#3 異文化の街
「あの、ジェスティーヌさん。その、結婚はともかくとして、まず着るものをどうにかしないといけませんね。」
今、妾が着ているのはハインツ殿のパジャマという衣服。妾よりも背の高いハインツ殿の着物ゆえ、大き過ぎて手足の袖をまくってなんとか着ている状態だ。
「そういえばハインツ殿、昨日まで妾が着ていた服はどこか?」
「ああ、あれですけど、昨日の夜にですね、自動洗濯機にかけておいたんですよ。」
風呂場の方に向かうハインツ殿。風呂場の手前の小さな部屋に、妙な箱と戸棚があった。ハインツ殿は、その戸棚の扉を開ける。
すると。妾のワンピースが畳まれて入っていた。綺麗になっている。いつのまに洗ったというのだ?
「この通り洗濯して綺麗にはなったんですが、あちこちがほころんでまして……なので、新しい服を買った方がいいと思うんですが。」
「そうか。妾はすでにそなたの妻じゃ。そなたに従おう。」
「そ、そうですか。今日、明日は幸い休みですし、ショッピングモールにでも行きますか。」
妾はそのワンピースに着替えて、ショッピングモールという場所に行くことにした。
また馬なし御者なしの馬車に乗り、街へと出る。空を見上げると、あの灰色の駆逐艦という巨大な船が浮かんでいる。この街はこの首都のすぐそばにあった空き地に新しく作られたばかりで、あちこちで建物を建てているようだった。
だが最近、そのショッピングモールと呼ばれる大きな市場のような場所ができたそうだ。中には食材だけでなく衣服、食器に道具類などを売る店がたくさん集まっているところそうだ。
なるほど、市場に行くのか。このとき妾はかつて訪れたのことのある王宮のそばにあった市場のことを思い浮かべていた。
だが、そのショッピングモールとやらに着くと、妾は驚愕する。
そこで妾が見たのは、とても「市場」などと呼べるものではない。
そこにあったのは、巨大で真四角で、宮殿のように豪華な建物。大勢の人が、その建物の中に向かって歩いている。
これが市場だと言うのか?もはやこれは、王宮ではないか。いや、王宮よりもはるかに大きい。
馬車を真っ黒な地面の広場の真ん中に止め、そこからその王宮のような建物に向かって歩く。他の者も同様に、馬車を止めて建物に向かうようだ。一体、彼らはどうしてあの王宮に向かっているのか?まさかあそこでは、社交界でも開かれるのだろうか?
だが、王宮に向かうには、正装とは到底言い難い服装ばかりである。色とりどりではあるが、男子の服には装飾がなく、女子の服のスカートの丈は短すぎる。とても社交界に向かう姿とは言えない。やはりここは、本当に市場のようだ。
そして、その王宮すら凌駕している巨大なショッピングモールという場所に、妾はついに足を踏み入れる。入り口を潜ると、そこには王宮以上に高い天井の円形のホールのようなところに出る。建物というよりは、まるで王都の広場のような場所。その円の中央の天井には何かが書かれた垂れ幕がぶら下がっており、そのホールの周囲には店が立ち並んでいる。その奥は4層重ねの構造となっており、上の階層へ行くための階段がところどころ設けられている。
それぞれの階層には、大勢の人がいる。王都の街人のような姿のものもいれば、見たことのない色合いと形の服を纏う者もいる。
「ジェスティーヌさんの服を売っている店は、2階にありそうですね。」
黒い板を眺めていたハインツ殿はそう言うと、一つ上の階層に向かうための階段へと向かう。
だが、その階段がどうにもおかしい。この階段は上に流れており、人はただその階段に乗るだけで登ることができる。反対側には、下に動く階段がある。どちらも、これに乗るだけで移動できるというのだ。王宮にもこのような階段はなかった。なんという不思議で贅沢な階段か。
上の層に着くと、たくさんの店が並んでいる。店の前には看板が置かれているのだが、この看板に描かれた絵が動いている。ハインツ殿が時折使う黒い板の大きなものが使われているようだ。きらびやかで、人々の欲を駆り立てているような動く絵が、そこには現れている。
まずは仕立て屋に向かう。驚いたことに、ここはすでに仕立て終わった服がたくさんあり、自身の身体に合ったものを選ぶという仕組みなようだ。おかげで、すぐに新しい服を着ることができる。
そこで妾は、この街では普通の服を頂いた。半袖のTシャツ、短いスカートの服を着せてもらう。それにしても、随分と軽い服だ。
