17.運命の輪
「……ル……! ……エビル!」
遠くでリキュールの声がする。
ゆっくりと瞼を上げる。彼女の影が視界に広がって――
――眩しい。
…………なんか。
なんだろう、妙な感じが……。
「…………っ」
飛び起きる。
「エビル! よかった、気づいたのね」
幾度か瞬きを繰り返した後、ゆっくりと目を開ける。傍でリキュールが安堵の声を上げた。
「……どうなった? 俺達、吹き飛ばされて……」
俺もリキュールも……なんと宙に浮いていた。
……いや、ここは空じゃない。
証拠に雲も……風だってない。
「……っていうか、これって……」
ここには重力が無いようだった。天地も分からない。感じ方によっては自分達が横向きにも斜めにも下向きにも存在しているように思える。
『奴の支配下に飛ばされた』
声に見上げる。いつものように俺の傍に平然と立つ赤毛の大男の姿にほっと胸を撫で下ろした。
「エンペラー? よかった……消し飛んだように見えたから……」
『そうですね。世にも乱暴な歓迎でした。返答次第では――』
テンパレンスはあさっての方向を向いていた。……いや。これは、飛ばされる前の――地下礼拝堂に居た時の様子と変わらない。彼女はただ前方を、ディンの背の奥を睨んでいる……、
『――ただではすみませんよ。ホイールオブフォーチュン』
『申し訳ありませんテンパレンス。久しぶりに貴女に会えたものですから少しはしゃいでしまいました』
脳裏に直接響く子供の声と共に、テンパレンスの睨んでいる方向に何かが出現する。
「………………!」
「何……あれ……」
俺達の前に現れたのは、一枚の大きな大きな石板だった。
視界に収まりきれない程大きなそれには記号のような文様が刻まれていた。円形で、水車のようにその場で少しずつ右回りに回転している。
随分古いものなのか石板には所々に皹が入り、あちこちが小さく欠けている。ギッ……ギッ……と回転する度に、石屑がぱらぱらと落ちた。
「……と…………時計?」
呆然と発した俺の声に、火が着いたように爆笑するエンペラー。
『ぎゃはははははははは! と、とけ…………時計! 確かに……! ははははははは!』
『……成る程、ね。エンペラー。貴方のパートナーだ』
再び、やれやれといった感じの子供の声が頭に響く。
「ひ、ひょっとしてこの時計が喋ってんのか!?」
『ぎゃははははははははははは!!』
『……時計はやめてください。エビル・アストワルド。貴方にも、そこで笑い転げているおばかさんにも名があるように、僕にはホイールオブフォーチュンという名前がある』
「あ。スンマセン……って」
俺の名前を知ってる……。
「ホイールオブ……? では、貴方は……!」
俺の横でリキュールが両手を口に当てた。
『ええ。お初にお目にかかります。リキュール・ヴァライエティ・クレイドゥル。僕の名はホイールオブフォーチュン。このヨウィス聖堂に祀られている存在です』
「……祀られている……って事はあんた、ヨウィスのアルカナなのか……」
俺の声にきょとんと大きな黒目を向けるリキュール。
「アルカナ? 神様では……?」
『ええ。エビル・アストワルドの言う通りです。貴女のテンパレンスやエンペラーと同じく僕もアルカナの一人。ですから、そんなに畏まらないでください。ただ、人に憑くか大地に憑くかの違いがあるだけで、彼等となんら変わりありません』
「そ、そうなの!? テンパレンス、あなた神様なの!?」
響く子供の声にぐりんと首を動かすと、胸の前で両手を組んだリキュールは目をキラキラさせてテンパレンスに詰め寄った。
『……まぁ、彼と同種なのは確かですが、そもそもホイールオブフォーチュンが神かといえばそうではなく……』
あ、珍しい。テンパレンスが困ってる。
「連れてきた。今代の適格者だ」
ディンの重い声が空気を変える。
『ああ。ご苦労さまです聖職師。…………しかし、一人足りないようですが――』
「連れてきて欲しいのなら、おまえが説得しろ。あれは聖職師の言葉は聞かん」
『……まぁ、やっぱり……そうですよね、うん……彼女達には他の手段で来てもらうことにしましょう』
うわすごい。ディンの奴は神様に向かってタメ口だ。
聖職師っていうのはそんなにエライ存在なのか。……って、神様じゃないんだっけ。あの古時計。
『聞こえてますよエビル・エストワルド』
げ! 心を読んだ!
