#2 王子現る
「これは少佐殿。我々は宇宙港の街に忍び込んだこの星の住人を、こちら側に返してきただけでして……」
「だからといって、無下に返していいものではないだろう。我々はこの星の住人と共生しなければならないのだぞ!やり方というものがあるんじゃないのか!?」
「いえ、しかし、規則ですから……」
「その規則にこだわって、この星の人達とトラブルを起こすのは得策ではないだろう。」
「いや、しかし……」
この「少佐殿」という者、少なくともこの2人よりは身分が上の者のようだ。何やらあの騎士風の2人組に、妾のことを聞いている様子だった。
「……分かった。では、私が面倒を見ることにしよう。私が同伴ならば、とりあえずこの街への立ち入りは大丈夫ではないか?」
「は、はい、少佐殿。ではとりあえず、一時立ち入り証を発行いたします。それで3日程度は居られます。」
「分かった。じゃあ、手続してくれ。」
この少佐殿、てきぱきと2人の騎士を動かし、なにやら許可証のようなものをもらったようだ。そして妾は、再び門の中に戻される。
「さてとお嬢さん。あなた、どこから来たんですか?」
「うむ、監獄じゃ。」
「ええっ!?か、監獄?あなたもしかして、元囚人なのですか?」
「いや、囚人ではない。妾は王族じゃ。1年ほど前に起きた革命で王宮を追われ捕らえられ、今朝までずっと監獄に閉じ込められていたのじゃ。」
「えっ!?じゃああなたもしかして……我々が来る直前までここにあったという王国の、お姫様ってことですか?」
「うむ、姫じゃ。妾の名は、ジェスティーヌ。フレメンス王国、ルシフェル 7世が娘である。」
「ところで、その姫様が一体どうしてこの宇宙港の街に来たんです?」
「今日から自由の身だと、突然監獄を追い出された。路頭に迷っておったら、巨大な砦のようなものが空を飛んでいたので、何事かと思い追いかけてきたのだ。どうせ野垂れ死ぬなら、せめてあの砦の正体を知ってから死のうと思うて、ここにたどり着いた次第なのだ。」
「砦?何のことです、それは?」
「王宮よりも大きくて、長細い灰色の石造りのものじゃが……」
「ああ、それはきっと駆逐艦ですね。砦ではありませんよ。」
この男、あの砦のことを知っているようだ。妾はさらにその「駆逐艦」というものについて聞こうとしたが、腹が減って力が出ない。妾はそこでへたり込んでしまう。
「じぇ、ジェスティーヌさん!大丈夫ですか!?」
「は、腹が減って動けぬ……何か、食わしてたもれ……」
情けないことだ。これしきの空腹に耐えられぬとは。最後の王族らしく華々しく散る覚悟だったのに、街に放置されて空腹に負けて、どこぞの見知らぬ者に食べ物を恵んでもらうよう頼み込む。情けない限りだ。
少佐殿はそんな妾をおぶって、馬車のようなものに乗せてくれた。
「まずはどこかで何か食べましょう。もう少し、我慢してください。」
そう言うと、そのまま妾を連れて走り出した。なんと、これは先ほども見た、あの馬のない馬車だった。
そういえばこの男は、先程のあの騎士風の男2人に命令していた。しかも、馬車を保有している。もしやこの男、貴族か上級の騎士ではないか?
「ええと、この時間にやっているお店は……」
それにしてもこの馬車は妙だ。御者もおらぬのに走り出す。少佐殿は、脇に置かれた明るく光る四角いものをぶつぶつ言いながら触る少佐殿。その四角いところも、なにやら地図のようなものが描かれている。しかもそれは動いていた。これは一体なんなのか?何をしていると言うのか?
