2.出会い
門から少し歩くと、すぐ目の前に、幅の広い大きな階段が聳え立っていた。
上がっていくと、噴水を中心とした小さな広場に着く。
はしゃいで走り回る二人の子供。白い鳩が数羽飛び立ち、空へ溶けてゆく。見上げた上空は、目に痛い程の鮮やかな青。悠然と白い雲が流れ行く。
家々の煙突から白い煙が棚引く。
走っていた子供の内一人が転び、持っていた赤い風船がゆっくりと広大な青に昇り――
なんとも、ゆったりした時間が流れていた。
……最初眺めた時も、そう思ったけど。
「のどかだなぁ……」
穏やかな気候も手伝って、緊張感が解けてしまう。
争い事とは大よそ無縁の地だ。
……なんだか、不思議な懐かしささえ感じる。
願わくば何泊か泊まって長旅の疲れを癒したい所だが……、
「……だめだ、だめだめ」
こんな所に、自分が滞在するなんてとんでもない。
撒いては来たが、この大陸に足を運んだ時点で俺の目的地はおおよそ見当がついている事だろう。
争いや殺気なんて、こんな平和の象徴みたいな地に持ち込んではいけない。たとえこっちにその意思がなくったって成り行き上だって。それは大罪のように思える。
広場を真っ直ぐに突き進んで、大通りに出た。
旅人用の店が両脇に順序よく並んでいる。その中に道具屋の看板を捉えると、少し背中のリュックが気になった。
「……ちょっと補充しとくか」
呟いて、向かって左手に位置した道具屋へ方向転換。軒先に下げてある古びた看板がキィキィと鳴る店。その扉のノブへ手を伸ばす。
と、
「……それじゃ、ありがとーおばさん!」
カランと頭に響く鈴の音と、女の子の声。
「うわ!」
「きゃあ!」
中から出てきた女の子……と思わしき人間とぶつかってしまう。
「……っ」
「~たぁーい……っ」
女の子は小さく、背は俺の胸までしかない。俺は二、三歩後ろによろけただけだったが、思い切り激突した女の子が踏みとどまれる訳がなく。目を開ければその場に見事に尻餅をついていた。
「わるい、大丈夫か?」
「あらあら大丈夫かい? リキュちゃん」
店の中から慌てて駆け寄る太ったおばさん。
俺が手を差し出すよりも早く、後ろから女の子の両脇に太い腕を伸ばし、抱え挙げてしまった。
「うん、大丈夫だよ。ありがとうおばさん」
ゆったりした白いパンツを叩きながら、その子はなんともかわいらしい声で礼を言う。
深くフードを被っていてその表情は見えないが、恐らく笑顔だ。怪我はないようで、ほっと息をついた。
と。溜息が聞こえたのか。女の子はくるりと俺に向き直ると、
「えと。すみませんでした。突然飛び出したりして」
と、勢い良く頭を下げた。
なんだか仕種が……不自然に思える程元気だ。
「いや、こっちこそ。怪我がないみたいで安心した……」
「ではわたし、急ぎますのでこれにて!」
「……は?」
よほど急いでいたのか。俺の言葉を遮って、女の子は横をすり抜けていく。
視界の脇を、やけにゆっくりと流れる長い黒髪。
意識を囚われてしまう。
「……ねぇ?」
振り返れば、急いでいたはずの少女は、しかし未だ俺の後ろ――道の真ん中で、ちょこんと立っていた。
彼女は俺に話しかけているようだった。
口元は愉し気に笑っている。
「なんだよ?」
「ねぇ。なんで、隠してるの?」
「…………え?」
一瞬何を言われたのかわからなくて……っていうか、脳の処理速度が追いつかなくて、目を丸くする。
俺の様子がおかしかったのか、くすくすと鈴の音のような笑い声を上げる少女。
「キレイなのに」
……ギクっとした。
「じゃあね! おばさん、また明日!」
「あいよ! 気をつけるんだよ~リキュちゃん!」
おばさんが大きく手を振る。その大声で目が覚めた。
あんまり突然のことで一瞬、ボーっとしていたらしい。
「アンタも災難だったねぇ……って、ここらじゃ見ない顔だね。旅人かい?」
「あ、はぁ……今この街に着いて……って。あの子、大丈夫なんですか? あの様子じゃあまた……」
ぶつかるなり、すっ転ぶなり、なんだか危なっかしい感じがぷんぷんと……、
「いつものことだからねぇ。気にしないでおくれ。悪い娘なんかじゃあ決してないから」
言い終える前に俺の顔色を読み取ったのか、苦笑するおばさん。
……はて。
今のフレーズ。どっかで聞いた気がするんだが。
首をひねりつつ店内に入り、品物を眺めていると、
「それで? この街に足を運んだからには当然、寄って行くんだろう?」
カウンター席から、ふいに声をかけられた。
「え?」
「え? って……なに。知らずに立ち寄ったのかい?」
「なにがですか?」
「じゃあ、運がいいね。明日はクレイドゥル国王の誕生祭なんだよ。毎年この日にゃ特別にお城を解放して、城内を自由に見学できるようにしてくれるのさ」
「へぇ……それでか。どうりで屋台が並んでたり、異様に人の行き来が多いと思った」
「時間があれば行って見るといいよ。せっかくのイベントだからね」
「ああ、そうする。ありがとう」
カウンターに、手に取った品物分のお金を置いて……ふと、あの一言が気になった。
「……ねぇ、おばさん」
「なんだい?」
「俺。変かな?」
問われて、その意図がわからないのか、目をぱちくりとさせるおばさん。
「格好とか」
付け加えると「あぁ」と声を上げて両手を叩いた後、おばさんは改めて俺の姿を上から下まで眺めた。
「……まぁ、変じゃないといえば嘘になるがね。そのボサボサの黒い髪はいっそ剃りあげてしまった方がおばさん好みだよ」
……どうやら、俺に落ち度はないようだ。
苦笑を返しつつもう一度礼を言って扉を開ける。
入ってくる時と変わらない、のどかな風景が視界に飛び込んできた。
……変わらないからこそ、蘇ったのか。
ぶつかった拍子にフードから零れたのだろう。流れる、艶やかな黒。
鼻先で香るほのかな甘さ。
フードで隠れて顔が見えなかったせいか、それだけが際立って余計に印象深い。
――キレイなのに
「…………なんでバレたんだろ」
『なんだ? 買い忘れでもあったか?』
独り言が聞き取れなかったか、間髪いれずに後ろで奴の訝しげな声が上がる。
「……別に」
一言だけボソッと吐いてから、振り切るように大股で歩を進めた。