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【故ノ章:村崎桜花】

 

 わたしが見た記憶はぶつ切りにされた、途切れとぎれの思い出の映像だった。



 初めは何かの間違いだと思った。この記憶が同一人物の物なのか、と。センパイを傷つけて、痛めつけて、苦しめていた存在なのか。



 明るくて、優しくて、頼られて、支えられて、助けられて、女手一つで息子を育ててきた。十分大変な生活をしていたのに、息子の為に、町のみんなの為にと、苦労してきた人の記憶だった。この老婆の記憶には強さがあった。信念みたいなものがあった。


 でもある日を境に彼女の生活は一変した。


 信じていた息子が、家を飛び出して町から出ていったのだ。どこの誰とも知らぬ女の手を取って、大事に守ってきた我が子は自分を裏切って出ていったのだ。


 その瞬間から、この災厄は始まった。


 石を投げられたこともあった。畑を荒らされたこともあった。罵られることなど毎日のこと。道を歩いていると意味もなく暴行されたこともあった。


 冬の寒い日に納屋に閉じ込められることもあった。死んだ夫の墓を目の前で壊されたこともあった。悲しみと怒りに飲み込まれてしまいそうだった。わたしは知らなかった。残酷な人間に与えられた残酷な仕打ちなんて、興味もなかった。なにも知りたくなかっただけなのかもしれないけれど。


 でも、わからない事ばかりではなかった。日に日に自分の尊厳を削り壊されていくこの感覚。この感覚に似たものを、わたしはよく知っていたし、覚えていた。そこだけは彼女の境遇が、自分の過去と重なって見えていたのだ。



 小学校の頃、わたしは強かった。強いと勘違いしていただけなのだが。友達もたくさんいた。大人たちからの評価も、まあまあよかったと思う。行動的で情熱猛々しい暴れ馬だったんだ。我ながら少し恥ずかしい。要するにガキ大将ならぬ、女番長を小学生ながらに張っていたのだ。


 あの頃は毎日が楽しかった。兄の背中を追いかけて、アレを目標にしてわたしは努力を惜しまなかった。仲間と共に過ごす日々がたまらなく心地よかったのだ。


 でも、とある事件をきっかけに、その日常は少しずつ崩壊していった。


 教室にはかなり深刻な問題を抱えていた生徒がいた。いじめられていた子がいたのだ。許せなかった。相手は知らないが、寄ってたかって四人がかりなんて不公平だ。


 卑怯で、卑劣だ。


 おそらくそれは日常的に行われていて、わたしは本能に従って、ただ良かれと思って助けた。助けてしまった。助けたあと、見捨てた。



 わたしは知らなかったのだ。


 何も知らなかった。苛めなんてものは一度手を差し伸べたくらいで終わる様なものではなかったのだと。


 助けた後、そのクラスメイトはわたしを頼る様になった。依存されようとしていた。最初の数回は面倒を見るのは楽しかった。だが、私の仲間達はその子を許容しづらかった。


 なにせ変な子だった。すぐ隠れる。口を紡ぐ。うまく言葉を出さない。他人のマネばかりする。空気が読めない。何もしないのにずっと近くにいる。総じて、気味が悪い。



 いじめられる側にも問題はあると聞いたことがあるが、なるほど一理ある。タチの悪い問題だ。意図的でなく、無意識な行動から生じる他人へ与える不快感。


 本人が認知していないから矯正しようがない。その子を庇うたびに、仲間は嫌な顔をする。いつしかわたしの立場もなくなり、その子だけが背後霊のようについてきていた。だからつい、不満を言ってしまったのだ。心に積もった汚い言葉を投げかけてしまったのだ。


「あなたのせいで、わたしは一人になってしまった。ぜんぶ、あなたのせいだ」


 そしてわたしはその子を見捨てた。自分が助かりたいが為に。自分の居場所を取り戻すために。わたしはわたしの居心地の良かった仲間の元へと帰りたかった。ただ、それだけだった。


 後日、その子は二度と学校へは来なくなった。誰も、何も聞かなかった。気にもかけなかった。いつしか真実の様な噂が出回り始める。『自殺』という最もらしい話しだ。


 そのきっかけを作ったのは他ならぬわたしで、わたしは周囲から何とも言われぬ異端の目を受ける事となった。


「なんで、こんなことになったんだろう。わたしが悪かったのだろうか? こんな事なら初めから何もしなかった方が良かったんじゃなかったのか?」


『なにもしない、手を出さない』が正解。ただ傍観して、腫れもののように触らずにいる。恥ずかしいくらいなさけない。なさけないから、自分が許せなかった。



 理由が欲しかった。


「面倒だと思っていれば理由になる。わたしは面倒くさがりなのだ」


 そう思っていれば、まだ気が楽だった。


 そんな風に自分はダメな人間なのだと決めてしまえば、あの時の失敗だって、それが理由なんだと決めつけてしまえる。



 もうこんな面倒な話には一切かかわらない。そうしてしまえば、きっと問題ない。


「なのにどうして、また目の前に現れる」


 同じだ。同じ状況なんだ。


 苛められ、虐げられ、ボロ雑巾のようになってまで、ガマンし続ける男。


 あんなのを見たら、昔の失敗を思い出してしまう。また自分は渦中を前に立っている。思う事は変わらない。ムカつくんだ。腹が立つんだ。情けないんだ。


 寄ってたかって大勢で一人を痛めつける奴等にも、耐えるだけでなにもしないその男にも、何にもできないと決めた自分にも……。


 どうして、どうして何も、できないんだ。


「……できないんじゃなくって、しないんだ。二の舞を踏むのがわかっているから。また同じ失敗をするのがイヤだったから」


 だから立ち止まる。どうすればいいのかなんてわからない。わたしには正しい方法なんて、わからない。わからないなら、放っておけばいいのに……。



 でもこのままでいいなんて、それだけは絶対に思えなかった。


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