「す、スミマセン二度と思いません大きな古時計なんて!」
「エビル! ヨウィスの神様にむかって失礼なんだから、そんな、大きな……なんて……!」
『ぎゃーははははははははは! お、おじいさんの…………わはははは!』
肩を震わせながら懸命に笑いを堪えて変な顔になってるリキュールと、再び腹を抱えて笑い転げるエンペラー……って、……あの、テンパレンス? なんか肩、震えてない……?
『……貴方は本当に…………まぁ、先代の適格者もそんな感じでしたか』
「………………」
溜息をつく古…………もとい、ホイールオブフォーチュンに、ここまでくるとすごいぞ無言で突っ立っているディン。
「先代って、俺の前のエンペラーの……」
『そうです。貴方の前のエンペラーの適格者にも僕はここで会った事があります』
俺の前の適格者。
確か、そいつが死んだから、エンペラーは俺に憑いたんだよな。
『……って、おい古時計。余計な話は……』
笑いを止め身を起こすと、急に真顔になるエンペラー。
『いいじゃないですかエンペラー。彼はもう死んだ。そして、今から話すことは彼に繋がることでもある』
ホイールオブフォーチュンの言葉に苦い顔で舌打ちする。
『…………そうじゃないかと思っていたんだが……』
「どういうこと? 古…………ホイールオブフォーチュンさん。エビルの前のエンペラーの適格者さんの話って……」
『呼び捨てで構いませんよリキュール・ヴァライエティ・クレイドゥル。しかし……テンパレンス。エンペラーはともかく、貴女も彼女に何も話していないのですね』
『………………リキュが知る必要はありません』
「もー、いつも言ってるでしょテンパレンス、それはわたしが決めるの。勝手に判断しちゃだめって!」
『ですが、リキュ。貴女はエンペラー達とは何のかかわりも無い……』
「そうね、一昨日までは。でも、もう知り合ってる」
『…………リキュ……』
『止めても無駄ですよテンパレンス。彼女の性格なら知り尽くしているはず。
それにアルカナの適格者である彼女もまた、大きな流れの渦中にいる。エンペラーやその適格者、エビル・アストワルドに関わろうと関わるまいとそれは変わりません。彼等に責はない。それは、貴女もご存知でしょう』
『………………』
「何の話だよ? 俺達と接触したからってリキュがどうにかなるのか?」
『どうにもなりません。が、エビル・アストワルド。エンペラーの適格者である貴方には使命がある』
「……使命だ?」
『貴方もリキュール・ヴァライエティ・クレイドゥルもそれを訊きにここへ来られたのでしょう』
リキュと顔を見合わせる。俺達はディンの「ついてこい」の理由を聞きにきたのだ。
『基本的なことからお話しなければならないですね。先ず、アルカナには皆、世界――というよりも、人類を護る為にやらなければならない事があります』
「やらなければならないこと?」
『ええ。僕達が神と呼ばれるのはここから来ているものだと思われます。
まぁ、ここ十数年、ヨウィスに彼等の気配を感じたことはありません。ですからリキュール・ヴァライエティ・クレイドゥルは知らないでしょう。テンパレンスも話していないようですし、これは当然です。
しかし、貴女以外の適格者は恐らく全員、己に憑いたアルカナからその存在を聞いている。既にエンペラーとエビル・アストワルドは何度か接触しこれを成している』
「あぁ……あれ」
ホイールの言葉で、これまでに数回遭遇した"奴"の印象が、脳裏に鮮明に蘇る。
……あれは。まるで生きる屍だ。
「何? エビル知ってるの?」
「まぁ、あんまり気持ちのいいもんでは、ない。テンパレンスが話したくないってのも解るよ」
『………………』
『その名をフールと言う』
「フール……?」
『彼はこの世界中どこにでも存在します。何故なら、彼は人に憑くからです』
「それって……」
『そうです。彼はアルカナです。但し。フールだけは自由意志で、無制限に人に憑きます』
「自由意志? アルカナは自由ではないの?」
『ええ。誰に憑くか、そこに意志はありません。特に人に憑くアルカナの場合は憑いた人間が死ぬと、世界に現存する存在の内、一番適した人間の元へ強制的に飛ばされる。彼等が適格者を選んでいる訳ではないのです』
「……そうなの? テンパレンス」
『ええ』
