#7 漆黒の闇と青い命の星
「なに!?宇宙じゃと!?」
「そうですよ。2か月ほど宇宙に出なきゃいけないんですよ。」
「長いな。2か月もの間、どこにいくのじゃ?」
「ええとですね、その……地球332に行くんです。」
「なんじゃと!?そなたの故郷ではないか!」
「ええ、一度帰らないといけないんです。そこで、ジェスティーヌさんは、どうしますか?」
「当然、ついて行くに決まっておる!そなた無しに2か月も1人で生きよと言うのか!?」
「まあ、そう言うだろうと思ってました。じゃあ、この休み明けに出発です。準備しましょうか。」
突然、妾は宇宙というところに行くことになった。しかも、ハインツ殿の故郷である、地球332へも行く。
映像で宇宙というものや、この星の姿も見てはいるが、なにぶんまだ宇宙に行ったことがないから、本当の姿を知らぬ。しかし、ハインツ殿の同伴で、ついにその宇宙へ行けることになったのだ。
「そういえば、よろしいのですか、ブランドの方は?」
「よい。侍従長にすべて任せることにする。ようやく専門店も立ち上がり皆、意気揚々と働いておるところじゃ。2か月くらい、妾がいなくても良いであろう。」
あの誘拐事件から3か月が経った。「フレメンツ」ブランドは、今や地球332の人々の間に定着し、そのおかげもあって、メイドのメアリーがいたお店から出て、独立した店舗を構えることとなった。
そこに、かつて王宮で働いていた使用人達を集め、さらにリュドヴィックの工房も取り込み、一大ブランドにまでのし上がる。ショッピングモールの中の小さな店ではあるが、我がフレメンツ家の名を冠した店を作り出したのである。まさに、あのドラマのような復活劇である。
ただ、普通のブランドとは異なる点が2つある。一つは、革命によって滅亡に追いやられた家の名を冠していること。この宇宙でも、滅亡した家がブランドを立ち上げたという例はほとんどない。
そしてもう一つ。革製品中心のブランド店なのに、クレープも売っているという点だ。これは、ブランド立ち上げに侍従長のクレープ屋が貢献したことにちなんで、この新しい店でも引き続きクレープを出すことにしたのだ。
なお、紋章入りの革のクレープ入れも売っている。手軽な値段で売られているため、クレープ共々人気が高い。
もはや王国自体の再興などできぬし、妾も最初から諦めておる。が、未来永劫フレメンツ王家の名を残すという野望は、順調に進んでおる。あとはハインツ殿との間に嫡男を成し、世継ぎを作ればよい。
そういえば、妾は勝手にフレメンツ家再興のためハインツ殿を巻き込んでいるが、ハインツ殿は王子ゆえ、継ぐべき家があるのではないかと気になって聞いてみたが、
「ああ、私は次男坊だから、家なんて継がないですよ。いや、そもそも継げないんですけどね……」
とおっしゃっておったから、遠慮なくフレメンツ家の当主にしてやろうと思っている。
さて、妾にとって初めての宇宙への旅である。
宇宙というところは、どのようなものを着ればよいのか?ハインツ殿に聞いてみる。
「えっ!?別に普段の格好でいいですよ。」
「そうは言うても、漆黒の闇の中なのであろう、宇宙というところは。ならば目立つよう、白い服でも着た方が良いのではないか?」
「いや、宇宙空間に飛び出すわけじゃないですよ。そういうところに行くには、もっと特別な服があるんですよ。だから、普段着を用意していればいいんですって。」
ふうん、そういうものなのか。白い服でも買おうかと思っておったが、要らぬようだ。
そして、あっという間にその日はやってきた。妾はハインツ殿と共に、宇宙港に着く。
ガラス張りの建物から外を見ると、白、黒、青、赤といった色とりどりの宇宙船とは別に、灰色一色の船が並んでいるのが見える。あれが、ハインツ殿と妾が乗る「駆逐艦」だ。
