【序―②】
目を覚ますと、窓から見える景色は真っ暗だった。いつ寝たのか思い出せないが、とりあえず体を起こす。
「……眠いな」
あたまがボンヤリとする。普段からこんなにねぼったい性格だったのか、という疑問も覚えないくらい意識が定まらない。なんとなく、時計を確認すると、六時半という微妙な時間帯だった。
またもう一度寝てもいいかも、と考えるとふとカレンダーを目にする。
「……学校、そうか。今日からだったか」
四月の頭。今日だと思われる日に初登校と赤字で書かれている。どうやら自分はマメに予定をカレンダーに書く癖を持って居るようだ。
ゴミ出しの日、スーパーの定例安売り日、保護者が様子を見に来る日など、割といろんな日にメモ書きされている。
(とりあえず、とりあえず、とりあえず……)
そういう考え方で朝支度の一つ一つをこなしていき、気が付けばテーブルには食パンと目玉焼きと手でちぎったレタスが用意されていた。
誰もいない空間での食事は気が楽でいい。そう思うと、自然と食欲が増していき、気が付いたときにはもう皿の上には何も残っていなかった。
「なんだか気が付くと全部終わってる気がする」
下らない感想と共に、またしてもとりあえずと考えながら登校準備を終わらせ、玄関を出る。少しすがすがしいと思うのは、寝起きに外の空気を味わったからか。
だが妙な事がある。
外は夜だと言わんばかりに暗いのに、大勢の人と出くわした。まるで当たり前の登校風景だ。
いろんな生徒がいろんな話をしていて、夜とは思えないにぎやかさをしていた。
なんだか珍しい光景なのに、周りは不思議でもなんでも無さそうにしていたので、ひょっとしてこれは普通なんじゃないかな、と錯覚して、それ以上の事は考えないようにした。
「おッはよ、今日も眠そうだな!」
背中から突然どつかれた様に肩を組まれた。誰だよと思いながら振り返ると、見知った顔がそこにはあった。
「痛いから攻撃してくんなよ」
「わりいわりい。ついお前の姿が目に入ってやっちまった」
コイツ、うざいな。でも、なんだか悪くない気もする。
「また今年もお前と同じクラスだったらいいな。お前のノート超わかりやすい」
「あ、そ」
なんだったか、コイツ。名前は思い出せないが、中学の頃同じクラスだったのを覚えている。毎度毎度、暇さえあれば絡んでくる面倒な奴だったような気がする。だから顔だけは覚えていた、かもしれない。
「……なんか、変だな」
まただ。奇妙な違和感を持った。胸の中でざわめく感じがする。
その正体がわかる前に、気が付いたら学校校門前まで来ているのだが、どうやってここまで来たのかあまり覚えていない。まあ周りの生徒たちにつられてここまで来たのだとしたら、そこまでおかしくはないのだろうけど。
まだ寝ぼけてるだけだろうか?
奇妙というか奇怪な現象の中にいる様な、自分がいま本当にここにいるのかさえ疑う様な、そんな変な感じだった。
そうこうして流されていくうちに、教室に入った。はて、ここでもおかしいと思う。どうして自分はここにいるのだろうか? 何も考えずにここまで来れるものだろうか? どうやってこの教室を選んで、自然に迷いなく自分の机に座れたのだろうか。
まただ。何かがおかしいと感じる。
自分の名前がわからない。
寝ぼけていたとしても、そんな事があっていいのか? いくらなんでもそれはないんじゃないか? やはりここは何かおかしいんじゃないのか?
疑問ばかりが頭を支配していく。思考がおかしくなっていきそうだと思った時、またさっきと同じ奴の声を聴いた。
「お前まだ眠そうな顔してんな」
今度は心配した様子で声をかけられた。そんなに具合が悪かったかと反省するほどだ。そんな風にみられると、邪けんにしていた思いが少し薄くなったりもした。
だが信じられない事が起きた。
不吉な予兆は感じられなかった。いやその逆で、あり過ぎて混乱していたからわからなかったのか。とにかくそれは突然だった。
同級生の顔面を黒い塊が、目でとらえるのがやっとの速度で通過していったのだ。男子生徒の体が机をなぎ倒し、机をピンに人間ボーリングでもしたのかと言わんばかりに薙ぎ飛ばしていく。
それを見て血の気が引いた。霧のかかった頭の中に、何故かこの時だけはハッキリと意識が晴れた。
わかったのは、謎の黒いモヤの塊が僕の同級生の顔面を殴り飛ばしたってこと。
そう理解して、今度は頭の中が瞬く間に凍りついた。何もかもがわからなかった。コイツがなんなのかわからない。人型の様なモヤの塊。
こんな奴が現実に居るわけがない。これは夢なんだ。いまやっと、僕はこれが夢なんだと認識した。コイツが何なのかはわからなかったが、夢は夢として終わるべきだ。
今、ここで起きている事を否定すると、僕を取り巻く全てが溶けて消えていった。