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四・続【パニッシャーの家】


 しばらくの間、こう着状態が続いた。




「……? なんだ、倒したのか?」



 二人して、突然の行動停止に緊張して動けなかった。それから何かを忘れている気がしてすぐに思い出せた。



「……あ、そうだ。ガマの仕込み刀には即効性の麻痺を付加するウィルスを入れてたんだった。すっかり忘れてた」


「自分の使ってるアビリティスキルの把握くらいしておけよ」


「いやいや、全部は無理だよ。ドラえもんが自分の秘密道具を全部把握してないの同じでさ。君も二千、三千もクラフトしたアビリティなんて覚えないでしょ?」



 しかし、なんでガマのスキルが効いたんだ。確か五年前くらいに作ったスキルで結構単純な構成のはずだ。


 利点は即効性という点だけで、拘束時間はあまり長くない。そもそも対象を完全停止させるのを目的に作った失敗作だ。散々透過されたプログラムの方が何百倍も攻略が難しいはずなのに、これはどういう事だろうか。


「くそったれが。コイツにえぐられた腹、呪詛が入り込んでやがる」


「治してあげよっか?」


「要らねえよ、エクスマキナに施しを受けたら最後、何をされるかわからん」


 鋭いね。嫌いじゃないな、その警戒心。もう遅いけれど。


 カンザシ男は自前のスキルを駆使して自身の治癒に勤めた。さすがに対処には慣れているといったところか、これなら放っておいても死にはし無さそうだ。


 それよりも先に羊頭の方を急いだほうがいい。いつ動き出すかわかったものじゃあない。


「おい、何してんだよ」


「このアバターに繋がって中を覗くだけだよ。またいつぞ動き出すかわからないからね。もっと強力な思考停止のバグを引き起こさせる」


 後ろで何やらカンザシ男がやめろと喚いているが聞かなかったことにする。ケガ人は怪我を治す事に専念すべきである。


 羊頭まで、手の届く範囲まで近寄る。体表を覆う黒いモヤは全て呪詛の様だ。どれほど恨み辛みが溜まればこんな風になるのか、想像するのも難しい。気にせず手を突っ込んで彼に動作の完全停止コマンドを命令した。バックグラウンドでも一応、彼の記憶を抜き取っておく。


 異変が起きたのは丁度その時だ。別段、急転直下な展開という訳ではない。遠くからでも響き渡ってくる重い銅の音が耳に入ってきただけだ。


「……鐘の音?」


 鐘といっても、静かに遠くまで届く寺の鐘の音だ。


 なぜこんな時に、と思っているとサルベージもままならぬ内に羊頭の体が動き出した。まずいと判断し、拘束用のウィルスの芽を埋め込んで退避した。そして息をつく間もなく、剛爪の手がつい先ほどまで私のいた空を切り裂いた。



「ッ……オェ……ゲェ――」



 盛大に吐いてしまった。羊頭の精神にあてられてしまった。同じく、何か郷愁感のようなニオいを得てしまった。脳みそが壊れたのかと錯覚したが、間違いなく旧知の友と出会ったような、そういう感覚だった。


 這いつくばりながらも奴を見た。奴も私を見ていた。目を見ると、わかる。見れば思い出す。


 因果とでもいうべき運命の相手だ。


『ドイツ、モ、コイツ、モ、スキカッテ、イイヤガル』



 初めて、彼が言葉を介してきた。



『モウ、ウンザリ、ダ』


「あぁ、そうだな」



 彼の大きな足が高く上げられる。踏まれたら頭くらいは簡単に潰れるだろうな、などと呑気に思う。


 なんだか、どうにも避ける気にならない。このまま殺されてもいいんじゃないのかと思い始めている。足が私の頭に落ちて、地面を踏み砕いた。足は私の目の前に落ちた。なぜだか無事だった。それからも身体が勝手に後ろへ引きずられていく。



「動けこのイカレメスガキが‼」



 カンザシ男が私のお気に入りの深碧のコートの下を雑に引っ張ってくれていた。


「勝手に死ぬんじゃねえ、自分でこのエリアにとんでもねえプロテクト張ったの忘れたか⁉」


 そういえば死んでも持続する脱出不可エリアを作ったんだった。まだ頭がぼーっとする。長い長い過酷な旅から帰ってきた後みたいですっかり忘れていた。高揚状態からいきなり精神安定剤を入れられたくらいに不安定だ。まったく、酷い話だ。



「いや、悪い。ちょっと彼の記憶にあてられた」


「……何を見た」


「夜桐町の仕組みと、その過程、なお実体験視点。それから顛末のおまけ付き」


「どうでもいい話だ」


「キミは知っていたのか?」


「二度も言わせるな。他人の不幸なんてどうでもいい話、いちいち知らねえよ」


 どうでもいい、か。確かに、カンザシ男は他人の不幸に共感したり同情したりするような性格ではなさそうだ。そういう冷たさを持っている人間だ。



 頭を振って雑念を払う。そろそろ頭を切り替えなければいけない。花が咲く頃だ。



 私が手を突っ込んでいた彼の胴から、浅い色の緑の草木が生えてくる。急激な成長と共に太い蔦のように絡みつく茎。しかし数秒もすれば彼の体に取り巻く呪詛で瞬く間に枯れてしまい、粉塵の様に空気に紛れて消えてしまった。



