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三【信念の証明】

「けっこう酷い痕だなぁ。消えるかな、コレ」



 洗面台の鏡に映る自分の体にできた胸の痣を見て心配になる。


 撃たれた箇所は青紫に変色して打撲症になっている。


 骨は折れている様子はないと思う。まあヒビくらいは入ってるかもしれないが今は確認しようがない。今出来る処置は脳内の感覚神経の一部を意図的に遮断して痛みを感じなくする事くらいだった。


 これも心世界などを通じて行える手段の一つである。痛覚の概念を一時的に忘れるといった技は、まあ現実のモルヒネとあまり変わらないだろう。


 違いといえば、薬の場合は多用すると依存症になるが、痛覚遮断の場合は少しいじり方を間違えれば一瞬で全身不随になったりするケースがあるくらいだろうか。私は何度も経験しているから簡単に実行しているが、普通は誰もしない手段である。



 しかし、銃で撃たれてこの程度で済んでよかったと思うべきだろう。まさか愛馬のドラスタの鍵で銃弾を防ぐ日が来ようとは神様だって思うまい。お蔭で鍵はひしゃげて絶対に差し込めない形になってしまったが、命と引き換えならば安かろう。


 それにしても用心しなければいけないのはあの男……。現実世界では異常なレベルの精密狙撃を行い、心世界では洗脳ウィルスを使用してくる容赦の無さ。間違いなく相手はプロだ。


 厄介なのは現状では相手が対等の立場にない事、それから相手の目的がユウマ君という所か。こんなことになるのなら、私も父から狙撃を学んでおけばよかった。


 もともと手加減のできない銃は好きじゃないのだけれど、こうも一方的な状況にされるくらいなら、手段の一つとして持っておくべきだった。これでは町の問題を解決しようにも踏み出せない。それに相手の手段が他にない可能性もない。プロならまだ隠し玉もあるだろう。


「まずは相手の情報収集が重要だよね」


 そういう訳で私はユウマ君を肩に乗せ、風呂上がりで火照った桜花ちゃんをソファに座ってもらった。


「まあ、そういうのは大事だと思うんですけど。そのカラスは?」


 桜花ちゃんは隣のカラスになったユウマ君を見て怪訝な表情をしている。


「世にも珍しい思考するカラスだ。この町に来て友達になったんだ。仲良くしてやってくれ」


 ユウマ君の意識がカラスの中にある事は今のところ伏せている。色々と理由はあるが、やはり一番大きいのは情報の最小限化だろう。あの男の狙いがユウマ君である以上、この情報が彼に渡るのはいささかよろしくない。それに場合によっては交渉カードの一枚として使えるモノだからだ。


「桜花ちゃんは直に奴と出会ったはずだが、奴が誰だったかわかるかな?


 心世界による手段を投じている以上、間違いなく同業者な訳だから、ああいう奴が蔵井町にいるって情報はなかったのかな?」


「顔を見た訳じゃないので誰だったのかはわからないですけど。


 でも事前の調査ではこの町に潜伏しているコネクター所有者は私だけでした。異変が起きてからやってきた他組織の差し金でしょう」


 桜花ちゃんは自信なさそうに多分ですけど、と言い足して終わった。元々、この隔離された町に誰かが目を付ける様な出来事もなかったのだろう。だから桜花ちゃんもユウマ君の監視をたった一人でしていたわけだし。



 ユウマ君が何か思い出したように声を掛けてきた。


『そういえば心世界に居た時に、かんざしを付けた異様な男がいたんです。もしかしたらソイツなんじゃないでしょうか?』


「かんざしを挿した男?」


 そいつはまた、おかしな奴が出てきたものだ。桜花ちゃんは私の復唱に引っかかるような顔つきになった。


「かんざし……そういえばわたしにコネクトした男もかんざしを所持していました。そういう軽い鉄の音がしていたんで、間違いないですよ」


「かんざしが奴を特定する手掛かりか。よし、しばらくは奴の事をカンザシ男と呼称しよう。かんざしを挿しているという特徴しかわからないが、あの射撃の腕だ。


 涼風ちゃんに聞けば少しは相手の事もわかるだろう」



「涼風ちゃんって誰ですか?」


「私の妹だよ。凄い良い子なんだよね。一応キミ達と同じ系列の結社に所属してるから、味方だと言ってもいい」



 そういえばこの町に来てから涼風ちゃんとの連絡が行えていない事を思い出した。電波障害の可能性を考えるのなら、固定電話を使えばよいのでは? と浮かび、早速実行に移す事にした。