軍用の船だけは決められた色で塗らなければならないようで、連合側の陣営の軍船は皆あの灰色なのだそうだ。
そういえば、妾が監獄を出てこの街を目指すきっかけになったのは、あの空を飛ぶ砦のような駆逐艦を追ったからであった。まさか、あれに乗る日がくるとは思わなかった。
搭乗手続きを終えて、宇宙港の通関口にくる。そこで妾はこの街の居住証を見せる。入り口の上に緑色の灯りが付き、妾は通関口を通される。
バスに乗り、ハインツ殿と妾は灰色の船が並ぶドックに向かう。駆逐艦という船に近づくが、本当に大きい船だ。全長は300メートル、高さが70メートルあると言う。船体の半分以上が縦横30メートルの細長い石砦を横倒ししたような形をしており、その先端には直径10メートルの大きな穴が空いていて、ここから強力なビーム砲を放つことができる。そう、昨日観た動画では言っておった。
メートルという長さにまだ妾は馴染んでおらぬが、これがとてつもなく大きいことはよく分かる。空に浮かんでいる姿はよく目撃するが、こうして近くで見るのは初めてだ。
ハインツ殿によれば、駆逐艦は妾の住む地球806の周辺に、1万隻もいるそうだ。こんな大きなものが1万隻。そんなにたくさん揃えてどうするというのだ、呆れてしまう。
だが、地球332へはこの船で行くわけではない。宇宙で別の船に乗り換えるとハインツ殿は言う。その船は、これよりもはるかに大きい船だそうだ。戦艦ウェルドグレンという船で、全長は4200メートル、幅730メートル、最も分厚いところが500メートルもあるという。小惑星という宇宙に浮かぶ岩のようなものを削って作られた船で、写真を見ると、まるで灰色に塗られたカボチャの種のような形をしておった。王宮よりも大きな駆逐艦より、さらに大きなカボチャの種。うーん、まるで想像できぬ。
などと考えておると、どうやら目的の駆逐艦の下に着いたようだ。ハインツ殿と妾はバスを降りる。
目の前には、これから乗り込む駆逐艦4990号艦がある。その駆逐艦を見上げると、まるで断崖絶壁の岩山の下にいるようだ。こんな大きなものが、本当に飛ぶのか?とても妾には信じられない。
「ジェスティーヌさん!乗り込みますよ!」
駆逐艦の前で立ち尽くす妾を呼ぶハインツ殿。我に帰り、ハインツ殿の元に向かう。
中に入って、まずエレベーターに乗りこむ。そのエレベーターで上がり、船の中ほどの6階で降りる。そこには、部屋がずらりと並んでいる。しばらく部屋の間を歩くと、カウンターが見えてきた。
「ちょっと待っててくださいね。鍵を受け取るんで。」
そこでは、部屋の鍵をもらえるらしい。もっとも、我々は夕方には戦艦に移乗する。ハインツ殿と妾はこの駆逐艦で寝泊まりするわけではないため、荷物置き用に一時使わせてもらうだけだ。鍵を受け取ると、ハインツ殿と共にその部屋に向かい、荷物を置く。
その後再びエレベーターに乗って、最上階の15階へ行く。15階に着きエレベーターを降り、艦橋という場所へと向かう。
「艦長、戦艦ウェルドグレンまでの道中、お願いいたします。」
「ハインツ少佐か。こちらこそ、よろしく頼む。ところで、その後ろにいるのが例の姫様か。」
「はい、我が妻の、ジェスティーヌです。」
どうやら、ハインツ殿よりも位の高いものらしい。なんだ、こやつ。王様か?
「初めまして。艦長のドミニク大佐と申します。戦艦ウェルドグレンまでの短い道中の間ですが、よろしくお願いいたします。」
「妾は、フレメンツ王国国王、ルシフェル7世が三女、ジェスティーヌである。主人共々、よろしくお願い申し上げます。」
「いえ、こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
なんだか王のわりには妙に腰が低い。よく言えば優しい、悪く言えば威厳がない人物だ。これが本当に王なのか?
