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【去ノ章:村崎桜花】

 蔵井町という辺境の町に引っ越しをしてから一カ月が経とうとしていた頃。わたしはしばしばセンパイに偶然をよそおい顔を合せ、監視役としての任を全うしていた。


 どうしてセンパイがウチの組織から監視されているのか理由は知らないが、あまり考えたい事でもなかったので気にしなかった。そんな事より、わたし個人の問題として、日々の生活の方が苦だった。



 蔵井町はどういう訳か、外から来た人間には相当冷たい。どころか町ぐるみで冷遇している。これは被害的妄想ではないと思う。なによりどこか狂信めいているようで、怖い気もする。


 わたしは普段の任務よりもこの町に滞在している事の方が苦痛で仕方がなかった。その上、わたしが住処にしているのは町でも端も端、築七〇年の木造建築のワンルーム(ボロ小屋)だ。もしも車が一度でも突っ込めば生活空間の全てが丸裸にされてしまうだろう。


 電気が通っているのがキセキだと思う。だいたい隙間が簡単に見つかる上にすぐそばの草むらや山の虫や動物が簡単に侵入するという恐ろしさたるや……。都会のマンション暮らしがとても恵まれていたのだと改心するまでになっていた。


 だからセンパイの部屋に無理を通して厄介になる事が多かった。

 センパイは嫌な顔をするが、しかしそれでも付き合ってくれる。なかなかどうして、態度はよくないかもしれないが良い人だ。まあこちらが気を使わなければ空気のように存在を無にする人だ。

 監視するにしても気が付いたらいなくなっていたでは、冗談ではない。だからこの人に対して、わたしは付き合い方を少し特殊なものへと変えていった。まあ、とてもじゃないが失礼な関係だ。


 このおかしな町にいるにあたっての頼りになる存在、依存対象として彼を捉えることにした。だがわたしのもともと持っていた妙に高飛車めいたプライドが邪魔をして、わがままな子供みたいな感じになっていたが……。


 彼はそれすらも許容し、相も変わらず嫌な顔をして世話をした。良い人だ。



 そんな日々が続いての夕刻。わたしは一人、誰もいない屋上でたそがれていた。クリップボードにB4の鉛筆数本、それから白紙のコピー用紙。これで何をするかと言えば、ただ気晴らしに絵を描くだけだ。


 なんとなく思いついたモノを書いて、疲れたらときおり高所からの景色を見て休憩する。これがどうしてなかなか安心する。戻ってきた感じとでもいうのか。

 なお、絵の方はお世辞にも上手いとは言えない。


 頭の中にある絵はもっと事細かで優雅なのに、どうも表現しきれない。それはわたしの絵の才能の無さか。気晴らし程度にしか愛着を持っていない故の結果だろうか。


 そんな事を考えたらちょっと落ち込んで下を見た。するとそこにはよく見知った顔があった。センパイだ。それと、二人組の男子生徒。一見すれば特別な感じはしないのだが、あのセンパイが誰かと一緒に行動するのが珍しかった。気になって屋上から降りて(もちろん屋内の階段から)三人の入る場所のすぐ裏の校舎内にきて会話を盗み聞きすることにした。



「結局、何が言いたいんだ?」



 センパイの声だ。いつも通りの倦怠感が聞いてとれる面倒くさそうな声だ。どうやら本題は今からの様だ。間に合った。


「だからさ、最近うちの町に来た女子と知り合いなんだろ? 手を貸せって言ってんだよ」


 わたしの事を言っているんだろうか。他に思いつく相手もいないので、自然とそう思う。何の話だろうか。


「お前の事を思って俺らは言ってんだぜ? お前だって根性バットの刑は嫌だろ?」


 様子が気になって窓から少し観察することにした。目を疑った。とてもじゃないが友人同士で話している光景には見えなかった。センパイは背後から首を締めあげられ、もう一人は金属バットで素振りをわざわざ先輩の鼻さきで振り込んでいる。


「なあ、観念しろよ。意地張っても良い事なんか何もないんだぜ。ただ俺たちにちょっと協力してくれりゃ良いだけなんだよ。あのよそ者を騙してくれりゃいいんだ。その先は俺たちに任してくれたらいい。たったそれだけの事なんだぜ」


「そーそー、なんだったらお前も混じってもいいんだぜ。それとももうお前が手ェつけてたりしてんの?」


「そんな関係じゃない」


「だったら別に輪姦されてもお前は文句ねえだろ? 俺らに売っちまえよ。そうすりゃ今度からお前にちょっかいださねえんだからよ」




 なにこれ。最低としか浮かんでこなかった。要するにコレ、センパイを脅して強制的にわたしを身売りさせる話だ。いやはや、こんなにもトチ狂った場所だとはまだ思っていなかったのに、決定的な証言を聞いてしまった事で早くもこの町を出ていきたくなった。これこそ冗談ではない。


