4 新人くんには知らないことがいっぱい
「それにしても暗いよなあ」
ストンウェルは手のひらに入るくらいのライトで、足元を照らす。
本当に夜の野球場は暗い、とダイスは改めて思う。
月の明かりはあるだろうが、それは外に出てからの話だ。
灯りの無い通路は、自分の足がちゃんと地についているかを疑う程に、暗い。
「おおおおっと。おいダイス、お前よく、転ばずに帰ってきたね」
少しばかり身体のバランスを崩したらしい。ストンウェルは変に感心する。さすがにそう言われてしまうと、実は一度転んでいるのだ、ということはダイスは言えなかった。何となく悔しい。
「皆さん、大丈夫ですかね」
「まあ、大丈夫だろ」
あっさりとストンウェルは言い放った。
「ずいぶんと、あっさりですね」
「慣れてるしなあ」
「慣れ…」
「去年もうん、色々あったしなあ」
「色々…」
こんなことが、「色々」あった、というのか。ダイスは次の言葉を失う。だが何も言わずに居るのも、何となく場が持たないような気がする。
「結局マーティさん、一人で行っちゃいましたね」
「そーだよな。ああ残念」
「残念、ですか?」
「俺も奴と組みたかったの」
俺「も」とストンウェルは言った。それは自分が彼と組みたかったことを見透かされている様な気がして、ダイスはやや憮然とする。
と同時に、何故自分がこの人と組まなくてはならないのか、ということに、意味もなく、理不尽なものを感じてしまう。
―――あれから、皆で手分けして、球場の客席をざっと見回ろう、ということになった。
七人を四つに分けて、NW・SW・SE・SWと大きく書かれた文字から文字の間を回る。そして七人だと一人余るから、自分がおみそになる、と言い出したのが、マーティだった。
「まあ奴が一番この類のことには手慣れてるし…なあ」
「手慣れてるんですか?」
「まーな。うん、俺達の中では奴が一番詳しいしな」
「そうなんですか…」
ダイスはふと自分が気落ちしていることに気付いた。理由は明白だった。この類のことにマーティが一番詳しい、ということを、皆が知っていて、自分が知らない。
自分一人がみそっかすになった様な気分だったのだ。
無論、前を行くストンウェルが、そんな彼の気持ちを聞いたら、言うだろう。一年キャリアが違うんだよ、と。
ただ彼はまだ若かった。倍近い時間を生きている男と、比べてはいけない。
「…で、ストンウェルさん」
「何だ?」
「本当に『爆弾』あったら、どうするんですか?」
「まあなあ…」
のそのそ、と彼は座席の間に頭を突っ込んで、携帯ライトで照らしながら答える。
「まあ何かあればあったでよし。無かったら無かったで―――」
無かったで? ダイスは先輩投手を見た。
「その時はその時だ」
*
そうこうして、あちこちを見回っていたのだが、不意に、「SW」から集合の合図があった。
何だろう、と慌てて二人も「SW」方面へと向かった。
そこには、何となく複雑な表情をした五人と、もう一人、スーツを常用している様な、痩せぎすの、いかめしい顔をした男が居た。
「何か… 見つかったんですか?」
ダイスは息を切らして問いかける。いきなり止まってはいけないのは、判るのだが。
「…えーと」
どう言っていいのかな、と言いたげに、マーティは髪を掻き上げた。
「君等が言いにくいなら、私が言ってやろうか?」
あれ、とダイスはふと何か、引っ掛かるのを感じた。
「いえ、こちらから… えーと、皆、こちらの方は、うちが今日明日明後日対戦の、エンタ・ジャガーズのオーナーで」
「ワールディ・ジャガーだ。ふん、寄せ集めチームだとは聞いていたが、敵球場でこそこそとするあたり、やっぱりな」
何を、と思わず跳ね上がりそうになったテディベァルをトマソンが押さえる。なるほどこういう時にこのコンビは合っている、とついダイスは感心する。
「申し訳ございません。少し、この球場について、もう少しよく知りたかったので… 何せ、この球場は珍しい形をしてらっしゃいますので、我々もつい…」
ミュリエルは礼儀正しく、「先生」流の丁寧さで謝罪する。
「そんな、珍しいか」
「興味深いです」
なるほど、とジャガー氏は後ろ手を組むと、もういい、という仕草をした。
「ただし、そっちのオーナーには、一言言わせてもらうぞ」
仕方ないな、と彼等は顔を見合わせた。