そして、とある場所に着いた。妾はそこで降ろされる。
そこは小さなお店のようだった。しかしすでに夜だというのに、中はとても明るい。
「すいません、ファーストフードの店しか開いてなくて。粗末な料理しかありませんが、我慢して下さい。」
「いや、監獄生活が長く、粗末な料理には慣れている。なんでも良いからいただければありがたい。」
少佐殿は妾にそういったが、それにしてもこの店はとても粗末な料理を出す店には見えぬ。確かに小さな建物だが、ガラスがふんだんに使われており、こんな夜更けに灯りが煌々とともされている。
「いらっしゃいませ、こちらでお召し上がりでしょうか?」
なんと店に入るや、侍女と思しき者が少佐殿に深々と頭を下げてきた。これを見るとやはりこの男、只者ではない。騎士以上の者であることは明白だ。
「はい、ここで食べていきます。じゃあ、このダブルチーズバーガーのセットを2つ。」
「ダブルチーズバーガーセットを2つですね。お飲み物はそれぞれ、どうなさいますか?」
「そうだな、1つはコーラで、もう1つはアイスティーでお願いします。」
「かしこまりました。オーダー!ダブルチーズバーガー2、ポテト2!」
この侍女、さらに奥にいる召使い達に命令している。奥にいるのは男達だ。男に命令するとはこの侍女、それなりの身分の者なのだろう。
あっという間に食べ物が揃う。早い、もうできたのか?それを茶色い板のようなものに乗せる。
「お待たせいたしました。ごゆっくりお召し上がり下さい。」
また頭を深々と下げるこの侍女。だがこの侍女、頭は下げるが、料理は運ばない。なんとそれを少佐殿に渡す。なんと無礼な侍女であろうか?だが少佐殿は特に気にすることもなく、料理を受け取って運んでいる。
小さなテーブルの上にそれを置く少佐殿。妾は椅子に腰掛ける。
妾はその料理を見る。それは、見たこともない料理ばかりだ。1つは異国の文字が書かれた上質な紙包みに包まれたもの、もう1つは黄色く細長いものがたくさん入っている紙の箱。そして紙できたコップに、半透明な蓋がされていて、その上から赤く細長い棒がささったもの。どれも奇妙なものばかりだ。
「とりあえず、ジェスティーヌさんのは紅茶にしておいたんですけど、ガムシロップ入れます?」
「ガムシロップ?なんじゃそれは?」
「砂糖みたいなものです。入れると甘くて美味しいですよ。」
「じゃあ、入れてもらおうか。」
そういうと少佐殿は、妾の前のこのコップの半透明な蓋を開ける。そこに小さくて透明な容器に入ったガムシロップとやらを流し込み、赤く細長い棒で混ぜ始める。
そのコップの中には、透明なものがいくつか入っていた。それは紛れもなく氷だ。今は夏の真っ盛りのはず、なぜここに氷があるのか?
蓋を閉じ、妾に渡す少佐殿。しかし一体、この紅茶はどうやって飲むのだ?わざわざ蓋などつけおって、飲めないではないか。
と思って少佐殿を見ると、赤く細長い棒の先端をくわえて吸っている。よく見ればこの赤い棒、中は空洞になっている。妾もそれをくわえて吸ってみた。
冷たくて甘い紅茶が口の中に入ってくる。なるほど、これは楽に飲める飲み方だ。ただ吸うだけで口に入ってくる。しかもこの紅茶、とても冷たい。氷が入っているだけのことはある。この夏の暑さには有難い飲み物だ。
続いて、黄色い棒状のものに手を出す。なんとなくこれがジャガイモだということはわかったが、なぜこんなにも細長く切っているのだろうか?
それを一つつまんで口に運ぶ。口に入れて再び妾は驚く。これがジャガイモの味か?塩と油が加わり、ほんのりと暖かいそのジャガイモは、これまでになく美味しい食べ物だった。
監獄でもジャガイモはたくさん食べた。中途半端に煮付けられた、パサパサとした食感だったが、こっちのジャガイモはカリッとしていて、粉っぽさは感じられない。
何よりも暖かい。暖かい食事など、1年ぶりだ。妾は思わず無心に食べ続ける。
「ポテトばかりでは虚しいですから、そのハンバーガーも食べてください。」
「……ん?ハンバーガー?なんじゃそれは?」
「その紙包みのやつですよ。こうやって出して、かぶりつくんです。」
少佐殿は包みを開け、中にあるものを取り出してがぶっとかぶりつく。
このポテトというやつもそうだが、ここはフォークやスプーンといった食器を使わない食べ物ばかりだ。何という品のない食べ方であろうか。そう思いながら、妾も紙包みを開ける。
それを見て、妾にはまた衝撃が走る。
肉だ。肉が入っている。おまけに黄色いもの、これはチーズではないか。それも、とても柔らかいとても上質なチーズだ。
これらを挟むパンも、ふわふわと柔らかくて上質なパンだ。なんだこれは?このような高級な食材を使って、あのように品のない食べ方をするのか?
