男たちがそう怒鳴り声を上げながら向かってきた。
少女はびくっと反応し、顔を隠すようにフェイトに抱きつく。
「お、おい。一体どうしたんだ!?」
「ごめんなさい。だけど、もう少しだけこのままでいてください!」
どうやら訳ありらしい。フェイトは何も言わずに受け入れた。
男たちは少女に気づかず、二人の真横を通り過ぎる。
「……行ったぞ」
ボソッと呟いて少女の顔を見る。
丁度その時、強風が彼女の顔を覆っていたフードを取り去り、銀色の長い髪に透き通るような白い肌、そしてその長く尖った耳が露わになった。
森の貴人と呼ばれる亜人種、エルフ族特有の外見そのものだ。
衣服はボロボロ、首には黒い首輪のようなものを着けているのが見える。
従属魔法で作られた首輪だろう。奴隷を支配するために使う、昔からのやり口だ。
「あ、ありがとうございました。でも、もう行かないと!」
「待て! お前、奴隷オークションから逃げて来たのか?」
少女はみるみる血の気が引いたように青ざめて小刻みに震え出した。
「も、もうあそこには戻りたくないんです。お願いします、見逃して……」
このまま見過ごせば、彼女はいずれ奴隷商人に見つかる。助けるべきか?
いや、魔王軍との戦いの中で散々亜人を殺してきたのに、今更エルフの子供を助けるなんて。リベラル派と同じ偽善ではないか?
少女の不安に満ちた青い瞳に見つめられながら、フェイトはそう自問した。
「逃してやる、一緒に来い」
揺れ動く心情とは裏腹に、気がついた時にはそう口走っていた。
「ほ、本当ですか? うう、良かった……グスッ、もうダメだと……」
安堵からか少女の目から涙が溢れ落ちる。
そんな彼女の様子にフェイトは複雑な心境だった。
脳裏に浮かぶのはかつて自身の手で殺した魔王の影。それを必死に振り払う。
「私は『スティナ』です……。あなたのお名前は?」
逃すと言った以上、約束は守らねば。全て終わったら高い酒でも飲もう。
「俺はフェイトだ。フェイト・シェイファー」
「はい、よろしくお願いします」
「反応が鈍いな。『あの』フェイト・シェイファーだぞ? 本物だぞ?」
「えっ? ニセモノがいるんですか?」
時代の流れ、十年の月日は残酷なものだ。
自身が既に過去の人物になっているのだと知り、フェイトはショックを受けた。
繋ぎ場に戻ったフェイトは少女を同乗させ、馬を走らせた。
その後市街地を抜け、木々の茂るなだらかな山道へと差し掛かった頃。
少し緊張が解れてきたのか、それともフェイトに誘拐されることを恐れているのか不明だが、逃走開始以降初めてスティナが言葉を発した。
「ど、どこへ向かっているんですか? 私はてっきり騎士様の所に行くのかと……」
どこへ? フェイトにとってそれは愚問だった。
なぜなら彼は何も考えていなかったからだ。かと言って、それを彼女に伝えて不安がらせはしない。
彼女を安心させるべく、フェイトは嘘をついた。
「政府の手が届かない場所に向かっている。政府の奴らはモンスター同然だ。政府の奴隷になったら、もっと酷い目に遭うぞ」
「そ、そうなんですか? 奴隷よりも酷い目……。怖いです……。不安です……」
安心どころか余計に怯えるスティナ。
なんて素直な子だ、ジークムントの息子とはえらい違いだ。
「でも、怖くないんですか? 私と一緒にいるのを悪い人たちに見られたら……」
「心配無用。勇者フェイト・シェイファーは決して恐れないんだ」
自分が著名な勇者だとアピールを続けたが、スティナからは特に反応なし。
少しだけ自信を失いそうになりながら、彼女に尋ねる。
「誰か頼れそうな人の居場所に心当たりはあるか? 例えば家族とかさ」
「いません。みんな、みんな死んじゃいましたから……」
余計なことを聞いてしまった、内心後悔した。
しかし彼女に身寄りが無いとしたら、自分は一体どこへ向かえば良いのだろう。馬を歩かせながら、神に助言を仰ぐかのように空を見上げた。
ヒュッッッ
突然、馬の進路に矢が突き刺さった。続けて一人の男が自身の馬で道を塞ぎながら怒鳴り声を上げる。
「馬から降りろ! そしてそのガキのフードを取って顔を見せるんだ!」
オークション会場にいた案内人の小男だとすぐに気づいた。どうやらスティナが街から逃げることを見透かして山道で待ち伏せていたらしい。
幸い、小男はフェイトの顔を覚えていない様子だが。
「聞こえなかったのか? さっさとそのクソ馬から降りろ‼」
フェイトを囲むように、背後からさらに二人の男たちが姿を見せた。彼らは剣とメイスで武装し、友好的な雰囲気は感じられない。
「私、降ります。あなたを危険な目に遭わせるわけにはいかないから……」
スティナが震える声でそう呟くのを制止し、フェイトは自分から馬を降りた。
「分かった分かった。ほら降りたぞ、これで満足か?」
「ガキの顔を確認してからだ。それまでの間、お前は剣を置いて——」
小男が威嚇するように二人の元に歩み寄った瞬間、フェイトの「国民の権利」が小男の胸を貫いた。小男が息絶えたことを確認し、ゆっくりと剣を引き抜く。
「こ、こいつ、デイビッドを殺しやがった……‼ 舐めやがって‼」
控えていた二人の男が血相を変えて迫り来る。
しかしフェイトは動じず、剣を振りかぶった男の胴を目掛けて自身の剣を一閃させる。続けて体を捻らせ、残るもう一人も同様に切り刻んだ。
ザザッ
背後の木の上から、微かに音がしたのをフェイトは聞き逃さなかった。
先程の弓を放った男がそこから狙っていた。すぐさま気づいたフェイトはそっと腰に差したダガーを抜き、そして振り返りざまにそれを投げる。
ダガーは男の左胸に深く突き刺さり、男の体はそのまま地面に落下した。
「怪我はないか、スティナ?」
「す、すごい……。すごいですっ、ご主人さまぁ‼」
フェイトは思わず咳き込んだ。こんな幼女から「ご主人さま」なんてワードを聞くとは思わなかったのだ。
「お前はもう奴隷じゃない。気を使わず、他の呼び方に変えてくれ」
「はい、ご主人さまっ‼」
何度呼び方を正そうとしても改善されなかったが、悪い気分ではなかった。
むしろ、「誰かに頼られる」という感覚は、どんな濃度の高いアルコールよりもフェイトを良い気分にさせた。