【間ノ章:村崎桜花】②
身体が火照って頭が気球みたいに浮いている。そんな体験だった。
ハッとなって自分は湯船に浮いていることにやっと気が付いた。まだ日の高い頃だろうか。青空の光が優しく差し込んでいる屋内。隣でシャワーを浴びている人間がいることに気が付いた。クセのない長い髪、理想的な身長、無駄のない絞まった肉、凛麗という言葉が似合う女性だった。この女性をわたしは別の世界で知っていた。
「起きたね、桜花ちゃん」
振り返る空澄さん。左胸には何らかの要因で付いた真新しい痣が付いていたが、それは傭兵という家業の勲章みたいなものなのだろう。あまり深くは聞かない事にした。
「いやあ、間に合ってよかった」
「間に合った……?」
「いや、今のはこっちの話だよ」
どういうことか、少し汚れっぽかった感覚がすべて洗われ、身体どころか心まで現れた様な感覚があった。特に髪だ。普段は最低限の手入れしかしていないので、少し傷んでいるな、と自覚する程だったのだが、それが一切今はない。
髪をいじくる指は、自分の髪ではないのではと疑って掛かるほどに見違えていた。
「もしかして、こんな風にお世話されるなんて、思わなかったです」
素直に感謝しないといけなかった。そう思うのに、どういう訳だかヒカリさんは顔を合せてはくれなかった。そして上辺だけの様に言う。
「気にしないでくれ。キミは何も気に病むことはない。うん。私がしなくてはならないと思ったからやっただけだ」
なにか、変だと勘付いた。
「そこまでの使命感をなぜ感じたんですか?」
「え、あー……いや、その」
あまりにも言葉を詰まらせる彼女の様子はやはり何か知られてはまずい秘密を持っている様子だった。いったい何をやらかしたんだ。
「あれだ、桜花ちゃんは覚えていないだろうが、キミに一撃、痛いのを入れてしまったんだ。これはそのお詫びだよ」
ふーん、と一言。全然納得していない意思表示としてわざとらしく言ってみたが効果てき面だった。彼女の作り笑いは既に崩壊寸前で、もはや同情すら湧かせる勢いだ。
「わかりました。面倒ですからそれでいいです。操られている所を助けていただいたようですし。感謝こそすれ恨むのもいささか筋違いでしょうし……」
「そうか……。そっか……」
そうすると、彼女はどこか複雑そうな顔をしていた。
やはり、気になる。
「……まさか」
記憶を、センパイに対する感情を見られた?
「見ました?」
彼女はシャワーを止め、湯船に入ってきた。大きいとはお世辞にも言えないが、足をたためば二人分は余裕があった。
「……不可抗力だった、と言い訳させてほしい」
彼女は息を少し吐いてから、また息を少し吸ってわたしの目を見て話してくれた。
「少し面倒な相手だったんだ。狙撃されてて、適当な民家に隠れたんだ。それから桜花ちゃんのマインドハックを解除するためにトランスした。ユウマ君には見張りの為に一緒には来なかったから安心してくれ」
それを聞いて、やっと少しだけほっとした。
「相手のウィルスは件の中層に食い込まれていたから、その排除にはどうしてもそこまで入り込まなくちゃいけなかったんだ。あれは宿主の遠隔操作を目的にプログラムされてたからね。それ自体を消去するのは苦じゃないさ。ただ、やはり中枢にある区間だかね。どうしても隠しておきたい物も、見てしまった。申し訳ない」
「……聞いてみたら本当に不可抗力でしたね」
ならば、しょうがないというか、どうしようもない。正直、釈然としない気持ちはあるのだが、助けてもらっておいて言うべきことでもない。
「……この事、センパイには内緒でお願いします」
「その判断に、桜花ちゃんは自信が持てるの?」
彼女の問うた目はとてもまっすぐで、優しいモノだった。
会って数時間も経たない相手だったが、空澄ヒカリという人物が徐々に理解出来てきた。この人は、明るく、優しい人だ。
こうすべきだとか、答えは一つだとか、そういう話をきっと好まない。それは他人への否定となるからだ。他人を尊重する事を真っ先に考える。だからこの質問は、責めている訳でも、改めさせるものでもない。単にわたしの覚悟の問題だ。
その覚悟だって、わたしは簡単に揺るいでしまう。本当に自信があって言うのなら「はい」の一言くらい一秒もかけずに言えるはずなのに。
「正論が必ずしも人の為になるとは限らない。だから君のその過ちを、私は否定しないよ」
そんな風に言われてしまった。否定されると思っていたのに、容認されてしまった。それが良いのかどうかは少し違う気がするけれど、ちょっとだけほっとした。
でも、それでは問題は解決しない。なんの強さにもなりはしない。
どうしたら、いい結果になるのか。わたしには、それがどうしてもわからなかった。
「どうしてこんなにも、現実は窮屈なんだろ……」
「きっと人が一か所に増えすぎたんだよ。この浴槽みたいにね。結果、溢れ堕ちてしまう者が現れる。人間は万能じゃあないからね」




