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25.王の異変

 夜の闇に聳え立つツタの巻いたその姿は、赤い月に照らされて禍々しささえ感じる。

 辿り着いたそこは、俺とエンペラーがこの城下町に入る前に目にしたあの塔だった。間近で見ると、その大きさに圧倒される。十年前に完成したというこの塔には、以後ずっとリキュールとテンパレンス、それからソフィという名の使用人が一人、住んでいたという。リキュールにとっては実家であるクレイドゥル城よりも住み慣れた"我が家"だ。……しかし。

 彼女達が住んでいた所だというのに、この異様な雰囲気は一体……。


 重たげな両開きの扉を開くと、古びた塔の中には意外にも、城と変わらぬ豪華な内装が施されていた。足元には足が沈むほどふかふかの赤い絨毯が敷かれ、正面にはただっ広いロビーと二階へ上がる立派な階段。二階部分は吹き抜けになっており、高い天井を見上げればゴージャスなシャンデリアがキラキラと光を放っていた。とても塔の中にいるとは思えない。と、いうか。これではまるで……。


『まるでプチ城だな』


 同じ感想を持ったか、天井を仰ぎながらエンペラーが呟いた。

 家族と離れて暮らす娘が寂しがらないようにと、王のせめてもの配慮なのかもしれない。

 リキュールを先頭に正面の階段を上がり、左右に分かれた通路を左に曲がる。突き当たりを通路に沿って左に曲がる。吹き抜け部から下のロビーを眺めながら、右手側にある幾つかの扉を無視して奥に進むと、リキュールは突き当たりの扉を開けた。

 そこにはまたも大きな階段があった。少し先で、左に曲がる緩いカーブを描いている。


「……上に上がるのか?」

「うん、最上階がわたしとテンパレンスの部屋なの」

「へぇー……って、最上階!?」


 思わず素っとん狂な声をあげてしまう。


『まさか姫さん……、塔のてっぺんまでこの階段使って上がってくのか……?』


 俺とエンペラーの引き攣った表情に振り返ると、リキュールはくすくすと笑いながら首を横に振った。


『そんな事、リキュに出来る訳がないでしょう。体力しか能の無い貴方方と一緒にしないでください』


 リキュールの後ろを歩くテンパレンスが、こちらを振り向きもせずにぴしゃりと言い放つ。


『なにおぅ! 俺様だってこんなの昇りたくないやい!』

『……だから階段は使わないと先ほど……相変わらず貴方は人の話を聞きませんね』

「これで行くのよ」


 エンペラーとテンパレンスのやり取りに笑いながら、リキュールは階段の終わりに待っていた大きなガラス窓付きの……なんだかやけに重たそうな引き戸を、両手でこじ開けた。


『おー』

「…………昇降機か……」


 蛇腹の内扉の奥に籠が見える。よくよく見ると、先ほどリキュールが開けた引き戸の上に扇形のインジケーターがあった。


「……しっかしこれ。全員乗れるのか?」


 蛇腹戸を引いて、中に入る。後ろからリキュールが飛び乗ると籠は僅かに揺れた。


「うん! 定員四人乗りらしいか、ら……」


 全員が乗った所でリキュールの動きが停止する。

 そう。こっちにはキンピカゴテゴテ大男がいるのだ。


「あ、あれ? いつもは三人乗ってもまだ二人分位よゆーが……、……?」


 籠の中は隙間無くみっちりギチギチだった。身動き一つ取れない。


「……動くかなぁ……」

『大丈夫リキュ。こんな世にもかさ張る迷惑極まりない大男も幸いな事に今は実体ではありません。総体重は半分以下ですし、その気になれば……ほら』

『って、おっまえなにすんだいきな……いてていでいで……っ』


 冷たく言ってテンパレンスは自分の横――籠の入口側に突っ立っていたエンペラーをぎゅうぎゅうと壁の向こうに押し出した。押されるがままに巨体の半分が壁を越えて外へ。かくしてキンピカ大男は見た目もすっきり見事なハーフサイズとなった。


