3.大男
大通りを進むと、これまた大きな……立派な門に突き当たった。
奥には巨大な白の先端がいくつも突き出ている。
明日には解放されるという、クレイドゥル城だ。
遠目に見ても大きかったのだが、間近で見ればさらに圧倒される。
一体どういう人物が住んでいるのだろう。
こののどかな国を統治している人物なのだ。よほど大らかな人に違いない。
そんな事を考えながら、どこまでも続く高い塀の周回を歩いてゆく。
ゆるやかな……この塀が円の形をしている事も把握出来ない程ゆるやかな曲線。
聖堂はこの城の後ろに建っているという門番情報。
……これは。……結構。
「かかりそうだな……」
なんとも大きな城だ。
すれ違いざまに挨拶してくる、やっぱり暢気そうな街の人間に軽く頭を下げつつ歩みを速める。
そんなやり取りを繰り返して――数時間後。
果たして目的の聖堂にようやく辿り着いた頃には、高い位置にあった太陽は既に沈み、辺りはどっぷりと暮れてしまっていた。
「……幾ら城だからって……田舎で土地があるからって……でかけりゃいいってもんでもないだろ…………」
……一体何時間かかったのか。城とつかず離れずの距離を延々と歩き続けて、『ご立派な城』はもう見慣れてしまった。……というよりも、正直、呆れてしまった。
……決定だ。城に住んでる奴はとんでもない暢気者だ。
大体、誕生日だからって城を開放する奴なんだ。
開けっぴろげの門に、名ばかりの門番。
得体の知れない野郎が、今此処でウロウロしてるっつうのに。
……この調子じゃ、ここの聖堂だってちゃんと機能してるかわからない。……負けず劣らず、よほど平和ボケしてるに違いない。
平和ボケの国に、平和ボケの王に、平和ボケの国民に、平和ボケの天候に、平和ボケの道に……あぁ……くそ。こんな国、さっさと出てってやる。
もはや何に対してイライラしているのかもわからなくなった。
…………たく。
疲労から漏れる溜息を吐き捨てて、俺は聖堂の前に立った。
「……いいな? こっから俺に付いてくんなよ!?」
『了解。つか、危なくなったらすぐ呼べよな』
頷いてみせると、ずっと後ろを付いてきていた奴の気配が瞬時に消えた。
「…………さて」
改めて、ヨウィス聖堂と名の付いた、えらくシンプルな造りの白い建物を眺める。
この十年間、あちこち世界を捜し歩いてきたが、こうして聖堂に正面から入るのは初めての事だった。
幾許の緊張を、先程の訳のわからないイライラで包んで空に投げ捨てる。
……まぁ、捕まったら捕まったで、それまでだ。
そもそも自分は今この瞬間に処刑されたって、愚痴の一つや恨み言、文句を吐く事も許されない人生を送ってきたのだ。構うもんか。
…………ただ。
ただ、探してる人物に会う事が出来ないとなると、親父に顔向けが出来なくなる。
それだけは……正直、勘弁してほしかった。
もはや自分の中の望みはそれだけで。それだけのために、今日まで生き延びてきた。
だからこそ。それよりなによりも、恐れている事がある。
――このまま何事も起こらずに……、
「……って、いつまでぼーっと突っ立ってる気だよ俺」
かすかに過ぎった感情を振り払うように、出来る限りの大股でずかずかと庭園を抜ける。
そのままの勢いで、聖堂の重い扉をばたんと開けた。
「すんません! どなたかみえませんか!」
静寂に包まれた、どことなく重い空気を打ち破るように声を荒げる。
待つ事、数秒。
奥からパタパタと足音を鳴らして、なんとも頼りなさげな聖職者の格好をした優男が一人、姿を見せた。
暴風が吹けば世界一周とか出来ちゃうんじゃないかって位、ひょろっと細長い。
「はぁ、どのような御用でしようか?」
問いかけながら、明らかにこの場に似つかわしくない容貌の俺を上から下まで見下ろす。
ふたたび戻ってきた糸目は、今度は真っ直ぐに俺の顔――瓶底メガネを見た。
やはり、その目に警戒の色は無い。
……気づかれちゃ……いなさそうだな。
「人、探してるんですけど。ここに在籍してるって聞いて」
「はぁ。聖職者ですか。名前とかわかります?」
「ディンって。それだけしかわかんないんですけど。あぁ男です。歳は……三十は過ぎてると思うんですが……」
「三十過ぎ……ですか」
「いませんか?」
「はぁ。『でぃん』という名の男の聖職者、ですよね……。同じ名前の聖職者が居るには居るんですが……」
「……どうかしたか」
と、ふいに俺の背後から、腹の底に響くほど太い低音がかかって、ギクっとした。
……今の今まで、背後に人の気配なんか全く感じ取れなかったぞ!?
