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五【レイシズム】


 真の闇だった。目に映るモノはない。


 聞こえてくる情報もない。今どこに居て、何に触れているのかも不明だった。


 爆心地の間近かで衝撃波を受けて飛ばされたあと、少し意識が途切れてしまっていた。視界と聴覚と触覚の三感覚に多大なダメージを受けて機能がダウンした状態だった。


 現実の脳にまで疑似感覚が及ぼした際に、ラインが不安定になってしまったからだろう。急ぎ復旧させるが、損傷が激しいのかノイズがひどい。目は不明瞭で黒い穴がいくつもある。耳は音が割れて酷いし、片方は機能停止していた。体にいたっては到底動きそうにない。


 ダメージを負わない為に作ったプロテクトシステムも紙同然だな。しかもバックアップ用プロファイルまで損傷してるところを考慮すればファイヤウォールまで通過されたことになる。ここまで荒されるとさすがの私でもちょっとばかり厄介だ。



「死ネバ、良カッタンダ」


 聞いたこともないどす黒い音が言葉として聞こえてきた。二本の巻角に羊の頭、体の黒い煙のような物は炎の様に揺らめいていて、獣のような肢体で立っている。背中には大きな翼が折りたたまれており、バフォメットを彷彿とさせる形態だった。


「ミンナ、皆、マトメテ……一人残ラズ、殺シテ、殺シテ、殺シテ―――」


 その足取りは遅く、ゆっくりと骨の大剣を引きずりながら、徐々に私に近づいてくる。迫ってくる。どうも『ちょっと厄介』の範囲を逸脱し始めてきた。時間が無さすぎる。歩いてこようが走ってこようが大した違いがない。


 相手との距離が半分もなくなってくる頃、目の前でさえぎる人間がいた。両手を自信な下げに広げ、足を震わせながら、立ちふさがっていた。


「もうやめてください、センパイ! こんな……こんなこと、センパイが嫌っていたことじゃなかったんですか⁉ 人を傷つけることが、いやだったんじゃなかったんですか⁉」



 桜花ちゃんが必死な顔で、すす切れそうな声で、かつてユウマ君だった彼に静止を呼び掛けていた。こんな声を聴いている方が胸が痛くなる様子だった。彼女は間違いなく、自分の所為だと思っている。ユウマ君がこんな風に暴走しているのは自分の所為だったんだと。


 でも違う、違うんだ。いや、そんな事を言っている場合じゃあない。このままじゃ彼女が殺されてしまう。


「こんなことをするくらいなら、こんな町から出て――」

「消シ去ッテヤル」



 悪魔の腕が動く。間違いなく桜花ちゃんを殺そうとする。だのに、私のこの体はビクとも動かない。このままじゃあ守れない。桜花ちゃんも、ユウマ君も、どちらも守れない。


「どいつもこいつも死にたがりかよ、ふざけんなッ」


 今度はカンザシ男が間に割り込んできた。ただし、桜花ちゃんと私の間にだ。彼の背中から生えた巨大な骨の左腕が桜花ちゃんにめがけて伸びていき、桜花ちゃんを殺そうとする魔手よりも早く彼女をさらっていった。


「は、放せ! この人殺し!」


「黙ってろ! テメエがどうにかできる次元じゃあねえんだよ、雑魚吉!」


「ざこきち⁉ なんでそのあだ名知って――!」


「オラ、エクスマキナ。動かすぞ!」


 カンザシ男は私のコートに怨みでもあるんだろうか。またしても私のお気に入りの深碧のコートの裾を両手でつかみ、ちぎれるかと思う勢いで引っ張って距離をあけた。そのお蔭で時間は稼げた訳だが。


