#6 冷徹なる王子
それは、妾がリュドヴィックの店に行った時のこと。いつもならメアリーの店の車で帰るのだが、この日はなんとなく歩いて帰ることにした。
王都、いや、今は首都だが、この街は革命前と比べて大きく変わった。
馬のない馬車、車が走るようになり、おまけに新しい店が増えた。石造りの街並みの中に、コンビニと呼ばれる店もちらほらと見かける。かつて広場にある露店では果物や野菜が売られていたが、今では侍従長と同様に、クレープやアイス、チュロスなどを売る店が多くなっておる。
妾はある店でジュースを買う。それを飲みながら、この変わりゆく街並みを眺めて歩いていた。
夏が終わり、秋の訪れを感じさせる涼しい風を受けながら、妾は数少なくなってきた果物を売る露店を見ていた。近くで採れたばかりのりんごや梨、それにトゲニガウリのトゲトゲしい実も売られている。
そろそろ氷の入った飲み物は、身体が冷え過ぎてしまうな。今度からは、暖かい飲み物を買うことにしよう。そんなことを考えながら首都の街を歩いていた。
その時、後ろからどんっと誰かがぶつかってきた。その拍子でジュースが溢れてしまう。ぶつかった男は、そのまま足早に立ち去る。
「おい!お前!どうしてくれる、ジュースが溢れてしまったぞ!」
妾はこの無礼な男のあとを追う。ぶつかっておいて、謝罪の一言もない。何というやつだ。一言文句を言おうと思い、男を追いかけた。
男は細い路地に入っていく。妾もその路地に入っていく。
男は路地の奥で止まった。妾は男にところに歩み寄り、文句を言う。
「おい!ぶつかっておいて、何か言うことはないのか!」
すると、背後から別の男が近づいてきた。前の男も、妾の方に迫ってくる。
そして後ろの男は妾の左手を掴み、口を塞いできた。前の男はそれを見て駆け寄る。
「んーっ!んーっ!」
まずい。声が出ない。しまった、これは罠だったのだ。そういえば首都は最近、治安が悪いと言っていたのを思い出す。だがこの男の力は強く、とても逃げられない。
そうだ。妾が宇宙港の街の居住証をもらったとき、一緒に緊急用の赤いボタンをもらっていた。右の腰にあるそのボタンを、妾は急いで押す。
「おっと!ジェスティーヌお嬢様、無駄な抵抗はしないでください。」
ボタンを押した直後、妾にぶつかってきた痩せ男が、妾の右手を掴んだ。そしてそのまま後ろに回され、左手とともに縛られてしまった。
そのまま、後ろにいた男に抱えられて、妾は連れ出される。しばらく細い路地を抜けて、ある扉から建物の中に入る。
「おのれ!そなたらは何者だ!何をするつもりだ!」
口を塞いでいた手が離されて、妾は男に向かって叫んだ。
「見ての通り、極悪な平民さ、ジェスティーヌお嬢さんよ。たった今、お前を誘拐したところさ。」
「な、なぜ妾の名を……」
「そりゃ、あんだけ街角で派手に王室自慢をしてりゃあ、分かるだろうよ。」
「そうそう!あんた、王族の生き残りだって言いながら、たんまり稼いでいるんだろう!?」
「だから、俺たちにもその分け前、分けてくれよ!」
部屋には3人の男がいる。ガタイの良い男が2人、そして痩せ男が1人。
「妾をさらって、無事で済むと思うでないぞ!」
「あー!?それはこっちの台詞だよ!革命前には、お前ら王家どもは好き放題やってたくせによ!」
突然、ガタイの良い男の1人が妾を蹴飛ばしてきた。そのまま妾は飛ばされ、そばにあった机に叩きつけられる。
「おいおい、大事な人質になんてことするんだ。キズ物になったら、価値が下がっちまうだろう。その辺でやめとけ。」