妾も一口食べる。食べた瞬間に、このハンバーガーという料理の奥深い味を知る。
まず肉の味と食感だ。とても柔らかくて、しかも臭みがない。明らかにこれには、香辛料が使われている。
王宮の料理でも、高価な香辛料を使った料理は限られている。にも関わらず、こんな品のない食べ方をする食事にも香辛料を惜しげも無く使っている。なんなのだ、ここは。それに、チーズやパンの組み合わせが一段と食欲をそそる。
少佐殿はこれを粗末な食べ物といっておったが、とんでもない。王室でも滅多に味わえぬチーズと香辛料をふんだんに使い、おまけに真夏に氷を使っておる。これをあたかも粗末な料理のように食べる。なんと言う贅沢か?
この食事を見て思う。この少佐殿、実はとんでもない身分なのではあるまいか?先程から少佐殿に命令口調で話す者が現れない。つまり、それだけ身分の高い人物なのだろう。
「なあ、少佐殿。そなたはいつもこのように高価で品のない食事をされているのか?」
「えっ!?高価!?いや、安いですよ、ここの食事は。それにいつも利用しているわけではないですよ。でもまあ、夜遅く帰るときはお世話になってるかなぁ、ここは。」
なんと、ここの食事を安いと言ってのけた。この豪華な食材を使った食事が、この男にとっては本当に粗末で安い食事なのだ。やはりこの男、ただ者ではない。
「それから、私の名は『少佐殿』ではないですよ。私はハインツと言います。地球332の遠征艦隊の第15小艦隊で幕僚をしているんです。」
「なんじゃ、その幕僚というのは?」
「艦隊指揮をとる司令官閣下の補佐役ですよ。作戦の立案から戦闘時の状況報告、命令伝達などをやってます。今はこの星での人材育成のための、教練所設立準備をしているところですね。」
ハインツ殿はそう言ったが、正直、何を話しているのかが分からない。あーす332?ばくりょう?ただ、今の話ではどうやら戦に関わるもののようだ。司令官という偉そうな者を手助けする立場らしい。
我が王国では、軍の指揮をとるのは王と決まっている。つまり、その司令官というのはきっと王のことだろう。その王に意見を言える立場ということは、公爵かそれとも王子かだろう。
しかしハインツ殿はまだ若い。貴族であったとしても、まだ当主と言える年齢ではなさそうだ。この若さで王に助言できる者となると、王子しかいない。
これではっきりした。偶然にも、妾はこの街を牛耳っている身分の人物に出会えたようだ。それはつまり、革命を起こし、妾の身分を奪った共和国政府とも関わりのあるものに違いない。ならばこのハインツという男を、もっと探らねばならない。妾はそう考えた。
「ところでジェスティーヌさん。あの……身体中がとても埃っぽくないですか?」
「そうか、それはそうだろう。週に一度しか水浴びをさせてもらえなんだし、服は革命が起きたその日からずっと同じものを着ておる。」
「うわぁ……そうだったんですか、それもなんとかしないといけませんね。どうしようか……」
ハインツ殿はそう言うと、何かを取り出した。白くて小さな四角いもの。それを指で触り始める。
覗いてみると、そこには絵と文字が描かれている。指の動きに合わせてするすると動くその絵や文字を眺めて、ハインツ殿はうなっている。
「うーん、今からチェックインできるホテルはないなぁ。うちなら部屋が一個開いてるけど、まさか女の人を泊めるわけにはいかないし。どうしようか?」
どうやら、妾の寝泊まりする場所を探しているようだ。妾はハインツ殿に言った。
「そなたの屋敷で良いぞ、妾は。」
それを聞いたハインツ殿は驚く。
「は?いや、まずいですよ、独身男性の一軒家に来るなんて。」
「なんじゃ、独身というても、そなたほどのものならば、侍女の1人や2人はおるのではないか?」
「そんなものいませんてば。いや、でももうホテルもないし、しょうがないな……仕方がない。じゃあ、私の家の2階にお泊めします。それでいいです?」
「よい。どのみち広場の片隅で寝るつもりだったのじゃ。ありがたいことこの上ない。」
「分かりました。では、行きましょうか。」
食事を終えて、ハインツ殿の馬車に乗る。馬も御者もなく走るこの馬車は、小さくて同じような形の建物が並ぶ場所についた。