「なんだお前、不具合でも起きてんのか?」


「実はそうなんですよ。厚かましいかもしれませんが、よければ互換性のある修復プログラムを使っていだけませんか?」


「元気そうに喋ってんじゃねえか。さっさと自力で治せ」


「いやいやマジですって。リソースファイルのデータが半壊してて指一本動かせないんですよ。


 桜花ちゃんが飛び込んできた時に咄嗟で言語プロファイル優先に直しただけで全然動けないんです」



「なんで基礎データがぶっ壊れてんのに他の修復優先して、実際に治すことができるんだよ。


 順番がおかしいだろ。いや、先に最低限動けるようになってくれ、役に立っても荷物になるなら捨てるぞ」



「どうしてそんなお荷物を助けてくれたんですか?」


「プロテクトの件を忘れたのかよ」


 そういえばそうだった。色々あってそんな些細なこと、とっくに忘れていた。どうやらカンザシ男は本格的に戦闘スキル以外のクラフトが苦手だと思われる。難儀だな。



 ユウマ君とある程度の距離が空くと、桜花ちゃんを後ろに投げ飛ばされ「ぎゃふッ⁉」(その結果顔面から地面に飛び込む形になった)恒例となりつつある悲鳴を上げた。


 そして今度は私が骨の手に掴まれてわざわざ現状を見える位置に置いてくれた。


「さっきから奴の動きが非常に鈍い。背中に翼が生えて形態変化してからだ。何やってるか見当つくか?」


 そういわれてみると、確かに私とカンザシ男の二人で動いていた時より、躍動感というか、キレがない。


 ユウマ君は私たちに向かって歩いてはいるが、ここまで来るのは大分に距離が空いてしまっている。


 原因は何だ。単純にアバターが変化して何かしらの不具合が発生しているとか。あるいは精神体が融合し切っていないので、そちらに処理能力を割かれているのか。



「普通、合体進化したら強化されるもんだろ? なんで弱体化してんだよ」


「……状況と情報を照査してみる。少し待って」


 今は自身の修復を一時停止して、さきに目の前の問題を解析することにした。解析した矢先、特に考える事はなかった。なんというか、考える必要がないくらいに単純なことだった。


「ごめん、一秒で良かった。あと重ねてごめん」


 おかしいと思うべきだった。現実世界を事細かく再現していた世界で、現実とは明らかに違った空間。


「確かに君の言う通りだったよ。最初の一撃で彼を殺しておけば皆無事だったかもしれない」


 暗い闇に覆われた心の世界。決して陽の昇らない、閉ざされた町。


「なんだ、何がわかったんだ?」


「彼は今、超大型システムの稼働核になっている」


「もったい付けるな、何しようとしてるんだ」



「上を視てくれ」



 開いた口が閉じられない顔でカンザシ男は暗い夜の空を見た。


 黒く、うねりを上げる漆黒の空。黒い泥の様な雲。


 雲泥といった言葉に新たな意味を加えてしまいそうな質感だった。そもそもあれは雲ではない。雲ではなく、泥のように質量ある動きをしていた。人の顔が何百個とかき混ざっていて、見ているだけで呪われそうな光景。



「まさか、あれ全部、呪詛か?」


 町一つ、覆い尽くすほどの呪い。


 まさかたった一人の人間の憎しみであんな大質量の物になる訳がない。


 あんなものを内心に秘めていたのなら、正気でいられるわけがない。解析していないので確実ではないが、確証ならある。


 あれはこの夜桐町の住人たちの精神だ。もはや既に何十、何百もの人間がこの心世界で意識が溶け死んだと思っていた、意識の集合体。


 心世界の中では、魂ともいうべき意識体が死んだ際には霧散し、情報の残滓だけを残して消えてしまう。そして死ぬ。体だけが取り残され、魂はどこへ行くこともなく死ぬのだ。


 普通なら生きているはずがなかった……だがそうならずに、個別の意識体は上空に溜めこまれ、怨念と混沌の空に変質して存在していた。


 なにかカラクリがある筈だが、さすがにそんな悠長に考えている余裕はないだろうな。あと六十秒もしない内に地上と衝突しそうな勢いで地上に落ちてくるだろう。



「エクスマキナ、さっき助けた理由だ。ここのエリアのプロテクトを解除してくれ。強制離脱させてもらう。こんな状況だ、わかるだろ?」


 心世界から現実に帰ればこの現状から抜け出す事ができる。確かにその通りだろうが、早々うまくいくとは思えない。というか無理だと判断するべきだ。


「キミ、何度くらい心世界と現実を行き来した? 複数回は確実にしているだろう?」


「それがどうしたんだ?」


「まだ気が付かなかった? 彼の目の前では同じアビリティスキルは通用しない。


 同じく、カンザシ君のExCが通用しなかった。一度見られたプログラムを彼は完全に無効化することに成功している。一秒でも惜しいこのタイミングで試すべき事じゃあないと私は思うね」


 カンザシ男は黙って従った。というべきなのか、少し私の思った感情とは違う様子だった。頷くこともなく、目の上を痙攣させて、静かに怒りを抱えていた。


「そう悲観するな。何とかして見せる」


 リカバリー処理の一切を中断放棄してアビリティクラフトに専念することにした。


 既存品の中から単純な光学バリアの様なドーム状の盾を展開する。町一つ全てを覆えるくらいまで拡大させたので、ところどころで化け落ちしているが関係ない。一度あの怨念に触れた際に生じる処理を確認するだけの、要するに小手調べだ。


 結果、ドーム状のシールドは怨念と衝突後、一秒持たずして粉々に散って文字通りに消し飛んだ。さすがに急場しのぎに作ったモノだと意味はないらしい。それにただ破壊するだけではなく、触れた物体は吸収し、怨念雲の一部になる模様。


