10.リキュ
エンペラーの言ってたとおりだった。
毛色こそ違うけど、本当に、似ている。
まるで親子だ。
束ねられた艶やかな金の髪。
透き通るような肌。
意志の強そうな青い瞳。
顔立ちは上品だが、どこか少女のようなあどけなさもある。
「………………」
エンペラーが少女を初めて目にした時のように、呆然と彼女等の顔を見比べる。
「エビル」
満面の笑みで俺を呼ぶ少女は、ここに来るまでの道中でリキュと名乗った。
黒い髪、白い肌。生粋のクレイドゥル国民だ。
「彼女がテンパレンス。で、こちらが、エビル。モリネコ探しを手伝ってくれるんですって」
「あ……ども」
テンパレンスにみつめられて、頭を下げる。
……なんつか。デスとは違った威圧感が。
『……貴方方の気配は、昨日から感知してました。が……まさか接触してくるとは…………』
テンパレンスは俺の姿を頭のてっぺんから足の先まで見た後、呆れ顔で深々と溜息をついた。
あ。やっぱりバレバレだったのか……。
「……まぁ、成り行き上だよ」
苦笑すると、テンパレンスはもう一度だけちらっと俺に視線を寄こした。
「テンパレンス」
リキュの咎めるような声がして、そちらに向き直った彼女は、
『……そうね。話は後にしてモリネコを見つけましょう。早く終わらせなければ聖職者やデスは愚か、エンペラーも来るのでしょう?』
「……」
どこか険のある響きで告げた。
特に『エンペラー』の部分。
……嫌われてンのな、エンペラー。
一体どんな悪さを……。
『…………』
テンパレンスは、静かに白い細腕を前方に伸ばす。
瞬間、巨大な深緑色の水瓶が出現し、その手に納まった。
『リキュ。見て。モリネコの住処は恐らくこのあたり』
告げて、水瓶をリキュの前に持ってくる。
一緒になって、俺も水瓶を覗き込んだ。
「うわ。すげぇ……」
水面に、上空から覗いた城下町の様子が映っている。
水の中の景色はそのうち、クレイドゥル城、ヨウィス聖堂、街の周囲を囲む高い壁、水瓶を覗き込む俺達の姿と、次々に移り変わる。この先に広がる森を映した所でリキュが呟いた。
「……やっぱり。この森にいるのね」
そう。俺たちは現在、街の裏手に位置する深い森の手前にいた。
街道をしばらく行くと、細い横道が現れる。横道は街の外側を壁伝いにぐるりと廻って、街の裏の森へ伸びていた。
その森の入口で、テンパレンスが迎えてくれたのだ。
『ええ。モリネコの名が示す通り、森に生息しています』
水瓶の映像は、さらに森の奥へと続く。
やがて一本の太い大木が映し出されると、その太い枝に……今朝見せてもらった絵の通りの姿をした小動物が二、三匹戯れている様子を見ることができた。
「木の上に居たのね……見つからないはずだわ」
『行きましょう。この木はこの森の、さらに奥です』
狭い獣道を、先行してテンパレンスが進む。その後を、リキュ。最後に俺が続いた。
重なり合う木々の隙間から温かい日の光が差し込む。
時折吹く冷たい風。緑の匂い。微かに、先を行くリキュの髪の香りが鼻を擽った。
森に入ってから、彼女はフードを外していた。
白い肩を隠す程の長さのそれは、風に吹かれてサラリと揺れる。
リキュは予想に反して、動きがよかった。
獣道は途中で途切れ、後半は道無き森中を分け入って進んだ。足場もかなり悪い。その容姿から、てっきり苦戦するかと思われた道中は意外な程スムーズだった。急な斜面もなんのその、テンパレンスの後を追い、草木を掻き分けズンズン奥へ進んでいく。
……慣れているっぽい。
この辺りは、リキュの遊び場なのかもしれないな……。
なんだか、改めて不思議な感じがした。
エンペラーが居ないのも、なんだか不思議だ。呼べば、すぐ後ろから声が返ってくるような気がする。
