九九段 もう騙されんよ
「……久々だな、エルジェ」
「……そうね、シギルさん、久々ね」
俺たちの間に、永遠にさえ感じられる重苦しい沈黙が流れた。エルジェは顔を背けた状態で、目だけ時々動かしてこっちを見ているが、バレバレだ。
「なんでこんなことになったのかわかる? あたしたちビーチにいたのに……」
「……俺の仲間がランダムにテレポートするスキルを使ったみたいなんだ」
「……へえ。なるほど。それでこんなところまで行ったわけね。っていうか、負けそうになったからってあんまりじゃないの?」
「……俺が指示したわけじゃないが謝る。すまなかった」
俺が軽く頭を下げてみせると、エルジェは驚いたのかただ演技なのか目を丸くした。
「へえ……。少しは成長したのね」
……俺のほうが先輩なのに酷い言い草だ。それでも全然怒る気にはなれない。何故だろう?
「俺は変わってないよ。あれからなんにも……」
「……そうなの。そうなら別にあたしの勘違いでいいけど……」
またも重量感のある沈黙に支配される。もしエルジェが《マインドキャスト》で何か唱えてくる気配があれば即殺すつもりだ。既に《念視》で体の構造は確認してある。
「……ねえねえ、あたしのこと殺したい?」
「……ん?」
エルジェが得意顔になって近付いてくる。何をする気だ、こいつ……。
「うっ……?」
パンッという鋭い音とともにエルジェに頬を張られた。
「……なんのつもりだ?」
ビリビリとした痛みが残る。なんてことをするんだ……。
「何、その目。おー、こわ。そんなに睨まないでよ。やっぱりあたしを殺したくてしょうがないんでしょ。それで復讐しに来たんじゃないの? じゃあ殺しなさいよ」
「……」
「とっとと殺してみなさいよ! さあ早く――」
『《微小転移》!』
内臓が俺の足元にたっぷりと注がれていく。凄い量だ。
「――ひっ……?」
エルジェは突然現れた大量の内臓を前にして顔面蒼白になっていた。
「今飛び掛かってきたモンスターの内臓だ」
「……う、うげぇ……」
腐臭で吐き気を催したのか、うずくまって口を押さえるエルジェ。俺にはもう慣れた臭いだ。こいつはどうか知らんが、俺はちゃんと《念視》によってエルジェの背後に迫りくるモンスターに気付いていたからな。それで睨んでるように見えたんだろう。頭部全体が眼球になっている猿のような中型モンスターだった。
「……た、助けて、クエスさん、ルファス……」
可哀想なくらい青ざめながらがくがくと震えるエルジェ。油断させるつもりか涙まで零してるが、もう騙されんよ。クエスってのは聞きなれない名前だが……あの髭面の殺し屋のことだろうか。
「安心しろ。お前が俺を殺そうとしない限りは殺さない……」
なんせ、俺の仲間もこの階層のどこかに飛ばされてルファスと一緒にいるかもしれないわけで、そう考えると簡単に殺すというわけにもいかない。凄く殺したいというのが本音ではあるが……。あー、そうか。怒る気にもなれなかった理由が今わかった。俺にとってはこいつがいつでも殺せるくらい弱いからだ……。
◆◆◆
「チックショウ、どうなってやがんだ……」
いつの間にか景色がビーチから暗い森林へと変わったかと思えば、ルファスの近くにいたのはビレントとティアのみ。これでは混乱するなというほうが無理な話だった。
「何ここ……う、うわっ……」
メモリーフォンを見たビレントが白目になる。
「おいどうした、ビレント」
「ルファス……ここ、百十階層だって……」
「……なんだと……?」
「ず、随分飛んじゃいましたね……」
ティアにとっては決して居心地の良い環境ではなかったが、ここで身を守るためには積極的に話しかける必要があった。
「なんだこいつ」
「ほら、ルファス、ティアって子だよ。シギル先輩の仲間の……」
ビレントがルファスに耳打ちする。
「どうも。一度自己紹介しましたよね、ティアといいます……」
「……おい」
「はい……?」
詰め寄ってきたルファスを上目遣いに見上げるティア。
「お前、何か知ってるんだろ。言え」
「……あの。私の仲間が特殊なテレポートを使ったのではないのかと推測しております……」
ティアとしてはラユルがやったという確信があったが、あえてぼかしたのはなるべく他人の振りをして避雷針になるのを避けたいという気持ちの表れだった。
「特殊なテレポート……?」
「ランダムにどこでもテレポートできるそうです……」
「……そんなもんがあるのか。そうか、だからあいつが百一階層を攻略できたわけだ……」
「これで謎が解けたねえ……。ねねっ、君の言う仲間って、もしかしてシギル先輩?」
「えっとですね、誰でしたっけ。今から思い出しますので少々お待ちを……」
ルファスだけでなくビレントにも詰め寄られてなんとも圧迫感を覚えるティアだったが、こういうときに怯みすぎると隙ができてより危険になるというのは知っていたのでなるべく時間を使って落ち着こうとしていた。
「あ、そうでした。ラユルとかいう子がそれを使ってましたね」
「……それって、ビレント、お前が狙ってたやつじゃねえか?」
「あぁ、あの子かあ。なるほどねー。シギル先輩がピンチだからその特殊なテレポートを使ってこうなったってことか……」
「そういう感じでしょうね……」
「おい」
「はい……?」
ルファスがティアに向かってアイスソードを振り被る。
「……る、ルファス。この子を殺すの?」
「……」
「もしエルジェがシギル先輩と一緒だったらまずいよ……」
「そんなのわかってる。俺に口を出すな!」
構わず剣を振り下ろすルファス。
「ひっ……」
さすがに覚悟して目を瞑ったティアだったが、どんなに待ってもまったく痛みがなく、最期はこんなものかと思いながら目を開けた。
「……あ……」
ティアが自分の後ろで何か鈍い音がしたと思って振り返ると、猿のようなモンスターの死骸が三つに分かれていた。
「も、モンスターだったんですね。ひっ……?」
安心するティアだったが、透かさず首筋に冷たいものが当たる。
「もしエルジェに何かあったら真っ先にお前を殺してやるからな。覚えておけ……」




