九五段 今回だけは俺が脇役になる
「クソッタレ、どうなってやがんだクエスの野郎……」
ルファスが両手で勢いよく砂浜に突き立てたアイスソードが湯気を放つ。無類の硬度を誇るこの長大な剣は、たとえ唯一の弱点である熱によって欠けたとしてもすぐに再生するという効果がある。イライラするあまりよく物に当たって武器を壊してきた彼にとってはぴったりの得物だといえた。
「あ、あのクエスさんが押されるなんて……」
エルジェのビブラートする声が徐々に細くなっていく。数いる殺し屋の中でトップクラスに君臨する彼が苦戦しているという状況は悪夢そのものだった。
「まさか……あいつシギル先輩の姿をしてるだけで、中身は本当にレイドっていう殺し屋だったんじゃ……?」
ビレントの言葉は、この信じがたい現実をなんとか直視しようと思ったがために出た前向きなものだったが、逆にそれが雰囲気を最悪なものに変えてしまっていた。
「ビレント、だとしたらよ……なんでレイドがシギルみたいな恰好をするんだよ……」
「そ、それは……僕にもわからないよ……」
ルファスに凄まれて赤線の外に出そうになるビレント。
「……もしかしたらシギルのやつ、レイドの知り合いだったのかも……。シギルはあのときにもう死んでて、レイドがその仇を……」
エルジェの台詞はとどめになり、凍り付いた空気がしばらくの沈黙を生み出した。
「お、終わりなのであります……」
うずくまったグリフが砂浜に顔を埋めてくぐもった声を発した。
「殺されるのであります。あんな酷いことをしたから、自分たちは復讐されるのでありますうぅ……」
「や、やめなさいよ、グリフ……」
「そうだよ、グリフ。確かに劣勢に見えるけどまだ決着はついてないんだし……」
「うぐぅ……」
「放っておけよ、そんなのよ。……ケッ、何が復讐だよクソッタレが。やつが先に仕掛けておいてよ。ま、単細胞らしくバレバレで笑えたけど……」
「そーよ。あたしたちは何も悪くないわよ。だって、使えない粗大ゴミを捨てたら逆恨みされたってだけの話だしねぇ……」
「うんうん。僕もそう思う。ゴミの癖に反抗してきたんだからゴミらしくシギられるのは当然じゃん」
「いいこと言うじゃねえのビレント。ゴミが自覚せずに反抗してくるのが一番性質わりいんだよな。ゴミはゴミらしく一生カビの生えた暗い場所に閉じこもってりゃいいんだ。日の当たる場所に出て来るんじゃねえっての。そんなのがあたかも主人公みたいな面して現れやがって……あー、死ぬほど気分わりぃ……」
「「だね……」」
結束だった。ここでグリフを除いて思わぬ結束が生まれていた。雨降って地固まるという言葉があるが、彼らはまさにそれを体現していたのである。
「……って、おいあれ見ろよ」
「「「……あ……」」」
ルファスの言葉に引っ張られて全員の視線がシギルとクエスに投げられたわけだが、信じられないことに形勢逆転していた。
「クエス、生意気なやつだがさすがだな……」
「あ、あはは。心配して損しちゃった……」
思わず零れた涙を拭うエルジェ。
「……僕も……」
涙はときにどんよりとした空気を介して伝染する。それはビレント、さらにはルファスであっても例外ではない。
「ケッ……久々に俺も目頭が熱くなってきやがった。おいグリフ、てめーも少しは喜べよ!」
「あ、あ、はいいぃー!」
ルファスに胸ぐらを掴まれたグリフが素っ頓狂な声を上げたことで、集まっていた泣き顔はたちまち蒸発し笑い顔へと変貌を遂げた。
◆◆◆
「さっすが師匠ぉ……いや、レイドさん! 強すぎですうぅ!」
ラユルが何度も万歳しながら飛び跳ねる。この大一番であの髭面の殺し屋と戦うのがレイドであるということは、シギルの一番弟子の彼女だけでなく、仲間全員に伝えられていた。『今回だけは俺が脇役になる』という言葉を皮切りに。
「シギルさんもべらぼうに強いけどさ、中にいるレイドさんってのもやばいねー」
圧倒的に自分たちが優勢ということもあり、アシェリが白い歯を輝かせる。
「うむ。シギルどのも凄いが、レイドどのの動きには舌を巻くばかりだ。あっという間にやつを追い詰めてしまった……」
それまで固唾を呑んで戦況を見守っていたリリムだったが、いつしか壮大な演劇を陶然と眺める観客のような気分に浸っていた。
「まさにレイド様様ですね。もう降参しましょう……」
ティアに至っては、レイドが強すぎたことで相手にも感情移入してしまう有様だった。
「まだ勝負が終わるまでは安心できないわ」
アローネはこの勝ちが決まったかのような空気が逆に不安だった。
「悪ケミは心配症だな」
「悪戦士さん、そこは慎重だと言ってね」
「フンッ……」
「ねえ、メシュヘルちゃんもまだ安心できないって思うでしょ?」
『……オモウ。オモウゼッ、ゴシュジン……カッカッカッ』
「あらあら。なのに笑っちゃうなんて。まぁレイドさんが強すぎるし仕方ないかー……」
「――あっ……」
あまりにも急だった。ラユルが驚いた声を発してから表情に忽然と暗雲が宿ったのだ。
「どうしたの? ラユルちゃん。おっぱい欲しくなっちゃった?」
「……う、うぅ。そうじゃないんでしゅ。アローネさん、アシェリさん、リリムさん、ティアさん、あれを見てください……!」
「「「「え……?」」」」
あっという間だった。あれだけ優勢にいたレイドは完全な劣勢に立たされていて、自分たちのすぐ近く――赤線付近――まで迫ろうとしていたのだ……。




