1.クレイドゥル国へ
「……あそこか」
深い森を抜けた所で、ようやく俺は足を止めた。
まず目に付いたのは、高い塀に囲われたご立派な白い城。さらにその城をグルリと囲むようにして造られた、眼下に広がる城下街。丘の上から遠目に見ても、明るくのどかな雰囲気を醸し出している。
……自分には、似つかわしくない気がする。
『おいエビル』
名を呼ばれて振り返ると、半透明の男が俺を見下ろしていた。
『半透明』という言葉に相違はない。実際男の後ろの景色が透けているのだから。
「……なんだよ」
俺は声を潜めつつ、相手を窺う。
『あそこか、目的地は。……また随分と田舎臭そうな街だが』
「まぁ、俺とおまえが場違いだろう事は頷いてやるけどな。つか。言っとくけど、ここから先は話しかけるなよ? 一人で喋ってるようじゃ、あからさまに『怪しい人』だぜ。また門前払いされて不法侵入、結果、国中の兵士に追いかけ回される……なんてのはごめんだからな」
『わーってるよそン位。それでなくても、これまで苦労してきたからな』
「苦労させられたのはどっちだよ……ったく」
『っていうかさ。おまえ。黙ってれば今のままでも充分「怪しい人」だって。なんだよその格好。どうにかなんねーの?』
ジト目の主の、言いたい事は解る。今の俺は、どこからどう見たって浮浪者の類だ。ボサボサ頭の黒毛のカツラ。所々罅の入った瓶底メガネ。トドメに裾を引きずる位大きな古臭いコートなんてのを羽織ってる。
……でも弁解はしたい。
好きでこんな格好してるんじゃないやい。
『ま、これ以上からかうと身動きとれなくなりそうだからな。やめといてやらぁ』
「えらそうに。おまえはいいよな……」
透明で。
小声を無視したのか、本当に聞き取れなかったのか。奴は完全に黙りこくってしまった。
「なんだよ? 急に静かになりやがって」
『……アレ。何なんだろうな?』
「あぁ?」
振り返ると、奴は顎で明後日の方向を指している。辿って視界に入れたのは――遠方に聳え立つ塔だった。
街の北東に位置する、高い、高い――城にも負けないような存在感を放つ古い塔。鬱蒼とした森の中心から一本、にょきっと空に伸びていた。
「……あの国のものだよな?」
『ちょっと異様だよな。森の中にポツンと突っ立った塔なんざ』
「曰く付きなのは間違いないだろ。魔女とか住み着いてそうだな」
『魔女かぁ……』
「なんだよ。心当たりでもあんのか?」
『いや。苦手な部類にソレに近い雰囲気の奴が居るんだが』
めずらしい。コイツがこんな渋い顔をするなんて。
「余程すんごい性格してるんだろうな。その『魔女』サンとやらは」
『すんごい、というかなんというか』
近づいてきたとはいえ、まだまだ街から離れた緑豊かな街道のど真ん中。人が通らないのをいい事に無駄口を叩きながら歩く。
ふと、会話が途切れた。
小鳥の囀る声。揺れる草木の声。風の通う声――髪を攫い、高い空へと舞い上がってゆく。
短い沈黙を打ち破ったのは、当然ながら奴の方だ。
『……居るのかな』
「さぁ。ま、いなかったら他所に行くだけだろ」
言葉尻と同時に、落ちていた石ころを蹴っ飛ばす。
そんなこんなで、数年前から世界中を二人で尋ねて廻っている訳なのだが、今さら愚痴を零した所で何も変わらない。
「クレイドゥル国、か……」
一つ前の街で仕入れた情報によると、その男はこの国に立ち寄る事をもらしていたそう。
何の目的で転々と所在を変えているのかはわからないが、そんな理由は関係ない。自分はただ会えばいいだけの話なのだから。
第一、顔も知らないのだ。解っているのは、そいつが聖職者だという事と、その名前だけだ。
森に囲まれた城下町を治めるクレイドゥル国は、緑の大地ヨウィス大陸の中でも一、二を争う大国だ。
外敵を阻む為に設計された圧倒される程大きな門は――しかし今、盛大に開けっ広げられていた。
何故か門前の広場の両脇にたくさんの商人達が屋台を並べており、その間を様々な民族衣装を着た沢山の人々が行き交いしている。
大いに賑わう門の下。両脇に突っ立っている二人の門番が大声で無駄口を叩いていた。喧騒に混じって聞こえてくる笑い声。俺という、爆裂怪しい人間がウロウロしてみた所で、特にこちらを意識する様子もない。
なんつうか……この国には「警戒」という二文字が存在しないんじゃないかと疑いたくなるような光景だ。呆気に取られる程に活気溢れた呑気な街……という印象を受けた。
「あの」
向かって右側に立っていた、中肉中背の門番に声をかける。
「ヨウィス大陸の聖堂は、この街にあるんですよね?」
「ああ、ヨウィス聖堂ね。大通りを真っ直ぐ歩いていくと、クレイドゥル城がある。聖堂はその裏に立っているから城壁をぐるりと回るといい」
「ありがとう」
礼を言うと門番、上から下まで俺の格好を眺めて首を捻ねりつつ、
「しかしおまえ、聖堂に興味があるのか。旅人なのはわかるが……一人旅か? 見たところ修行僧ではないようだが」
これはよく問われる質問で、放たれる訝しげな視線にはもう慣れっこだった。
「自由気ままな観光巡りの旅の途中っス」
愛想笑いを浮かべながら頭を下げ、門の下をそそくさと歩く。数歩歩いた所で一息ついた。本当に、どの国よりも楽に入国出来た。なんだかなぁと苦笑しつつ改めて街の様子を見渡そうとした所で、
「あ、ちょっと!」
慌てた様子の門番に引き留められた。一瞬ぎくりとして逃げるかとも考えたが、ちらりと振り返ると門番の顔に切羽詰った印象はなかった。その片手に丸めて筒状にした紙を持っている。「この娘なんだけど」と、手にした紙を俺の目の前で広げて見せた。
紙には人物画が描かれてあった。肩にかかる黒い髪。大きな黒い瞳……まだ歳若い女の子だ。
「この子が何か?」
「いや、街に入る人全員に配っているんだけどね。もしこの娘を見つけたら僕達兵士に教えて欲しいんだ。なんでも国から褒美が出るそうだよ」
「って、こんな若いのに、賞金首!?」
紙を受け取るとマジマジと絵を見直した。見れば見るほど整った……なんというか、かわいらしい顔をしている。
「どんな悪さをしたんですか? この子。とても悪い事をしてる風には見えない……」
「……いや、確かに、決して悪い娘なんかじゃないんだが……いつものことなんだ」
歯切れ悪くそう答えただけで、門番は苦笑しながら所定の位置に戻っていった。
不思議に思ってしばらくその背を眺めていたが、
「……まぁ、いろいろあるわな」
湧き出る好奇心と一緒に丸めた紙を、背負っていたリュックの隙間に突っ込んだ。