3 当たり前の様に共謀、そして行動へ
ダイスにしてみれば、実業学校を卒業した自分がプロに入ろう、と決意したのは、この男のためなのだ。
昨年度、初めての全星域リーグで、試合のここぞ、という所で、強打者をノックアウトする、その姿。
このひとと一緒にプレイができたらいいな、と学校リーグで「怪物」と呼ばれていた速球投手はぼんやりと考えていたのである。
だが、何せ「アルク」はまだ政情不安をひきずって、就業率・失業率も不安定なままだった。だったら学校の教師や、親が勧めるままに、近場の工業系の会社に入るしかないかな、と思っていたのである。
そして野球は、時々部活か何かで。星系内の社会人リーグ、というものもあるのだ。それで楽しめばいいのではないか、と思っていた。―――思おうと、していたのだ。
そこへ、急にスカウトである。
君の速球は素晴らしいよ、これは絶対全星域的プロでやるべきだよ、とこれでもかとばかりに家に通われた。
そうなったら、さすがに「堅実」などという文字はもろくも崩れ去る。
彼は親と教師に言った。
「俺、ベースボール、やりたいんだ」
一日中、そのことで頭埋め尽くしても、いい環境なんて。願ったりも叶ったりじゃないか。
しかし、それでも当初は周囲も、契約が一年ごとだったり、収入が不安定ではないか、遠征で身体を壊すのではないか、と心配があった様だった。特に母親は心配した。
そしてもう一人。
ぼんやりと、その姿が。
ダイスはどうせ、私が居なくても、ベースボールがあればいいのよね。
そう言って、離れて行った彼女。
そう言われて、気付いたのだ。ああ自分はそういう奴なんだ、と。
気付いてしまったら、もう彼を止めるものは何もなかった。彼は周囲に宣言した。
「俺、ベースボールやるからね」
さすがにもう誰も止められなかった。
―――で、入った宿舎で、最初に見たのが、憧れの中継ぎエースだった、訳である。
だがしかし、憧れと実際は違う。マーティ・ラビイは、彼が思う以上に、奇妙な存在だった。
憧れている段階では単に「格好いい」だけだったのだが、実際に付き合うと、それ以上のものも見えてくる。
例えば、新入りの自分に、おそらくは必要以上に気を使ってくれているところ。判らない様にする、のが上手い方法だ、というなら、それは決して上手くはないのかもしれない。だけど、その気持ちはよく伝わる。そんな。
ただ。
この敬愛なる中継ぎエースには、別の噂もあったのだ。
十年程前の有名な選手に「よく似ている」という。
だがその件について聞いてみようと思うと、たいがいははぐらかされる。
「噂でしょう」とヒュ・ホイは言う。
「俺あんま、キョーミないしー」とテディベァルは言う。
「知らね」とトマソン。
「だったら資料集めたらどうですか?」と先生。
極めつけがストンウェルだった。
「何でそんなこと、聞きたいんだ?」
その時の視線が、非常に怖かった。
彼は負けている試合の時に、肝が座るタイプで、本気で怒った時ほど静かに静かになってくるのだという。
そのせいだろうか。ノブル・ストンウェルの現在のスポーツ報道関係でのあだ名は「暁の黒鮫」だ。
その目でにらまれたら、確かにもうその件で聞きたい、という気は無くなる。ただし、逆に、疑惑は大きくなるのだが。
そして本人は、こうとどめを刺す。
「俺が別に昔、何をやってたって構わないんじゃないか? ほら、ウチのオーナーも、俺達を獲った時、こう言ってたぜ。『要はその人物がどういうことをしてきたか、ではなく、どうこれから選手としてがんばるのか、の方が大事』ってさ」
確かに、それはそうなのだが。
だけど、このメンツが「物騒な話」に関して、どうも慣れている様なのを見ると、普段は押し込めていた疑問が、ぞわぞわと頭をもたげてくるのだ。
*
「…ダイス、眠いですか?」