一瞬にして膨れ上がった威圧感に襲われ、体中がびっくりしている。おかげで、後ろを振り返る動作に数十秒という時間を要した。
「はぁ、お帰りなさい。いや、貴方ではないと思うんですがね、彼が人を探してるっていうんですよ」
背後から漂う猛烈な圧迫感。
さっきは嫌味なほどこの国にハマっている、と、感じた細長い糸目聖職者ののんびり声が、今は場違いのように感じた。
「……」
ようやく、俺はその男を視界に入れる。
後ろに立っていたのは、大男だった。
ただ、野太い声に反して、やけに若い。せいぜい二十代後半といったところだ。
大きな体は、衣服の上からでも筋肉質だと解る。且つ、衣服の隙間から見え隠れしている浅黒い肌が、いよいよ屈強の戦士を想像させた。
かろうじて聖職者を思わせるデザインの衣を纏ってはいるのだが、白の……聖堂で定められている聖職者の制服ではない。全身真っ黒だ。
とどめは黒いサングラス。目が隠れる事で余計に際立つ深い眉間の皺といい、とにかく『聖職』に相反した存在だった。
「見たところ旅の人ではないかと思うのですがね、はぁ……」
固まった思考を、のんびり声が粉砕する。
強烈な視線を感じて、もう一度、目の前の黒い大男を直視した。
大男はジッと俺を見ている。
見定めている、といった雰囲気ではない。一瞥をくれたまま、微動だにしない。
俺の、奥の奥まで覗き込んでいるかのような。
その大きな全身から迸る――かすかな殺気。
「…………………………」
――ヤバい。
体という境界を越え、なおも内部深くまで浸透してくる殺気に、たまらず意識の隅で赤信号が点滅した。
「…………っ」
ヤバイ。
ヤバイ。
やばい。コイツは。
一刻も早くこの場を去らなければ。
「……………………!」
赤信号の点滅速度が増す。
ヤバイ。ヤバイ。
ヤバイ。動け。
動け。動け動け動け……!
身体のあらゆる箇所を容赦なく突き刺す視線を合図に、思考は総活動して俺を急かすが、どういう訳か足が動かない。
いや、身動き一つ、とれやしない。
体のあちこちを宙にピン止めされてしまったかのように、完全に固まってしまっていた。
「……おまえは、何を見ている?」
黒い大男は、俺を見ながら溜息混じりにそんな事をボヤいた。
…………なに?
「『旅の人』だと? ……馬鹿な。コレはそんな平和なモノではない」
ボヤキながらも、その太い腕が一本、僅かに動く。
「は、はぁ?」
二言目で初めて、先程の言葉が自分に向けられて放たれたものだと気づいたのだろう。思考が追いついていないのか、糸目はなんとも間の抜けた声を上げた。
が、こっちはそんなものに構ってはいられない。二言目で予感は確信へと変わった。
俺は殺られる。
「――これは、『適格者』だ」
その言葉に、糸目がなんと答えたのか、もう聞き取れなかった。
言葉を発するのと同時に、男の手から竜巻のような暴風が生まれる。
その音で、その場総ての音が掻き消されたのだ。
「…………っ」
男が暴風を握れば、圧縮されたソレは逞槍の形をとった。
どう見ても重量級のソレを目前で軽く旋回させたかと思えば次の瞬間、鋭い先端は俺の胸目掛けて飛んでいた。
「……。よく、縛りが解けたな」
転がった先で、気がつくと男が感嘆の声を上げている。
やっぱり縛られてたのか……。
こうして聖職者と対面するのは、なにもこれが初めてではない。
しかしコイツは、俺がこれまで対峙してきた聖職者の中で、最も強い聖職者――ってか、こんなバカ強い聖職者、今まで見たことが無い。
聖職者は、崇めている聖霊の加護とやらで、様々な力を使う。
格によって力量に差があるらしく、何の力も持たない聖職者というのも星の数ほど居るという……っていうか、大多数の聖職者はそちらの方だ。
先ほどの『縛り』……いわゆる金縛りは、並の聖職者では出来ない技だという。
眼から放ち、相手の目から心の底へと入り、内側から動きを封じるソレはまるで呪のようだと思う。
コイツはソレを、サングラスの上から、魔力封じの瓶底メガネをかけていた俺にやってのけたのだ。
加えて、風で創ったあの槍。
聖霊と呼ばれている存在がどのようなものなのか。数種居ると言われる聖霊のそれぞれがどんな属性を持っているのか俺にはわからないが、コイツが崇めている聖霊はどうやら風の属性を持つ聖霊らしい。
……って事は。このヨウィス聖堂は、風の聖霊を崇めているのだろうか。
さっきの糸目も、あんなナリして風を使うのだろうか。
気にはなったが、そちらを見る余裕も無い。
糸目よりも、対峙している大男の方が格段にランクが上なのだ。糸目の殺気は微塵にも感じとる事ができない。それどころか。
「あわわわあわわわ」
慌てふためく糸目の声が後ろから聞こえてくる。この分じゃ、奴は無視しといてもさほど問題は…………って。問題か。
きっと、もうすぐ他の聖職者が群れをなしてやってくる。
なんせここは本拠地だ。
「……っ」
僅かに後退した俺を、
「そうだな。それが懸命だ。小僧」
緩く構え、応じる大男。
全く隙がない。
「逃げ切る自信があるのなら、せいぜいもがくがいい」
うあ。逃げれなさげ。
「ガキ相手に大人気ないんじゃないの? おっさん」
冷や汗かきながら叩く軽口なんて、我ながらなんて無様なんだろう。
心の中で悪態つきながら、後ろに下げていたウエストポーチに手を伸ばす。
「ただのガキが相手ならばな。尤も」
大男は微動だにしない。……いや。
――来る。
ポーチの中から目当てのものを探り当てるとソレを掴み、同時に後方へ大きく飛ぶ。
大男が動くよりも早く俺の手によって地面に投げ捨てられたソレらは、爆発的な黒煙を生み出した。
瞬く間に視界が奪われる。
完璧な隙は望んでない。僅かな間さえあれば全力で逃げ出す!