 今どき黒のダイヤル電話など田舎でも使っていないのか、お邪魔している自宅にはファックス兼用の固定電話が置いてあった。まあ田舎の偏見なのかもしれないので、今後はこのような思い込みは控える事にしたいところ。


 勝手とは思ったので、気持ちとして電話料にお札を一枚受話器の下に挟み利用させてもらう。


 無機質なコール音が二回ほど鳴り、三回目のコールの間で繋がる音がした。


『はい、空澄です。どちら様でしょうか?』


「お、おおおぉ、繋がったよ! やっと涼風ちゃんと連絡出来たよぉ‼」


『……姉さんでしたか。とらなければ良かった』


 感極まる思いが自制できないほど波となって声に出てしまうと、涼風ちゃんはいささか棘のある声で私を戒めた。


「ああ、ごめんごめん。でもやっと涼風ちゃんと電話できて、それだけで私のテンションは頂点を振り切って百万光年先の宇宙の果てだよ!」


『言ってる意味は分かりませんが、ブラックホールにでも飲み込まれて二度と帰ってこなくていいですよ。というかなにか用ですか? わたしは忙しいんですけど』


 どうやら涼風ちゃんは今日も具合が悪いらしい。まあ数日で体調が激変するわけでもないので、まだ調子が悪いということか。


「ごめんね、そっちも大変なのに」


『わかっているのなら気軽に連絡を取らないでください。迷惑です』


「ごめんって、また今度埋め合わせするからさ」


『そんな事より要件は?』


「調べてほしい人物がいるの。性別は男、声質からして小柄ではないと思うわ。それとカンザシを挿している。心世界でのアビリティクラフト能力はウィザード級あたりかな。ついでに狙撃の心得も相当高くて、交渉もしてくる」



『使う銃はもしかして村田ですか?』


 涼風ちゃんは調べる様子もなく、知っていた回答を投げるように問いかけた。



「村田式短小銃か。今でも猟銃として存在し続けている伝統的なフォルムのライフル。ボルトアクション式で年式によってはマガジンの無い物もある。連射には不向きのはずだけど、そう言えば一発の間隔内で交渉を始めたのはそれを悟られない為とか?」



『どうやら当たったみたいですね』


「さすが涼風ちゃん! じゃあ相手の名前と、主な手段とかわかる?」


『名前は不明ですが、それ以外でしたらいくらかわかります。


 過激派集団『レヴィアタン』に所属。我が結社とは敵対社の手先です。


 特殊戦闘員扱いなのか、タッグを組まない一匹狼で、単独行動しかしません。ただしその戦闘力は高く、射撃の腕は百発百中、さらにExCを所持しており、現実と心世界、双方に優れた戦闘員です。


 そのうえ特質すべき点は、銃剣道有段者であり、その腕前は達人者の域におり、射撃よりも接近戦の方が得意だと思われます。姉さんのナンチャッテ拳法など微塵も通用しないでしょう』


「ナンチャッテじゃないよ、空手と柔道と合気道の三つを融合させた活拳法だよ!」


『それがなんちゃってじゃないんですか? 根本が全然違うのに混ぜて成立するわけがない』


「いやあ、さすが涼風ちゃんには敵わないなあ。その通りなんだよね。使い所とか殆んどなくって暴徒化した一般人相手か不意打ちくらいしか出番ないんだ。どうしたらいいと思う?」


『そんな事はどうでもいいです。仕事の話に戻しましょう』


 そうだった。また話が脱線しかけていた。いい加減、自分をコントロールしないとね。


『依頼に追加をさせていただきます。彼の抹殺もよろしくお願いします、報酬の上乗せは上の者に聞いておきます。手段は問いませんので、姉さんの好きな方法で殺してください』


 思わず私は言葉を失った。可愛い妹の口から聞きたくもない言葉が出てきたからだ。返事をするのを一瞬ばかり忘れてしまったが少しばかり動揺しただけで、それも少し待って落ち着かせた。



「それは涼風ちゃんの頼みでもできないなあ」


 理解ある我が妹ならわかってくれると思い、多少軽薄な言い方だったかもしれないがそんな風に断った。でも私の期待とは裏腹に、小さな声ではあるがはっきりとした怒りを込めて涼風ちゃんの言葉は私に届いた。


『……ふざけないでください。彼は殺し屋です。殺せる内に手を下さなければ殺されます。それとも、依頼を放棄するつもりですか?』


「そんなつもりはないよ。涼風ちゃんの仲間は絶対に守るし、町もきっちり元通りにする。でも私は殺さない。例え相手が敵だろうと殺し屋だろうと絶対に――『そりゃあ姉さんは良いでしょうね! なぜなら貴方は殺されない自信があるんですから!』


 電話越しの怒声が耳を殴った。


『姉さんはわかってない、自分は神の領域に立っているから、そんな風に綺麗事を吐けるんだ!


