九四段 負けを認めてしまえば人は色んな意味で終わる
落ち着け。何はともあれ落ち着くんだ……。かなり危機的な状況とはいえ、俺はそう自分に必死に言い聞かせるしかなかった。まだ髭面の殺し屋はこの事実に気付いてないはずなんだ。戦っている相手がレイドではなくなったということに……。
どうする? このままバレないようにレイドの真似をしてみるか? ……いや、そのほうがより気付かれる可能性があるな。何故なら、到底模倣できないからだ。彼女のあの独特な動きは。素人が真似をすれば、より粗が目立つ可能性があるから危険だ。
レイドのように俯瞰した猛禽類のようにじっくり攻めるのは俺には無理なんだ。あれじゃ相手は防戦一方になる。しかも時々わざと隙を作って絶対殺せるようにして待ってる感じだったからな。それに乗らずにひたすら機会を窺っていたこの男も凄いが……。
それなら、俺の独自のやり方で戦うほうがいい。というわけで、レイドと違って一気に間合いを詰めるやり方にしようと思う。このやり方を選んだのにはわけがあるんだ。バレる可能性を考えても、じっくりではなくひたすら攻撃に比重を置いて短期決戦に持ち込みたい。これには粗を見つけられる前に、という意味合いもある。
あれ……?《微小転移》で一気にやつの懐に飛び込んだはずだったが、思わず声に出そうになるほどあっけなく距離を取られた。……おかしいな。そんなはずはない。やつの《ステップ》や読みがいくら巧みとはいえ、こっちはいきなり中の人が変わったわけで、その動きに対してここま瞬時に対応できるわけがないのだ。
ま、まさか……。俺は拳闘士のスキルのうち、《威嚇》というものがあるのを思い出した。
このスキルは間近に接近してこようとする相手を弾く上に精神力を削る効果があるんだ。
ただ、肌に触れるほど既に近寄っている相手には使えないという弱点があるし、使用者は精神力だけでなく体力まで削がれるので長くは使えないスキルだ。なので常時使うのではなく、相手の動きを見極めて使う必要があるといわれている。
なるほど。レイドがやたらと慎重に見えたのはこれが原因だったのか……。何度もやつの近くまで飛ぼうとするも、やはり《威嚇》を使っているのか弾かれてしまった。
「お前さん……」
「……」
「さっきの動きはおいらを油断させるためか?」
「……」
やはり相手にも動きが悪くなってるのはバレてるようだったが、ここは沈黙に徹したほうがよさそうだ。下手に喋るとボロが出るからな。
「さっき、一瞬殺せるって思ったけどねえ……」
「……」
「さすがにあっけなさすぎるから、今まで通り罠だって思ったんだよねえ」
「……」
「でも、罠にしてはいささか作りが甘かった気がしてねえ。あのレイドでも失敗はあると思って突っ込んだほうがよかったのかなあ?」
よく喋る男だ。おそらくそうすることで俺の腹の中を探ろうとしてるんだろうがそうはいかん。
「さすがに作戦かなあ。でも、急に戦闘方法を変えてきてるからびっくりしちゃってねえ」
「……」
鋭いなあ……。対モンスターでは誰にも負ける気はしないものの、対人戦においては《イリーガルスペル》があってもまだこの男には勝てる気がしない。ただ、それでも負ける気はしない。負けない限りは互角だからだ。負けを認めてしまえば人は色んな意味で終わる。可能性という言葉で逃げてるやつのほうがまだマシだ。挫折とは頑張ってきた末に行き詰まることであって、決してそこで諦めて引き返すことではないんだ。その時点で人生の勝負が決まるわけではない。人の度量というものはそこで試される……。
「どうした、どうした、レイド……おいらをがっかりさせるな……」
「……」
とはいえ、やつの言葉に影響されてしまって下手に動けなくなった結果、やつに次第に追い詰められていくのがわかる。赤線が近付いてきた。
「折角死が見えていたのによお……抵抗も虚しく強制的に与えられた死こそ、おいらが最も望むものなのによお……」
やつは優勢であるにもかかわらず、目を吊り上げて明らかに怒っている。死を心から望んでいる殺し屋だからこそ、レイドに対してあそこまで喜びを示していたわけか……。
背後には赤線がすぐそこに迫っている。そこから出れば敗北を認めたということ。それだけはできない。レイドが帰ってくることを信じて凌ぎ続けるか。あるいは一か八かで突っ込むか……。
ただ、ナイフに塗られた猛毒も既に薄れてしまい、掠っただけでは倒すこともできない状態だ。やはり凌ぎ続けるしかなさそうだ。プライドをかなぐり捨てて、ただ耐えることだけを考えよう。かわすことだけに集中すればまだ行ける。
「んー、なんかおかしいなあ、おかしいなああぁ?」
「……」
集中、集中だ。
「まるで人が変わったみたいだなあ?」
「……」
俺は無を貫いた。悟られまいとすると却って力む場合がある。人間というものは力むとパフォーマンスが落ちる。無こそが人間の最大の力を発揮できる境地なのだ。無を保つには、あらゆる感情をただ俯瞰することだ。緊張、焦り、苛立ち、喜び、怒り、優越感、劣等感……そういったものを放り出さずに丸ごと包み込む感覚。
「お、動きがよくなったな。さすがはレイド……」
「……」
「っと言いたいところだが、お前さんがレイドじゃないってもうバレてるぜええ……」
「……よくわかったな」
開き直るしかなかった。ここまで来たら沈黙も否定も肯定になってしまうからだ……。




