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【旧―⑤】


 十五歳になる頃は色々な事があった。


 秘密結社を名乗る組織から勧誘され、加入した覚えもなく相棒を寄こされた。自分の面倒だけでも見るのがやっとなのに……。


 愚痴ならいくらでも湧いてしまうが、どうでもいいことかもしれなかった。俺には関係の無い事だと言ってしまえば、気は楽だった。そんな風に考えることが一番だと、自分の長く苦しい人生経験で出した答えだった。


 蔵井町の空気にあてられ続けるのは気の毒になる。


 それでもまだあの町に居続けるのはたった一つである。



 父が来る。



 それだけを待っていた。もしも自分があの町を離れてしまったら、父は自分を探し出す事が難しくなると思っていたからだ。



 それは避けたかった。だが一向に現れない父に、俺の心は少し焦燥していた。


 もしかしたら父は傷ついた心を癒やすことなく、部屋の隅でうずくまっているのではないのか? なんて心配になったこともある。


 思っては悩み、感じては胸がうずき、気が付けば土日はなるべく、町の外に出て昔住んでいた場所を探しに行く様になっていた。


 そんな事をしているから、変な結社に声を掛けられてしまったのだが、それは些細でどうでもいい事だ。そもそも俺はもう二度と、あんなことはしたくない。


 人の心に踏み込んで、滅茶苦茶に踏みつぶして、それがどうなった。何にもなりはしなかった。どうにもなりはしなかった。自分が助かっても他の誰かが不幸になったら、自分の存在意義に意味はない。だって、約束と違うのだから。



 優しく、誠実に。それだけが自分の中の真理であり、真実だった。



「大丈夫、まだ、心は折れてない」



 梅の花が咲く頃、俺はやっとスタート地点に帰ってきた。


 幼少の頃、住んでいた町。人が人を虐げる事もなく、ただ普通に通り過ぎていく人波の町。あの頃の記憶って奴はどこかしっかりとしていて、思い当たる道をただひたすらに進んでかつての家の帰路に向かった。



 そしてたどり着いた。昔、そこには確かにあった輝かしい新居があった場所。今は姿を消し、ただの空き地になっている。



「……しょうがない」としか言えなかった。


 まともに連絡すら取っていなかったのだ。とる事も気が引けたくらいだ。会える方が奇跡なのかもしれない。むしろ、こういう形で話が進むのは気が楽で助かった。


 というのは誤魔化しだろうか。心の見えない何処かで、わずかに抱いていた父との再会だったか、どうやら無駄足だったようだ。



 結局俺はなんとなく、一人で墓参りに行くことになった。ここからなら母の為に建てた墓は近かった筈だ。そこで、独り言の報告でもして終わりにしよう。と、続きなどなければよかったのに……俺は、出くわしてしまった。



 母の墓へと目指す道すがら、遠くのデパートの入口……見覚えのある顔。本当に、偶然のように、ただの他人が入口から出てくるように、忘れもしない父の姿が、現れてしまったのだ。


 知らない他人だろ、と頭に言い聞かせようとも思ったが、しかし、俺の頭の中にははっきりと残っていた。あれは、間違いなく、自分の父親だったと。


 何かの縁か、母への思いがこんな偶然を呼び起こしたのか、そんなふうにも思えた。


「おとうさん!」


 口から言葉を出そうとしたとき、思い浮かべた言葉は明らかに自分ではない誰かの声で実体化していた。


 困惑してその場に立ち止まっていると、その正体が現れた。


「こら、ゆうな。走ると危ないわ」


 びくりと、身体に痺れが回る。


 小さい女の子、まだ年端のいか無さそうな少女が、人懐っこそうに父の懐に絡みついていた。


 その後ろから母親と思わしき、髪の長いきれいな女の人。どうみても仲睦まじい家族。明るく、暖かく、輝いている様な、そんな絵だった。



「もう、友成さんも注意してやってください」


 トモナリ――と、女は言った。友成、それは父の名前だった。


「ああ、いや、ごめん。突然だったからつい」


 間違いではなく、なんの誤解もなく、あれは、あの家族の一画に映る男は、父だった。見まごうことない自分の父親だった。



 家族は、デパートの入口から出てくると、僕の傍らを通り過ぎ、どこかへ向かっていった。自分とは全く関係のない他人だと言わんばかりに。あの男の子供は俺ではなく、あの女の子で。あの男の家族は、俺と母さんではなく、あのきれいな女性と女の子で……。