「あの、ちょっと刺激的すぎですかね?」
「いや、かまわん。動きやすくて、妾は気に入った。」
「そうですか、では、それ以外の服もついでに買っておきましょうかね。」
着替えを何着か選び、妾用のパジャマも購入。服だけでなく、別の店で食器も買った。
「そうだ、ジェスティーヌさんのスマホも買った方がいいですね。」
「スマホ?なんじゃ、それは?」
「これですよ。」
そう言ってハインツ殿が見せてくれたのは、時折取り出しては見ていた、動く絵の映るあの黒い板だった。ああ、これはスマホというものなのか。
「うむ、頂けるのであればありがたいが、妾に使いこなせるのか?」
「大丈夫、色々あるんですよ、スマホにも。」
妾はハインツ殿について行く。動く階段を使い、2つ上の階層に行くと、そのスマホというものが売っている店に着いた。
そこには、ずらりと四角い板が並んでいた。妾はそこで、スマホというものにはたくさんあることを知る。
前面はほとんど変わらないが、大きさや背面の色と装飾の違いで、様々なスマホがある。妾はたくさんのスマホを見て回る。
「ハインツ殿、種類が多すぎて決められぬ。色と大きさだけで決めればよいのか?」
「そうですね、それよりもジェスティーヌさんはまだこちらの文字が読めませんから、この星の人向けのものがいいですね。」
そう言いながら、たくさん陳列された中から、中くらいの大きさのスマホを取り出す。それを妾に見せる。
このスマホ、妾にも読める文字が書かれている。ハインツ殿によれば、この国の文字と、ハインツ殿達が使う文字の両方が使われているそうだ。
そういえば、ハインツ殿とは言葉が通じるのに、文字は違う。いや、ハインツ殿はそもそも異国の者だから、言葉すら通じないのが当然だが、遥か遠くの星の世界からやってきたというのにハインツ殿の話す言葉は通じる。一体、なぜなのか?
「ああ、それはですね、ジェスティーヌさんが『統一語』を話しているからなのですよ。宇宙の共通語である統一語、たまたまジェスティーヌさんはその共通語を話していただけなんです。」
どうやら妾の言葉は、星の世界ではよく使われる言葉らしい。それにしても、ハインツ殿と言葉は通じるものの、時々何を言っているのかわからない言葉も多い。成り行きとはいえ、妾はハインツ殿の妻となった。もっとここのことを、知らなければならない。
ハインツ殿から妾のスマホをいただく。だが、妾にはこのスマホの使い方が分からない。そこで、とりあえずすぐに使える3つの使い方を教えてもらった。
一つ目は、言葉を調べる方法。「アプリ」と呼ばれる、画面の上に並べられた小さなマスのようなものを指で突くと様々な機能が使えるそうだが、調べ物をするときは虫メガネのような絵が描かれたアプリを指で突く。そこで知らない言葉を頭に念じれば、このスマホが勝手にそれを読み取ってくれてその言葉の意味を表示してくれる。
ただ、このアプリでは、その言葉の意味を妾の知る文字では表示してくれない。だが、ある部分を指で突くと、この文字を読み上げてくれる。これなら、困ったときにいつでも調べられる。
二つ目は、写真というものを撮る方法。今、目の前にある風景を絵として取り込むことができるのだという。
これも「写真アプリ」というやつを指で突いて、撮りたい風景に向けて丸い絵柄を押す。すると、目の前の風景が取り込まれる。
なお、これを使って読めない文字を写すと、先ほどの言葉を調べるアプリが起動して、その文字の読み方と意味を教えてくれるそうだ。うむ、なかなか便利な奴だ。
そして三つめは、「地図アプリ」。今いる場所を教えてくれるアプリだという。
画面上には、このショッピングモールの地図が書かれている。妾のいる場所が青い点で表されている。2本指でつまむように動かすと、広い範囲を見たり、狭い部分の詳細な地図を見たりできる。これも便利なアプリだ。
このアプリには、妾の場所だけでなくハインツ殿の場所も出てくる。地図上の赤い点がハインツ殿のいる場所だそうだ。これならお互いはぐれても、すぐに見つけられる。なお我々の屋敷の場所も入っており、1人で出かけても、これを使えば家に戻ることができる。何という便利なアプリなのだろうか。