ハインツ殿によると、この船で一番偉い人物だそうだ。なるほど、この城のような駆逐艦が、彼の拠点か。
このような船が1万隻もあるということは、つまりは1万人もの王がいることになる。なんということか、宇宙では王の価値は案外低いのであろうか。
だが、ハインツ殿の乗り込む戦艦ウェルドグレンという船は、その駆逐艦300隻を束ねる船だそうだ。なんと、300もの王国を束ねる連合王国の宗主のようなものか?その船にもまた、艦長と呼ばれる王がいるらしい。さらにそれを3つ束ねる戦艦の艦長がいて、その頂点に艦隊総司令部と呼ばれるところがある。王の中の王、皇帝でも住んでおるというのか?
いや、ちょっと待て。これが城として、あの艦長という者が王であったとしても、ここには100人の乗員しかおらぬという。しかも領地がない。これではせいぜい騎士団長だ。王とはちょっと言い過ぎであるな。
ところで、戦艦ウェルドグレンでのハインツ殿の役目は作戦参謀という、戦さの際に勝利のための算段を行い、300隻の動きを決めるという重要な役割を担っているという。つまりこの船も、いざという時はハインツ殿の意のままに操られるというわけだ。つまりハインツ殿は、この船を含む300隻の長に立っているとも言える。だが、その一隻の長に敬語を使い敬う。どうなっておるのだ、ここの身分制度は?
この船には100人が乗り込んでいるが、そのうちこの艦橋というところには20人ほどがいる。皆、なにやらモニターを覗いている。レーダーや重力子、熱源センサーからの情報を監視しているというが、妾にはさっぱり分からぬ。
「各部センサーチェック終了、異常なし!僚艦9隻も、離陸体制に入りました!」
「よし、これより我がチーム艦隊全艦、発進する。両舷、微速上昇。」
「機関始動!出力10パーセント、両舷、微速上昇!」
窓の外を見ると、ガチャンという何かが外れたような音とともに、ゆっくりとこの船が浮き始めた。すぐ横にいる駆逐艦も、同時に浮き始める。
「達する。艦長のドミニクだ。当艦は艦隊標準時、2200(ふたふたまるまる)、駆逐艦4981号艦から4989号艦と共に発進。大気圏を離脱後、小惑星帯にて戦艦ウェルドグレンに寄港する。各員、大気圏離脱準備を開始せよ、以上だ。」
艦長が何かを握り、話しかけている。どうやらこの駆逐艦にいる配下の者達に、これからの予定を話しているようだ。
徐々に高度を上げる駆逐艦。横にいる他の駆逐艦も、ぴったりとついてくる。妾は窓の外に駆け寄る。窓の外を見ると、首都や宇宙港の街が、まるでおもちゃの街のように小さく見える。
雲ですら、遥か下に見える。その遠くを見るとうっすらと青い層があり、その上はもう真っ暗闇だ。まだ朝であったというのに、もう夜が迫って来ているのか?
「ほら、あの青く薄い層が大気で、その上がもう宇宙なんだ。だから、真っ暗なんだよ。」
ハインツ殿が寄り添い、妾に窓の外のことを教えてくれる。そうか、あれが妾の住む星と、宇宙の境目であるか。こうして見ると、本当に宇宙というところは夜のように暗い。
「高度4万メートル、規定高度に到達!僚艦9隻も規定高度到達、大気圏離脱準備、整いました!」
「進路上、100万キロ以内に障害物なし!進路クリア!」
「よし、ではこれより、大気圏離脱を開始する。機関最大、両舷前進、強速!」
「機関出力100パーセント、両舷前進、いっぱーい!」
ハインツ殿が妾の肩をたたく。
「そうだ、ジェスティーヌさん。」
「なんじゃ?」
「これからしばらくの間、ちょっとうるさくなるから、注意してね。」
ハインツ殿が言い終わらぬうちに、急に艦橋内にけたたましい音が響いた。まるで洗濯用乾燥機の唸る音、あれを数十倍にしたような音だ。妾はあまりのやかましさに、耳を抑える。
他の乗員やハインツ殿は平気なようだ。ここの連中は、よくこれほどのうるさい音で、耳も抑えずに平気でいられるものだ。
窓の外を見ると、地面がものすごい速さで後ろに流れていくのが見える。なんだ?急に地面が動き出したのか?