「さ、着きましたよ。ここが私の家です。」
王子ほどの身分の者が住むには、あまりに小さな屋敷だ。2階建てで、せいぜい騎士が住む程度の家にしか見えない。
王子をこんな場所に住まわせるとは、ここの王はよほど厳しいお方なのだろう。妾の国を奪ったものの1人だと思っていたが、少しこのハインツ殿が哀れに思えてきた。
「どうしました?ジェスティーヌさん。」
「いや、そなたも苦労しているのだと思うと、少し考え込んでしまってな。」
「はい?」
妾とハインツ殿は、その小さな屋敷に入る。しかしこの屋敷、小さいわりに灯りがとても明るい。こんな夜更けにこれほどの明るい灯りを使えるなど、なんという贅沢だ。小さな屋敷に住んでいても、やはりこやつは王子だ。
屋敷に入ると、次々に灯りをつける。中はやはり狭いが、整然としている。奥の広い部屋には長椅子とテーブルが置かれており、その前には黒くて四角い大きな額縁のようなものが置かれている。だがこの額縁、絵もなく真っ黒だ。
「さて、まずはお風呂に入りましょうか。ええと、パジャマと下着は私のを使うとして、タオルは……」
ハインツ殿はさらに奥の部屋から何かを持ってくる。着替えと大きなけばけばな布を持って一旦部屋を出る。通路の奥にある、風呂場という場所に通された。
「これをひねると、お湯が出るんです。髪と身体を濡らしたのちに、このシャンプーで髪を洗っていただいて、それから……」
「うむ、さっぱり分からぬ。そなたが洗ってはくれぬか?」
「ええっ!?私がやるんですか!?だってジェスティーヌさん、そんなことしたら私に裸姿を見られることになりますよ!?」
「構わぬ。監獄では水浴びの度に看守に見られっぱなしであった。そういうことには慣れている。」
「いやぁ、大変だったんですね……って、私が慣れてないんですが!」
「ここまできたら、やるしかなかろう。そなたそれでも、国を預かる者か!」
「いや、そんな大げさな。でも軍人なので、星を守るものには違いないですけど。」
「ならば、妾の身体などで怯えることはなかろう。さっさと致せ。」
急にこのようなものを使えと言われても、全く分からない。第一、妾が王宮にいる時は、侍女に洗ってもらっていた。ましてやここは王宮の浴場とも違う。妾に身体の洗い方など分かるわけがない。
妾は服を脱ぐ。そのままハインツ殿と風呂場に入る。
「じゃ…じゃあ、行きますよ!こいつをひねると、こうやってお湯が出てですね……」
ハインツ殿は大きなつまみのようなものを動かす。すると、水が出てきた。
吹き出すように出てくるその水。井戸から汲み上げて持ってくるのではなく、つまみをひねるだけで湧き出てくるとは便利だ。一体どういう仕組みなのだろうか?
しかも、触ってみるとそれはお湯だった。とても暖かい。いくら夏とはいえ、冷たい水よりはありがたい。
「あの、お湯加減はいいですか?」
「うむ、よい加減じゃ。」
「では、髪の毛から洗いますね。頭を下げてもらえます?」
妾が頭を下げると、お湯をざーっとかけられる。一通りお湯が行き渡ったところで、今度は妙な液をかけられる。
それは擦ると、泡が出てくる。これは石鹸のようだ。妾の長い髪全体に石鹸の泡が行き渡る。
そして再びお湯をかけられる。泡は一気に流れ落ちる。
今度は、身体を洗い始めた。背中を石鹸のついた柔らかい布で擦るハインツ殿。
「あの、前の方はご自身でお願いできますか?」
妾にその布を渡そうとするハインツ殿。妾はそれを受け取ろうとしたが、ハインツ殿があまりにも狼狽しているから、つい面白くなってこう言った。
「よい、そのまま前もお願いする。」
妾が向きを変えると、ハインツ殿は悲鳴をあげて狼狽し、目を閉じて必死になって妾の身体を洗う。からかい甲斐があるな、この王子。
で、再びシャワーという仕掛けでお湯を出して洗い流す。その後、横の浴槽に入るよう言われ、妾は入った。
久しぶりの暖かいお風呂だ。美味しい食事に暖かい浴場。1年前、決起した群衆が王宮に押し寄せ、捕らえられた妾はそのまま監獄に入れられたが、あの日以来のまともな食事と浴場だ。いや、今日の方がむしろ贅沢であったかもしれぬ。
湯から上がり、妾は風呂場を出る。出たはいいが、ここから何をすればよいのだろうか?