驚いたことに、これ以外にも遠くの人と話をしたり、ものを売買したり、音楽や映画というものを楽しむ等、様々なことができるという。だが、妾には今の3つで手一杯。慣れてきたら、他のアプリとやらも使ってみることにしよう。
スマホを手に入れたあとは、ハインツ殿と食事を食べる。ショッピングモールの中のフードコートと呼ばれる場所にやってきたが、ここはたくさんのテーブルが並び、皆がそれぞれ何かを食べている。
周囲には、たくさんの食べ物を売る店が立ち並ぶ。昨日の夜、ハインツ殿と食べたあのファーストフードとかいう店もここにはある。他にも厚いステーキ肉を出す店、パスタやサラダを出す店など、いろいろあって目移りしてしまう。
そこで妾は奇妙な店を見つけた。全体がきつね色の衣で覆われた食べ物を売るお店。おそらくこれは揚げ物であろうが、あまりに綺麗なその衣。なぜか妾はそれが、気になってしまう。
「あれ、ジェスティーヌさん、フライドチキンが気になるんですか?」
「フライドチキン?なんじゃそれは。」
「鶏肉を揚げたものですよ。昨日のハンバーガーと同じ、ファーストフードの一種ですけど、食べてみますか?」
この街の食べ物は、見た目で判断してはダメだ。何事も食べてみないと分からない。妾は、このフライドチキンとやらを食べることにした。
昨日のファーストフードの店と同じような組み合わせが出てきた。ストローという楽に飲み物を吸い出す細長い筒の挿さったコップと、ジャガイモを揚げたポテトという食べ物。唯一違うのは、このきつね色のこの食べ物だけだ。
揚げ物だということは分かる。手に取ると、脂がべったりとつく。ハインツ殿はそれをがぶりとかじりついている。ハンバーガーもそうだが、手で直接持ちかぶりつく料理がここでは人気のようだ。品のない食べ方だが、妾もハインツ殿をまねて、かぶりついた。
なんだこれは、確かに鶏肉の味、しかし妾の知る鶏肉の味ではない。香辛料が使われているのは確かだが、それだけで出せる味ではない。パリッとしたきつね色の衣と、中の柔らかな鶏肉の食感がまた絶妙だ。
なにゆえ彼らはごく普通の食材をここまで技巧的に美味しく仕上げてしまうのであろうか。食に対するこだわりが強すぎる。そのおかげで妾は食べたことのない味に出会える。
ステーキ肉を扱う店があったが、あれはどう見ても単なる牛肉を切り出しただけのもの。とても技巧的な何かが入り込む余地がなさそうだが、ハンバーガーにフライドチキンというこれほどのものがあるにもかかわらず、そのステーキ肉の店もかなりの客を引き寄せている。ということは、妾の知るステーキ肉とは違う何かがあるのかもしれない。このフードコートという場所は、底知れぬ何かを感じる。今度来たときは、別のものを食べてみようか。
こうして、ショッピングモールを堪能した妾とハインツ殿は、馬車で外に出る。そこでハインツ殿が妾に話しかける。
「あの……もう一度確認しますが、本当に私の妻になります?引き返すならば、今のうちですが……」
「よい、もう誓いも交わした。すでに妾はそなたの妻じゃ。」
「じゃあ、こっちの方法での『誓い』を交わしちゃっていいですか?」
「よいぞ、だが、どうするのじゃ?」
「ちょっとある場所に行かなきゃいけないんです。今から向かいますね。」
そういって、ハインツ殿は馬無し馬車を走らせる。着いたのは昨日、妾が追い返されそうになったあの門のそば。馬車を停めて、ガラス張りの扉の奥に入っていく。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件ですか?」
「ええとですね……こちらの方との婚姻届けを出したいのですが。」
「ご結婚ですか、おめでとうございます!では、書類を準備いたしますので、少々お待ちください。」
どうやらここは、この街の中の役所のようなところらしい。婚姻届けというものを渡されたハインツ殿。なにやらペンで書き込んでいる。
「あの、ジェスティーヌさん。」
「なんじゃ。」
「ここに、ジェスティーヌさんの署名を書いてほしいのです。これを書くと、我々は正式に婚姻関係となるんです。」
「そうか。分かった。」
「ですが、よろしいのですか?まだ出会って1日も経っていないんですよ?そんな相手と婚姻関係になることに、抵抗はないのですか?」
「王族となれば、相手に会う前から婚姻が決まるのが常じゃ。むしろ妾は結婚前にその相手をよく見た方であろう。なかなか刺激的で、楽しい一日であったし、妾は何も抵抗などないぞ。」
