29.旅立ち
「……」
見上げると、吸い込まれてしまいそうな満天の星空。
明日は、きっと快晴だろう。
火が消えてしまわないように、焚き木を調整しながら、ふと、周りを見渡す。
いつもと同じ野宿。
……に、複数の寝息。
独りではない。
こんなに近くに人……しかも、二人の気配がする。
不思議な感覚だ。
いつもはエンペラーしか居ない。
朝も昼も夜も。
「…………」
……こんな夜が来るなんて。
人と共に歩くだなんて。この国に来るまでは予想もしていなかった。
しかも。ディンはともかく。
「…………」
女の子。
自分とは別世界の……別次元の生き物のように思える。
しかも彼女は、俺と同じアルカナの適格者であり、一国の姫だ。
「…………みえない……よなぁ」
それほど希有な存在なのに。これまで王室暮らしというものをしてこなかった為なのか、彼女は『王族』といった位の高い人物にはまるで見えなかった。
例えばアスキーなんて、まんま『王族』を絵に描いたような人間なのに。
……確かに彼女も時折、常人にはない……なにか異質な雰囲気を醸し出していたりする時がある。
しかし、そもそもこれまで人……それも『女の子』は縁遠かった。異質、と感じるのも、ただそれだけなのかもしれなくて。
「…………」
そこで、ふと思う。
女の子でありお姫様でもあるリキュールを、本人がそう決めたからって国から連れ出しても……国から奪っても、よかったのだろうか。
こんな危ない旅に参加させちまって本当によかったのか。
彼女がこの旅に参加しなければならない理由はきっとどこにもない。
やっぱり止めるべきだったのでは?
野宿なんてさせて……っていうか、野宿なんて、出来るのか?
王族……女の子が、地べたで眠る?
むさ苦しい男どもと行動を共にすることは苦痛ではないのだろうか。
……出来るのだろうか。旅なんて。
チラっと様子を見てみる。
彼女はこちらに背を向けた状態で、小さな寝息をたてていた。
「……なぁ。リキュール……」
呼んでみたが、反応はない。どうやらぐっすり寝入ってるようである。
「…………いいのかよ。お姫様が……こんなで」
そっと覗き込んで頬に触れてみる。異物を感じ取ったのか、なにかしら、ごにょごにょと寝言をいって寝返りを打つと、その寝顔は自分の正面にきた。
「……。平和な面だよなぁ」
――いいも悪いも今わかんないよ。でも、今の城の状況とか国のこととか、この先のこと。わたしなりに一生懸命に考えた。それでもわたしが一番したいことは揺るがなかったんだから大丈夫だと思う――
唐突に頭に過ぎった、今朝の彼女の言葉。
(まぁ、いいのか……別に。俺が心配しなくても)
寝顔を眺めていると……なんか、妙に安心してしまって。
自分も隣に寝転がった。
リキュールの寝息が聞こえる。
規則的で、穏やかな。
だが、確かに生きている音だった。
「~す、すみません……っ!」
鳥の鳴き声が響き渡る、深い森の中。
見上げると、木々の隙間から覗く空は快晴。
少し肌寒い朝、ようやく目覚めたリキュールが、寝癖のついたままの頭で俺とディン、二人のアルカナに向かって平謝りを続けていた。
「朝ご飯の用意も手伝わずに、自分だけ寝過ごしてしまって……っ」
「いいって。色々さ、疲れが出たんだろ。ほら、早く食べちまえよ。覚めるぞ?」
笑いながらぼさぼさ頭を小突くと、もう一度だけ小さく謝ってからようやくリキュールは俺の隣に腰を下ろした。
「……南へ向かう」
リキュールがハムサンドにがっついていると、焚き火を挟んで向かい側に腰を下ろしていたディンが、腕を組んだ体勢でボソッと一言告げた。
『南? ……メルクリィ大陸かぁ?』
ごろんと横になって頬杖をついていたエンペラーが大あくびをしつつ問う。当然、アルカナは物を食わない。
「そうだ。最初は一番近いマルティス大陸へと思ったが。エビルに確認した所、火の精霊ジャッジメントは既に憑いているそうだからな。メルクリィ大陸の聖堂に向かい、司祭に会う」
『? って事は、知らなかったのか? ディン』
「ああ。こいつと一度戦った事はあるが、その時はジャッジメントは愚か、おまえすら出そうとしなかった。その直後デスと戦っている姿も見たが、ジャッジメントは出さなかった」
『じゃなくてさ。そういう詳細までは教えてくれなかったのか? 古時計』
「……………………」
『……まぁ、あの捻くれ古時計らしいけどよ』
エンペラーの発言の後、森にいた鳥達が一斉にばさばさと飛び立っていった。何事かと首を傾げた一瞬後、ごごご……と音を立てて地面が大きく揺れ動いた。
『これは……』
「…………」
溜息混じりに頭を抱えるテンパレンスに、無言で揺れ動かされ続けるディン。
「また地震かよ……!」
本当にもう、なんという陰湿聖霊か。
「もー! エンペラーはもう少し言葉を慎んでよっ クレイドゥルが地震で壊れちゃったりしたら、本当にエンペラーの事恨むからね、地の果てまで追いかけ回すんだからね!」
ハムサンドを食べて元気になったか、一転して迫力のリキュールの後ろでテンパレンスの青い目が光っている。
『しゃ、シャレにならんだろ……それは……』
エンペラーが青い顔で仰け反る(無理もない)と同時にぴたりと地震も治まった。ふぅと息を吐いて、リキュールはころりと表情を変えるとディンに向き直った。
「ディンさん、わたしも質問なんですけど。エンペラーのサポーターって四大精霊の事ですよね? それって全部エビルに憑くのでしょう?」
「ああ」
「支障はないんですか? 体が重くなったりだとか」
「…………どうだ?」
ディンと、次いでリキュールの顔がこちらを向く。
「…………どうと聞かれても。ジャッジメントが憑いたのは十年前だし……よくわかんねー……」
「……だそうだ」
「ふーん。じゃあ心配いらないのかな?」
『エビルの心配した割には随分アバウトだなぁ姫さん』
『アスキーとデスもそちらへ?』
テンパレンスの発した名前にビクリと体が動く。
「ああ。すでに発った」
「…………そっか」
奴は俺の寝てる間に、ちゃんとここへ立ち寄ったようだ。
南へ。
目的があるというのは。
行動をともにする人が居るという事は。
仲間がいる、という事は。
独りではない、という事は、これほど、生を実感させるものなのか。
立ち上がり、大きく伸びをすれば、冷たい、だが新鮮な空気が肺を満たす。
全員が荷物を手に立ち上がったのを見届けてから、息を吸い込んだ。
「……んじゃ、まぁ……行くか! メルクリィ大陸へ!」