もう1人のガタイのいい男が制止する。それを聞いたもう1人のガタイ男は、悪態をつきながら妾から離れる。
妾はそのまま、口と足を縛られた。身動きが取れないし、声も出ない。壁にもたれたまま、妾は部屋にいる男たちの様子を眺めるしかなかった。
「さて、旦那。どうやって身代金をとりやすか?」
「そうだな、こいつを預かっていることを、どこに知らせるか……」
「こいつが演説してた、ショッピングモールのあの店に送りつけりゃあいいんじゃないですか?」
「そうだな。そうすりゃ慌てて誰かが動くだろう。よし、お前、今から手紙を書いて店に持っていけ!」
「ええっ!?あ、あっしが書くんですかい?」
「俺たちゃ字が書けねえ。お前がやれ。」
ブツブツと言いながら、机で何かを書いている痩せ男。それを見ながら、ごそごそと他ごとをするガタイ男2人。
身動きの取れないまま、妾は考えていた。まるで監獄暮らしに戻ったようだ。いや、監獄でももう少し自由はあった。今は手足も口も動かせぬ。
妾は油断した。その油断が招いた結果だ。悔しいが、もはやどうしようもない。誰かが来てくれることを願うまでだ。
それにしても痩せ男のやつ、なかなか手紙を書き終えない。こやつどうやら、字を書くのが苦手らしい。見ていてイライラする。妾が代わりに書いてやりたいくらいだ。そんなことを思いながら、部屋の中を見回していた。
まだ痩せ男が手紙を書き終えない、そんなときだった。
突然、バンッという音とともに、入り口の扉の鍵のあたりが青白く光った。そのまま扉が開く。
「だ、誰だ!」
ガタイ男の1人が叫ぶ。そして、入り口の方に向かって歩いていく。
扉が開いて、その向こうに人が立っているのが見えた。その姿を見て、妾は心の中で叫ぶ。
ハインツ殿だ。王子が、妾を助けに現れたのだ。
だが、今のハインツ殿はものすごい形相だ。冷徹な眼差しで、目の前のガタイ男を睨みつける。
右腕を前に伸ばしている。手には何かを握っていて、それをガタイ男に向かって突きつけている。
「なんだ、お前は!なにしにきや……」
ガタイ男がハインツ殿に掴みかかろうとした時、またもやバンッという乾いた音がした。青白い光とともに、そのガタイ男は吹き飛ばされる。
銃だ。ハインツ殿が持っているのは、銃だ。妾は確信した。
銃で撃たれたガタイ男は血を出しながら床に倒れ、そのまま動かなくなってしまった。もう1人のガタイ男が肩を揺さぶるが、もはやそこにあるのは、人の形をした砂袋のようだ。
もう1人のガタイ男は、妾を掴む。ナイフを突きつけて、ハインツ殿に向かって叫ぶ。
「おい!手を出してみろ!このお嬢さんの命はない……」
ハインツ殿は冷徹な表情のまま、無言で銃の引き金を引く。青白い光が男の頭を貫き、妾を抱えたまま倒れた。
「こ、殺さないでくれ……」
壁際に追い込まれた痩せ男は、ハインツ殿に命乞いをする。が、ハインツ殿はかまわず引き金を引く。バンッという音とともに、その痩せ男も倒れる。
そして、ハインツ殿は妾の方を向いた。
こんな冷徹な顔のハインツ殿は、いまだかつて見たことがない。
妾が知る、あの優しくて、少し優柔不断なハインツ殿は、ここにはいない。ためらいもなく3人の男を銃で撃ち、妾をその冷たい視線で見つめるハインツ殿。もはやこやつは、妾のしらないハインツ殿である。
そのハインツ殿が、妾のところに歩み寄る。そして、ゆっくりと肩に手をかける。妾はこのハインツ殿から恐怖を感じた。あれは革命の時に妾を捕らえようと襲いかかってきた兵士を見た瞬間に覚えた、あの恐怖と同じものだった。
