八十段 一筋縄ではいかないようだ
……こ、これが……百一階層のボス……。
あまりの美しさ、雄大さに沈黙を強制されてしまったかのようだった。黒い縁取りの青々とした大きな蝶が光の中から現れたのだ。
……っと、いかんいかん、見惚れてる場合じゃ……って……みんな呆然としてると思ったら、口をぽっかりと開けたまま恍惚とした顔になっていた。まさか……俺と気絶してるラユルを除いて全員魅了されてしまったというのか……。
「ティア、リリム、アローネ、しっかりしろ……」
「「「……」」」
三人の肩を掴んで揺さぶるが、みんな蝶の動きばかり目で追っていて俺のほうを見る気配もなかった。赤蠅のメシュヘルですら、アローネの頭上でじっと浮いた状態になってしまっている。魅了状態というのはモンスターによって引き起こされる状態異常の一つで、しばらく思考がぼんやりとなり行動も不安定になってしまう。特に精神的疲労が高まった者に効きやすいというが、少しでも疲れているとかかる可能性のある厄介なものだ。俺だけがかかってないということは……《リラクゼーション》を入れていたおかげか。メシュヘルを含めて、みんなそれだけ見えない敵に対して重圧がかかっていたということなんだろうな。
『リセ……』
リセスに頼ろうとして止めた。どうも癖になってしまってるな。彼女だって百一階層のボスのことなんてわかるわけもないしちゃんと自分で考えるんだ。
「……」
まず《念視》で蝶の中身を見てみるが、とにかくなんで動いてるのか不思議なくらい中身がなかった。心臓部分がない嫌なタイプだ。百一階層まで来ればほかにも面倒なギミックがありそうだな……。とりあえずどこかの個所を《微小転移》で折り曲げてみよう。下手に分離してしまうと毒が飛び散るかもしれないからな……。
「《微小転移》――」
……やつの目前まで移動して《微小転移》を掛けた瞬間だった。その姿がふっと消えたかと思うと、ずっと向こうの木々の間を舞っていた。どうやら詠唱反応で転移系のスキルを使うらしい。距離的に《中転移》か。再度接近してから使ってみたが、やはり飛ばれた。うーむ、これは厄介だ。こんなの一体どうやって倒せというのか……。
「……はっ……」
後ろで何かが動く気配がしたと思ったら、ティア、リリム、アローネがぼんやりとした顔で歩き始めていた。近くには酸まみれの湖があるし、ワームを踏まれても困るし、放っておくとまずいな。早速アローネが湖に向かって進み出したし、一旦戻ろう……。
――あれ? 戻った直後、赤蠅のメシュヘルが急に動き出したかと思うと、アローネの前に回り込んで体を押し戻し始めた。あいつだけ正気に戻ったらしい。よくわからないが、ホムンクルスは状態異常になってもすぐ自然治癒できるんだろうか?
「メシュヘル、その調子でみんなをここから動かないように誘導してやってくれ」
『……オウ。ワカッタゼ』
……お、おいおい、何気なく話しかけてみたら喋りやがった……。とはいえ驚いてる暇はない。時間制限もあるしさらに周辺が暗くなってきたし、早くボスを倒さねば……。
――《微小転移》で再び蝶に接近し、さらに同スキルによって体の一部を折ろうとしたがダメだ、また飛ばれた……。もしかしたら普通に物理攻撃したほうがいいのかと思って、起動したメモリーフォンの武器欄からナイフを取り出し近寄ってみる。
ダメだ、やはり飛ばれた……って、すぐ近くだ。2メートルくらいだから《小転移》レベルだな。
……ん? 苛立ってるのか、蝶の舞い方が荒っぽくなってるような……。もしかしたらしつこく追いかけることがやつの激怒条件になっているのかもしれない。だとしたら今のやり方を続けるべきだな。
しばらくナイフを持って《微小転移》で追い回していると、蝶の色が見る見る赤くなっていった。やはりそうだ。かと思えば、一転して向かって来た。よしよし……もう間に合わないと思ってたがこっちの思惑通りになってる。
やつは丸まった独特な口を伸ばして攻撃してきたが難なくかわす。試しに羽を折ろうとしてみたが、ダメだ。飛ばれた。ただ、激怒状態のためか《微小転移》レベルの距離から向かってきた。やはり詠唱反応で飛ぶみたいだから物理じゃないとダメみたいだ。転移系スキルで反応するなんて並の反応スピードじゃないな……。
「……えっ……」
思わず声が出たのは、ナイフで攻撃してみたときにあっさりやつの触覚が切れたからだ。まさかこんなにあっさり決まるとは。
触覚を切り取っても毒がばら撒かれなかったし、やつの反応も動きも明らかに鈍くなってるので《微小転移》によってバラバラにしてやったんだが、すぐに触覚ごと再生した。さすが百一階層のボス。一筋縄ではいかないようだ……。
このままじゃ制限時間が来てしまう。どうすれば……って、待てよ。やつはナイフで攻撃したら飛ばなかった。触覚があっても、だ。しかもその時点で再生だってしなかった。つまり物理攻撃に対してはかなり弱いのでは……。というわけで、剣については素人だが《微小転移》を利用した怒涛の剣舞を披露してみせたわけだが、踊り切った頃には最早蝶であったことすらわからなくなるほどにやつの姿はズタズタになっていた。
……体が眩い光に包まれる。これで俺たちは最高の冒険者として名前が刻まれることになったわけだ……。
……あ、それって、つまり……俺たちの名前がエルジェたちに知られるってことじゃ……?




