第98話 馬鹿になる
俺は、エレナさんと対峙した。
魔族側のスパイとして、暗殺屋としてのエレナ・ミルウッドと。
その時のエレナさんは、俺とユリーナさんが知っているエレナさんではなかった。
笑顔はなく、無表情で、無表情で俺を攻撃してきた。
訓練のときの本気さではなく、敵意を持っていたのは確実だ。
今思い出すと、殺意はなかったのかもしれない。
情けなのか、エレナさんがまだこちらを友達だと本気で思っているのか、それはわからない。
心優しいエレナさんと、暗殺屋としてのエレナ・ミルウッド。
どちらが本物なのか、偽物なのか。
そんなの今の俺じゃわからない。
だが、俺が気絶する寸前にエレナさんが言っていた。
『……嘘、だったのかな。僕にもわからない。スパイという任務を忘れなかった、と言えば嘘になる。一緒に笑ったのが全部嘘だなんて、言えないよ』
それまでずっと感情を無くして話していたエレナさんが、堪えられなかったように悲しそうに応えた。
あのときの言葉が嘘だとは思えなかった。
今までのエレナさんの行動が嘘だと見抜けなかった俺だが……。
あのときの言葉、溢れ出た感情を嘘だとは思えない。
いや、思いたくないだけなのかもしれない。
「ジーナ? いるのか?」
俺がそんな考えごとしていると、また病室の扉が開いて男性が顔を覗かせた。
「あ、お父さん!」
ユリーナさんの足に抱きついていた女の子、ジーナと呼ばれた子はその男性に駆け寄った。
お父さんは駆け寄ってくるジーナを抱きとめながら、ベッドに座っているユリーナさんを見て驚いている。
「お目覚めになられたのですね! ジーナから話は聞いております、娘を助けていただきありがとうございます!」
そう言って深く頭を下げるジーナのお父さん。
おそらく、ジーナと一緒に何回かこの病室にお見舞いに来たのだろう。
「い、いえ、兵士として当然のことをしただけですので」
ユリーナさんはいきなりのお礼に少しうろたえながらもそう答える。
「私はあの襲撃のときは仕事で家にいませんでした。二人とも失っていたら、もう私は生きてはいけませんでした」
「っ! 奥様は、助けられませんでした……申し訳――」
「謝らないでください!」
ユリーナさんが立ち上がり頭を下げようとした瞬間、お父さんは大声を上げてそれを止めた。
「妻のことは残念ですが、娘を助けてくれたあなたが謝る必要なんて何一つありません。本当に、ありがとうございました」
「……はい」
そう言われてもまだ悔しそうに顔を歪めているユリーナさん。
そして父親とジーナが病室から出て行こうとしたとき、
「ジーナ……ちゃん」
ユリーナさんが慣れない呼び方でジーナを呼び止めた。
「なーに?」
「エレナお姉ちゃんに、会いたいか?」
「うん! 会ってお礼言いたいから!」
元気よくそう答えたジーナの言葉に、笑顔で頷いた。
「私が、連れてくるからな」
「ほんと!?」
「ああ、いつになるかわからないが、待っててくれるか?」
「うん! 約束しよ!」
「もちろんだ」
二人は前にやったことがあるのか、合わせたかのように小指を出して絡ませる。
「「指切りげんまん。嘘ついたら針千本のーます。指切った」」
指をゆらゆらと動かしながら、二人で声を合わせてそう歌い切った。
「じゃあね、ユリお姉ちゃん!」
「ああ、また会おうジーナちゃん」
ジーナは手を振りながら、父親は会釈をしながら病室を出て行った。
「エリック、今言った通りだ」
二人の足音が廊下から聞こえなくなってからそう話しかけてきた。
「エレナさんを、連れてくるんですか?」
「ああ、殴ってでも連れてくるさ。いや、エレナさんに会ったら一回ぐらいは殴ろうかな」
そう笑いながら話すユリーナさん。
やはりもうユリーナさんは覚悟が決まってるようだ。
ユリーナさんはこの襲撃を受けて成長したと、エレナさんが言っていた。
それが今なんとなくわかった気がする。
「エレナさんは確か、スパイとしてここに来たのだろう?」
「そうですね、そう言ってました」
あの人はベゴニア王国にスパイとして送り込まれたと言っていた。
しかもその期間は三年。
一から騎士団見習いになり、怪しまれないようにするとしても長い期間だ。
「三年もの間ベゴニア王国にいたんだ。私が信じてるエレナさんなら兵士の中でも、街でも親しい人がいたに違いない」
確かにそうだ。
エレナさんはとても明るく、色んな人に好かれるような性格だった。
一緒に遊びに行った時も、街の人に好かれているのをこの目で見ている。
「だからこの国に襲撃をさせるのを躊躇うはずだ。だがそれを行った。ということは、エレナさんには何か弱みを握られている可能性がある」
「弱み、ですか?」
「ああ、スパイや暗殺屋というのを嫌々やっていて、その弱みのせいで襲撃の手助けをするしかなかった」
そう言われると筋が通っているような気がする。
だが、全て予想でしかない。
「もちろん、これは私の都合が良い解釈だ。もしかしたらただただエレナさんの全てが嘘で、最初から仲良くしている演技だったのかもしれない」
ユリーナさんもそれはわかっている。
自嘲気味に笑ってはいるが、それを本気で信じている目だ。
「笑ってくれても構わない。だが私はエレナさんを信じると決めたんだ。エレナさんを連れてくるために、私は馬鹿になるつもりだ」
そう強く言い切った。
馬鹿な考えということも理解しながら、それを信じる。
やっぱりユリーナさんは、強くなっている。
剣の腕前とかではなく、心が。
その信念は、もう誰にも揺らすことはできないだろう。
たとえそれが、エレナさんでも。