*
『全くあなた方ねえ…』
通信端末の向こうで、ブランカ・ヒノデ・クロシャール夫人はため息を一つつき、額を押さえた。
その拍子に、結い上げた栗色の髪が一房、ぽろんと落ちていた。
彼等の「アルク・サンライズ」のオーナー。レーゲンボーゲン星系でもトップクラスの食品産業である、「クロシャール」社のトップでもあるこの女性は、まず簡単には驚かない、とダイスは聞いていた。
ちなみに、この女性のセカンドネームである「ヒノデ」が、チーム名の「サンライズ」の由来だという。ミュリエルによると、失われた言葉ではそう言うのだ、とのこと。
「クロシャールという優雅な響きよりは、スポーツ向きではないですかね。でもクロシャール、だって確か酒飲みでふらふらしている何か、だったような気がするんですが…」
「先生」はついでにそう付け加えた。
「…でも、そう簡単には驚かないって、どのくらいですか?」
朝食の席で彼は先輩達に問いかけてみる。
「んー… いや、普段も普段だけどなー…」
ストンウェルはやや困った様にホットミルクを口にしながら、天井に視線を飛ばした。
「俺達が入団するきっかけになった『テスト試合』ってあったろ、ダイちゃん」
マーティは大きな口を開けて、厚切りトーストを口にする。はい、とダイスはうなづいた。
「あの時にちょっとしたトラブルがあってな」
ちょっとした、かい、とストンウェルは小さくつぶやく。
「小さい、でいいんだよ。とにかくその時に、観客がパニック起こしそうになっちゃったの」
「げげ」
ダイスは驚く。それは彼の目にしたマスコミでは伝えていないことだった。
「その時に、あのひとは、何か、一般席で見てたんだと。そこからグラウンドに出て来て、『今まであなた方と一緒に自由席で見ていた私が大丈夫な程度には、安全は保障されております』と言い切ったんだよ。…そんな保障、実は何処にもなかったのにね」
「で、そのままあのお方は、ずーっとその観客席で試合を最後まで見たんだと」
ストンウェルが続ける。
「ま、確かに、トップに何かあってはいけないのは確かだからな。彼女が一般自由席に混じる、と自分で動いた段階で、周囲もそれに対応した、ということもあったんだろうなあ…でもな、ダイちゃん、俺からしてみれば、あれは絶対はったりだったと思うよ」
「へ?」
実に楽しそうに言うマーティに、ダイスはふと不思議に思った。すると隣に座る特権をもって、盟友の肩をがっちり掴みながら、ストンウェルは言う。
「だってなー、その騒ぎって、あんたが巻き起こしたんだもんなー、マーティ」
「おい」
「いいじゃん。こいつにも、あの時のことは知っておいてもらったほうがいいと思うぜ」
うーむ、とマーティは目を伏せる。
「あんまり、朝メシの時の話題じゃないよなあ」
「でも今日も一日忙しいですし」
「あ、そう言えば俺今日先発だ」
今頃気付いた様に、ストンウェルは両眉を上げ、背後の席に居たヒュ・ホイに問いかける。
「ホイ、先発投手ローテーション、どうなってたっけ?」
「えーと、昨日がヒューキンさんで、今日がストンウェルさんでしょ。で、明日がマッシュさん。で、移動日で…」
「OK、それだけ判ればいいさ」
サンキュ、と彼はひらひら、と手を振った。
「ダイちゃんの先発はいつかなー」
どき、と何気なくつぶやいたマーティの言葉に、ダイスは焦る。
そう言えば、自分の先発もいずれはあるのだ。開幕前の紅白戦で投げたことはあるが、ダイスはまだ、公式戦の先発はしたことがなかった。
「楽しみににしてるわよ」
だからそこでどうしてそういう口調になるんだ、とダイスは無言で砂糖をしっかり入れたカフェオレをすすった。
「…で、話の続きですけど…」
「う、やっぱり聞くつもりなんだ、お前」
「もしかして、はぐらかそうとしてました?」
「まあそれはそうだよなー。マーティ」
実に楽しそうに、ストンウェルは握った肩をぐい、と強く掴む。それはまるで「逃げるなよ」と言っているかのようだった。
「仕方ねーなあ。あのさ、ダイちゃん、外の人間には言うんじゃないよ」
「は? はい」
「あの時も、爆弾が仕掛けられてたの」
ダイスは思わずカフェオレを吹き出しそうになった。
「そ、そんなことがあったんですか?」
「あったんだよ。まあマスコミには黙っててくれ、ってヒノデの奥さんが言ったから、新聞とか載ってなかっただろーが」
