プロローグ
二0XX年、紛争、テロ活動、地震、水害、通り魔事件、そして、原因不明の行方不明事件が地球全土で多発するようになった。
いつしかネット上では、一連の災害、事件を、「地球が痛みに耐え兼ね発信した警鐘である」と自称霊能者達が騒ぎ始め、やがて古代自然崇拝への回帰を提唱する声が世界各地のスピリチュアル関係者間で起こるようになる。
これは、そんな時代の中、地球上の、どこかの平和な国の、どこかにある町の、とある学園において、学生同士のささいないざこざをきっかけに始まる物語である。
■甲騨錬司の鬱憤
甲騨錬司は、週初めの月曜日から機嫌がすこぶる悪かった。前の休日にガールフレンドにデートを断られたのが原因だ。
そもそも先週は、イライラすることが多々あり、そのすべての鬱憤をデートにぶつけようと錬司は考えていた。
しかしあろうことか、デート当日にガールフレンドから現状の関係打ち切りの申し出があったのだ。ようは別れ話である。
全く想像だにしなかった展開に彼の思考は停止し現状を受け入れることができずにいた。そんな中、彼の鬱憤だけは更に膨れ上がり、彼は月曜日を迎えたのである。
この後、この危険な爆弾はある現場に投下されこの物語の起爆剤となるでのあった───
■望月摩耶の決断
神久良睦己は、一見どこにでもいるような凡庸な男であった。
しかしながら、望月摩耶は年齢と比較して男性経験が豊富であり、男の内面を見る目が鍛えられていた。
そんな彼女にとって、睦己の高い資質を見抜くことは朝飯前であり、彼女が彼に惹かれるようになったのは必然だったと言える。
勿論、彼女も最初から睦己のことが気になっていたわけではない。睦己と同じクラスになり最初に睦己に抱いた感想は、
───平凡で面白くなさそうな男
であった。
やがて、今のボーイフレンドである錬司と付き合うようになり季節が二つ移り変わったころ、彼女は、彼の人柄の良さに気付くようになる。
睦己は、クラスの内では、本当に平凡そのものであり、発言する内容に知性も感じなければ、行動に恰好よさがあるわけでもなかった。
むしろ、発言する内容はどこか稚拙で幼さがあり、行動もどこか抜けていることが多かった。
しかしながら、彼は“いつも笑っていた”。
そんな彼と行動を共にしている友人達は、いつも楽しそうであり、彼らの周囲は、日々、穏やかな空気で満たされているように摩耶の瞳に映っていた。
───私もあの中に入ってみたいかも
一度気になり始めるようになると無意識に彼のことを目の端で追うようになり、時が経つにつれ恋慕の情とも言えるような、ある感情が摩耶の中で徐々に大きくなっていった。
今更ながらだが、摩耶と錬司の男女としての相性は悪くはなかった。
しかしながら、そこには睦己の周囲にあるような心の安らぎはなく、どこか周囲に馴染めない個性が互いの肌を通じて慰めあう関係が根底にあるだけであった。
二人の関係とは、互いの穴を忘れあうための関係であり、二人の心はいつもどこか不安定な状態であったのだ。
───ああ。当たり前だ。自分も彼も満たされない思いは他人から与えられることで解消されると勘違いしている。自分と彼の関係は停滞しているんだ。
───このままではいけない。彼も自分も次の一歩を踏み出すべきだ。
神久良睦己という存在が何もせず一人の女性に決断を促した瞬間であった。
思い立ったが吉日、先週末に摩耶は遂に自分の思いを錬司に打ち明け、錬司との関係に終止符を打つに至ることになる。
そして週が明け、錬司が未だ燻る感情があるなか、摩耶が睦己に声をかけてしまったことで、物語が動き始める───
■プロローグでモブに殴られて死んでしまう俺
「てめぇかっ!人の女に手を出したヤツはっ!!!」
隣のクラスに所属する甲騨の罵声がクラス中に響いた。
───ああ、やっぱりこうなったか
放課後、望月摩耶から声をかけられた時なんとなくだが悪い予感がしたのだった。
そもそも望月とは同じクラスメートであったが、会話らしい会話は過去一度もしてこなかった仲だ。本来であれば突然の接触を怪しく思い、まずは一定の距離を置いて会話をすべきだった。
だが、後悔先に立たず。悪い予感の正体が待ったなしで急接近中である。
───WARNING!
───WARNING!
俺の頭の中で警報が鳴り響く。
まぁ。なんだ。状況は芳しくない。甲騨は既に拳を振り上げ攻撃モーションに入っている。俺の顔面に着弾するまで、約二秒といったところ・・・だったのだがっ───
「錬司、やめてっ!」
なんてことった。望月が射線上に入ってきてしまったではないかっ!
───チッ!
普段は舌打ちなど滅多にしない俺であるが、この時ばかりはせずにはいられなかった。
───あ──。ほんの一秒前までは甲騨に“普通に殴られて”終わる予定だったのに・・・
残念ながら、このルートは、“普通に殴られて”終わらなさそうである・・・
咄嗟に前方に体軸をずらし望月を庇う形になった俺。
結果、甲騨の拳を顔面の正中線上で受け止める体勢になってしまったではないかっ!