ミュリエルが声を掛けた。はっ、として彼は顔を上げる。いいや、と首を反射的に振る。
「ならいいですけど」
あっさりとそれでまた、自分の方へ話を引きつける。
さすが実業で教えていただけある。実業学校の生徒というのは、その先の自分の職業に関係するものや、興味ある授業以外は、つい耳を貸さずに、さぼったり、睡眠時間に当ててしまうことが多い。
ダイスは自分もそういう学校の生徒だったので、良く知っている。そういう所で上手くやっていく教師というのは、アメとムチの使い分けが上手いのだ。
「…で、言葉なんですが」
「例えばー?」
「そうですねえ、簡単な所では…」
ミュリエルは、きょろきょろと辺りを見渡すと、ああこれがいい、と果物のかごを手に取った。
「これが何に見えますか?」
「…林檎だよな」
「林檎」
「うん、それ以外に見えないけれど」
「そうですよね。ただ、ここでは時々、これを林檎と呼ばない」
「じゃ何か、アプルとアプフェルとか、そういう違いか?」
「や、それは基本的には同じでしょう? ところがここで取れる林檎に関しては、『赤梨』と呼ばれることもあるんですよ」
「赤梨~?」
テディベァルは思いきり眉間にしわを寄せた。
「でもそれくらいならまだ形は」
「で、さっき問題になった『爆弾』ですが」
言いかけたダイスを遮って、「先生」は続けた。ダイスは軽く膨れる。
「これがですねえ… 結構色んな意味があるんですよ」
「って」
ふう、とミュリエルはため息をつく。
「テディ、君確か、お菓子好きでしたよね」
「お菓子? 好き好き。何かくれるの?」
「持ってませんって。で、その中に、『爆弾』って名前がついているものもあるんですよ」
「へ? 菓子で?」
皆怪訝そうな顔をする。
「何で菓子が」
「正式名称は、爆弾あられ、なんですがね、通称は『爆弾』になるんです」
「じゃあ何、お菓子でも仕掛けるって言うのかよ?」
呆れた様な顔でトマソンが問う。
「いや、だからそれは例ですって。『仕掛ける』爆弾、だけでも、何故かこの『エンタ』では十くらいあるんですよ。手品のネタなんかもそう言ったりしますよ。―――ひらたく言えば爆弾に関する、俗語が多いんです」
へえ、と皆感心したようにうなづいた。
「でも先生、結構回りくどかったなあ」
「そうですか? すいません。でもストンウェル、あなたの名前もそういう意味では面白いじゃないですか。確かどっかの俗語では貴族という意味も」
「よせやい。…ただでさえ…」
ストンウェルはそこで言葉を切ると、ひらひらと自分の前で手を振る。
「…何でそんな、スラングが多いんだよ。物騒じゃねえか。下手に使われたら、どーすんだよ」
「だから、この惑星は、平和でしたからねえ」
「そうだな」
マーティも口をはさむ。
「少なくとも、レーゲンボーゲンの様に、長いこと政権が安定しなかったり、クーデターやテロが横行することが無かったからなあ… 爆弾という言葉の意味が、簡単になっちまうのかもしれない」
しみじみとマーティは言った。
確かにそれはダイスにとってもそうだった。
生まれてから十八年と少し。その間に、どれだけのクーデターやその未遂事件、騒乱と言ったものが起きてきただろう。
小さな頃、軍部のクーデターで処刑される人々を見たことがある。あれは子供心にもかなりの恐怖があった。もっと前には繁華街のガラスというガラスが学生を中心とした暴動で叩き割られたこともある。
アルクは、ほんの少し前まで、そんな惑星だったのだ。
さすがに現在は、廃止されているが、つい十年前位までは、政治犯が、同じ星系にある極寒の惑星「ライ」に流刑にされることも珍しくはなかったのである。
だから彼等の星系の人間は、基本的に「爆弾」や「テロ」と言った単語に敏感である。逆に、爆弾を隠語で言うことは多かったが、そのものに関しては、なるべく口に出したくない、という人々が大半だったのだ。