「ハインツ殿!」
妾が大声で呼ぶと、ハインツ殿は慌ててやってきた。だが、妾の姿を見て再び驚く。
「うわぁっ!ジェスティーヌさん!素っ裸じゃないですか!?」
「当たり前じゃ。浴場から出たばかりだからな。これからどうすればよい?」
「そそそそこのバスタオルで拭くんですよ!で、そこにある下着と服を着てください!」
「バスタオル?なんじゃそれは?」
「その白い布ですよ!」
「ああ、これか。とても柔らかい布だな、これは。」
よく水分を吸い取るこのバスタオルというもので身体の水分を拭き取ると、ハインツ殿は下着と服を着せてくれた。
「はぁ~……酷い目に遭った……」
まったく、妾の裸体を見ておいて、酷い目に遭ったとは失礼なやつだ。少しむっとする妾のところに、また妙なものを持ってきた。
「髪が濡れっぱなしでは寝られませんから、ドライヤーで髪の毛を乾かしますね。」
これはドライヤーというものらしい。温かな風が出て、それを髪の毛にあてる。あてた場所から濡れた髪がすぐに乾いていく。
すっかり乾いた髪は、信じられないほどさらさらになった。前かがみになると、こぼれ落ちるように流れる私の髪の毛。妾の髪は、これほどまでに柔らかいものであったのか?
「ジェスティーヌさんの髪って、綺麗な金色ですね。いやあ、苦労して洗った甲斐がありました。」
髪だけではない。身体もすべすべしている。どうやら、ハインツ殿の使っている石鹸が妾の知っているものとは随分と違うようだ。このパジャマという服は少し大きくてぶがぶがだが、動きやすいし、何よりもきれいだ。今日はぐっすり寝られそうだ。
で、ハインツ殿は妾を連れて階段を登る。登りきったところにある部屋には、ベッドがあった。
「この街の住人で独身の者は住み込みの使用人を雇うことを推奨しててですね、こうしてベッドまで支給されてるんですが、私は使用人なんて雇う気がなくて、ずっと空いてたんですよ。せっかくだから、使って下さい。」
これが使用人のベッドなのか?妾を使用人扱いするとは無礼千万な行為だが、つい昨日までは罪人扱いだったことを思えば、文句も言えまい。
ともかく、この日は食事と浴場と寝床を得られた。おまけに、使用人用と言うわりには柔らかいベッド。これならば、久しぶりにぐっすりと寝られる。妾はベッドに入ると、すぐに寝てしまった。
翌朝、目が覚めると、一瞬ここがどこだか分からなかった。
そうだ、ここは監獄ではないのだ。おぼろげな頭で、昨日のことを思い出す。妾は久しぶりにベッドで寝ていたのだ。
妾は階段を降りる。下にはハインツ殿がいた。
「あ、おはようございます。今、ジェスティーヌさんの朝食を作らせますから、待っててください。」
見るとそこには食事がおかれていたが、一人分しかない。
「昨日の夜、ジェスティーヌさんの分をセットし忘れてたんです。すぐにできますから、そこに座ってジュースでも飲んでて下さい。」
そういうとハインツ殿は妾にオレンジ色の飲み物の入ったコップを渡すと、部屋の奥に行く。
そこには、風呂場にもあったあのつまみが見える。その横にはフライパンなどがおかれている。どうやらそこは厨房のようだ。だが、真ん中にあるあの腕のようなものは一体、何だろうか?