 俺なんて、初めから何処にもいなかったみたいで。



 身体のふるえがずっと止まらなかった。



 頭は、もう真っ白になった。


 ぜんぜん、何も考えられなかった。


 とにかく、帰る事だけを考えた。


 気が付けば、部屋に戻っていた。


 でも部屋にもいられなかった。



 扉を開け、ここではないどこかへ行きたかった。


 何も考えずに、とにかく誰もいない場所へ、それだけを考えて、それで森の中に入った。


 突き進んで、何処まで進んだのかも分からない程、遠くまで来て、誰もいない場所で……。


「……なんだこれ」    「なんなんだこれ」   「なんだよそれ」  「なんだよ」 「なんだコレ」「ナンダコレ」「ナンダコレ」「ナンダコレ」「ナンダコレ」「なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで――――――」





「ふざッけるなあああああああああああっ‼」





 吐き気を止められないほどの醜悪な気分だった。



 勝手に一人にしておいて、十年も放っておいて、何もかも忘れた様な姿で‼



 全部捨てたと言わんばかりに明るい家庭築いてて、俺の事も、母が死んだ悲しみすらも忘れて。一人だけ、勝手に幸せになっていて……。



 今までの俺の人生は、苦しみはいったい何のためにあったんだ。


 何のためにここまで耐えてきたんだ。……ふざけるなよ。



 なんなんだよ。親父は落ち込んでいるハズだろ? じゃなきゃ全部嘘だ。


 俺がこんな町にいる意味なんか初めからなかったじゃないか。



 でも、そうじゃなかった。親父は勝手に一人で立ち直っていて、新しい奥さんと新しい子供がいて、十二分にも幸せを満喫していた。俺なんか忘れて、俺の入る隙間なんか、とっくになくなっていて……。


 頭がどうにかなりそうだ。



「……どいつもこいつも、勝手すぎるだろ」


 人の事ばかり気にして、そうしていればいずれ誰かが助けてくれるだろうって、信じてた。


 優しく、真っ当に生きる。そうすればきっと自分も救われるんだって、信じていたんだ。


 いつか幸福になるんだなんて、妄想を夢みてたんだ。そんなもの、誰も、なにも、保証なんか、していなかったのに……。なんでそんな風に思ってたんだろう、俺。


 そんな訳、ないのに。


「……そうでも思わなければ、やっていけなかっただけだろ。はは、は、は、はっは……」



 ふざけんじゃねえよ。



 俺、何のために生きてんだ?



 意味、無いんじゃないか?


 誰も、俺の事ことなんて、必要としてないだろ。


 死んだって、構う奴もいなけりゃ、気にする奴もいないんだ。なのにこんな辛い思いをしてまで、わざわざ生きていかなきゃいけないのか?



「こんな事なら、心なんて、いらなかった。そうだろう?」


 頭の中に、久しく聞いていなかった声が聞こえてくる。もはやこれが誰だったかすら、覚えてもいなかった。でも、なぜだろう。こんなにもこの声にゆだねたくなってしまうのだ。


「心などなければ、こんな悲しい思いなどせずに済む。心などあるから、人は苦しみ、悲しみ、憎しみ、嫌い、忌み、泣き、挫き、傷つく。そんな世界が本当に必要か? ないハズだ」


「そうかもな」


 本当にその通りだ。


「お前も人の心に翻弄された犠牲者だ」


「……」


「我々は友達だ、そうだろう? だからワタシはキミの力になろう」


「どうするんだよ」


「憎むべき、存在を……キミにしかできない方法で」


「そうすれば、もう傷つくこともない?」




 全部だ。すべてを、終わらせよう。


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