ポンコツ悪役令嬢は歴史に名を残したい!
「この評価は、納得できませんわ! どうしてこのグ・ラ・フェン・ファン・デル・ワルス侯爵姫の名前がどこにもありませんのよ!」
広大な敷地を持つ豪奢な公爵宅で、1人の令嬢が積み上げられた歴史書を腕で薙いで崩した。
テーブルの下で居眠りをしていた黒猫が、その音に反応して耳を立てた。あまり驚いた様子はなく、またかという態度で大あくびをしてみせる。
数十冊の歴史書をテーブルの上から盛大に叩き落とし、少しうっぷんが晴れたのか、息を整えて令嬢はメガネの縁を上げて正す。
さきほどの激昂が無ければ、その姿はとても凛々しく知的であった。彼女の本質を知らぬ者であれば、襟を正すことであろう。
令嬢が落ち着いたことを確認してから、黒猫はテーブルの下から這い出して、散らばる歴史書の頂点に上って呆れたように人の言葉を発した。
『なんど聞いても、キミの名前はバラバラだねぇ』
黒猫の正体は、ラ・フェン公女の使い魔である。さらに正体を明かせば、かつてラ・フェンを堕落させようと迫ったジンクという名の悪魔であった。
しかし、返り討ちにあって肉体を魔法で改造され、現在は黒猫の姿となり使い魔に身を落している。
『このボクの魔力を使ってまで、なにをするかと思えば未来の歴史書をお取り寄せか……。相変わらずキミの魔法はすごいねぇ』
本の上に降り立ち、ジンクは自分を返り討ちにした公女の力に、素直な言葉で感心してみせた。
『ところで、なにが気に入らなかったんだい』
猫として惰眠をむさぼっていたジンクは、本を叩き落とすラ・フェンの声をはっきり聴いていなかった。
ラ・フェンは使い魔の問いに、小さな溜息とともに答える。
「この歴史書に、わたくしの名前がまったくありませんの」
『……これだけの本、もう全部読んだの? ……へえ、あの筋肉王子、未来じゃ賢王って称されるんだ』
落ちている本の冊数は約三十。
ジンクは一冊の本を前足で器用にめくり、たまたま目についたページに乗っていた人物評に、驚きとも呆れともつかない声を出してみせる。
これらの歴史書は、今現在……つまりこの時代を中心に記された書であった。
ページ数にして一万に迫る本を、彼女は読破した上で文句を言っている。
「栄光多き賢王と傷だらけの聖女の時代と言われ、王国の黄金期と称されているのに、どこにもわたくしの名前がありませんのよ! 許せませんわ」
ひときわ装丁の素晴らしい一冊の歴史書を拾い上げ、箔押しされた表紙をトントンと叩きながら公女は語る。
「如何なる障害に身を削られようと、正しく清廉に生きた聖女と、王国を襲う数々の災難に英知を持って対抗した賢王。程度の違いがあれど、どの歴史書においても称賛される両名……。ここに割り込むのが、わたくしの野望!」
『……ふーん、具体的にどうするんだい?』
興味を失い始めた黒猫ジンクは、乱雑に折り重なった歴史書の頂きに寝そべって尋ねる。
「今度、この傷だらけの聖女と記されている娘が、学園に入学いたしますの。まだこの時は平民で、聖女とは認められておりませんが……」
『……亡き者にするのかい?』
悪魔らしい発言に、ラ・フェンは小さく微笑んで見せた。
「そんなことはいたしませんわ。歓迎……。そう、ただ歓迎いたしましょう」
* * *
歓迎。
まさしく歓迎。どう見ても歓迎としか書かれれていない横断幕が、学園の門に垂れ下がっていた。
『おい、大馬鹿公女ボロ。じゃなかったラ・フェンさん。これはどういうことだい』
取り巻き貴族子女を従え、聖女を出迎えようとするラ・フェンに詰め寄り、ジンクは慌てた様子で奇行の意味を尋ねた。
「決まっているでしょう? 歓迎するのよ。将来、大成する平民の才能を見抜き、前もって歓迎の意を表すなんて未来の歴史家はどう評するでしょうね……。まあ、横断幕を掲げるのに、先生方を説得するのは大変でしたわ」
『キミ、なにをどうやって先生たちを説得したの』
「魔法で」
『魔法で?』
「直接、脳内を」
『悪魔か、キミは』
今は黒猫だが、悪魔は本物の悪魔を見たと慄いた。
『そんなことができるなら、直接歴史家たちを操って書かせればいいじゃないか……ってその手があったかという顔をするな、この悪魔! ボクが言ったのは冗談だ、冗談。今の歴史家を操っても、未来の歴史家が書くとは限らないよ!』
悪魔ジンクは慌てて、ラ・フェンの悪魔的所業をやめるよう説得する。
その最中、貴族が通う学園には不釣り合いという少女が、校門を潜った。
そして横断幕に書かれた自分の名を見つけ、戸惑う少女……。そう、彼女こそが未来の聖女だ。
出迎える……というより、待ち構えている貴族子女。その先頭には、横断幕と同じ歓迎文言が書かれた旗を持つ公女ラ・フェン。
これを見て聖女は――。
「逃げましたわ!」
『……わからなくもない』
ジンクは逃げ出した聖女(予定)に同情した。
「追いますわよっ! 捕まえて歓迎しきりまくり尽くすのよ!」
『聞いたことない複合動詞!』
ジンクを置き去りにし、ラ・フェンは取り巻きの女生徒たちを引き連れて、逃げる聖女を追いかけた。
校門を出た直後、聖女は会えなく捕まった。
「どっせい!」
捕まえるだけならばいいが、ラ・フェンは女子あるまじき掛け声をあげ、聖女を肩に担ぎあげた。