「そうですか。ジェスティーヌさんがよろしければ……」
妾はその署名欄に、インクなどつけずとも書ける不思議なペンで名を書く。そしてその書類を、役人に渡すハインツ殿。これで正式に、この街でも妾はハインツ殿の妻ということになった。
その役場で、2つのものをもらう。1つは居住証。これを持っていると、この街で居住できるという証明だ。ただ、この証明書はこの街の中にいる限りは持ち歩かずとも、妾の指先にある指紋がその代わりになるという。
そしてもう1つは、赤いボタンだ。今この王都、いや、首都は治安が悪い。そのため、いざという時にこれを押せば、救援が駆けつけるという。
さてその夜、夕食を食べた後、妾は風呂に入る。さすがに王子に身体を洗わせるわけにはいかず、今日は1人で何とかやりきる。
2日続けての風呂。つい2日前までは考えられなかった生活。王子と出会えて、妾は本当に救われた。
「2階のベッドを整えておきましたよ。」
風呂から上がり、今日買ったばかりのパジャマを着てリビングに来ると、ハインツ殿が話しかけてくる。
妾が2階に上がってしばらくすると、ハインツ殿はベッドに向かったようだ。この狭い屋敷の中は、急にしんと静まりかえる。
妾はベッドの中で考えた。この2日足らずのうちに、妾は信じられない体験をした。
真夏に氷の入った飲み物を惜しげもなく飲め、まるで王宮のような市場に出向いて、着心地の良い服を何着も買う。暖かく心地よい風呂にも入ることができた。それもこれも、ハインツ殿という高貴な人物に偶然出会えたからだ。
監獄から放り出され、そのままのたれ死にすると覚悟した矢先に、突如妾の前に現れたハインツ王子。
なんという偶然……いや、これは偶然なのか?監獄を出たばかりの妾が、いきなり星の国の王子になどに、偶然出会えるものであろうか?
もしやこれは、無念にも殺された父上や兄弟、王族の魂が導いて下さったのではなかろうか?これほどの出会いが、とても偶然に起こることなどあり得ない。
となれば、一体父上らは何を思って妾をこの王子と引き合わせたのであろうか?
妾は王族最期の血筋。それが強大な王国の王子とつながれば、いつの日か王国再興を成し遂げることもできよう。父上らの魂はお家再興のために、妾とあの王子を引き合わせた。そう考えるのが妥当であろう。
それが死んでいった王族達の意志であるならば、妾は王族最後の生き残りとしてその血筋を残さねばならぬ。
妾はベッドから起き出し、階段を降りる。そしてリビングを抜けて、ハインツ殿の寝ている部屋に入った。
「あ、あれ!?ジェスティーヌさん、どうしましたか?」
まだ布団に入ったばかりであろうハインツ殿は、突然部屋に入ってきた妾を見て飛び起きる。
「今宵から、妾はそなたと共に寝ることに致す!」
「ええっ!?突然、どうしたんですか!?」
「妾は王族最後の生き残り!王子と共に、未来永劫この血筋を守らねばならぬ!」
「えっ!?血筋を守るって……」
「決まっておる。嫡男を生み、育て、再び我がフレメンス王家の再興を果たすのじゃ。」
「いや、どうやって!?」
「なんじゃ、子作りの方法も知らぬのか?王子のくせに。」
「いや、大体わかりますよ。大体ですけど……」
「ならば、話が早い。早速始めるぞ!」
妾はパジャマを脱ぎ始める。素っ裸になり、王子の前に立った。
「あ、あの……ジェスティーヌさん?」
唖然とするハインツ殿。妾は叱責する。
「もはや我らは夫婦の誓いを果たしておるではないか!王子ともあろうものが、女子の姿を見たくらいで、何を怖じ気ついておられるか!」
「あ、いや、あまりに突然のことだったので……」
「なんじゃ、女子の相手は初めてか!?じゃが、妾には王国に伝わる秘伝の心得がある。そなたは、妾のいう通りにしておればよいのじゃ。」
妾はハインツ殿のパジャマのボタンに手をかける。胸のボタンから、ハインツ殿の激しい鼓動が伝わってくる。
「う、うわあ!ジェスティーヌさーん!」
我が王家の魂が引き寄せた2人ゆえ、この運命から逃れることなどできまい。妾は、ハインツ殿に襲いかかる。
が、この王子、さっきまで怖じ気ついていたくせに、いざ始まるとこやつ、なかなかのものである。むしろ、先手を取ったはずの妾の方が遅れをとってしまった。うむ、さすがは王子であるな。