第5話 さすがに鞍馬くんに叱られちゃった
――到着しましたよ~。
遠くから聞こえる夏樹の声に、意識が浮上してくる。
「う……ん、あれ?」
椿と私は、お互いにもたれかかるようにして、また爆睡してたみたい。
車の窓から外を見ると、そこはもう、今夜宿泊するホテルの駐車場だった。
饗宴が無事終わったあと、玄関にお見送りに出てきたオオクニさんの手を取って、椿が感激しながら言う。
「最高に楽しかった! オオクニ、ミホツ、本当にありがとうございました」
するとオオクニさんは、何だか身体をモジモジさせて、キューッていう感じの笑顔を見せる。
「ふふふ、椿の心がこもったありがとうは、とってもいいねえー。僕たちにとって、ありがとうって言葉が、特に心のこもってるのが、一番の喜びなんだよ」
「そんなふうに言ってもらえるなんて、俺も嬉しいです」
「うんうん」
実は神様はね、たいしたことのない私たち100年人が可愛くて仕方がないんですって。だからそんなお馬鹿が感謝してくれると、とっても嬉しくなってしまうそうだ。
「ただ、最近はうわべのありがとうが多くてね、あ、別に心がこもってなくても嬉しいんだよ? でもホント最近なかったからなー、あーんなに純粋に心がこもったありがとうは」
っていうオオクニさんの言葉は、あとで冬里が私だけに伝えてくれた。
そのあと、いつもながら感心するんだけど、あの宴席でアルコールを一滴も口にしなかった鞍馬くんが運転手となって、今日のお宿へと向かうべく出発した。
並んでお見送りしてくれた料理屋の人々に手を振って、さて、と改めて座席に座り直したところまでは覚えているんだけど。
そのあとの記憶が、ない!
それは椿も同じく、なのよね。
なーんか、ここまであからさまだと、あの料理屋は100年人がそうそう行っていいところではないんだなーってわかってしまった。経験上ね。
コッソリ聞いてみると、やっぱりそうだった。
あの料理屋、だいたいは神様の御用達で、たまーーーーーに、私たちみたいなのが招待されるんですって! だから行ったり来たりの道は私たち風情には教えられない、というか、きっと見てても理解できないから、眠ってしまうようになってるって訳。
ホント、いつもいつも、すごく貴重な体験をさせて頂いてるわ。感謝感謝、なのよ、ね?
今日のホテルは、宍道湖の湖畔に建ち対岸の景色が見渡せる、各国の要人も宿泊することがあるという由緒あるホテルだ。
さすがというか、車止めからもうお迎えが始まっている。
「いらっしゃいませ」の挨拶のあとに、スタッフが荷物をカートに積み込むと、チェックインカウンターへと案内される。
ここの手配は冬里に頼んであったのよね。
けど、手続きをしに行った冬里が、なぜかなかなか帰ってこないのだ。
で、見るともなしに見てみると、カウンターにいたホテルマンがすごく恐縮してるみたい。冬里また何かしたの?
心配になったので近づいて聞き耳を立てる。
「本当に助かりました、ありがとうございました」
「いいえ。こちらこそ、破格の値段でこんな素晴らしいホテルに泊まれるんですから、ラッキーですよ」
和やかな会話が聞こえてきたので、「どうしたの?」と、事の真相を確かめてみた。
でね。
どこぞの激安悪質なまがい物サイトが、旅行者を騙してダブルブッキングを大量に発生させていたらしく、このあたりのホテルがその対応に追われて大わらわらしい。ホテル同士が連携して部屋を確保しているのだが、どうしても一部屋足りなくて。
部屋を変わってもらえないかと、チェックインするお客様に聞いていたらしいの。冬里はそんなことならと、すぐにOKしたらしい。
ただ、そのお部屋というのがね。
「離れ? こんな近代的なホテルに離れがあるの?」
「はい、普段はほとんど使っていません。一応回廊には屋根もありますし、本館からはほんの何メートルか歩くだけなのですが」
面白そうなので、自分たちの泊まるツインルームはあとにして、先にその部屋を見てみることにした私は、椿も引っ張ってゾロゾロとホテルスタッフのあとについて行く。
確かにほんの数メートルなんだけど、いったん外へ出るのが、他のお客には面倒だったのかな。
それに、ここから見ると、木々が生い茂り、その先に部屋があるようにはとても見えないのよね。でも、椿なんかは「秘密基地へ向かうみたいで、ワクワクするね」と言って、とっても楽しそう。