いや、動いているのはこちらのようだ。普通、急に速い速度で走り出すと後ろに押し付けられるものであるが、慣性制御と呼ばれるものを使って、その後ろへと押し付けられる力を打ち消しているそうだ。このため、まるで周りが後ろに走っていくような錯覚を覚える。
徐々に地面が離れていく。それとともに、丸くて青い地球が見えてきた。画像や写真で、妾の住む星が青くて丸いことはすでに知っていた。が、あれほど大きく、澄んだ青色をしていたとは、この目で見て初めて実感する。
その地球もあっという間に離れていき、今度は真っ暗な闇が妾の乗るこの駆逐艦の周りに広がる。黒い、本当にどこまでも続く黒い闇。上も下も、闇の中だ。
その闇の中から、ひときわ大きくて丸い灰色のものが現れる。あれは月だ。
その月のそばを通る駆逐艦。夜空に浮かぶ月は、白く輝く美しいものであるが、実際近くで見てみると、灰色で表面に大きな穴のようなものがたくさん並んでいる。
そんな月でさえ、あっという間に通り過ぎてゆく。その先には、真っ暗な闇が広がるだけ。コロコロと移り変わる風景を見ているうちに、気がつけばあのけたたましい音も鳴り止んでいた。
よく目を凝らしてみれば、星が光っている。だが、艦橋内の灯りの明るさに負けて、よほど窓に顔を近づけねば星が見えぬ。このため、外はほとんど真っ暗にしか見えぬ。どこまでも広がる漆黒の闇。それを見ていると、妾は少し恐ろしくなった。
「さ、そろそろ食堂にでも行きましょうか。」
それを察してか、ハインツ殿が話しかける。そういえば、朝早く急いで出てきたため、まだ食事を取っておらぬ。
「うむ、参ろうか、ハインツ殿。」
妾はハインツ殿に返事をする。ハインツ殿と手を繋ぎ、そのまま艦橋の出口の扉に向かう。
エレベータに乗り、艦橋のある15階から9階まで降りる。そこを降りると、目の前にはロボットアームがせっせと働いていた。
ここは洗濯ルームらしい。そう言われてみれば、我が家にもある洗濯機や乾燥機、それに折りたたみ用ロボットアームがたくさん並んでいる。
その先に、食堂があった。出入り口にあるモニター画面で食べたいものを選び、奥のカウンターに引き取りに行って、たくさん並んだテーブルの上に運んで行って食べるという手順で食べ物をいただく。使われている食器も、たくさん並んだ椅子もテーブルも、なんだか殺風景なものばかりだ。
妾とハインツ殿が朝食を食べていると、他の者達が話しかけてきた。
「ハインツ少佐殿、こちらがあの姫様ですか?」
「そうだ。」
「へーっ!てことは、あの悲劇の王朝の姫で、最近『フレメンツ』ブランドを売り出したっていう、あの姫様ですか?」
「そうだ。そして今は、私の妻だ。」
「すごいお方と出会えたんですね、少佐殿。一体、どこで知り合ったんですか?」
「えっ?いや、その……」