 それにしても心配なのはセンパイだ。この状況、とてもじゃないがNOと言える感じじゃない。断ったらどんな報復行為が来るか、容易に想像できる。まあ幸い、わたしはこの現場を聞いた。センパイが了承したらわたしは黙って消えてしまえばいい。いや、ついでにセンパイも連れ出して、こんな町から即座に出ていこう。それが一番いい。そうすればわたしもセンパイも、どちらも不幸にならずに済む。




「断わる」




 鉄バットが肉の塊を捉える音が校舎内のわたしの耳にまで届いた。


 なにを言っているんだと我が耳を疑った。さすがのセンパイでも痛い目を見てまでわたしなんかを庇い立てする訳がないと思っていたのだ。なのに、どうしてそんな事をいう。



「もう一度チャンスをやるよ。もういっぺん言ってみ?」

「ことわ――」


 声が止まった。何故かとみるとセンパイの足は宙に浮き、背中を反りかえす勢いで首を締めあげられていた。だがセンパイはジタバタすることもなく、ただ黙って待っていて、相手の手が疲れ始めたころにまた口を動かした。



「断わる、と言ったんだ」



 苦しいながらもはっきりとした口調で、聞き間違えないようなほど明確に彼は言った。それに対して再び暴力がセンパイに襲い掛かった。ここから先は見るのも聞くのも、この場に居るのも嫌になった。


 何度も何度も聞こえてくる悲鳴と打撃音。二人の男たちが人の声とは思えない怒声をセンパイに浴びせながら、やはり何度も繰り返していたぶる。


 気が付けば、わたしの体はうんともすんとも動けなかった。知り合いがリンチされているすぐ近くで、わたしは何もせずに、黙って隠れて、この場から離れる事も出来ずに、ただ傍観を決め込んでいたのだ。自分が嫌いになりそうだ。蛮勇でもここで立ち上がって、あいつ等の前に出ていっても良かった筈なのに……。


 わたしは怖くて、自分の身が不安で、そう思うと何故か目から情けないモノが流れた。


 陽が沈むころ、報復はやっと終わりを告げ、二人の生徒は消えていた。センパイは死んだようにその場で転がっていた。



「……センパイはバカなんですか?」


「やっぱりずっといたのか。よくもまあ暇な奴だな」


「気が付いていたんですか……」


「屋上から一度顔をのぞかせてたのが見えたから、もしかしたら近くにいると思ってた」


 視線が交差した覚えはないが、どうやら察知されていたらしい。でもならなんで……。



「なんで、センパイ。あの時、わたしを売らなかったんですか? 気が付いていたなら、約束を取り付けた後、破棄すればいいだけじゃないですか」


 なぜそうしなかったのか。


「まさかセンパイの癖に、男でも上げようなんて考えてたんじゃないでしょうね? もしそんな事を思っていたんだとしたらセンパイは大馬鹿です」


「勝手な妄想を垂れ流すなよ。俺に限って正義感とか保護欲なんて善性はありえないだろ」


 センパイはふら付きながら立ち上がり、わたしの手も借りずにカッコつけて立ち去ろうとする。


「面倒だと思っただけなんだ」


 それを聞いた瞬間、カチンと頭の中で火打石みたいな何かがぶつかった。


「……なんですかそれ。それこそ大馬鹿を通り越して能無しじゃないですか!

 下らないプライドなんか持って、あの時うなずいていればそんな痛い目も見ずに済むのに!

 じゃなかったら、少しでも抵抗すればよかったじゃないですか!

 殴られるだけ殴られて、殺されるくらい殴られて……それこそ、面倒だというモノじゃないんですか⁉


 センパイが何を考えているのか、わたしには全然わからないです‼」


「プライド高くて面倒臭がりなのは自分の方だろ」



 口が、開いたまま動かす事ができなくなってしまった。心の内を、いつの間にか探られていた。まさかそんな事を平然とするような人とは思わなかった。信じていたのに。


「これからは会わないほうがいいだろうな。お前も、何かしらの暴漢対策しとけよ。パートナーだからって、俺は助けないからな」


 センパイは痛めた足を引きずりながら、この場を去り始めた。ただ最後に、言い訳するようにわたしに言った。


「面倒だと言ったのは、ただ単に、嫌だっただけなんだ。誰かを傷つけたり、その結果自分が傷つくのが。でも俺が痛い目見たら、それ等の問題がただそれだけで済む。それに俺は慣れてるからな」


 言いたい事を言うだけいって、彼はわたしの前から言い逃げた。


 なんだあの人?


 なんなんだ、あのわけわからない考え。


 一周して所在不明だった怒りの感情が再び帰ってきた。


 そんな自己犠牲とも言えないような自己破滅を信条にする男を、正確な理由はわからないが、どうしても恨めしくなるのだ。だが、一緒にどうしようもなく、手段が思いつかない事に気づかされた。進むべき道の失った感覚に襲われ、わたしはやはり、何もすることができなかった。




 一番の能無しは、わたしだった。


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