「どうぞこちらです」
「わあ」
いきなり目の前に、きちんとした格子戸の玄関が現れ、その向こうに料亭みたいな上がり口があって。
中は3畳ほどの次の間があって、中の10畳の和室にはテーブルと座椅子のセットがしつらえられ、窓から宍道湖が見えている。その向こうにもいくつか部屋があるみたいなんだけど、今はふすまが閉じられていた。
「すごーい」
「ですが、庭にありますので、見える景色があまり良くないんです」
と、恐縮するスタッフの言葉とは裏腹に、外の道路から1階分ほど小高くなったそこからは、きちんと湖の対岸も見えていた。
後で冬里に聞いてみると、あっさりOKしたことに感激したホテル側が、かなり値を下げてくれたみたい。ホント、ラッキーなんだから、冬里は。
で、椿と私は当然ながら、何のからくりもない普通のツインルーム。
もう夕刻なんだけど、いつもなら「おなかすいたー」の私が、今日は珍しく少しもお腹がすかないの。料理屋での饗宴のせいなのかな。
なので、荷物を置いて、これから温泉にする? それともラウンジに行く? とか話しつつ、部屋でくつろいでいると、部屋に備え付けの電話が鳴った。出てみるとそれは夏樹からだった。
「あ、由利香さん! 聞いて下さいよ、奥の部屋に入ったら、もう布団が敷いてあったんです! すごいでしょ! 俺、和室で布団で寝るの、初めてっす!」
「なーに? そんなことをわざわざ言うために電話してきたの? 切るわよ」
「あ、ちょっと待って下さいよ。なんか冬里がね、せっかく広い和室だから枕投げ合戦しようって言ってるんすけど、由利香さん枕投げ合戦って知ってます?」
突然そんなことを言うので、驚いて返事する。
「枕投げ合戦って。えーと、合戦は知らないけど、ただの枕投げなら知ってるわよ。その昔、修学旅行なんかで枕を投げ合って大騒ぎして先生に叱られるって言う、あれの事かしらね」
「そうなんすか?! へえ、面白そう。じゃあやりましょうよー、椿も一緒に来て下さいよお」
夏樹が駄々をこねるので、仕方なく私は椿を誘って(枕投げするんだから、と、椿は部屋に備え付けの作務衣。私はジャージ姿だ)あちらの部屋へ行く。
入ってみると、冬里と夏樹は用意万端。夏樹に至っては、部屋のタオルをはちまきのように巻いている。
けど、さすがに枕投げみたいな大騒ぎは不味いんじゃない? と、いちおうたしなめてみる。
「ねえ、ここは離れとは言え、さすがに枕投げはまずいわよ。万が一ふすまとか破れたりしたら」
と言うと、冬里がこそっと耳元でとんでもないことを言う。
「だーいじょうぶ。ヤオから結界の張り方おしえてもらったから」
ですって。あんたねえ、結界をこんなことに使わないの!
《注! 私たちには冬里の結界があるから、大いに枕投げしたのよ。よい子、いえ、結界を張れない人は決して枕投げなんかしちゃダメよ!》
で、当然のことながら、
「私はしませんよ」
と、鞍馬くんは不参加を表明する。
なので、ちょうど2対2。もちろん椿と私、冬里と夏樹がペアを組んでいる。
「よっし、負けないっすよ」
「こっちだって!」
と言うわけで、対戦の幕が切って落とされたのだ!
「うりゃあ!」
「なんの!」
「ずるいわよ!」
「僕がルールだもんね」
「さっすが冬里!」
「隙あり!」
「うわっ!」
離れの和室はドタンバタンと言う音と4人の声で大騒ぎだ。
そのうちどちらもかなり疲れて、投げる勢いがなくなってきた頃、冬里が「ちょっと待って」と、タイムをかけてきた。
手招きするので集まると、いつものイタズラっぽい笑みである提案をしてきた。
でね。
「鞍馬くん」
「鞍馬さん」
「シュウさん!」
「シュウ」
私たちが呼ぶと、鞍馬くんは怪訝な顔をして、読んでいた本から顔をあげた。
そのとたん。
「せーの!」
私たちはいっせいに鞍馬くんの顔めがけて枕を投げつけたのだった。
4つの枕は、みごとに彼の顔面に命中した。
「あははー、ヤッター」
「そんなところでひとりのんびり本なんか読んでるからだよ?」
私たちが手を叩いて喜んでいると、顔から落ちた枕を拾いもせずに、鞍馬くんが静かに言う。
「紫水 冬里」
すると、冬里が、やっちゃったーと言う顔をする。でもね、そのあと。
「朝倉 夏樹」
なんと、夏樹までフルネームで呼ばれたもんだから、夏樹は真顔で「ひゃい」と、情けない返事をする。珍しいーと思っていると。
「秋渡 椿」
え? 椿?
