26.傷
「リキュール!!」
目の前で、飛び交う鮮血。
串刺しになったリキュールの体勢が、僅かに崩れる。
同時に、全てを遮断する白い光の膜が、消え去った。
「リキュール!」
転がるように駆ける。それをエンペラーが制した。
『無闇に突っ走るな! おまえまでああなりたいか!』
「だけど……だけどリキュールが!!」
俺の言葉を受け、エンペラーが正面を向いた。
『テンパレンス! てめぇ見てないでなんとかしやがれ!! てめぇにゃ治癒能力があっただろう!』
「! 本当かテンパレンス!?」
俺とエンペラーの視線に、しかしテンパレンスはゆっくりと首を左右に振る。
『これはあの娘が望んだことよ』
『なにぃ……!?』
『私は、あの娘の意思を止める事はしない』
「…………そんな……!」
『私は……エンペラー。貴方とは違う。止める力……改革の力。意思なんて、持っていないから』
言うと、串刺しの少女を見つめるテンパレンスの整った横顔が、少し歪んだ気がした。
「リキュール……!」
『相変わらず融通の利かねぇ女だなったく! エビル! 先にフールをどうにかするぞ! 「目的」が果たされた今なら、王の意思も消えたはずだ。今の奴は』
『……………………』
深々と刺さった爪が、乱暴に引き抜かれる。
力なく地に横たわったリキュールの小さな身体。
フールはそれを、その足で蹴り飛ばした。
『フールそのものだ』
「リキュール!!」
走る。
走る。
一刻も早く、彼女の元へ。
フールが跳躍。リキュールの血の滴るその爪で、俺を抉ろうと振り下ろすが、
『させるか!』
瞬時に移動を果たしたエンペラーが、斬撃を大剣で受け止めた。
「リキュール!」
壁の手前で倒れている、血だらけのリキュールの体を抱え起こした。
「…………っ」
まだかすかに息がある。
だが……この出血量じゃあ……!
『…………』
気配に見上げると、リキュールの様子を窺うようにテンパレンスが立っていた。
彼女の体が……消えかかっている。
「~テンパレンス……! 頼む、なんとかしてくれよ!」
『………………すみません』
「謝らなくてもいい! いいから、早く……リキュールが……!!」
『……………エビル』
テンパレンスの悲しげな表情。……それを見て判ってしまった。
……駄目だ。彼女はもう…………諦めている。
「そんな……こんなことって……」
愕然として、リキュールに向き直る。
「………………っ」
蒼い顔。苦しげな表情。薄れていく、体温。
生が引いていくのがわかる。
……まだ……まだ引きとめられるのに……っ
……生きているのに……!
「……嫌だ……」
頭をゆるく振る。
リキュールの頬に涙がかかる。それでも。
……もう動かない、彼女の体。柔らかい彼女の手。
「嫌だ、俺はもう……っ」
花の咲くような笑顔。
もう、見れなくなる。
――また。
「俺はもう……目の前で……! ~誰かが死ぬのは、嫌なんだ!!」
腹の底から吐き出した俺の叫びに呼応するように。
突如、テンパレンスが青白い輝きを纏った。
「…………、……テン……?」
テンパレンスは、天に両の手を翳した。
『癒しを!!』
その声に、その手に、清き光が集結する。
俺は呆然と、その様子を見上げていた。構わず、テンパレンスは俺の腕の中のリキュールに光を翳した。
「…………」
みるみると、傷口が塞がっていく。
リキュールの顔に、生気が戻ってゆく。
「…………テンパレンス……?」
『………………』
「どう……して……」
『貴方のためではないわ』
整った横顔は、言葉の通り、俺に冷たかった。
「………? なら……」
『……たった今。リキュが、そう望んだの……』
「………………リキュール……が?」
『貴方が、泣かないように、と』
「………………あ……」
涙に濡れたリキュールの顔を見る。
「………………リキュール」
…………本当は。
どんなに、父親と一緒に、いきたかっただろう。
どんなに、生きたくなかっただろう。
父親を……裏切ってまで。
…………どんなにか。
自分には、その心はわからない。
見えない。
………………だけど、
「リキュール……っ」
……俺は。
同じ思いを、無邪気に笑うこの娘にだけはしてほしくなかった。
同じ悲しみを。
総てを受け止めて癒す、この娘にだけは味合わせたくなかった。
……背負わせたくなんか、なかったのに。
テンパレンスの白い光が、総てリキュールの体に移る。
閉ざされたままの彼女の瞳から、新たに零れ落ちた涙をそっと拭いて。
固く、その体を抱きしめた。
――// SIDE-Em //――
『…………なんとかなったようだな……』
エンペラーはフールと斬り合っていた。
大剣と長い爪が重なり、キン、キンと金属音が木霊する。
斬り付けようと大剣を振るっても、するり、するりと受け流してフールは逃げる。
『さすがにやりにくい……おまえの属性は確か』
『………………』
エンペラーの呟きに答えるように、フールが"風"を放つ。
『~うぉ………!!』
無数に切りつける風の刃。
体勢が僅かに崩れたエンペラーを、その爪が狙う。
『………………っ』
呻く、エンペラー。
『…………』
笑むフール。
「大丈夫かエンペラー!」
気づいたエビルが、テンパレンスにリキュールを預け、走ってくるのが見えた。
『ば、馬鹿野郎……っ テンパレンスの傍を離れるんじゃ……!』
一気に間合いを詰め、エビルの目前へと姿を現すフール。
「…………!」
『くそ、エビル!!』
エンペラーも走るが、一歩遅かった。
エビルとエンペラー、二人の間に立ったフールが双方に向けて放った"暴風"に、二人の体は真逆に吹き飛ばされる。
「うわ………!」
『………………ぐっ』
エビルとエンペラーはしたたかに両側の壁にたたきつけられた。
当然、瞬時にエビルに迫るフール。
『……エビル!』
気づいて主の元に走るエンペラー。絶望的なまでのタイムラグを、飛び道具を持たない自分はどうする事もできない。だが、走った。走らずにはいられなかった。
――一瞬、エンペラーの脳裏に、ジャッジメントの顔が浮かんだ。しかし、奴は非情だ。ここで主の意もなしには現れないだろう。
『……畜っ生……エビル避けろ! 死んでも避けろ!!』
『死ネ』
フールが、転がったままのエビルの頭上で爪を振り上げた。
――// TO RETURN //――