するとハインツ殿は、妾を抱きしめた。妾の身体をぎゅっと抱きしめたまま、ハインツ殿が言った。
「……よかった、無事で……」
それを聞いた瞬間、妾から恐怖は消える。元のハインツ殿に戻ったようだ。そう思った瞬間、妾の中にハインツ殿への何かを感じた。
これまで、妾はハインツ殿との結婚を、生活のため、王家存続のためと思っていたところがあったように思う。
だが、この時初めて、妾はハインツ殿のことが愛おしくなった。
できることなら、このままずっと抱きしめていて欲しい。まだ手足と口を縛られたままの妾ではあるが、もはやそんなことなどどうでもよかった。
「ジェスティーヌさん、遅れてごめん。すぐに手足と口を解いてあげるよ。」
そういってハインツ殿は、妾の口に巻かれた布を解く。
「は、ハインツ殿~~!」
妾は思わず泣き出してしまった。それを見たハインツ殿は、妾の背中をポンポンと叩く。そして、手足のロープを解く。
すぐに警察がやって来た。妾は部屋の外に出る。中ではハインツ殿が、警察に事の顛末を話していたようだ。妾も警察からいくつか質問をされて、それに応える。
ハインツ殿が倒した男は3人、内2人は即死、1人は足を撃たれただけで、軽傷だった。あの時倒れたのは、気を失っただけのようだ。
しばらくして目を覚ました痩せ男は、そのまま警察に連行される。妾とハインツ殿も警察に行き、しばらく話をした。
途中、メアリーと侍従長が駆けつけて来た。なかなか戻ってこないので心配になって探していたら、事件のことを知ったらしい。無事な妾の姿を見ると、2人とも泣き出した。
ようやく事件の調べが終わって解放されたのは、夜遅くのことであった。屋敷に変えるため、ハインツ殿の車に乗り込む。
「そういえば、まだ夕飯食べてないよね。」
「そうじゃな、しかし警官どもめ、何度も同じ質問をしおって……」
「まあまあ、そう言わずに。無事助かっただけでもよかったよ。」
ちなみにハインツ殿は2人殺してしまったが、正当防衛ということでお咎めなし。あの時撃たなければ、死んでいたのは妾かもしれないのだから、死んだ2人には申し訳ないが、当然の処置だろう。
「この時間じゃあ、ファーストフードしか開いていないなぁ……」
「よいぞ!久しぶりに行こうではないか、その店に。」
「えっ!?いいの!?でも、安っぽい食事しかないよ……」
「よい。妾はダブルチーズバーガーというやつを頂きたい。あと、紅茶もじゃ。」
「そうですか、では、行きましょうか。」
すっかりいつものハインツ殿である。初めて会った時も、こんな感じであったな。
そう、ハインツ殿と妾は、初めて会ったあの夜にいった、あの店に向かっている。
「いらっしゃいませ!こちらでお召し上がりでしょうか?」
「はい。食べていきます。ダブルチーズバーガーのセットを2つ。」
マニュアル通りの台詞で受け答えする店員。食べ物を注文するハインツ殿。思えばあの時も、このようであったな。わずか2か月ちょっと前のことだが、懐かしく感じる。
「さ、ジェスティーヌさん、食べましょうか。」
ハンバーガーを頬張るハインツ殿。妾は思わず、そんな優しげなこの王子の顔に見とれてしまう。
しかしこの王子、あのような顔もするのだな。妾のために、まるで悪魔にでも取り憑かれたような冷徹な顔。しかし、悪魔に取り憑かれても妾を忘れず、こうしていつもの優しい男に戻ってくれる。
そんな姿を見せられて、惚れずにおれようか?これが、男に惚れるということなのだろう。
ハンバーガーを頬張りながら、妾はハインツ殿という男に巡り合わせてくださった父上ら王族の魂に、感謝していた。