「お前、結構役に立たないのな」


「キミは結構役に立ってるよ。おかげで命拾いしたし」


「世事はいいから結果を出せ」


「上司みたいな台詞だな」


 結構とっつきやすい良い奴かもしれないと思い始めたところだが、それどころじゃなくなってきた。


 どういう仕組みで千手返しを行っているのかわからないが、プログラムの全てに耐性を持ち始めている。万能の抗体とでもいうのか、一度使ったプログラムが瞬時に克服されて、何の役にも立ちはしない。


 思えばカンザシ男の大剣も、アルフの犠牲で浅いけども一撃を受けている。いや、もしかしたらある程度は見ただけで克服できるかもしれない。私の装甲防壁を彼は間近で見ていたし。


 だとすると戦闘行為が長引けばそれだけ対抗手段が減らされていくことになる。それに拘束系のアビリティは発動中に解除されたし、私としてはお手上げだ。


 そうこう考えている内に、彼は動き出した。近くに刺さっていたカンザシ男の大剣を握る。握り心地を確かめるように振り回す。



「おい、それは俺のだぞ」


 本来、ありえない事だ。彼は知らないかもしれないが、ExCという武装は指紋認証のような物があり、持ち主しか扱えない代物だ。マスターコードを持たない者が持ったところで使えるわけがない筈なのに。



 相手の力量はこちらの常識を遥かに凌駕している。



「おい、お前のプランは?」


「現在、思案中」


「そんな余裕はないぞ。エクスマキナともあろう御方が随分と手間取るじゃないか」


「言っておくが、さっきのアビリティは私の十八番だったんだ。複数種類のウィルスを連発と同発に組み分けて誘発させる合併型ウィルスだ。症状は六の三十二乗通りで、解除には私の編み出したワクチンを六つ、順番に投入するしかない。


 ぶっちゃけた話、あれ以上の強力なアビリティをクラフトしてない」


「じゃあ今すぐ作れ、新薬作成の時間ぐらいは稼ぐ」


「絶対に嫌。そんなの作ったら相手の精神が壊れる恐れがある」


「こんな状況でも敵を庇うなんて正気か⁉」


 正気だよ。あれだって作るのに丸一日掛けたんだ。対象の精神に負荷を掛けつつ傷つけない様にするのに、どれ程計算に計算を重ねたかなど、この男は知らないだろうけど。


 さあどうする? と言わんばかりに彼は巨骨の大剣を地面で削りながら迫ってくる。


「いい加減その善人ぶった考えはやめろ、俺はお前とこんな所で心中するつもりはねえぞ」


 カンザシ男の言葉ももっともだ。何もしなければ殺される。何も出来なくても殺される。でも私はそれでも、人を……彼を殺そうだなんて微塵も考えられなかった。だってそんなの、悲しいじゃないか。


「はじめは違ったんだ。彼だって、まっとうに生きていく事を選んでいたんだ。それを貫くたびに彼は傷ついて、裏切られて。それでも自分の意思で選び続けてきたんだ。なのに最後に残った希望にさえも裏切られて……。


 辛くて、悲しくて、恨むことでしか自分を維持できなかったんだ。恨んで、怨んで、何を憎んでいたのかも忘れてしまう程に……。世界の何もかもを憎んで、終いには自分すらも憎んでしまっているんだ」


 だから、私は彼を止めたい。止めさせなければいけないんだ。


 遠くない位置で、彼の動きは止まった。


 嫌な予感だけが胸の中でうごめいていた。




「やめろ、もういいだろ」




 そしてそれは的中した。


 聞き覚えのある、冷めたい石のような物言い。白紙の記憶の少年。


 目の前にいる黒いモヤをまとった羊頭の男の半身。


 人の姿をしたもう一人のユウマ君の姿がそこにはあった。


「もういいだろ、もうさんざん暴れただろ。いい加減にしろよ。お前、何が目的なんだよ!」


 ため込んでいたストレスが、激流の如く彼の口から勢いよく飛び出した。


「お前いったい何なんだ! ウンザリするような言葉ばかり言いやがって。お前に僕の何がわかるっていうんだ! お前は僕の親か? なんでなにも言わないんだよ! 訳わかんねえんだよ、喋れよ! こっちに近寄るな!」


 ユウマ君は暴走するように口から言葉が飛びだしていた。たぶん自分が思っている以上の感情があふれ出ている。マズイ傾向だ。




「センパイ!」



 何とかしなくてはと考えるが、まともに考え終わる前に別方向からもはや耳に馴染んだ女子の声が聞こえてきた。


「桜花ちゃん⁉ なんでこっちに……!」


 彼女もこちらに気が付いて、声を出した。


「空杯さん! それが、わたしもわかんなくって。気が付いたら心世界に入ってて――というかとなりのその男ってまさかカンザシ男‼」


 状況がますます混乱してしまった。いちいち順に収拾させる余裕もない。


「おいおい、どうすんだよ」


「カンザシ君は下がって! あるいは余裕があるなら彼女を守ってくれ。私は今からユウマ君を救出してくる!」


 後ろでカンザシ君が喚いているが一秒だって惜しい。最悪のパターンに入ってしまう前に、どうにかできるものならば……!



「なんなんだよ、お前……。ホント、なんなんだよ……」



「ユウマ君、それ以上はいうな‼」


 彼は叫んだ。断末魔の様な声は、しかし目の前の黒い塊によってすべて書き消えてしまった。黒い塊はユウマ君の体をすべて呑み込んだ。


 その瞬間、黒い塊が急速に膨らみ、爆薬でも詰め込んだかのように破裂、衝撃波が襲い掛かってきた。


 吹き飛ばされていく私の手は全くと言っていいほど遠く、届かなかった。



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