 まあ、もはや増えたとしても増えたと気が付かないほどの大質量だ。あまり関係はないだろう。それに問題は山積みだ。



「対象解析結果から防壁の設定、理論構築、模倣術式の構築、完了。想定実験開始、AEの45アウト、再構築、AEの46アウト、再構築、C1の55403アウト、再構築、C5の44301に追加項目、C5の544301まで処理追加、実験の終了、全体の開通を確認。全処理クリア。不安因子の可能性により変質化を許可申請、禁止指定解除、ディメンジョンゲートとの連結、完了、最適化、計算処理、プロットの完了」



 理論は整った。プログラム構築も無事済んだ。術式設定も問題ない。あとはどこまで通用するかが問題だ。


「新規プログラム実行、防壁展開」


 今度は四角い平らな板、本当に壁みたいなデザインをした防壁だ。


 最初の防壁とは違って、中に特殊な処理を施している。触れると別の次元に移動してしまうブラックホールみたいなもので、別次元の中は出口の無い迷路になっている。


 外側から掘り出さねば二度と帰っては来られない牢獄系のアビリティだ。そう易々と抜けられはしないだろうが、まあ長くは持たないだろう。早めに次を作らなくては――


「なんてでたらめな……」


「安心するのはまだ早い。たぶんあれも持って二分が限度だ」


 なんて言ってるうちに早くもエラー警告が飛び込んできた。遠くでひび割れ、怨念雲の雫が地上に漏れてくるのが見えた。


「今ので一分半に縮んだ。とりあえずここから先は私とアレとの知恵比べだな」


 展開中の防壁に連結して自身をプログラムの一部と同化させる。


 ランニング状態で改変、補強を繰り返し、突破されるごとに再び改変と補強。さらに板の下にもう一枚新たにプログラムし直した防壁を張る。そうやって何枚も重ね続けていくつもりだ。


「なるほど、多種類の壁を即興で創って、攻略の時間稼ぎか。だが結局はジリ貧だ。押し返すってできないのか?」


「この町全部の範囲を一気に同時処理してるだけでも褒めてほしいんだけど」


 そうこうしている内にまたわずかに開いたバグの穴から呪詛の雫が一つ地上に落ちてきた。


 今度は私たちのすぐ近くに落ちたが、地面が蒸発したのか、直径一メートルほどの溶解したクレーターが出来上がっていた。それを見た桜花ちゃんは呆然としていた。


 状況の急な展開に全くついてこれていない。私やカンザシ男ならアレに触れても多少の心得はあろうが、桜花ちゃんは昨日今日初めて心世界に来たレベルの初心者だ。もし万が一にも桜花ちゃんに当たってしまったら、彼女では一瞬で死んでしまうかもしれない。



「私に考えがある」


「どうすんだよ」


「彼の家に一旦退避する。話はそれからだ。桜花ちゃんも早くこっちに!」


「え……は、はい!」


 カンザシ男は舌打ち一回と汚物を一回唱え、指示に従ってくれた。


 ユウマ君の家の中へ全員入った事を確認したのち、穴の開いた壁を修復、補強して出入りを完全封鎖する。


 当然だが怨念雲と防壁の戦いは継続したままでだ。そもそも上空で展開されているシステム処理戦に負ければこんな家など微塵も残さず消えてしまう。手は抜けない。しかし何とかこれで本体の彼はこの家には早々に入っては来ないだろう。



「これで、少しは時間が稼げるな」


 カンザシ男は溜まった文句を言いたげにしていたが、しかし桜花ちゃんが先に口を開いた。


「あの、コレってどういう状況なんですか⁉ この男は敵で、レヴィアタンの手先なんですよね? でもなんで今は仲間みたいな状態なんですか⁉」


「まあ、そうだろうね。そう思うよね。ちゃんと説明するよ」


「それにここどこですか? 確か空杯さん、心世界のセンパイの家に行くって言ってたんじゃなかったんですか?」


「あぁ、ここがそうだよ?」


 あれ、どういうことだろう。なんだか情報に誤差がある。確か、桜花ちゃんは彼の家になんどか訪問していたらしいのだが、どうもここはそうじゃないらしい。


「桜花ちゃん、ここってユウマ君の家じゃないの?」


「いえ、センパイは借り部屋で暮らしてた筈ですけど?」



 いや待てよ。そう言えば彼の記憶を走馬燈の様に覗いたときには、こんな家はこの夜桐町には無かった。現実世界の心世界を完璧に模倣した心世界の筈なのに……。




「ここ、誰の家なんですか?」


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