甲騨の拳が目前に迫る。だが、時すでに遅し・・・
───あ、コレ、もらっちゃアカンやつや
と意識の上では自覚するが、もはや体が反応するはずもなく・・・
ゴン!!!!!
───いい音がしたなぁ・・・
次の瞬間、俺の意識は途切れていた───
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途切れたと思っていたのだが。
俺は自分の意識が継続していることに気づく。
というか、眼下で俺の体が床の上で大の字に倒れているではないかっ!
俺の体の周囲では、望月、田口、杉吉をはじめ、放課後クラスに残っていたクラスメイトが集まる形で人だかりとなり、騒ぎとなっていた。
そして、当の俺は上空約三メートルぐらいの位置からその様相を俯瞰している形となっていた。
───これは、かの有名な幽体離脱というヤツかな。
などと呑気に考えていると、今まで認識できていたもといた世界の光景が徐々に淡くなっていくではないか。これはどうやら、今まで自分が存在していた次元とは異なる次元に自分が進んでいるようである。
やがて、もといた世界の光景が全く見えなくなり、周囲一面が白い空間となる。そして、目の前には大きな河が広がっていた。
河の中を流れているのは水ではなく、光の粒子のようなものだ。その正体はよく分からないが、この河が渡ったたら最後、後戻りはできないことを魂が理解していた。
───三途の川って、本当にあるんだな。
このような状況下においても、何故か心は冷静だ。
───ああ、俺は死んだのか
ようやくこの段階になって、自分の置かれている状況を正しく理解し始める。
正確には完全に死んだのではなく、死の門をくぐり抜けようとしている。
───しかし、殴られた程度で死んでしまうとは、なんとも情けない
が、不思議と後悔はない。
世間一般と比較すれば、享年十代は早すぎる死かもしれない。しかし、この世界ではさらに短い生命で成仏された方もおられる。時間が一つの尺度となることはあるが、時間が絶対というわけではない。より重要なことは過程にあると思うのだ。振り返ってみてもこれまでの年月は充実しており、自分にとって恵まれた人生であったことは確かだ。
唯一心残りがあるとすれば両親よりも先に逝くことであり、このことに関しては心より申し訳なく思う。
───おふくろ、おやじ、先逝く親不孝をお許しください。本当にごめんなさい。
そんなことを思いながらも、自分の意志とは無関係に自分の足と思えるものはどんどん河の中を進んでいく。
河のほぼ真ん中に差し掛かった頃、自分の周囲にいくつもの光の玉が集まってきた。
光の量や玉の大きさは様々であるが、自分がアノ世へこれから旅立つにあたり、ご先祖様達のお出迎えに来てくれたのだと本能的に理解した。
『自分なんかの為に、わざわざありがとうございます。』
周囲の光の玉、一つ一つに対して、俺はお礼をしていたった。
アノ世がどんな所かまだ分からないが、礼節は何処へ行っても大事なはずだ。
こうしてご先祖様方々にご挨拶をしていると・・・
太陽にように温かく最も大きい光の玉が俺の行く先を遮る形で目の前に現れた。
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───なんか、この方、怒っていないか?
今までは異なる違和感に、俺が口を開こうとすると・・・
『お前はまだこちら側にくるな。』
光の玉がそう告げる。俺は咄嗟に何かを言おうとするが、その刹那───
「っーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
突然、自分の心に何かがフラシュバックする!!!
『『俺達の戦いは魂の戦いだろう!ケンゾウ!!!』』
───なっ?!ケンゾウって、誰だっ?!!!
