9.テンパレンスの適格者
その黒髪を見つけたのは、門を出て街道を少し進んだところだった。
相変わらずの人ごみの中で、小さなリュックを背負った小さな少女が、流れとは反対方向に足を進めている。
フードから零れ風に流れる、黒い毛束。
見つけてからは全力疾走だ。
人波をすり抜けて、徐々に、徐々に近づく。
かくして俺の手は、彼女の腕を掴んだ。
「……キミ、さっきの」
彼女は大きな黒目をさらに見開いて俺の顔を見た。
滴る汗をぐいっと袖で拭いつつ、上がった息を無理やり抑える。
「どうしたの大丈夫?」
俺を覗き込む表情が、みるみる心配一色に染まった。
「……捜してたんだ……実は、あんたに伝えたいことが……」
「ツタエタイコト……? ~モリネコ見つかったの!?」
がくっ
思いっきり前のめりにつんのめった。
「……じゃなくて! 危険が迫ってるって事!」
「……キケン?」
「あぁ。実は…………」
急かす心を、理性が止めた。
周りを見る。
往来のど真ん中。
辺りは人だらけだ。
「……ここじゃ不味い。場所を変えよう」
言って、掴んだままの彼女の細腕を引っ張っていこうとした矢先、
「…………って」
逆にその場に立ち尽くした彼女に引っ張られた。
「おい」
「……手を」
言って少女は、自分を掴んでいた俺の手をやんわりと外すと、その手を握り返す。
「……何、してんだ?」
「だいじょぶ」
最初。俺をからかっているのかと思った。
思わず赤らめた顔を隠すようにしてそっぽを向こうとしたが、刹那、垣間見た彼女の顔は真剣そのもので。
彼女は俺の手を握ったまま地を見、それ以後動かなくなってしまった。
立ち尽くしたままの二人。
真剣な表情で、俺の手を握る少女。
人の波が、痛いくらいに視線を投げてくる。
…………一体、なんだと思われているんだろう……。
怖くて聞きたくない。
「……なぁ。こんなことしてる場合じゃないんだけど。おまえ…………」
おずおずと口を開いた俺を、やがて彼女は黒瞳に映した。
「わかったわ」
握った手をぱっと離す。
「…………?」
「忠告ありがとう。でも、今日中に見つけなきゃ駄目だから」
そこまで言うと、少女はにっこりと微笑んだ。
「エビルさんも、早くエンペラーさんと合流した方がいい」
…………、
………………!?
「……って、はぁ!? ちょ、え? なんで……!?」
混乱した。
訊きたいことが一瞬で出来すぎて。
なんで俺の名前を。
なんで奴の名前を。
いいやそもそも、なんで今の俺の状況を……、判ったんだ?
目をシロクロさせていると、彼女はくすりと笑んだ。
「だいじょぶ。わたしのテンパレンスだって、キミたちが考えてる程弱くないんだから」
「…………………………」
最初、出会った時。
去り際の一言。
今朝、生じた違和感。
そして、この会話。
そう考えれば総てに合点がいく。
もしかして、この娘は……、
「読めるのか!?」
俺の問いに、彼女はあっさりと頷いた。
「触れば」
ぶつかった時に、読まれていたのだ。
変装している俺の、本当の姿も。
俺らの名前も。
これまでの状況をも。
「だいじょぶ。そんなに怯えなくても、必要以上には読んでないから。安心して」
「……、怯えてなんか」
「…………。そなの?」
「あぁ。……単純にすげぇなぁって。それもテンパレンスの能力なのか?」
「さぁ」
「さぁ……て」
「解らないわ。テンパレンスは生まれた時から側に居たんだもの。わたし自身の能力なのか、彼女の能力なのか……」
そこまで言うと、彼女は微笑んだ。
「さぁ。キミの用は済んだでしょ? わたしは急いでるからもう行くけど、キミも早く戻った方がいいわ」
「でも、あんたも危ない……」
「わたしはだいじょぶ。ここはわたしの庭みたいなものだもの。それに早くモリネコを捕まえなくちゃ」
「モリネコって……、……それ、今日中じゃないと駄目なのか?」
「ええ」
「見つかりそうなのか?」
「……多分。テンパレンスにも手伝ってもらってるから」
訊けば、別行動の理由はモリネコだった。
テンパレンスに頼んで、小動物の気配を察知してもらっていたんだそうだ。
小動物と言ってもこの広い草原、鬼ほどいる。その中でモリネコだけを捜すのは大変な集中力が必要だという。
だが、それも時間の問題で。
ここ数日で、テンパレンスは大分コツを掴んできたのか、タイムリミットの今日を目前にして、おおよその見当をつけたらしい。
絞り込む為にはそれ相応の集中が必要なわけで、彼女の側に居続け邪魔をしてしまうのを恐れた少女は一人宿へと帰って来た。
そして今日。満を持してテンパレンスと合流しようと、そういう訳だった。
「だから、だいじょぶ。見つけたらちゃんと街に帰るし。安心して」
「…………」
どうしようか。
テンパレンスの強さはわからない。
少女は大丈夫だと言っていたが……実際の所どうなんだろう。
そりゃあ、通常のモンスターならまず問題はないだろう。
が、相手はあのディンだ。
テンパレンスと、ディン。
どちらの力量も把握している、エンペラーの意見が一番正しいのではないか。
「エビルさん?」
「…………俺も」
不思議そうに見上げる少女の顔を、真剣に見つめた。
「俺も、行ってもいいかな?」