なにやらハインツ殿が答えにくそうだ。妾が答えてやろう。
「我が名はジェスティーヌ。フレメンツ王国の王族最後の生き残りで、ルシフェル7世が娘。革命ののち1年の間、妾は首都の外れにある監獄に閉じ込められておったが、ある日監獄を出るように言われ、宇宙港の街に流れ着き、そこでハインツ殿と出会ったのじゃ。」
「へぇ~!すごい偶然!まるでお互い、運命の糸で引き寄せられたかのようですね。」
「いや、運命などではない、王宮で革命軍によって無残に殺された父上や、断頭台に消えた兄上らによって導かれたのであろう。」
「そ、そうなんですか?」
「さもなければ、何の身寄りもない妾など、のたれ死ぬのがオチであったはず。まさにハインツ殿というお方に、妾は導かれたのだ。」
「そ、そうだよね。いきなり監獄から出て、そのまま結婚だなんて、運がいいとかそういうレベルじゃなさそうだよね……いいなぁ、少佐殿は。私にも運命の人、現れないかなぁ。」
などと士官らとたわいもない話をして食事を終える。とりあえずあと7時間もの間、この駆逐艦内で過ごす他ない。
だが、大きいわりにはこの駆逐艦、食堂くらいしか見るべき場所はない。あとは部屋にあるテレビで動画を見るだけだ。
テレビをつけるが、あまり面白そうなものがない。何が面白いのか、奇妙な動きをする男を周りのものが笑うだけの番組や、ひたすらどこかの山の風景を映すだけの番組など、つまらぬものばかりだ。だが、あるチャンネルに合わせると、真っ黒な闇が現れた。
「なあ、ハインツ殿。なんじゃ、このチャンネルは。真っ暗であるぞ。」
「ああ、それは船外カメラ画像ですよ。この数字以降のチャンネルは全てカメラ画像になっていてですね、他にも、ほら。」
別の画像を映し出す。すると、他の駆逐艦が4隻ほど、並んでいるのが見える。ああ、これはまさに外の風景である。
「なるほどな。この船は艦橋以外に窓が見当たらない。これでは昼か夜か分からぬ。これをみれば、外の様子がわかるのだな。」
「そうですよ。でも、ジェスティーヌさん。あの……」
「なんじゃ?」
「宇宙には、昼も夜もないんですよ。ずっと真っ暗。だから、窓があろうがなかろうが、昼か夜かは分からないんですよ。」
なんだと?昼か夜か、外を見ても分からぬだと?そのようなこと、全く考えもつかなかった。なんということだ。
「で、では、皆はどうやっておるのだ?」
「時計を見てるんですよ。ただ、人によって昼と夜の時間が違うので、それぞれの勤務体型に合わせた時間で動いてますよ。」
ちなみに、艦隊標準時と言われる時間があるそうだが、その時間では今は真夜中の午前2時。さっき朝食を食べたばかりだぞ?なにゆえ真夜中なのだ。もう、わけが分からない。
閉鎖された空間、真っ暗闇しかない船の外。なんだここは、まるで監獄ではないか。このようなところで、2か月を過ごせというのか?