ハインツ殿はその腕の根元あたりをゴソゴソといじっていた。すると突然、この腕はまるで生き物のように動き始める。
まるで怪物のように腕だけで動く奇妙な生き物だが、その腕は卵を割って容器に入れている。それをかき混ぜ始めると、今度はフライパンを持ってそれを流し込む。こやつ、バケモノの分際で、料理の腕は良さそうだ。
厨房でせっせと料理を作っているこの奇妙なバケモノの腕は、あっという間に皿の上にその料理を盛り付ける。
そのバケモノは、すぐに別の料理を作り始める。今度は細長い肉のようなものをフライパンで炒めていた。またそれを皿に盛り付ける。
できた料理を、ハインツ殿は妾のところに持ってきた。黄色い卵料理と、茶色の細長い肉料理、それに野菜が少し載せられている。
「さあ、できました。お召し上がりください。」
料理を出される。昨日とは違い、今朝の料理は食器を使って食べるものだ。
しかし、この黄色い塊は何であろうか?卵を用いた料理だというのは分かるが、見たことのない形をしている。上には赤いものがかけられている。
「なんじゃ、この料理は?」
「ああ、オムレツとソーセージですよ。朝食にはぴったりな食べ物です。食べていただければ分かります。」
恐る恐る、妾はそのオムレツという黄色いものから食べてみる。
何だろうか、とても美味い。卵というものは、もうちょっと薄い味だと思っていたが、どうしてこのオムレツは濃厚な味だ。
上にあるのはトマト味の調味料だ。だが、この酸っぱさが卵の味と合わさって、いい感じの味になる。
ソーセージというのは、ひき肉を何かの皮に詰め込んだ食べ物らしい。歯ごたえのある食感で、とても美味しい。
妾の知らない食材ばかりが出てくる。このような食事は、妾は今まで見たことがない。王族の妾すら知らない料理を当たり前のように食べるハインツ殿。一体この男は、どこから来たのか?
「ハインツ殿!」
「はい。どうしたんです?急に大きな声を出して。」
「そなた一体どこからきた?昨日の食事といい、浴場といい、あの料理を作る腕といい、妾の知らぬものばかり。どれもこの国のものではござらぬ。一体、ハインツ殿はどこからきたのであるか!?」
「あれ?やはりジェスティーヌさんは、我々のことを知りませんか。そうですね、どこからお話しいたしましょうか。」
そういうとハインツ殿は、またあの動く絵の書かれた小さな板を取り出す。
そこには、青くて丸い不思議な球体が描かれていた。白い筋が無数にあり、茶色や緑色のところがある。
これは、妾のいるこの地上を空高く、宇宙と呼ばれる場所から見たものだとハインツ殿から聞かされた。妾は驚く。地上とは、こんなにも丸い場所であったのだ。
それだけではない。このような青くて丸い大地は、800以上もあるというのだ。妾の住むこの地上は806番目。宇宙と呼ばれる漆黒の闇の広がる広大な場所に、他の丸い大地がたくさん存在するというのだ。
この青い大地の上では、妾の国など取るに足らないほど狭い場所だという。革命を起こし妾の国を奪った者達が作った政府と、ハインツ殿達がやってきた地球332とは同盟を結んで交易をはじめた。そこで、この星を守るためにハインツ殿は今、この星にいるのだという。
妾が見たあの大きな砦のようなもの、こやつらが駆逐艦と呼ぶそれは、広大な宇宙を旅し、戦うための船だという。強力な武器を持ち、たった一撃でこの首都を焼きつくせるほどの威力を持つという。
そんな船を300隻も束ねる艦隊の長の補佐をするのが、ハインツ殿の仕事だという。何ということだ、この王子、想像以上にすごいやつだった。
つまり、ハインツ殿は星の世界からやってきた、星の王子さまということになる。妾の王国よりも、はるかに強大な王国の王子であったようだ。妾はそんなやつに、身体を洗わせていたのか?
そんな広大な宇宙というところからやってきた王子のわりには、屋敷が小さい。これはいったいどういうことなのだろうか?
いや、それ以上に気になることがある。
なぜ、ハインツ殿らはこんな小さな国と「同盟」を結ぶのであろうか?