着地すると同時に、俺は出口へと疾走した。
と、
――ゴオオオオオオオオオオ……!!
嵐のような激音を背中で聞いたかと思えば、信じ難い事に、俺の体は宙へ浮き上がった。
……というより、ものすごい力で後ろに引っ張られた。
「――うわぁ!!」
予想だにしない引力。
そのまま、竜巻のような暴風にあおられ、俺の体は滅茶苦茶に宙を舞う。
上も下も、左も右もわからない。
息も出来ない。
意識も無くなりかけた頃。いきなり空中へ放りだされ、気づけば無重力下に俺は居た。
自分がどこにいるのか、どの高さにいるのか、
どうなっているのか理解できない。
でも、まだ痛みはないのだから、きっと地面に向かって一直線しているところなんだろう。
が、
「…………っ」
さらに横殴りの突風が吹いて、地に沈む前に壁に叩き付けられた。
「ぐ……ぅ……っ」
全身を強打する。
思考が飛ぶ。
「……これは私の意思ではない。上からの命だ」
意識を失う、一歩手前。
それでも微かに、声が聞こえてきた。
……まさか、聖職者に、ここまで自在に「力」を使える人間がいたとは。
対面した時。体は懸命に異質を感じ取っていたのに、それでもどこかで俺はコイツを侮っていたのだ。
靴音が近づいてくる、と思った時には、俺の体は再び宙に浮いていた。
風ではなく、今度は男に胸倉を掴まれたのだ。
軽々と大男の頭上に持ち上げられるが、哀しいかな、こちとら身動き一つとれやしない。
なんの抵抗の手段も持たずに大男の上……支配下にある。
微かに瞳を開ければ、眼下に大男の顔。
……そっか。
俺、ヤラレルのかぁ……。
…………ごめん、親父。
ボーっとした頭で、本当に普通にそう思って、目を閉じた。
「…………」
が、
いつまでたっても、最期の一撃はこない。
「……?」
不信に思って目を開ける。
先程の爆風でどこかへいってしまったのか、瓶底魔力封じメガネの外れたクリーンな……もとい、立て続けの衝撃で幾らかぼやけた視界で男の姿を捉える。
相変わらずその表情はサングラスで遮られていてわからない。
わからないのだが、なんだか……。
……驚いている……?
「IV……だと……!?」
大男は確かにそう呟いた。
IV……。
……それは、俺の身体に刻まれている刻印だ。
悪魔と呼ばれる所以。
だがこの状態で、この大男には見えない箇所にあるはずなのだが……。
大男は、もう一度俺を、上から下まで凝視して。
さらに固まってしまった。
「……」
「…………」
睨みあう。
長いようで、短いような間。
いきなり大男は俺を放り投げた。
「ぐ……っ」
地面にしたたかに打ち付ける。
全身打撲、……じゃ、すまないだろうなぁ。
「……人を探していると、言ったな」
大男は俺を見下ろして言う。
威圧的な態度は相変わらずだが、何故か殺気だけが抜けていた。
体をさすりながら、なんとか身を起こす。
全身が、悲鳴を上げている。
それでも、あれだけの衝撃を受けても骨の一つも折れていないというのは……悔しいかな、『奴』のおかげなんだろう。
「……あぁ」
「中で聞こう」
言うと、大男は俺に背を向けてずかずかと聖堂の中へ歩いていった。
「は? ……て、ちょっ……ちょっと待て……!」
ギシギシと軋む体になんとか鞭打って立ち上がる。聖堂の入口に立ち尽くしていた糸目(まだ居たのか……)の横に来たところで、大男は歩を止めた。
「安心しろ。贄になるのは、しばらく後になった」
「…………?」
訳がわからない。
『……おい、エビル。動けないんなら手ェ貸すぞ』
あー……。
人が混乱しているところに、またなんか混乱させるような声が……。
「つか、おまえ、来るなっつったろうが……っ なんで居んだよ!?」
『おまえが呼ばないからだろうが!』
「……おまえが出てきたらさらに話が」
『大丈夫だろ』
と。
何故か奴は平然と即答した。
『……もうバレてんしな』
不思議に思って見上げた俺に、奴は無表情の横顔でそう付け加えた。