「いや、大丈夫ですよ。戦艦はもう少しマシなところですから。」
「マシとは、なにがマシなのじゃ!?」
「街があるんですよ。戦艦には。」
「街じゃと!?船の中に、街があるのか?」
またわけの分からぬことを申すハインツ殿。この駆逐艦よりもはるかに大きな、カボチャの種のような形の船の中にある街。もはや、妾には全く想像がつかぬ。
あと6時間ほどで、その戦艦を見ることができるという。この目で見るしかない、その巨大なカボチャの種も、街も。
さて、それからテレビを見たり、昼食でまた士官らと談笑して時間を過ごす内に、6時間が経った。思えば監獄のような退屈で周りもろくに見えぬ場所で、なんとかやり過ごしてきた経験のある妾だ。この程度の時間、その気になればどうにか過ごせるものだった。
再び艦橋に向かう。艦橋に着き、窓の外を見る。そこには、驚くべきものが現れていた。
灰色の岩が、ぽかんと暗闇の中に浮かんでいる。よくみれば、まるでカボチャの種のような形。そうか、あれが戦艦というものか。
だが、徐々に近くなるその船は、もはや船とは言えぬ大きさであった。なんだ、これは?隣にいる駆逐艦がまるで王宮の前に立つ衛兵のように小さく見える。あの船とて、王宮をはるかに超える大きさであるぞ。それが小さく見えるほど、この戦艦という船は大きい。
岩の上に、穴や建物がいくつか見える。ハインツ殿によると、穴はビーム砲であり、建物は物見砦のようなものだそうだ。そしてそのてっぺんにひときわ大きな城のようなものが見えるが、あそこが妾たちが行くこの船の艦橋なのだそうだ。
「戦艦ウェルドグレンより入電、駆逐艦4990号艦は1番ドックに入港されたし、以上です!」
「両舷前進、最微速!繋留ビーコン捕捉!入港、準備よし!」
「進路修正、左0.2度!速度そのまま!ヨーソロー!」
艦橋内は慌ただしい。徐々にあの岩肌に近づいていく。だが、まだまだ大きくなる。何ゆえに、こんな大きな船が必要なのか?
窓の外が岩肌だらけになり、この船はあるくぼみに向かって進む。そして、ガシャンという音とともに船が止まる。
「両舷停止!機関停止!入港完了!前後繋留ロックよし!」
「エアロック、連結よし!連絡路扉、開放!」
どうやら、戦艦にたどり着いたようだ。艦長がまた何かを手に持って話し始める。
「達する。艦長のドミニクだ。当艦は戦艦ウェルドグレンの第1番ドックに入港した。これより10時間の間、戦艦ウェルドグレンへの乗艦を許可する。出港予定時刻は艦隊標準時、1800(ひとはちまるまる)。各員、出航30分前までには帰艦するように。以上!」
艦長の話が終わると、艦橋内の者たちは皆、一斉に出入り口に向かう。
「さてと、我々はあちらの船に移乗しますよ。荷物持って、降りましょうか。」
「うむ、参ろうか。あの戦艦とやらへ。」
艦橋を出て、短い付き合いだった部屋から荷物を持ち出し、そしてエレベーターで1階に降りて出入り口に向かう。細長い通路を超えると、また通路が続いて、しばらく歩くとエレベーターが見えた。
「奥の扉に、この艦の艦橋に続く通路があるんです。でも今日はこのままホテルに向かいます。」
「ホテルか。しばらくそこで暮らすのだな。」
「そうですよ。200光年先にある地球332へは、だいたい3週間かかります。その3週間の船旅ののちに、2週間ほど地球332へ滞在、その後また3週間かけて帰ってくる。その宇宙での往復6週間を過ごす部屋に、今から向かいますよ。」
「地球332では、どう過ごすのだ?」
「私の実家に行きます。」
「そなたの実家か。大きな屋敷なのか?」
「ええ、うちに比べたら、全然大きいですよ。」
そういえば、こやつの実家とは、いかなるところなのだろうか?王子であれば当然、王宮ということになるが、最近どうもこやつが王子だとは思えなくなってきている。
会った時にはあまりに良いものばかり食べておるから、てっきり王家のものと思っていたが、今にして思えば、あれはさほどたいした値段のものではなかった。
それに妾がいくら聞いても、こやつは自分の家のことを教えてはくれぬし、そもそも実家の話も今初めてしたくらいだ。こやつ、本当に身分の高いものなのであろうか?
