師の教え ─ 其之壱
師匠と出会いから数日が過ぎた。
その間、毎朝約一刻ほど師匠から指導を受けるのが日課となっていた。
師匠は俺に対して、『センスがない』、『才能がない』とよく言っていたが、何故だか楽しそうだった。
───最も、顔が見える訳ではないので、自分の中のフィーリングとなるだが。
そんな師匠が俺に教示してくれたものはたったの二つだけだった。
師匠曰く、この二つが武道における基本であり、奥義であるということ。後、細かい話は色々あるが、結局のところ、その個人がどう自分の中で咀嚼し体現するかであり、教えたからといって出来ない者は百年やってもできないし、出来る人間は教えを請わなくても自らの気づきにより出来るようになるということだ。
つまり、人によって“段階”は様々であるが故、焦らず自分のペースでやれば良いとのこと。
そして、師匠が俺に指導してくれた、一つ目が、
”呼吸法”
である。
呼吸は、人が二十四時間行っている生命活動の基本であり、”息”とは、”生き(気)”、”活き(気)”であるからにして、自分なりの呼吸法をマスターすることが、自分の精神を安定させ生命力を向上させる基礎ということであった。
呼吸法の基本は、鼻から息を吸う腹式呼吸法であるが、「鼻から息を吸う」ことさえ守れば、型に拘らず自分が自然にリラックスできるやり方が一番とのことである。
Aさんにとって最適なやり方が、Bさんにとっても最適なやり方とは限らないのである。
『人の体は誰一人として同じ作りではないのだから、型に填めることは間違いなのだ。』
と、『古今東西、師が弟子の成長を妨げることもよくあることなのだ。』とおっしゃっていた。
こうして、俺は、自分が座っているとき、歩いているとき、走っているときに、自分にあった呼吸法を模索し始めることにした。
次に師匠が俺に指導してくれた二つ目が、
”重力という力の活用”
である。
師匠曰く、地球上で生活する限り、重力という地球エネルギーの恩寵に感謝し、己の身が享受しているその絶対的なパワーを活用できる者が、この地球上において大きなアドバンテージを得るとのことだ。
『奥義とは基本、基本とは奥義。』
実は武道に限らず、魔術や呪術においても、奥義とは非常にシンプルであり、重力エネルギーの活用が全てなのだという。
しかれども、魔術や呪術の体系において、複雑な術式や行法が組み込まれたのは、魔界の存在が人類を進化を妨げるために仕組んだ為が一つ。奥義がシンプルであるが故に、誰もが習得できてしまい、自分の優位性を失うことを恐れた輩が秘匿したことが一つとのこと。
『この二つがなれば、人類はもっと早い段階で、霊的な覚醒を遂げたかもしれぬ。』
と師匠が残念がっていた。
そして、前述の理由により、くれぐれも魔術や呪術の類には触れるなとの師匠の忠告があった。触れることにより、個人が本来より持つ霊的エネルギーが隠れてしまい、真なる成長の妨げになるとのことだ。
で、具体的な重力の活用の仕方と言えばだ。
『今、その場で全身の力を抜いてみい。』
俺は、全身の力を抜いて、リラックスしてみせる。
『そうではない。まだ筋肉で己の体重を支えているじゃろ。』
確かにその通りであるが、今自分が立っている場所は石畳の上であり、体を支える筋肉の力まで抜いてしまったら地面に倒れこみ、下手をしたら怪我だけではすまない。
『正解。それが重力の力じゃ。』
───え、もしかして、これだけ?
『仮に腕力だけで、今お主が想像したダメージを相手に与えることは可能かの。』
───・・・・・・・・・・?!
『できなくはなかろうて。だが、既にそこにあるエネルギーを活用しないのは勿体ないというものだ。』
理屈では理解できる。とは言え、完全に力を抜いて地面に伏している状態では活用もへったくれも無いのではなかろうか。
『お主の思うとおり石畳の上では危険なので、まずはこちらの土の上で重力に“逆らわない”感覚を体に覚えこませるとよい。』
『そして、ある程度その感覚が体感できるようになったら、体の中で重力の力をベクトル変換し、拳、または刀に重力の力を乗せる鍛錬を積むとよい。』
と、これはまた理屈で理解できるが、拳に重力を乗せるとは、言うは易く行うは難しである。
───故に、奥義というわけか。
『以前も言ったとおり、これを戯言とし馬鹿にして実施しないのも、真摯に受け止め実施するのも、お主の自由じゃ。素直に受け入れることができるかどうかもその人の段階というものだ。』
無論、俺に師匠を疑う気持ちなど微塵もなかった。
理屈ではなく、やってみて初めて分かることもある。まずは行動してみることだ。
そうして、俺は、地面に倒れこみながら、突きを出す、木刀を振り下ろすといった、重力の力を活用する鍛錬を始めた。
───・・・・・・・・・・
春休みも終わりに差し掛かる頃には、ランニング時の息の乱れがなくなり、前傾して倒れそうになる瞬間に次ぎの足を出すといった重力を意識した運足により、俺は楽に走れるようになっていた。