加えて。他のアルカナと、リキュという女の子と行動を共にしている。
こんなことは初めてだ。
こんな……他人と、一緒に歩くだなんて。
「エビル」
前を行くリキュの声が思考を止めた。
元気よく振り返ったリキュの額に汗が滲んでいた。息も僅かに上がっている。しかし俺を見ると、彼女はどこか嬉しそうに声を弾ませた。
「エビルって、この国へ来たのは昨日の事なのよね? これまでずっと旅をしていたの?」
「ああ」
「この国の印象はどう?」
問われて少し考えてみる。
「…………悪くない、かな」
素直な感想だった。
確かに城下街にしては田舎だが、豊かな緑に恵まれ、気候も国民性も穏やか。……俺には合っていない気がして気後れもするのだが、それでもこれまで見てきた国――戦争続きで殺伐とした大国や、人口の少ない廃れた街等を思うと断然、この国は気持ちがいい。
「わたしは……エビルみたいに旅をした事がないから、この国しかしらない。他にどんな国や街があるのか想像もつかない。けど、きっとどんな国を見たって、この国が一番だって言うと思うよ」
見ていて気持ちのよくなる笑顔だ。
胸の透くような微笑は、まるでこの国そのものだなと、そう自然に感じた。
「エビルって、歳はいくつなの?」
「? 知ってるんじゃなかったのか?」
返す言葉にリキュは足を止め、こちらを向き直るとぶんぶんと首を振る。
「キミの容姿は、昨日ぶつかった時に。名前はね、今朝ぶつかった時に頭に飛び込んできたわ。でも、あれは不可抗力。普段心を覗く時はちゃんと制御して、必要以上の事は見ないようにしてるの。だから、さっきも『わたしに伝えたい事』しか覗いていない」
ぴしゃりと言い放たれた。
「……なんだ。そっか…………」
てっきり触られた時に俺の素性まで…………過去の事まで、把握したものだとばかり思っていた。
だから、俺の「ついていく」の申し出に、にっこり笑って了承した彼女に拍子抜けしたんだ。
断られた後、どうやって食い下がろうかと考えていたから。
でも、知られていないのであれば、話はわかる。
……少し、気が和らいだ。
「俺は……えっと、十六になったかな?」
言えば、リキュは嬉しそうに笑む。
「同い年だね」
「嘘。てっきり年下かと……」
「~違うもん。リキュ、十六だもん」
……ほらまた。
クセなのか、リキュはたまに自分の事を「リキュ」という。どうやら、取り乱した時とか、感情が先行した時にポンと出るらしいのだが。
コロコロと変わる豊かな表情。あどけなさの残る顔立ちが、彼女を幼く見せていた。
「信じてないな。リキュ、嘘なんかつかないよっ」
むぅと膨れたリキュは前方を向き直り、ズンズンとテンパレンスの後を追う。
……まぁ、その気持ちなら解るかな。俺もガキ扱いされるのなんてごめんだし。それが原因で昔はよくエンペラーを怒ったっけ。
苦笑してリキュの後を追う。
平和な道中。ここまで。心配していた追っ手の気配はなかった。
……このまま杞憂で終わればよいのだが。
『ここ』
テンパレンスの凛とした声がして顔を上げた。
目前には、一際大きな一本の大木。
耳を澄ませば、みゅーみゅーと微かに声がする。
(ついに見つけたね!)
モリネコを脅かさないように、リキュが小声の歓声を上げる。
(けど、どうやって捕まえるんだ? 案外高いぞこの木。普通に登ってったんじゃ気づかれて逃げられるんじゃ……)
(だいじょぶ。テンパレンス!)
呼ばれて、テンパレンスは再びその手に水瓶を出した。
水瓶の色が、さっきとは違う。
先ほど見た、景色を映し出す水瓶の色は深緑。
そして今、テンパレンスが手にしている水瓶は水色だ。
前みたいに覗き込もうとして、何故か中の冷水が顔にかかった。
「……っ つめて……!」
水瓶自体は動いていないのに、一体なんで?