でもまあ、今の妾にとってはどうでも良いこと。たとえハインツ殿が平民であったとしても、妾はこやつに一生ついて行くつもりだ。今はそう考えるようになってきた。
長いエレベーターを降りると、まるでどこかの宮殿の入り口のようなところに出た。ここは、ホテルのロビーだという。こんな豪華なところに泊まるというのか?前言撤回。やはりこやつ、とんでもない身分の男だ。
そのロビーの脇に窓がある。妾はふと、その窓の外を見る。なんということだ、よく見ると、眼下には街が広がっている。
エレベーターで降りてきたというのに、ここはとても高い場所である。下には、たくさんの建物が並んでいる。
だが、この下の街はなんだか妙だ。街なのに、まるでショッピングモールのように4つの階層に分かれている。妾の眼下の街の下に、まだ街が重なっているようだ。
天井を見ると、岩の壁のようなものにたくさんの灯りが並んでいる。遠くを見ると、やはり岩の壁が見える。ここは岩をくり抜いて作った場所のようだ。その中に、何層にも重なった街がある。
「どうです、ここが戦艦ウェルドグレンの街です。400メートル四方、高さ150メートルの空間に作られた、多層型の街。ただ、商業施設が中心の街なので、宇宙港の街というより、大きなショッピングモールといった方がしっくりきますかね。」
「店ばかりだというのか?何ゆえ、こんなに店だらけなのじゃ!?」
「この戦艦は、300隻の駆逐艦の補給ステーションという役割があるんですよ。40ものドックに交替で駆逐艦を入港させ、補給をするんですが、その補給作業中に駆逐艦の乗員が戦艦に乗り込み、この街を訪れるんです。」
「何ゆえ、駆逐艦の乗員はここに来るんじゃ?」
「それは、息抜きですよ。ほら、さっきまで乗っていた駆逐艦、テレビと食事くらいしか娯楽と言えるものがなかったでしょう?あれじゃストレスが溜まるから、こうして息抜きの場としての街が必要なんです。」
「ふうん、そうであるか。戦艦というから、戦さで敵を撃ちのめすための船かと思うておった。」
「かつてはそうだったんですが、こんな大きな船が戦場に出ても大き過ぎて動きが鈍いから、いい的になるだけで役に立たないんですよ。今は機動力の高い駆逐艦を前面に出して撃ち合うというのが戦闘の基本スタイルで、その間、戦艦は後方に控えて、司令官が指揮を執る場所になってますね。どちらかというと、こういう補給や息抜きのための船という役割の方が強いです。」
駆逐艦300隻の面倒を見る上に、息抜き用の街まで抱えておるとは、それでこんなに馬鹿でかいのか。おまけにホテルというこんな豪華な場所まである。こうして見ると、駆逐艦など小さなものであるな。
フロントで受付を済ませて鍵を受け取ると、妾はハインツ殿と共に部屋に向かう。ついた部屋は、こじんまりとしているが、装飾も豪華でベッドも広いところだ。まるで王宮の妾の部屋のようなところ。もっとも、ここにも窓はない。
「閉鎖空間にばかりいるので気づいてないでしょうが、我々の時間ではもう夜の7時なんですよ。夕食を食べに、街へ行きましょうか。」
「うむ、行こう。あの不思議な街へ。」
再びロビーに戻り、エレベーターで降りる。エレベーターには窓があって、中から街の様子を見ることができる。
多くの人が、街中を巡っている。確かにここは店だらけなようだ。飲食店に服屋、雑貨屋に家電店。ショッピングモールで見かける店がいくつも見える。
地上についた。いや、そういえばここは宇宙という漆黒の闇の中であった。ここはその闇の中に浮かぶ岩の中。だが、あまりそういう感じがしない。
それにしても、ここは一体、いつ夜になるのか?ハインツ殿によれば、今は我らにとって夜だというが、こう明るくてはそんな感じがしない。
「ああ、ここはずっと昼ですよ。みんなの時間がバラバラだから、ここは常に昼間なんですよ。」
「では、店の者はどうするんじゃ?まさかずっと働きづめではあるまいな?」