『アルカナは、僕、エンペラー、テンパレンスを含め、二十二います。それぞれ、大地に憑いた者、人に憑く者、精霊に憑いた者といますが、フールだけは特殊なのです。彼は無尽蔵に己のコピーを生み出し、人を欺く』
「欺く?」
『ええ。唆して人に獲り憑いた後、人の欲望を実行するのです。その後は……』
『理性を食べてしまう』
「テンパレンス……」
『ええ。願いを叶える代償として、人の理性と魂を貪り食い……結果、廃人が誕生します。ただの廃人ではありません。それは愚者そのものです。愚者は持ち主のいなくなった肉体を使って自由気ままに人々を襲います』
「……人を?」
『ええ』
「…………アルカナ、なんでしょ?」
『はい』
「テンパレンスと同じ……なのに、どうして?」
『…………』
「どうしてそんなことを?」
『残念ながら、リキュール・ヴァライエティ・クレイドゥル。アルカナとは得てしてそういうものです』
「そんなことない! テンパレンスは……エンペラーさんも違うよ」
『いいえ。アルカナとは人の欲望を叶える為の存在です。有……正の力として使うか、無……負の力として使うかの違いで全く別の性質に見えるだけです』
「………………」
『フールとは、二十二あるアルカナの中で唯一無の性質を持つ者。負の願望に反応するアルカナなのです。つまり。
そこに居るエンペラーやテンパレンスは人の「生」という願望を糧にして存在する。そこに正義も悪もない。自身が憑いた人の感情で彼等は動きます。ですから適格者以外の人間にとっては、彼等は天使になったり悪魔になったりする。人にとって強力すぎる力というものは得てしてそういうものです。恐れられ、忌み嫌われる。人々の不安を除去する為というお題目で、聖職者は狩ろうとしますし。
一方僕のような大地に憑いたアルカナは、大地の「育む」という――やはり「生」の概念を糧にして存在しています。大地には人のような激しい感情は無い。振り回されはしない。ですから僕達は人に憑くアルカナと違い、暴走することもなく僕達のまま在り続ける事が出来る。それに「大地」なんて、人にはどうしようと動かせない存在でしょう? 人は大地が無ければ生きられません。だから人は僕達を神と呼ぶのだと僕は考えます。
しかしフールは全ての負のエネルギーを糧に存在します。人の負に憑き、人、地、植物……あらゆるものの負の感情を吸収し無限に増える。そうやって、憑いた者の負の感情を最大限に引き出し、その人間の欲望のままに世界を荒らす。行き着く先は滅亡。フールが狙っているのは、世界の消滅です。「生」を糧にしている正のアルカナは、正であるが故にこれを防ぎたいと考えます。故にそれは適格者達の使命となるのです』
「…………全然知らなかった……です」
『リキュ……』
『それは仕方のないことです』
「けどさ。フールについては今までと同じに発見次第、撃破していけばいいだけの話だろ? それがなんだってディンについてかなきゃならない理由になるんだ? フールはどこにでも出没する。固まってるよりは散らばってた方がいいような気がするけど。大体ディンはどこに行こうってんだよ?」
「私は各地の聖堂を回った後、ザートゥルニ大聖堂に戻る」
それまで黙って聞いていたディンが俺を振り返った。
「俺達に聖堂巡りさせようってか?」
『そのとおりです。エビル・アストワルド』
「はぁ?」
「そんなことをすれば、捕まってしまうのでは……」
『その為の聖職師です。各聖堂の聖職者は聖職師には逆らえない』
「そりゃ……ディンの力は化け物級だけど……」
「わたしたちが聖堂を回ることと、フールの攻撃を防ぐことと、何か関係があるのですか?」
『察しがよいですね。リキュール・ヴァライエティ・クレイドゥル。まぁ、本当に聖堂巡りが必要なのはエンペラー……もっと言えば、エビル・アストワルドのみなのですが』
「俺がなんだってんだよ?」
『エンペラーには、フールの各個撃破ではなく、フール本体を叩いてもらいたいのです』
「…………って、出来るのか?」
俺が視線を寄こすと、エンペラーはしばらく視線を宙に彷徨わせた後、肩を竦めてみせた。
『少なくとも、いまのままでは勝てないという事は前回で証明されています』
「前……回?」
前回って……前にもフール本体に挑んだことがあるって事か。奴は。
