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二九段 俺がもっとしっかりしてればっていつも思うよ


「ええ!? シギルさん、セリスさん、泊まっていかないんですかぁ!?」

「……い、いや、さすがに泊まるのは遠慮させてもらうよ。溜まり場としてはいいんだけどな」

「私も。なんかここ怖いもん……」

「うぅ……」


 最初は不安だったが、まったく誰も入ってこないどころか、人がトイレの前を通る気配も全然なくて、溜まり場としてはかなりいいと感じた。ただ、ここで寝るとなるとな……。かなり修行は詰んだつもりだが、女子トイレで一晩過ごせるメンタルまでは養ってない。


「っていうか、ラユルは普段どこで寝てるんだ?」

「もちろん、あの個室で鍵を掛けて、床にこうしてごろんと……」

「……なるほど」


 ラユルが今実践して丸くなったのを見て思ったが、これだけ小さくないとできないことだな……。俺はあれか、便座の上に座ったまま寝るか、あるいはここで大の字になって寝るってわけか。ホール内は常に気温が一定だからここでも寝ようと思えば寝られるんだが、なんか却って疲れそうだな……。


「ん? 今なんかあの個室のほうから音がしなかったか?」

「……えっ?」

「こ、怖いよぉ……」


 ラユルとセリスが青くなって俺にしがみついてる。やっぱりお化けは怖いか。もちろん、冗談で言ったつもり――。


 ――ガタッ……。


「「きゃああっ!」」

「……」


 おいおい、今本当に音がしたんだが……。お化けなんてあまり怖いと思ったことがない俺でも、今のはちょっと心臓に悪かった……。


「ラユル、ここ本当にお化けがいるんじゃないの……?」

「い、いないですよ! わ、私が確かめてみせますう!」


 ラユル、勇ましいこと言ってるが、もろに声も足も震えてるな。無理しちゃって……。


「い、行きますっ!」


 お、個室の前に立つと、躊躇せずに一気に開けた。勇気あるじゃん……。


「ほら、いない――」


 ラユルの安堵した顔に何かが落ちたのがわかった。あ、あれは……。


「――あふっ……」


 ただの黒猫だった……。仰向けの状態で失神してしまったラユルの頬をぺろりと舐めたかと思うと、尻尾を立てておもむろにこっちに近付いてきた。


「ウニャー」

「ミミル! こんなところにいたんだ!」

「ニャウー」

「……」


 どうやらこれがセリスのお友達らしい。ミミルっていう名前までついてる。ずっと幼女だと思っていたが、まさか雌猫だったとはな……。セリスに首筋を撫でられてゴロゴロ言ってる。体も大きくてかなり人に慣れてそうだし、ホール内の誰かに飼育されていたんだろう。


『……起きちゃった』

『あ、リセス……』

『黒猫、可愛い』

『そ、そうだな……触ろうか?』

『うん』


 俺は別に猫好きってわけじゃないが、リセスのために触ってやることにした。


『もふもふ……』

「ウニャッ」


 俺の足元にしつこく顔や体を擦りつけてくる。そういや、俺って割と猫に好かれるほうだったな。あんまり好きじゃないのになんでだろ?


『リセス、猫好きなんだな』

『うん。猫も立派なハンターなんだよ』

『……レイドと同じ殺し屋か』

『だね』


 ラユルもある意味狩られたようなもんだからな。ここが彼女の宿なんだし放っておこうかとも思ったが、このままじゃさすがに可哀想なので、一応黒猫と一緒に個室に入れておいた。鍵は掛けられないが、お化けの噂と一緒に今度はこの子が守ってくれるだろう……。






 ◆◆◆






 三階の宿に戻る頃には、垣間見えるホール一階も消灯時間の午後十時をとっくに過ぎてるせいか人の姿もなく、不気味なほど静まり返っていた。眩暈がするくらい華やかで賑やかなホールも悪くないが、こういうしっとりとした夜の装いも落ち着けるから結構好きなんだよな。目印のために若干発光しているベッド上で寝返りを打ち、ぼんやりと街の夜景を眺めるのも悪くない。


『……シギル兄さん、ちょっとお話していい?』

『ん、いいよ』

『ありがとう……。私ね、時々変な夢見るんだ』

『……どんな夢?』

『私の横にね、知らない男の人と女の人がいるの』

『……』

『きっと、私の本当のお父さんとお母さんなのかなって……』

『……リセスは、捨てられたことを恨んでる?』

『そんなことないよ。どうしてって思うときもあるけど……。それに、二人とも悲しそうな顔をしてた。だから、きっと深い事情があったのかなって……』

『……リセスは優しいんだな』

『普通だよ。優しいのはシギル兄さんのほう』

『……俺は親不孝だったからな。こうして冒険者になるのも遅かったし、それまでは無気力でダラダラと家で過ごしてばかりだった』

『そうだったんだ』

『ああ。父さんは酒浸りで全然遊んでくれなかったし、母さんも怒鳴られてうつ病みたいになってよく一緒に死のうなんて言ってきて、俺は二人とも嫌いだったし、それを言い訳にして弱気で卑屈に生きてる自分のことも嫌いだった』

『……』

『でも父さんがダンジョンで死んで、立て続けに母さんが病気になったとき、このままじゃいけないって思って。どんなにダメでも親は親、子は子なんだ。それでやっと冒険者になって、少しでも恩返ししようとしてた矢先に母さんが亡くなって……』

『……』

『俺がもっとしっかりしてればっていつも思うよ。ここから毎日夜景を見ながら、そう思わない日はなかった。だから、リセスの両親も子供のことを忘れることなんて絶対ないはずだよ』

『……うん』


 しばらくして、俺は深い眠りの中に落ちていく感覚がした。リセスの消え入りそうなありがとうという声とともに……。

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