「店ごとに営業時間がバラバラなんです。今も空いてる店もあれば、閉まってるところもあるんですよ。ああ、店員さんが交替勤務してずっとやってるところもあります。」
とにかく、宇宙というところは、昼夜の区別がない。これは街を備える戦艦であっても同じらしい。
まあ、監獄での生活を思えば、昼夜の差が分からぬことくらいたいしたことではないか。あそこは昼夜構わずすることがなく、生きた心地もしなかった。それに比べれば、ここはまるで天国だ。
エレベーターで一番下に降り、外に出る。今は妾らにとっては夜のはずだが、ここは昼間のように活気がある。ホテルのすぐ前にあるレストランにはたくさんの人がいて、各々が美味しそうな料理を前に談笑している。
「この街には、私のお勧めの店があるんです。」
そう言ってハインツ殿が連れて言ってくれたのは、とある飲食店。店に入ると、すぐ目の前には涼しげな風が出る棚があり、そこには食材が並べられていた。
なんだこれは?ジャガイモやかぼちゃ、鶏肉、豚肉、それに見たこともない野菜や食材が、細長い棒を刺されて並べられている。
「な、なんじゃ、この店は!?食べ物に全て棒が刺さっておるぞ!?」
「ええ、串揚げというものなんですけど、これをテーブルに置かれた熱い油の中に突っ込んで揚げて食べるです。」
「なんじゃ、自分で揚げるのか。」
「ええ、でも、なかなかこれが面白いですよ。いろいろな食材を楽しめますし、ジェスティーヌさん、いかがです?」
「うむ、そなたが勧めるものなら当然、美味しかろう。行こうか。」
ということで、この串揚げというものを食べることにした。
肉類を2本ほど取るが、ありきたりすぎる。どうせなら見たこともない、思いもよらぬ何かを食べてみたいものだ。
と、思ったら、魚があった。だがこの魚、どう見ても魚ではない。
「ハインツ殿!なにやらおかしな魚があるぞ!?」
「ああ、ジェスティーヌさん。それは魚じゃありませんよ。『タイヤキ』といって、中に甘い素材のが入ったお菓子の一種ですよ。」
「お、お菓子じゃと!?ふむ、面白そうじゃな。では、これを持って行こうぞ。」
「ちなみに本物の魚は、その横に並んでますよ。」
「白身のこれか。しかし、その横にあるこの透きとおったもの、これはなんじゃ?」
「それはエビですね。」
「エビ?なんじゃそれは?魚の類か!?」
「うーん、魚に近いといえば近いですが……まあ、食べてみればわかりますよ。」
最初は3、4本にしておこうかと思っておったのに、気づけば10本ほど選んでしまった。これをテーブルに持ち込み、食材にねり粉と言われる白っぽい液体をつけパン粉をまぶし、煮えたぎる油の中に突っ込む。
ジュワジュワと音を立てて食材が熱せられていく。しばらくして、衣が狐色になった頃に引き上げ、これにタレをつけて食べる。
まずは牛肉からだ。何種類かのソースの一つにつけて、それを食べる。
うん、美味い。揚げたてであるがゆえ、暖かい。周りのサクサクとした衣が、ただの牛肉とは違う食感を与え美味さを引き立てる。
エビというものを初めて食べて見たが、なかなか歯ごたえのある食べ物だ。白身魚のようだが、弾力がある。くせになりそうな食材であるな。
タイヤキというものも揚げてみた。これはパン粉等をつけずに揚げるが、食べてみると確かに中から甘いものが出てくる。それにしてもこの中は、妙に黒い。なんだ、この黒くて甘いものは?
かようにして、多種多様の食材を取ってきては揚げ、味わう。ハインツ殿が食べているものが気になると、それを一口かじらせてもらう。他にもパスタやパンケーキなどを食べることができるが、妾はこの串揚げに夢中であった。串揚げというものは、実に楽しい。
この戦艦の街は、なかなか楽しそうなところである。楽しい食事の後は、ハインツ殿と共にホテルに戻って寝る。もちろん宇宙に出たとて、世継ぎ作りには余念がないのはもちろんであった。
こうして、ハインツ殿と妾の、宇宙での生活が始まった。