確かにそうだった、とダイスは思い返す。そして、なるほど故意的に隠されていたのか、と納得する。
そしてその驚きに追い打ちを掛けるかの様に、ストンウェルがにや、と笑いながら続けた。
「その時は、ボールに仕掛けられてたんだぜ?」
「ボールに!」
ダイスはぶるっと震えた。
「ボ、ボールだったら… 投手が一番危ないんじゃないですか? 大丈夫だったんですか?」
「ばーか。大丈夫だから、今ここに居るんだろうに」
それはそうだ、と聞いた自分にダイスは呆れる。
「で、その時気付いたのが、このひとなんだよ」
「このひと?」
「だから、このひと」
説明が既にストンウェル主導になっていた。指さされているマーティのほうは、といえば、苦虫を噛みつぶした様な顔になって、ずず、とコーヒーを口にしていた。
「すごい」
「だろ? ってなー、お前、ボールの違和感くらい気付かなくちゃ、投手とは言えないぜえ」
へへへ、とストンウェルは笑う。おいおい、とマーティはため息をつく。
「まあな。火薬量が少ない奴だったから、打たせて空中で爆破させて… 事なきを得たけどね」
だがそれはそんなあっさりと言う様なことではない、とダイスは思う。
「あ、それで観客が」
「そ。空中で爆発したけど、テディとかトマソンとかなんか、ちょっと中に仕込まれてた破片とかで擦り傷くらいしてたしな。そうすると、何処か他にも仕掛けられているんじゃねえかっ、てパニックになりかけた訳よ。観客がさ」
「それで、オーナーが」
そう、と二人はうなづいた。
「ところが、後で気付いたんだけどな」
更に追い打ちを掛けるようなストンウェルの言い方に、もう何を言われても驚かないぞ、とダイスは決意する。
「実はそれは、連盟の陰謀だったんだぜ」
いんぼう。はあ。
…彼は自分に課した決意を一瞬にして、撤回した。
「危機状況。そういう時の対応が上手くできないチームは、全星系統合スポーツ連盟にプロ・チームと認められないってことでさ。特にうちの惑星は、つい最近まで、クーデターやらテロやらうようよしてた訳だしな」
「それはまあ、確かにそうですが」
「そのパニックの時だってなあ、それでもその一度のオーナーの一言で皆静まってしまうあたりが、事件慣れしている、と言われたらおしまいなんだけどね」
マーティは苦笑した。
「だけどボールに爆弾、はないでしょ… 幾らなんでも、ベースボールの試合で、連盟が… 道具なのに… あ、もしかして、今回、だから、皆さん警戒してる?」
「まあな。去年もだから、色々あった、って言ったろ。手を変え品を変え、『お試し』の事件もあれば、本当の事件もあったしなー、なあマーティ」
「ああ」
言いながら、太いマーティの眉もしっかりと寄せられていた。
「なんでまあ、こっちに平和にベースボールさせてくれないのかね、周囲は」
「ま、仕方ねーんじゃないの? いいじゃん、それでウチは何とか切り抜けて、去年は優勝したんだし」
と、背後で食事が終わったらしいテディベァルが、ししし、と笑いながら口をはさんで来た。
「私達は半分楽しんでますがね」
「先生」はミルクを注いだ紅茶をゆったりと口にする。
「そうそう。ウチのチームでもなきゃ、こんなことは体験できねーぜ。せいぜいこの状況を楽しんでやろうじゃねえの」
なあ、とストンウェルは昨晩のメンツに笑った。マーティはお手上げ、のポーズを取っているが、顔は笑っていない。
「ところでダイちゃん、お前は何で、ウチのチームのスカウトに応じた訳?」
反撃、とばかりに今度マーティが問いかけてきた。
「俺、ですか?」
「あ、確かに俺等、聞いてないよなー」
「そうですね。僕も聞いてみたい」
「右に同じ」
「少なくともお前は金のため、とかじゃないよなあ」
「それはないよな。レーゲンボーゲンは、何だかんだ言ったって、まだプロできて浅いから、何年できるか判らないプレイヤーになるより、堅実な職業について欲しいって思う親御さんも多いだろうしさ」
出身のことを明らかにしない割りには、アルクの事情を良く判っているマーティは言う。
「へー、そーなの。俺んとこなんて、『働かざるものは食うべからず』だから、職無ければ何処でもいいからとっとと働きに行け、だったぜー」
「マルミュットじゃ、そうですね」
「俺は」