軽く瞑った目を開けてみて、ぎょっとする。水瓶の中に入っているはずの水が、瓶からニョキっと顔を出していた。
……いや。正確には、
「水が……宙に浮いてる……?」
俺が呆然としている間に、水はひとりでに上へ上へと昇り、その根元は水瓶の口と同じ太さになる。
こうして出来た水柱は、飛沫を上げながらさらに上昇し、ついには目的のモリネコが居るのであろう高さにまで到達した。
これ程大量の水が水瓶の中に入っていたことにもびっくりだが、それよりなによりその水瓶を抱きかかえているテンパレンスは重くはないのだろうか。水の動きを追うその横顔は随分涼しげな表情に見えるが……。
……などと、湧き出た疑問に首を傾げる間もなく、水柱は再び飛沫を上げながら水瓶の中に戻ってきた。
「…………すげぇ」
かくして、水瓶の水に捉えられた一匹のモリネコ。
水はロープのように幾重にも巻きつき、その小さな体を完全に絡めとっていた。
みゅーみゅーと鳴き、震える小さな体。
心配そうに見下ろすリキュ。
「かわいそう。テンパレンス、早く……」
『――ええ。すぐに済ませます』
そして水は、モリネコの全身を優しく包んだ。
その間、一瞬。
「……ごめんね。すぐ、済むからね……」
リキュはその様子を不安気に見守る。
徐々にモリネコの体を覆っていた水が剥がれ落ち、
『完了』
短い言葉にリキュはほっと胸を撫で下ろした。
そして、再び上がる水柱。
一瞬で還ってきたその水面に、モリネコの姿はもうなかった。
「……なに、やってたんだ?」
「へっへっへ。実はね……」
企み顔で、水瓶の中に手を入れるリキュ。
中から出てきたのは、ガラスのような素材で出来た人形だった。
「……もり、ねこ?」
そう、それはモリネコの姿をしていた。
しかも、毛の一本一本や髭まで、細部に至るまで精密に再現されている。
これに色を塗れば、本物そっくり……いや、見分けがつかなくなるんじゃないだろうか。
日の光を受けてキラキラ輝くそれを、リキュが大事そうにハンカチにくるむ。
「これをね。お父様にあげたかったの」
「おとう……さ、ま?」
「今日、お誕生日だから」
黄色の布地でくるまれたそれを胸に、にっこりと、俺を振り返るリキュ。
「お父様。最近まで、おうちでモリネコを飼ってたんだって。……でもそのコ。一ヶ月前に死んでしまったらしいの。だからね、誕生日プレゼントはモリネコの置物にしようって決めてたの。お父様、絶対喜ぶ」
「リキュは、親父さんと一緒に住んでないのか?」
問えば、その笑顔が初めて陰った。が、それはほんの一瞬の事で。彼女はすぐに穏やかな表情で頷いてみせた。
「ちょっと訳があってね。離れて暮らしているの」
『リキュ。長居は無用です。すぐに宿へ向かいましょう』
と、会話を遮るようにテンパレンスの声が響いた。
「ええ」
それに頷くと、リキュは大木を振り返る。
「ごめんねー、ありがとうーっ」
笑顔でそう告げ、テンパレンスの後について歩き出した。
「……」
素直なイイコだ。
彼女は。
――そんな彼女も、適格者なのだ。
適格者は不吉とされ、その存在は人々に忌み嫌われる。
正体がバレれば王都の兵や、聖堂から追われる身。
かわいらしい顔を、フードを深く被って隠して。
きっと、あまり外には出られない。
おやじさんと一緒に暮らせないのも、理由はソレだろう。
「エビル! いこ!」
あどけない笑顔で手を振る彼女の後に続く。
あの時、俺の「この手」を握ってくれた、柔らかな感触。小さな……あの温かい手は一体、どれほどの困難を抱えてきたのだろう。
「……リキュ」
「なに?」
呼べば笑顔で振り返る少女に、自分も精一杯の笑みを返した。
「やったな。親父さん、きっと倖せだよ」
リキュが、満面の笑みを浮かべた――その時だった。
視界一杯に広がる豊かな自然。平和な森の中でそれは突如膨れ上がり、俺達を一瞬で覆った。
――それは、膨大な殺気。
『リキュ!』
声が重なる。
俺がリキュの体を抱えて飛ぶのと同時に、水色の水瓶を出したテンパレンスが、殺気が一番濃厚な箇所へ大量の水を放った。
俺達の前に薄い水のベールが展開し、目前で弾かれた数枚の刃が地に落ちる。
……気づくのがもう少し遅れていたら、俺とリキュの首は飛んでいた。
「……エビル?」
見上げる不安げな表情。
抱えていたリキュを後ろへ押しやり、殺気に向き直る。
『――驚きました。いつもの野蛮な気配が無いと思えば、代わりに清浄な気配が同行している。……貴女。テンパレンスではないですか』
底冷えのする程冷たい女の声が、森の中に静かに響いた。
この刺すような低声は……、
『…………』
「……デス」
――やっぱり来たか。
俺の声に呼応するように、デスは俺達の目の前に姿を見せた。