「きゃーやめてやめてー、とりあえずごめんなさーい!」
「このまま担いで、教室まで送り届けて差し上げますわよ!」
「ふえーん! とりあえず謝ったのにーっ!」
数日前まで平民だった聖女(確定)は、貴族子女の手によってわやくちゃにされながら校舎に引き込まれて行く。
『なんだ、この歓迎……』
長く悪魔として生きたジンクだが、これほど意味不明な光景は地獄でも見たことも聞いたこともなかった。
* * *
「わたくし、思いましたがメガネがいけないと思いますの」
『メガネの台座が悪いと思うよ』
辛辣な悪魔の返しを理解できるほど、メガネを載せる台座の出来はよろしくない。
学園の校門前で、聖女を出迎えるラ・フェン公女は、メガネを正しつつ首を傾げる。
「なぜ今、メガネ置きの話を? わたくしはメガネそのものの話をしているのですわ」
『……いや、なんでもない』
皮肉はポンコツの壁を越えられない。
ジンクは顔を洗いながら、話題を逸らすことにした。
『じゃあ、それなら……メガネを外すのかい?』
「知的なわたくしの印象を崩すなど、なんと愚昧な」
『知的詐欺なメガネに愚昧って言われたよ、ボク』
ジンクはショックでまたも顔を洗う。猫は誤魔化すとき、顔を洗う性質があるというが、この悪魔はすっかりに本能まで猫に染まっているようだ。
「と、いうわけで新しいメガネを創りましたわ」
『そこでさくっと創りだせる力は、ほんとすごいよね、キミ。で、そのおぞましいのはなんだい』
掲げられたメガネを表すならば、悪趣味の一言であった。
ゴテゴテに宝石が埋め込まれたメガネは、注目の魔法が込められている。
「さあ、このメガネ! 聖女のあの子になんて思われるか、反応が楽しみですわ!」
『ボクも反応が楽しみだよ、悪魔的な意味で』
悪趣味メガネに掛け替え、聖女の登校を待つラ・フェン。
「あ、いらっしゃいましたわ」
すぐそこの角を曲がって、しずしずと歩く聖女が姿を現した。
「来たわね!」
「……あ、ラ・フェンさん!」
聖女も待ち構えるラ・フェンに気が付き、目線を上げた。その目は怯えている。
と、その時!
反対側の角から暴漢が飛び出し、ナイフを振り上げて聖女に襲い掛かった。
「お命ちょうだい!」
「なんですか、そのメガネ!」
「って、うおぅっ! なんだありゃ!」
ラ・フェンのメガネに聖女が驚き指さしたため、釣られて暴漢も目を奪われた。
注目の魔法がかけられたメガネの効果は抜群だった。
「ぐぎゃっあっ!!」
ナイフを振り上げたまま、暴漢は聖女の後ろを跳んで通過していき、そのまま通りすがりの馬車に轢かれてしまった。
轢いた馬車の御者もラ・フェンのメガネに見とれており、無残な暴漢をそのままに通り過ぎて行く。
後続の馬車も同様で、轢かれた暴漢に追い打ちをかけてしまった。
「これ、危ないですわね……」
悲惨な事故の光景を目の当たりにし、ラ・フェンは反省してメガネを外した。
* * *
「わたくし、この胸が悪いと思いますの」
『心臓に毛が生えてるのに?』
辛辣な悪魔の返しを理解できるほど、毛の生えた心臓を維持する脳の処理能力は高くない。
「わたくしの胸、いささかささやかでほのかでしょう?」
『まったいらな草原だと思うよ』
使い魔の辛辣な返答に、ラ・フェンは小首を傾げた。
「確かに父の領地は馬の牧畜に向いた真っ平らな草原ですが、なぜ今、父の話を?」
『乳の話をしてんだよ!』
「なにを言っているのかわかりませんが、まず胸の話をいたしますね」
だめだこいつ、何をいっても通じないと黒猫は椅子に身を預けた。
「着想を得て創ってみましたわ」
『ほんと、キミはなんでも創れるね』
ラ・フェンの創り出した駄作二号は、女性の実体のない胸を実体があるかの如く装う下着であった。
「しかも転んだ時、こうボンッ膨らんで身を守る、という便利機能付き!」
『どうしてこの子、便利機能つけちゃったかなぁ~』
悪魔も呆れる発想である。
『キミなら、直接その胸を大きくさせることだって可能だろうに、なぜしないんだい』
「そ、そんな……身体の形を変えるような……肉体改造だなんて恐ろしいことを!」
『キミッ! それをボクにしたよね!?』
黒猫の姿に変えられた悪魔は、公女の今更な道徳的発言に腹を立てた。
しかし力関係がはっきりしているので、文句を言うことしかできない。
「さあ、聖女様に披露して差し上げましょう! ああ……、こちらから聖女様の香りが……」
『キミ、なんで猫のボクより鼻がいいの?』
フラフラと香りに誘われ漂っていくラ・フェンを、ジンクは驚愕しつつ追いかける。
果たしてそこには、学園帰りに露天のクレープを、嬉しそうに買い食いをしている聖女の庶民的な姿があった。
「見つけましたわよ! さあ、さあ、触ってくださいまし! 偽物なんかじゃありませんのよ!」
「え? な、なんですか? や、やめてください! あ、危ないです! ラ・フェンさん!」
『なんの説明もなく、天下の往来でいきなり胸を触れとか、知性も女も捨ててるね』
聖女を見つけるなりその手を掴み、ラ・フェンは胸を突き出して触れと迫った。
買い食いをしていた聖女の両手にはクレープが握られているので、あれで触ったら大参事である。
と、その時!