『これで問題ありません』

『……問題ありまくりなんだけど俺様』

「そりゃ、理屈じゃそうなんだろうけど……」

『なぁ、ひどくね? これひどくね?』


 同意を求めるように俺に目を向けるエンペラー二分の一。

 ……ごめん。俺……ここでテンパレンスに逆らって今後おまえと同じ仕打ちを受けるの、イヤダ。


『いっくら半透明っつったって俺様は重力には逆らえんし、体の真ん中に物体通ってるとなんか嫌な感じがするんだぞ! 視界二分割だぞ!?』

『我慢なさい』

「テンパレンスって……なんか……、エンペラーに対して容赦ないっていうか……冷たいね?」

『いいえ。それほどでもありません。狭い空間で密着しているのはとても気分が悪いから外にある階段使って走って最上階まで昇ってきなさい……なんて、思っていても口にしてはいませんから』

『ほざいたほざいた。今にっこり笑ってはっきりとほざきやがった』

『それにほら。見ての通り、一応足だけは一本残しておきました。世にも残念ですがこれでエンペラーが奈落の底に沈むことは"今は"ありません』

『………………おまえなぁ……』

「…………テンパレンス……なんかちょっと……コワイ」

『!?』


 さすがのリキュールも引き気味だ。彼女の一言でガーンという擬態語を背負ったテンパレンスが『そんなことはありませんよ』と必死に弁解している。

 ……本当に。一体テンパレンスに何しでかしたんだろうエンペラー……。

 入口近くに立ったリキュールが外側の重たい引き戸を両手でぐぐっと閉めた後で、蛇腹戸も閉める。幾つかあるボタンの内、最上階を示すボタンを押そうとして……その白い指が唐突に止まった。