 殺したくない? そんなの誰だって思っていますよ。でも私たちは殺しあってるんですよ。世界を守るために、悲劇にしないように。


 なのに姉さんは今、駄々をこねて自分は嫌だと言ったんだ。実際に戦っている人の事なんて、殺されるかもしれない者の立場なんて理解できないんだ!


 正義とか愛とか言って、自分は汚れたくないだけだ。人を殺さない事が信条?


 結構ですよ、立派ですよね、白々しいほど。でも誰かが殺さなければ殺されるのは私の仲間なんですよ。自分の手を汚したくないと言って、誰かに責任を押し付けようとしている。


 これはそういう仕事なんですよ? まさか知らなかったなんて言うつもりですか?』



「そんな、涼風ちゃんを困らせるつもり――」


『無いと言いたいんですか? でも貴方は同じ事を今しがた言ったんですよ。平然と、当然のように。それがどれほど無責任かわかりませんか? どうせわかりたくもないんでしょうけど。だから私は貴方が大嫌いなんですよ』


 息も絶え絶えに、今まで溜まってきた鬱憤がさく裂したように、しゃべりつくした。



「……きれいごと、か。その通りかもしれない。でも、それでも私は」


 しばらく言葉が喉からでてこなかった。


 これを言っても、涼風ちゃんはきっと納得しない事をわかってしまっていたからか。殺し殺される世界のコトワリに憑りつかれた涼風ちゃんの心に、私の言葉はきっと届かない。


 だから何も言えずに、そして涼風ちゃんの方から電話は切れた。通話が切断された後に聞こえてくる音が、むなしさを物語る様に、言い知れぬ虚無感に襲われた。さっと受話器を戻すと声が掛かる。


「あの、空澄さん? 大丈夫ですか?」



 振り返ると、桜花ちゃんは私の事を心配そうな表情をして見ていた。二人に観られていた。なんだか嫌なモノを聞かせてしまった。


「ごめん、空気悪くなっちゃったね。いやあ、参ったなあ、嫌われちゃったみたい。それともあの様子だと、もともと嫌われてちゃってたのかな。この分だと携帯は二度と使えないかな」


 この淀んだ空気をどうにかしないと、なんて思ってたら、桜花ちゃんは信じられないモノを見る様な眼差しをしていた。


「なんで、そんな風に笑えるんですか?」


「いや、だって悲しい顔したら、余計に空気悪いじゃない」


「……なんで、そんな何ともないような平気な顔出来るんですか?」


 なんでって言われても、そういうものではないのだろうか。そりゃ人間、どんな生き方をしたって好かれたりも嫌われたりするものだし。


「どうして拒絶されて、好きな家族に嫌いって言われて、そんないつもと変わらない顔が出来るんですか? 悲しくはないんですか?」


 気味悪がられているみたいに若干の距離を置く桜花ちゃんに、私は当たり前の事を話すつもりで言った。


「それは関係ないんじゃないかな?


 だってさ、私は涼風ちゃんの事、大好きだもの。それは絶対に変わったりしない。嫌われちゃったのなら、それなりの態度と対応で距離を置いて、涼風ちゃんの事を好きに思っていたらいいだけだし。嫌われちゃったから好きになってはいけない、なんて事は絶対ない。


 だからなにも問題はないんだよ」


 それに大好きな人に傷つけられるのは慣れている。だからこれくらいの我慢、なんてことはない。桜花ちゃんは困惑した表情を浮かべ、口を開くことはしなかった。


 このやり取りを最後まで待っていたユウマ君が、やっと口を挟んだ。



『そういう生き方って、どうなんですか? きっと辛い筈なのに、他人を思いやって……。それって何か意味があるんですか? 辛い思いをしてまで、選ぶ価値のある事ですか?』


 辛くない、という事は絶対にない。私にだって人並みの感情がある。だが、そんな事を言っている様では私の目指す存在にはなれない。届かない事をよく知っている。




「私は愛と正義を貫く傭兵だよ?」



 そりゃもう自信満々に、高らかに言ってやる。自分は強いと証明するように。



「辛いからって生き方は変えない。それが信念を貫くってことさ」


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