駆逐艦というあの空飛ぶ砦を持っているというハインツ殿。あれほどの武器を持っているならば、普通は攻め滅ぼすであろう。こんな国を堕とすことなど、造作もないことだ。
現に我が国も隣国から常に侵略の危機にさらされていた。強大な武力を持つ国が、弱い国を滅ぼすのは世の習い。しかしなぜ、ハインツ殿らは同盟などという方策に出たのであろうか?妾は気になって聞いてみた。
「なあ、ハインツ殿。そなた何ゆえあれほどの武器を持ちながら、こんな国と同盟など結ぶのじゃ?」
「ああ、それは我々がこの星の人達を、味方につけねばならないからですよ。」
「味方?このように小さな国の助けなど、必要だというのか?」
「この国だけじゃないですよ。この星にある全ての国と同盟を結ぶつもりです。それで連盟という組織に対抗するんですよ。」
「連盟?なんじゃそれは。」
「宇宙には、2つの陣営があってですね。我々は宇宙統一連合と呼ばれる陣営、通称、連合と呼ばれる側に属してるんです。そして我々の敵方となる銀河解放連盟、通称、連盟と呼ばれる組織と日々戦っているんです。で、我々はこの星に連合に入ってもらい一緒に戦っていただくため、同盟を結んでいるところなんですよ。」
「なんじゃと!?その連盟という敵は、強いのか!?」
「強いですよ。我々と同じ駆逐艦をたくさん持ってますし、人の住む800個の星の半数ほどは連盟側なんです。我々も負けてられません。」
なんと宇宙というところでは、そんなことになっているのか。ハインツ殿が言うには、彼らと対抗するためにこの星の人の力が欲しいのだそうだ。それに、あの大きな駆逐艦を維持するための燃料や食料を求めているのだと言う。
「その代わり、我々は生活に役立つ技術や知識をこの星に提供することになってるんです。例えばこの調理ロボット。食事を作るという手間を無くしてくれる画期的な機械です。他にも便利なものがたくさんありますよ。」
「はあ……何ということだ。妾が牢獄に閉じ込められているうちに、世の中はそんなことになっておったのか。」
「ところでジェスティーヌさん。これからどうするんですか?」
「うむ、住むところは奪われ、一族は皆、殺され、処刑されてしまった。すでに国の体制も変わり、妾が入り込む余地などない。このままのたれ死ぬ他なかろう。」
「いや、のたれ死んじゃダメでしょう。そうですねぇ……どうです?しばらくこの家居候するというのは?」
「いそうろう?それは、ここに住めるということか?」
「そうです。どこかいい住処が見つかるまでという条件で、2階を勝手に使っていいですよ。ただですね、この街で暮らすにはひとつ条件があるんです。」
「条件?」
「この星の人がここで暮らすには、居住許可証をもらわないといけないんです。結婚するとか、あるいは住み込みの使用人になるか、どちらかでないと許可が下りないんですよ。」
「ならば簡単じゃ。妾がそなたの元に嫁入りすればよい。」
「は?」
「これでも妾はこの国の元姫、腐っても王族じゃ。そなたの権威強化には一役買うぞ。」
「いや、政略結婚じゃあるまいし……それに私はたいして権力があるわけではないですし。」
「何を言う。あのような大きな駆逐艦を300隻も操るほどのお方。途方もない権力の持ち主ではないか。そなたのようなものが未だ独り身というのがそもそも奇妙な話じゃ。ハインツ殿の歳ならば、それ相応の家系から嫁を迎え、お家存続のため嫡子をもうけることを考えるべきであろう。」
「いや、でも急に結婚だなどと言われても……」
「ではまさか、妾に住み込みの使用人になれと申すか!?一時は罪人扱いであったとはいえ、これでも王族の末裔、使用人などには決してならぬ!」
「わ、分かりました!じゃあ、私の奥さんてことでいいです!」
「うむ、分かれば良い。」
そして妾は、立ち尽くすハインツ殿の前にひざまづき、ハインツ殿の右手に手を添える。
「あの、ジェスティーヌさん?何を……」
「嫁入りの誓いじゃ。すぐに終わる。」
妾は頭を下げて、誓いを立てる。
『ルシフェル 7世が三女、ジェスティーヌは、ここにハインツ殿を夫とし、戦いの時も、平穏な日々も、変わらぬ愛と忠誠を捧げることをお誓い申し上げる。』
我が王国の伝統的な婚儀の誓いの言葉を述べる。そして、妾はハインツ殿の右手に口づけをした。
この瞬間、妾はハインツ殿の妻となった。