今までは一度も触れることがなかった自分の最奥で燃え上がる魂の鼓動───
俺はその正体を突き止める間もなく、俺の意識は大きな力に飲み込まれる形で深い海の底へ沈んだ───
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強い倦怠感とともに、俺が目を覚ました場所は、学校の保険室のベットの上であった。
「あ、目を覚ましたのね、神久良くん。」
目覚め一番で俺に声をかけたのは、養護教諭の槇谷友里恵先生であった。槇谷先生は今までデスクワークでもしていたのか、オフィスチェアに腰かけた状態のまま上半身をこちらに向けている。
「気分はどうかしら?」
「悪くありません。大丈夫そうです。」
自分の手足に力が入ることを確認して答える。
「そう。軽い脳震盪を起こしていたわ。約5分ほど意識を失っていたことになるわね。」
5分。もっと長い時間感覚であったが、こちらの世界では5分程度の出来事であったらしい。つまり、保険室に担ぎこまれれてベットに寝かされて、その後すぐに目を覚ましたといった感じか。
───しかし、“軽い”ね。これでも三途の川を渡りそうになったのだが。
そんなことを心の中でぼやきながら、ベットから問題なく普通に立ち上がる。体に異常はなさそうだ。
「特に後遺症等の問題はないと思うけど、心配なら病院で診てもらった方がいいわね。」
まるで俺の心を読んだように槇谷先生が言葉を発する。
生徒を心配しての言葉なのだろうが、その言葉はどこか儀礼的であり俺には他人事の様に聞こえた。
───まさに、他人事ではあるのだが。
養護教諭、槇谷友里恵。年齢不詳でミステリアスな先生であるが、大人の女性特有な肉感的なスタイル故に校内の生徒教員を問わず男子から絶大な人気を誇っていた。しかしながら俺にとってはあまり積極的には係わりたくない部類の人でもあった。
何故だかこの先生の全てが作り物に見えてしまうのだ。本心は別のどこかに隠し持っているような感じである。
───言うなれば、フェアな感じではないんだよね。
(そもそも先生と生徒の間にフェアという言葉が通じるかは甚だ疑問であるのだが)
ま、俺の先生に対する主観はこの際さて置き、この場所には1秒も長居もしたくなかったので俺は丁重に頭を下げサッサと保険室から出ようとした。
「ところで、神久良くん、もしかして、“会ったり”したのかしら?」
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───ほらね。くえないお人だ。
「はぁ?」
俺は、質問の意図を全く解せていない返事をする。
「ごめんなさい。今のことは忘れてちょうだい。ああ。後、あなたを保険室まで運んできてくれた田口くんと杉吉くんには後で礼をしておくように。」
「わかりました。」
俺は短く答えると保険室を出た。
だが、俺は見逃さなかった。俺が去る間際に彼女の目の奥の光が増したことを───
───槻城学園、1-D教室
荷物を取りに教室に戻ると、田口も杉吉も室内にいた。
俺が教室に入ったことに気付くまでは俯いていた二人であったが、俺の無事な顔を見ると、二人ともくったくのない笑顔を向けてくれた。
どうやら、相当に心配させてしまったようだ。本当に申し訳ない。
俺は二人にお礼を言い。二人からは労いの言葉を受けた。
今回のような体験があったせいか今の俺はセンチメンタルだ。自分のことを心の底から心配してくれる親友が身近に二人もいることに感謝せずにはいられなかった。
俺達三人は、身支度を整えると校舎を出た。春分を迎え外はまだまだ明るい。
今は、お彼岸の真っ最中。だから今回のような出来事が起きたのだろうか?
今回の出来事が何を意味するのかは分からない。けれども、今こうして自分が在ることに、今後もご先祖様に感謝しようと思うのだった。
───しかし、殴られる度に死んでいては、周りが安心できんな。
・・・少しは、体を鍛えた方がよいか。
今まで積極的に体を鍛えることをしてこなかった自分であるが、体が強いことに越したことはない。備えあれば患いなしだ。
こうして、俺は次の日から早朝にランニングすることにしたのだった。
■精霊のお仕事
───なんとかなったか
睦己が無事生還できたことを見届け、もと人の身であった精霊はないはずの胸をほっとなで下ろす。
本来精霊が守護している状態であれば、人に殴られた程度で死に瀕することはありえない。今回の件は類稀なケースだった。
精霊が少し目を離したした隙に事件が起きてしまったのだ。目を離したと言えば精霊がさぼっていたように聞こえるが、決してそういうわけではない。事件が起きたちょうとその時、精霊は重大案件の対応のためにこの町の氏神様に呼ばれていたのである。
『この町の霊的磁場が何者かにより意図的に乱されてつつある。』
氏神様から伝えられた内容は精霊にとっても衝撃的な内容であった。
霊的磁場が不安定というのであれば摂理に則った周期的なブレであり、さほど警戒心を強める話ではない。人間社会への影響も限定的であり、自然界の自浄作用に任せて差し支えないレベルだ。
しかしながら、“乱れている”となると話は別次元となる。
そもそも、霊的磁場とは地球の重力の深層に当たるエネルギー層であり、地球上に存在する全ての生命体が霊的磁場によって生かされていると言っても過言ではない。
───空気同様に全ての生命体に等しく与えられているため、その恩恵を意識している人は多くはないのだがな
また、重力が地球生活上で“リアリティ”を提供する恩寵であるとすれば、霊的磁場は魂という子供と霊という親を繋げる愛情の母体(情緒を定常化する力)である。
よって、霊的磁場が乱れると本来完全である魂と霊の間に隙間ができ、“魔が憑く”、“魔が差す”といったことが起こりやすくなる。それは、人が心の平静を失ない悲しい事件を引き起こしてしまうことを示唆していた。
───厄介だな。
今回の首謀者の背後に魔界のモノがいることはほぼ確実であるとみていい。そして精霊が魔のモノ達と相克することも問題ない。しかしながら、精霊がコノ世の人に干渉できることは極めて限定的であった。
コノ世の摂理は善悪といった概念を超え、人類の魂が次の次元へ進化することを目的としている。精霊が直接人に干渉することはその進化の妨げになる故、厳密なコノ世のルールとして禁止されていた。
───ただし、何事にも“例外”はある。
『さて、今回の睦己の件は偶然ではない。となれば───』
精霊は己が為すべきことを見添えながら、どこか魂が躍動することを感じていたのだった───