「……どうした?」


 指を伸ばしたまま、呆然と立ち尽くすリキュール。


「リキュ?」


 呼びかけるが、こちらを振り返らない。


「…………お父様の……」

『今、確かに……王の気配が、しました……』


 リキュールの代わりに彼女の横に立っていたテンパレンスが答える。


「なら、急ごう。王様の体が心配……」

『ですが、これは……』

「………?」

『これは…………』


 テンパレンスまでもが口を噤んでしまった。

 まさか。そんなはずはない、といった彼女の表情。

 信じられないといった、リキュールの横顔。

 不安と焦りと、困惑と、悲しみ。


『リキュール……』

「……………」


 そっとリキュールの肩に手を置く。

 リキュールが、ゆっくりと俺を振り返った。


「………行こう」


 俺の声にしっかりと頷く。


「…………………はい」


 昇降機はがしゃんという大きな音と振動の後、俺達を乗せてゆっくりと上へ昇がっていった。




 そして辿り着いた塔の最上階。

 ヒタヒタヒタ……

 ズルズル……

 重たい外扉をリキュールに代わってこじ開けると、廊下に響く異様な音が耳に入った。


『……これは』


 エンペラーが表情を強張らせる。

 テンパレンスは無言で廊下の奥を睨んでいた。

 俺でも異常が判る。嫌な気配と共に、音は廊下の奥から聞こえてくる。

 僅かに漂ってくるのは……血の匂いだ。

 ヒタヒタヒタ……

 ズルズル……


「…………いきます」


 リキュールを先頭に、無言で進んだ。

 ヒタヒタヒタ……

 ズルズル……

 ヒタヒタヒタ……

 ズルズル……

 奥へ進むにつれて音が徐々に大きくなっていく。

 ヒタヒタヒタ……

 ズルズル……

 ヒタヒタヒタ……ズルズル……


『ムスメ……』


 音に混じって、誰のものともつかないダミ声が聞こえてきた。

 ズルズルヒタヒタ……

 ヒタヒタヒタ……

 ズルズル……


『ワタシのむスメ……どこヘイッタ……?』


 ヒタヒタ……


『ワたしノムスめ ドコヘやっタ……?』


 左に折れた通路を曲がり、辿り着いた最奥の部屋。

 リキュールが、部屋の扉をゆっくり開ける。

 中の様子――その状況を、認識する前に流れ込む異臭と、濃厚な血液の匂い。


「……お……とうさ、ま……?」


 部屋の前に立ったリキュールが、震える声を上げた。

 暗い部屋の窓から、赤く光る細い月が顔を覗かせていた。

 廊下の光に照らされて、室内の様子が僅かに見て取れる。

 滅茶苦茶に荒らされた部屋。浮かび上がる、歪んだ細い影は、奇妙な動きで室内を右往左往していた。

 部屋の中に立ち込めるなんともいえない異臭にむせ返りそうになるのをぐっと堪える。

 ズルズルズルズル

 光景を視界に入れたまま、呆然と、その場に立ち尽くすリキュール。


「おとうさま……」


 声に影がこちらを振り返った。その拍子にゴトンと、ソレが何かを落とした。

 コロコロと、リキュールの足元までくる。

 リキュールが、足に止まったそれをゆっくりと拾い上げた。

 ガラスのような素材で出来た――あの、モリネコ像だった。


「……本当に、お父様……なの……?」


 像から顔を上げた彼女がゆっくりと呼ぶと、今度こそ、ソレは応えた。


「りきゅール」


 闇から聞こえてきたくぐもった声。

 眩暈のするような現実から、彼女は、ニ、三歩、後ずさりする――


「リキュ……」


 俺が後ろから呼びかけると、リキュールはふるふると首を振る。


「………………そんな……嘘だ、こんなの」


 中を確認しようとする俺を、いやいやしてリキュールが邪魔をする。

 その細い肩をやんわりと掴めば、ビクッとして、俺を見た。


「…………」


 開ききった瞳孔。

 その怯えは、何に対してか。

 そのまま黙って、俺の目を見続ける。

 数秒後、彼女は、何かを観念したかのように目を伏せた。

 項垂れた彼女をゆっくりと押しのけて中に入った。

 漂う濃厚な異臭に顔を顰める。


「王……様……?」


 呼びかけてみるが、返事が無い。

 不信に思うよりも早く目に付いたソレに、思考回路が遮断された。

 闇の中心に浮かぶ、白い顔。

 ソレは、白い仮面を被っていた。

 笑う仮面。

 ただし、仮面は上へズレている。

 下から覗く裂けた口が、血だらけの使用人の死体を引きずっていた。


「…………あ……んた」


 腹だけが、異様にボコっと出ている。

 曲がった背骨が目に見える。

 歪な躰。

 変わり果てたソレは、ゆっくりとこちらを向き直った。


『ムスめは、どこへイッタ……』


 ソレが喋る。


「……おまえ……」


 裂けた口から発せられたくぐもった音。その、ところどころに――


『ムスめを どこヘヤッた……?』


 ――王様の声。


「……フール」


 その名を呼ぶと同時に、


『ドコへヤッタあアアアァァァァァァアアアァアアア!!』


 ソレが高く跳躍した。

 突っ立ったままのリキュールを巻き込んで壁に身を寄せると、ソレは、そのままの勢いで廊下の突き当たりの壁を突き破った。

 そこは外だった。


「お父様!」


 夜の覗く穴に振り返るリキュール。

 通常ならそのまま落下して、はるか下の大地にたたきつけられる……はずだが、


『リキューる』


 それは再び、夜の闇から、響いた。


「…………っ」

『ヨロコベ……父サんもう、すっかリカラダが良くナッタんだヨ……』

「おとう……」

『カミ様にオネがイしたんダ……娘のタメにモ、マダ死ねナイって……ソシタラ……元気ニナッたんダヨ』

「……おとうさ……ま」

『これからも ズットイッショだヨ、ズット……』

「……お父様」


 白い仮面が、


『オマエをマモルよ』


 闇の穴から、顔を出す。


「~お父様…………っ」


 ふるふると首を振るリキュール。