不自然にも急に暴れ出した馬が、聖女とラ・フェンに向かって飛び込んて来た。
近くの民家へ、弾き飛ばされる二人。
その衝撃はすさまじく、目撃した誰もが無事ではないと目を覆う。
しかし、二人は無事であった。
聖女を抱き上げつつ立ち上がり、クレープで顔を汚したラ・フェンが、鼻息荒くやり遂げたという顔で叫ぶ。
「おっぱいが無ければ即死でしたわ!」
『まあ無いんだけどね。あるのは下着の偽乳だし』
運よく下着の安全装置が働き、馬と転倒の衝撃から二人を守ったようだった。
* * *
「わたくし、このヘアスタイルがいけないと思いますの」
『ボク、その思いつきがいけないと思いますの』
辛辣な悪魔の返しを理解できるほど、思いつきで行動する公女の能力は高くない。
「あら、物まねが上手ね、さすが悪魔ですわ」
『心から褒めてるのが、また頭にくる! 打つべしっ!』
皮肉は鉄壁のポンコツ障壁に阻まれた。
ジンクは悔しがり、近くの壁を叩いた。
「その物まねは、わたくしの誕生日パーティーで披露してもらうとして……」
『やらせるのかよ!』
ジンクの猫パンチが、軌跡すら残さず壁を叩く。音は置き去りにされた。この黒猫は、いったい何を目指しているのか。
世界に通じる左前足である。
「それとね、わたくしのしゃべり方もいけないと思いますの?」
『マジでイラッっとくるよね!』
皮肉や迂遠な言い方は通じないで、直接表現で攻めてみた。
「そうなのよね。わたくし、直すべきところが多いのかもしれませんわね」
『他人が悪いと言わず、徹底して自分のどこかが悪いと思う精神だけは見上げたものだよ』
ついにジンクは悟った。
この令嬢は自分が悪い、常に原因は自らにある、と考える傾向があるのだ。
一口に内罰的といえそれまでだが、逆にいえば他者と環境を見ていない。独りよがりなのだ。
一種、狂気に満ちた思考である。
『なるほど。世界に線を引いたならば、常に自分は悪の側……か』
悪魔は自らが悪と思っているだろうが、うまくいかないことの原因まで自分が悪いと思わないだろう。
善であろうとしないのに、自らを常に悪と断じている。
世間がどう評価しようと、彼女自らが断じて彼女は必ず悪役令嬢なのである……。
* * *
のちの歴史家たちは語る。
王国の黄金期に、三人の功績ありと。
一人は力多く賢き王。
二人目は清らかなる無傷の聖女。
最後に道化のラ・フェン。
彼女の奇行は、聡明なる王の予想を大きく上回り、王子であったころから悩ませたという。
しかし、その賢王ですら予測できない行動こそが、聖女の安全と世界の安寧をもたらした。
彼女の奇行がなければ、聖女は数々の危険に晒され、その身を損なったことであろう。想像するだに恐ろしいが、ともすれば聖女の命すら失われた恐れもあった。
ラ・フェンの行動は、すべて計算されたものである。という学説もあるが、普段の奇行からすれば穿ち過ぎの説であろう。
仮にそうであったとするならば、人の領域を超えた思考の賜物である。人が推し量れるものではない。
我々は忘れてはならない。
かの三人を崇めようとも、決してラ・フェンは見習ってはならない。
ラ・フェンの功績を認めれど、見習ってはならないのだ。
あれは人の領域ではなく、常識では決して善行と結びつくことはない。
狂気から生まれたものは、決して善に至ることはないのだから――。
* * *
未来から取り寄せた歴史書を嬉しそうに抱きかかえ、ラ・フェンはジンクへ向かって叫んだ。
「やったわ! 歴史書に残ったわ!」
『どうして、こんなので満足しちゃうかなぁ、この子』
ジンクはもうあきらめた、というアクビを一つして、午睡に身を任せた。