「だから、ダイスが聞いたのが、そのスラングの方であって欲しい、と思うんですがねえ」
「俺もそう思うよ」
「僕も思いますよ」
ホイは真面目な顔で言う。
「スタジアムが壊されでもして、試合が減ったら、給料に響くんですから」
さすがに妻子持ちの意見は違う、と皆うなづいた。
「ま、俺なんかは食って寝てベースボールできりゃ、それでいいけどさ、ここの球場がどうなろうが知ったことじゃねえが… でも、なあ」
ストンウェルもうなづく。
「ま、大事に越したことはない、ということだな」
マーティはまとめ上げる。オッケー、と皆が何かを納得したようにうなづいた。
「と、言う訳で、皆の衆、見取り図をもう一度見てくれ」
ほいよ、と離れかけた集団が、再びわらわらとマーティのベッドに寄ってくる。
「それにしても、マーティずいぶん詳細ですねえ。見取り図自体は、よく球場案内の広報に出ていることはあるんですが」
「ま、ちょっとしたつてがあってね」
マーティはそう言ってお茶を濁した。ストンウェルは二本目の煙草に火をつけた。
ミュリエルはその図をじっと見て、感想を述べる。
「…なるほど二重構造なんですね。最初の球場が作られたのは、…なるほど、もう百年も昔なのですか」
それが未だに使われているあたり、この惑星の平和さをダイスは感じていた。
「へー。そーいえばずいぶん蔦が絡まってると思ったよ。何か俺達のホームグラウンドを思い出すよなあ」
へへへ、とテディベァルは笑う。
彼等のアルクでのホームグラウンドは、サンライズの本拠地にあるものだが、その球場には屋根が無い。彼等は「テスト試合」は青空の下で行ったのだ、とダイスはニュースペイパーで知った。
「何テディ、マルミュットには野球場は無かったの?」
ホイの問いかけに、ああ、とテディベァルはうなづく。
「そんな大層なものは作られなかったよなー。うちの惑星、すげえビンボだし。みんなもっぱら野っぱらかなあ。ネット無い時だってよくあったから、皆ボール無くしちゃいけねーから、守備ばっか上手くなるの。でもまあ、野球たぁよく言ったものだ」
へえ、と感心したようにダイスはうなづく。他の惑星のベースボール状況など、聞いたことは無かったのである。
実際、場所によっては、微妙に統合連盟の提唱する「正式ルール」とは違う惑星もある。
「俺んとこなんざ、変化球なんて誰も使わなかったしなあ」
というのはトマソンだった。
「思い出話はまあその位にして。そうですね、何かこの形だと… 缶詰にふたをした、という感じですね」
ミュリエルは唇に親指を当てる。するとトマソンがぐい、と乗り出して来る。
「缶詰というよりは、鳥かごと違うか?」
「鳥かご?」
皆はああ、とうなづく。
「どういう意味ですか?」
「お前寝てるから気付かなかったんだよ。あの天井、良く見てなかったろ」
へへへ、と笑いながら言うストンウェルに、ダイスは恐縮する。
幾ら時差ボケで寝こけていたとはいえ、敬愛なる中継ぎエースの登板も自分は見損ねているのだ。
「…すみません」
「まあいいさ。つまりな、ダイちゃん、まずこーやって缶詰があるだろ」
マーティはベッドの上に、缶詰ならぬ、背の低いカップを下向きに置いた。
「その上にこう、すーっと下からドームが出てくるんだけど、その時ど、んな形をしていると思う?」
「形?」
言われている意味が、良く判らなかった。
「球形のものが、そのまませり上がってくるってのは、難しいだろ?」
ああそうか、とダイスははうなづいた。
彼はビーチボールや、工作のパーツとして売られている地球儀の形を思い出そうとした。
あんな尖った辺が組み合わさると、球形になってしまうのが不思議なんだな、と子供の頃、思ったものである。