『二十二のアルカナのうち、自由に動けるアルカナ――人に憑くアルカナの中で、フールの消滅を実行し得る可能性が一番高いアルカナはエンペラーです。これは大聖堂のあるザートゥルニ大陸に憑いている最強のアルカナ、ワールドが告げた言葉です。ですからどんなに悪い噂がたとうと、エンペラーとその適格者を殺そうとする聖職師はいないはずです。殺してしまってはフール退治もままなりませんから』
「でも、勝てないってさっき……」
『ええ。前回の適格者と共にフールに戦いを挑んだエンペラーは、結果、敗れています。前の適格者はその戦いの際に命を落としました』
「…………なんだって?」
『…………別に、隠していたつもりはなかったんだが……』
ばつが悪そうにそっぽを向くエンペラー。
「知ってたの? テンパレンス」
『…………えぇ、まぁ……』
テンパレンスまでもが、リキュの視線を受け、ばつが悪そうにそっぽを向いていたりする。
『知っての通りアルカナは不死身です。フールに敗れた後、エンペラーは瞬時に新たな適格者――エビル・アストワルドの元へ飛ばされ、彼に憑きました。これはエビル・アストワルドが六歳の時ですね』
「あぁ……確かそのくらいだったよな…………って。何でそんなこと知ってるんだよ」
『僕の能力です。エビル・アストワルド。僕はフール以外のあらゆる存在の運命に介入する力を持つ』
「…………じゃあ」
『ええ。僕の力は見通す力。僕は貴方の過去――フールに敗れたエンペラーが誰に憑き、その結果、何が起こるのかを知っていました。僕は今、過去現在未来。全てを見通して話をしています』
「…………………………!」
『………………土地に憑いてるアルカナには特殊能力を持つ奴が多いからな。おかげで奴にでも「神様」なんてのが務まってんだろ』
『まぁ、知っていたところで僕にはどうする事も出来ませんでした。マルティス大陸にはタワーが憑いている。何か考えあっての事だとは思いますが』
「エビル? ……大丈夫? 顔真っ青だよ?」
リキュールの手が触れる。
――アルカナ『テンパレンス』の能力を持つ、指が。
「………………っ!」
――反射的に、彼女の手を振り払ってしまった。
「…………エビル?」
きょとんとした顔のリキュールにあっとなる。
「……ご、ごめん! ……その、ちょい疲れただけ! 少し休めば大丈夫だから」
「……そう?」
「ああ……」
『話を続けますね』
淡々とした子供の声にリキュールがそちらを振り返った。気づかれないようにそっと息を吐く。
『前回のフールとの戦いの話に戻りますが。その戦いの前に、僕の元を訪れた者がいます』
『……成る程な。それがディンか』
感情の無い声でエンペラーがぼそっと吐いた。
『ええ。エンペラーにしては察しがいいですね。僕は僕に答えられる範囲で彼に入れ知恵をしました』
「答えられる範囲?」
『そうです。幾ら先を知っていても大地――世界ディエースに縛られている僕には、人間に授けられる知識に制限があります。これは大地に憑く七アルカナ全てに存在する戒めなのですが……これについては詳しい事は語れません』
『んで? おまえさんは俺様の知らない所で一体何をくっちゃべってくれたんだ? ホイール』
『彼の行動を見れば解るでしょう』
『……エンペラーの特殊能力のことかしら?』
『ええ。テンパレンスの言う通りです。他のアルカナと同じくエンペラーにも、とある特殊能力が備わっています。それこそがフールの対抗手段です』
「特殊能力だ?」
言われて首を傾げる。
……はて。そんな便利そうなもの、何かあったっけか……。
『エンペラーの戦闘手段を思い出してくださいエビル・アストワルド。彼の戦い方はシンプルだ。如何なるものも大剣でぶった切る。言ってしまえば、力だけで押し切る力馬鹿さんです』
『寿命を待たず廃棄処分してやろうか? 大きな古時計さんよ?』
言って、握り拳をわなわな震わせるエンペラー。しかし動じた様子も無くホイールオブフォーチュンは続けた。
『しかしそれだけではフールには敵いません。そこでエンペラーとエビル・アストワルドには該当する聖堂を巡っていただいて、ですね。対フール戦の前に、とある付属品をつけてもらいたいのです』
『…………サポーターだ?』
俺とエンペラーの声が見事にハモった。