15.選択する為に
花火大会が終わって、下ではぞろぞろと家路に着く人々の様子が見受けられる。
楽し気な雰囲気とは対照的に――この場はひどく緊迫した空気に包まれていた。
正面に、リキュールの小さな背中。そのさらに奥に、闇を背負って黒い聖職服の大男が仁王立ちしている。
『ご丁寧に音も無く警備兵を眠らせて、こんなところまで来やがるたぁ……』
『………話には聞いていましたが……、これほどまで気配を感じさせないとは……』
ディンの背後で、駆けつけた二人のアルカナの声がする。
彼等に一瞥をくれただけで、ディンは俺達に――俺に向き直った。
「昨日の攻防で動けないんじゃなかったのか」
「……あんたこそ。どうしてここに……」
「この国の聖職者達がかり出されると聞いたのでな。私も出向いたという訳だ。と、いうか。この国の人間は詭弁が上手くない」
「…………」
……バレたのか。
リキュールの住んでいる、魔力を遮断するという壁で出来た別居は、城の占術師と聖職者が造り上げたという。
という事は、ヨウィスの聖職者はリキュールがテンパレンスの適格者であるという事を知っている事になる。
そりゃ、全員が全員知っている訳ではないと思う。しかし、確実に昔からいる……あのドエライ爺さんとかなら知っているはずだ。
締め上げられたか、それとも……見抜く力が、この男にはあるのか。
「……貴方は……」
リキュールの戸惑うような高い声がして、我に返る。
いつしか額に滲み出ていた汗をぐいっと拭う。
そして、全身にかかる圧力を改めて実感した。
――奴は、強い。
「……リキュール・ヴァライエティ・クレイドゥルだな」
「はい」
この圧力の中。毅然としてディンと向き合うリキュール。
俺はどんな状況にでも動けるよう、僅かに腰を落としていた。
今はこれが精一杯だ。
この男にはそれだけ、隙というものが存在しない。
「――私はザートゥルニ大聖堂に属する聖職師、ディンだ。テンパレンスの適格者であるあんたを、迎えに来た」
―やっぱりか……。
内心そう思った。
ディンの目的はどういう訳か、適格者を殺す事ではない。
圧力はあれど、そこに殺気は微塵にも感じられない。
アルカナたちが動かないのが証拠だ。
リキュールも、俺の記憶から読んでいたのか、驚く事はしない。
「何故、ですか」
静かに問うその声は意外なまでに落ち着いていて、どこにも臆するような色は無い。
か細い背中は微動だにしなかった。
この圧力下、スッと真っ直ぐにその場に立ち、毅然とした態度でディンの返答を待っている。
俺の勝手な想像だが……女の子というものは、目の前にディンみたいな大男に立たれたら怯えて声も出せなくなるものではないだろうか。
考えていたよりも、彼女は強くて……やっぱり、お姫様だった。
「……………」
ディンも、少し驚いた様子だったが、
「……私には目的がある」
僅かな沈黙の後、そう続けた。
「目的とは?」
「殲滅だ」
「何を殲滅する気ですか」
「…………今はまだ語る時ではない」
「リキュール!」
アルカナの後ろから、兵を従えてリキュールの父親――ヴァーダー・ズイーズナヤ・クレイドゥル王が駆けつけた。
青い顔にリキュールは頷いてみせると、再びディンに向き直る。
「わたしはクレイドゥル国第一王女、リキュール・ヴァライエティ・クレイドゥル。特別な理由もなく、国を離れる訳には参りません」
「アルカナ憑きの王女でもか」
「貴様……!」
「王女に対してなんたる無礼を……!」
兵が騒ぎ立てるのを王が片手で制する。
「貴方の事は聞いている。聖職師ディン。ザートゥルニ大聖堂の派遣聖職者で相当な力の持ち主だと」
落ち着いた柔らかな声に、ディンはゆっくりと王に向き直った。リキュールが不安げな表情で王を見つめている。
「聖職師の使命は適格者の殲滅にあると聞く。貴殿の言うとおり、そこにいるのは適格者――アルカナ憑きの王女であると同時に私の娘だ。故に問いたい。我が王女、それと、そこに居る王女の友人を連行するのはザートゥルニ大聖堂の意志か。それとも、聖職師としての使命故か」
「どちらでもない」
「というと?」
「そもそも、私の意は大聖堂のそれとは異なる。故に私は単独で行動している」
「大聖堂から派遣された訳ではない、と?」
「いや。私は大聖堂の命でここにいる。しかし、私個人の目的の為にその姫の力を借りたい」
「…………処理を目的としているわけではない、と」
「ああ」
「詳しく話を聞かせてもらいたいのだが」
「王には関係の無い事だ」
「私にはなくとも、娘にはあるのだろう。貴殿は娘とその友人に詳細を話すべきだ」
「………………そうだな」
あっさりと呟くと、ディンはそのまま歩を進めた。
「お、おい……ディン?」
俺の声にディンは立ち止まると、
「選択権はおまえ達にある」
背中を向けたまま、低い声で言い放った。
「ついて来い。選択を行うために」
「………………はい」
驚いたのは、隣から聞こえた声。
「リキュ!?」
リキュールはディンの後をついていく。
「エビルも知りたいでしょう? 行くでしょう?」
振り返った疑問顔に面食らう。
素直というか、適応力が高いというか…………。危機感知能力が極端に低いというか……。
「……リキュが行くんなら俺も行く、けど……いいのかよ?」
「ええ。お父様はわかってくださる」
ディンに道を譲ったクレイドゥル国王の元へ小走りに駆け寄るリキュール。
「お父様。わたし、行って参ります。自分で、運命を選択をする為に」
「………………リキュール。私は」
国王は言葉を飲み込んだ。弱々しい表情にリキュールは笑顔を見せる。
「大丈夫。わたしを信じてお父様。これからは占術師の声ではなく、自分の道は自分で開きます。ですから、お父様は早く休んでください。顔色が悪いです。体調が優れないのでしょう?」
「…………」
「わたしが戻るまで、帰る場所を守っていただかないと。……元気でいなくてはダメなんだから」
「リキュール……」
「安心してください。テンパレンスもついています。それからエビルも。ディンについていく事を選択しても、最後には必ずわたしはお父様の元へ戻ります」
「………………私は……なんと無力なことか……」
「そんなことありません。お父様はこれまで私を、この国をお守りになった。わたしもこの国を守りたいのです。その為には進まなければならないと、わたしは考えます」
「リキュール、そんなことはおまえの心配する事ではない。私が……」
「聖職師がクレイドゥルへ派遣されると知らせを受けた日のこと。わたしは夜も眠れませんでした。お父様もそうでしょう。占術師の予言を消し去る為にも、わたしが動くべきだと考えます」
「………………」
「行って参ります。お父様」
「……………………」
何も言えなくなってしまった国王。最後にお辞儀をしてリキュールは前に進む。
『リキュ』
「行こう。テンパレンス」
そんな彼女の歩みを止める者は誰も居ない。テンパレンスは当然のようにリキュールの意に従い、兵達は戸惑いの表情のまま声を上げることも敵わずに、颯爽と通り過ぎてゆく彼女を見送るだけだった。
『いいのかよ? ボーっとして。姫さん行っちまったぞ』
「あ、あぁ……すぐ行く。……けど」
エンペラーの下へ駆け寄りながら、俺はチラッとクレイドゥル国王を垣間見た。
体調が思わしくないと言っていたリキュール。痩せた背中を丸めて、俯いた青白い顔で何事かを呟いている。わかってくれるとリキュールは言ったけれど。
そこには、先ほど垣間見た国王の威厳などどこにもなかった。