「で、全体を36のパーツに分けてあるんだ。だから、一辺が10度ってとこだろうな」
「10度?」
「角度ですよ」
ミュリエルが補足する。
「で、そのパーツが、細い骨組みに沿ってせり上がってくる。…まあ、中で蛇腹のようになっているんだろうな」
こうやって、とマーティはカップの上で手を使って、その様子を真似する。
「で、ぴたっ、と一番上で合う訳だ」
はあ、とダイスはうなづいた。
「つまりね、ダイス」
ホイが口をはさむ。
「君は夜になって目を覚ましたから、気付かなかったかもしれないけれど、まだ僕等が球場から出た頃は、夕暮れでも空は明るかったから、その枠が、空に浮かび上がって見えたんだよ」
「あ、それが鳥かご、ということですか」
ダイスはやっと納得した。
「まあ半球のボウルを両側からこう、うぃーんと」
マーティはまた手で、その真似をする。
「…出す方法もあるのかもしれないけれど、その場合、もしそのドームが壊れた時の修繕が、厄介だろう?」
厄介なの? と皆顔を見合わせる。厄介なんだよ、とストンウェルが一喝する。確かにそうですね、とミュリエルもうなづく。
「この惑星も、まあ確かに平和で安定しているけれど、そんなに滅茶苦茶裕福なとこ、って訳じゃないからさ。帝都本星付近のような大都会ならともかく、…ローコスト・ローリスクで行きたいんだろうな」
「まあ確かにね。で、それはまた、何処かに居るあんたの相棒のご意見?」
ストンウェルは薄い笑いを浮かべながら、煙草を灰皿に押しつぶした。
「や、情報は相棒だけど、見解は、俺」
そうですね、とミュリエルは人差し指を立てた。
「マーティの言うことは正しいと思いますね。私もコストはともかく、リスクを考えると、パーツはばらした方が、いいと思う」
「でもその中で、『取り付けるのが厄介な場所』って、結局どこなんでしょうね」
ホイは改めて見取り図をのぞき込む。
「ま、何せ俺達は、アルクのチームだからなー。危険なことは、最大限予想してしまうクセがあるからなー」
出身なのは、自分だけじゃないのか、とふとダイスは突っ込みたくなったが…やめた。
何はともあれ、皆アルクに集結して、そこに馴染もうとしていることは、彼も良く知っていたのだ。
「と言う訳で、最悪の事態を想定しようか」
マーティの提案に、皆、おし、とうなづく。
「客席」
まずそうテディベァルが言った。
「あ、それは駄目ですよ」
「何で」
「客席に仕掛けたら、向こうにその気が無くても、パニックで人々が最悪、そうなるかもしれないし。そうすると、下手すると、そのパニック自体で被害者が出る」
うーん、と「先生」の指摘にテディベァルはうなる。
要するに、「最低能力で最大効果」という言葉に皆引っ掛かっているのだ。
何に対しての「効果」なのかがはっきりしない。それが結局、その「もの」と「場所」を彼等に特定させるのを困難にしていたのである。
「バックスクリーンに仕掛けて、壊す」
「却下」
マーティが手を挙げる。
「理由が無い」
「バックスクリーンに広告出してる企業が憎い、とかは?」
「…回りくどくねえか? それ」
幾つかの意見が、飛び交った。
ダイスはつい聞く側に回ってしまう自分に気付いていたのだが、よくまあ皆、可能性と予測がこれだけ口に出せるものだ、と感心してしまっていた、というのが本心である。
「なー、話し合ってるより、とりあえずてっとり早く、一回りしてみた方がいいんじゃねーのー?」
テディベァルはそう言って、よいしょ、とベッドから飛び降りた。その途端、勢いが余って、彼はまた天井に頭をぶつけた。
「…テディよ、重力制御の目盛り、お前ちゃんと合わせたのか?」
「…そういうことは、つける前にちゃんと言ってくれ~」
床にへたりながら、テディベァルはうめいた。