「秋渡 由利香」
私もー?!
鞍馬くんはそのあと、ゆっくりと椅子から立ち上がって不機嫌そうに腕を組んだ。
「あなたたち、そこへ正座なさい」
何だか有無を言わせぬ威厳で、私たちは正座させられる。わあ、正座して怒られるのなんて、何年ぶりだろ。どんなお小言を言われるんだろう、とびくびくしてたんだけど、鞍馬くんはそのまま、また椅子に腰掛けて本を開いてしまう。
「え?」
不思議そうに問いかけると、ひとこと。
「少しは反省なさい」
と言い捨てて、そのまま本に目を落とした。
わあー、正座で反省ってお寺じゃないんだから。すると冬里が「相変わらず本気で怒ると、怖っ」とか何とかつぶやきながら、ペロッと舌を出した。
あんたねえ、鞍馬くんが怒ったら怖いの知ってるんなら、あんな提案しないでよ、と思ったものの、もう後の祭り。私たちは叱られてうなだれる幼稚園児よろしく、お利口さんで正座を続けていた。
けど、5分もたたないうちに、夏樹が何だかソワソワと動き始める。
「……あの、シュウさん?」
「?」
顔を上げた鞍馬くんに、情けない声で訴えかける夏樹。
「足……、痛いんすけど」
正座に慣れてない夏樹は、もうギブアップらしい。でも、私も正座久しぶりだから、ちょっと、いや、かなりきてるかも。
「あの~、私ももうしびれてきた~。ホントごめん。反省してますから、もう許して下さい」
そう言うと、ふっとため息をついた鞍馬くんが言う。
「まだ5分もたっていませんよ、情けないですね、まったく」
容赦ないその言い方に、私はテヘッと頭をかいただけだったけど、夏樹は相当こたえたのか、なんと涙目になっている。
「す、すんません」
すると、少し言い過ぎたと思ったのか、今度は微笑みながらため息をついて、ようやくお許しを言い渡してくれた。
「もういいですよ。肝心の冬里は少しも堪えていないようですので。夏樹も痛かったね、厳しいことをしてすまなかったね」
「い、いえ」
夏樹はほっとしながらも、優しく声をかけてきた鞍馬くんに、別の意味でまたウルウルしている。
「だって、正座なんて慣れっこだもん」
その横では、足を崩しもせず余裕で言う冬里に、椿が感心したように言う。
「へえ、さすがは元料亭の当主さんですね」
「だね」
そういう椿も、あんまり堪えてない様子。
「椿は正座、慣れてるの?」
「ああ。実は、中学生の頃、興味本位で茶道を習ったことがあってね。正座はその時に鍛えられたんだよ」
「ええっ?! それは初めて聞いたわ!」
「はは、ごめんごめん」
椿の過去が明らかになったところで、私たちはようやくしびれから解放されたのだった。
それにしても、本気で怒った鞍馬くんが、あーんなに怖いなんて。
運動の後は温泉だ! と言うわけで、私たちは汗を流しに大浴場へと向かう。ちょうど時間が中途半端だったのか、女湯は貸し切り状態だ。私は露天風呂で、湖の対岸に広がる美しい夜景を眺めつつ、「鞍馬くんって、やっぱりお父さんみたい」と、つぶやいていたのだった。
――本当に、あの人たちは。
こちらは、疲れた夏樹と、珍しく早々と冬里も寝てしまった後、ようやく温泉へと向かったシュウ。
ちょうど今は隙間の時間らしく、入っているのは彼だけだった。
今日は新月なのか時間が合わないのか、月はどこにも出ていない。そのかわり、対岸の街の明かりがキラキラと煌めきながら、美しく幻想的な眺めを彼に見せていた。
枕が顔に飛んできたときは、一瞬、何が起こったのかわからなかったが、さすがにあれを許しておいては、あとあと困るのは彼らだろうと、かなり厳しくしてしまったが。
きちんと反省したのは、夏樹と椿のふたりだけだろう。
「困ったものですね」
そうつぶやいたとき、脱衣所から賑やかな声が聞こえてくる。
どうやら団体さんが入ってきたらしい。
シュウは、もう少しだけ暖まると、長居は無用とばかり露天風呂を後にするのだった。