 夢だったらどんなにいいのか。

 しかしこれは、


『リキューる……』


 現実だ。


「リキュール……離れてろ。俺が……!」

「~駄目!!」


 フールに向かって駆け出そうとした俺の腕に、リキュールが必死にしがみつく。


「リキュール……!?」

「~駄目!! いや! いやいやいや!」

「……リキュール」

「~や! お父様……あれはお父様よ!」

「リキュール!」

「~だから駄目ぇぇぇええ!!」

『~ムスめをハナセェェェェエエエエエエエエェェェ……!!』


 リキュールの声と、重なるように耳を劈く奇声。

 瞬時に接近し、するどく伸びた大爪が俺の体を裂こうとする……前に、リキュールを抱えて後方に飛ぶ。

 部屋に転がって、咄嗟に身を起こした。


「お父様! やめて!」

「~しっかりしろリキュール! アレは、もう……っ」


 唐突に、リキュールの体が硬直した。


「……リキュ? どうし……」


 彼女の視点が、ある一箇所で止まっていた。

 リキュールが目にしたものを俺も視界に入れる。

 赤い絨毯の上を、転々と、血痕と肉片。臓器――その先に転がった、腕と足のとれた死体。

 肉食獣に喰い千切られたかのような、無残な状態の血だらけの女――それは、恐らく彼女が見知った顔の……断末魔の表情だった。


「……ソフィ…………っ」

「……リキュール。王様は……もう死んでいる……っ」


 動かない細背に、絞るようにしてやっとそう吐いてから、リキュールを庇うように前に立った。


「あれは……『フール』だ……っ」

『りきゅール? ドウしタ?』


 その場にしゃがみ込んだまま、リキュールは両手で、総てに耳を塞ぐ。


「…………いやぁ……っ」


 聞きたくない。全身で総てを拒否しているようだった。


『リキューる、トウさまだよ……そんなトコにイナいデ……コッチへオイで……?』


 今度はゆっくりと、リキュールに近づいてくるフール。

 ヒタヒタヒタヒタと、近づく足音。


「……エンペラー」


 身構えたまま静かに呼べば、俺の前に金色の大男が立った。


『ったく。連日連戦だな。デスの次はフール。とことんついていない』

「……こんな状況で、よく軽口叩けるなおまえ」

『こんな状況だからだ』

「…………そうか」


 後ろを見ると、リキュールは耳を塞ぎ、蹲って泣いている。

 振り切るようにして前方を――フールを直視した。


「いくぞ。一瞬で終わらせる」

『ああ。これなら実体化は必要ない』


 エンペラーが大剣を抜き、その手に構える。

 気づいたフールが、動く。

 ……よりも、早く。


「~やめてぇぇええええええぇええええええええええええええええ!!」


 リキュールが走った。


「リキュール!?」


 俺の脇をすり抜け、フールを庇うように立って――リキュールはエンペラーと対峙した。


「やめてエビル……お父様よ…………お父様の……!」

「リキュール! 危ない、そこから離れ……!」

「お父様の『心』があるの…………!」

「………………!!」

「~まだ……っ」


 涙を拭かずに、滴り落ちるままに。

 リキュールは、一歩もひかない。


『……姫さん』

「リキュール……駄目だ」

「いや……」

「どいてくれリキュール……!」

「いやよ……」

「~リキュール!!」

「~だめぇ!!!!」


 悲痛な叫びと共に、彼女の体が白く発光する。

 否、白いオーラが彼女を包んでいた。


『…………テンパレンス……』

「…………」


 リキュールの前に立った清浄なオーラを纏った女性は、リキュールの後ろのフールを、次いで、リキュールを見つめる。


『リキュ……』

「………っ」

『貴女が、死ぬわよ』

「…………」

『それでもいいのね?』

「…………」

「テンパレンス? 一体何を……!?」


 俺の声を遮るように、テンパレンスがその場に白い光を放った。


「~うわ!」

『……なんだ……っ』


 闇に慣れた目には強烈すぎる程の膨大な光の量に思わず顔を背ける。

 しばらくして目が慣れると、リキュールと俺達の間に透明な膜が張られていることに気づいた。

 膜の真ん中には巨大な光陣が浮かび上がっている。


「な、なんだよこれ……?」

『やられたな……』


 エンペラーが溜息混じりにボヤいた。


「エンペラー……!?」

『バリアーとでも言おうか……コレは、攻撃を反射したり、障害物等、総てを近づけさせないように出来ている』

「なんだって!?」

『姫さんに近づけない』

「…………っ」




 ――// SIDE-Ri //――


 光の陣の向こうで、エビルが何かを叫んでいる。

 もう、その声も……思考ですら、ここには届かない。


「お父様……」

『リキゅール』

「わたしの為に…………そんな姿に……」

『りきゅール……』

「フールと……契約してしまったのね…………」

『……リきュール……』


 白い仮面の内から、雫が垂れる。

 てんてんと、赤い絨毯の上にしみを作った。

 とめどなく。


『…………』


 テンパレンスの側。

 エンペラーと、エビルが見守る中。

 わたしはそっと。


「お父様……」


 愚者の躰を抱きしめた。


『………………』


 ――流れ込んでくる。

 かすかに残る、父の心。

 こんなにも、国を想い、わたしを想い、そして――疲れ果ててしまった。

 古い、ぼろぼろの写真のような記憶の断片達。


「……ありがとう、お父様」


 残っている総てを受け止めた後、ゆっくりと顔をあげた。


「いこう。一緒に……」

『りきゅーる…………』


 ――そして。

 フールの爪が、背中からわたしの体を貫いた。


 ――// TO RETURN //――


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