その薬、危険につき
「ごめんよ、お嬢さん。高校を中途退学した上に、その身なりじゃあ…、ここで働かせるわけにはいかねぇな。」
また断られてしまった。私の仕事はいつ見つかるのだろうか。
父が病気で倒れた。それは数日前の出来事だ。大黒柱の父が倒れるというのは、貧乏な私の家では大惨事である。
貯金も少ない我家は、1か月もすれば生活すらままならなくなってしまうだろう。その上、父の入院代と手術代も払わなければならないとなればかなり金銭的に怪しい。
そのため私か母が働かなければいけない。しかし母は体が弱いから内職ぐらいしかできないし、消去法で私が働かなければいけないということになる。
だから私は働くために、1年と少し通った愛着のある高等学校を即座に辞めた。もちろん中途退学であるのには変わりはないから、周りの目はやさしくはない。
そして今に至る。
求人募集を見ながら、職を探して街を歩き回るのももう3日目。
誰も高校を中退した人間がまともな奴だとは思わないのだろう。私が高校を中退したことが分かった瞬間、店の人は頑なに私が働くことを断り、詳しい事情すら聞かずに追い出してしまう。その繰り返しだった。
みすぼらしい服に、かかとがすり減った靴。手には、ぼろぼろの求人募集の冊子。その上高校を退学したという私のことなんて。自分だってまともな人間に見えるなんて思えない。
働くということは、信頼の上に成り立っている。しかし今の世の中、身なりと経歴が悪かったら、信頼を勝ち取る以前に、同じ土俵にすら立たせてもらえないのである。
日も落ちかけて、今日はもう帰ろうかな、なんてことを思っていたら、店主が人を雇わないと有名な薬屋が目に入った。
何で人を雇わないかは知らない。
しかし今まで人を雇わなかったのなら、そろそろ人手がほしいと思っていてもおかしくはないだろう。それなら、一人ぐらい雇ってくれるかもしれない。
そんなはかない期待を込めて、私は店主に話しかけた。
「すみません…。求人募集をしてらっしゃらないのはわかっています。でも、仕事を探していて。」
いい答えなんて待っていない。常に最悪の答えを想定して、返答を待つ。
「バイトじゃなくて?君は何歳?」
これで年齢を言ったらまた、追い出されてしまうのだろうか。
でも私は、嘘をつけない性分なのだ。常に自分には素直でいたいから。
また、断られてしまっても、それは仕方がないことだ。それが一般的な考え方なのだから。仕事はまた探せばいい。
だから私は正直に自分の年齢を言った。
「バイトじゃなくて、です。今は16です。」
「じゃあ夜遅くまでは働かせちゃいけないね。ちょうど人手が足りないかなって思っていたところなんだ。」
それが、私の事情を察してなのか、素なのかはわからない。でも、どっちにしても話を聞いてもらえるだけでありがたい。
「働かせてもらえるのですか?」
「そうだね…。とりあえず明日、来てもらえるかな?早いけど、6時から来てもらえるとうれしいな。そこで話を聞いて、採用は決めようと思う。」
話を聞いてもらえるだけでありがたいのだ、早起きなんて苦ではない。
とたんに、肩に乗っていた何かが一気に下りた。
「もちろんです。本当にありがとうございます。」
「詳しい話は明日しようね。」
駄目元で話しかけたけど、いい人で良かった。これで両親も少しは安心してくれるだろう。ずっと、話すら聞いてもらえなかったのだから。
私は小さな吉報を持って家に帰ることができた。
家に帰ると心配そうな顔をした母が待っていた。
「お仕事…見つかった?」
「なんとか話を聞いてもらえるところは見つかったよ。求人募集してないとこ、駄目元でいってみたら追い出されなかったの!」
昨日もおとといもずっと浮かない顔をしていた私の笑顔を見て、母は安心したように微笑んだ。
母も予期せぬ状況に、かなり思い悩んでいたらしい。
「よかった…!それで、どこなの?」
「お肉屋さんのお向かいの薬屋さん。知ってる?」
「あら、あの人を雇わない美丈夫な店主で有名の?」
人を雇わない噂しか知らなかったけど、どうやら美丈夫としても噂になっているらしい。
もっとも、職探しに必死だった私は店主の顔などろくに覚えていないのだけど。
「うん。そこだと思う。」
とにかく、話を聞いてくれる人が見つかってよかった。
まだ正式に働けるかはわからないし、給料についてもまだ何も知らないけれど。
もし働けたとして、給料が少なかったとしても、収入がないよりは幾分もましだ。
少しでももらえれば、母の内職の給料と足して何とか生活はしていけるだろう。父のことは親戚にでも頼んで何とかするしかないだろうけど。
明日は早い。早くシャワーを浴びて寝よう。
「お母さん、明日早いからもうシャワー浴びちゃうね。」
そういって母のいるリビングを去ろうとしたとき、母はぼそりといった。
気を抜いたら聞こえなくなりそうな、小さな声で。
「ごめんね、ミナ。私がちゃんと働けないばっかりに…。」
「いいよ。気にしないでお母さん。」
やっぱり申し訳なさそうな顔をしている母にもう一言かけようと思ったけれど、これ以上何か言ってもと母を追い込むだけだ。
だから私は何も言わずに母に微笑んで、リビングから出た。
私はそのあと、すぐにシャワーを浴びに行った。
考え事をしていたせいか、長々とシャワーを浴びてしまった。
明日からは少し節約しなければいけないな。
私は髪の毛を拭きながら自分の部屋に戻る。歩き回っていたせいか、自分の部屋に懐かしさすら感じる。
床に布団を敷いて、そこに寝転がった。
無性に安心してしまって、大きなため息をつく。
働く予定などしばらくなかった自分が、いきなり働かなければいけない状況になったわけだが。
とにかく不安でいっぱいなのである。仕事経験など一切ない自分がちゃんと働けるのか。社会経験もそこまで豊富ではないし…。不安で不安で仕方がない。
しかし、誰だって最初は初めてだから。そう自分に言い聞かせ、なんとか自分を落ち着かせる。大丈夫…。きっと大丈夫。
きっと、雇ってくれるはず。
結局、不安や緊張は和らがずあまり眠ることはできなかった。
朝五時。学校に通っていた時よりもかなり早い起床である。なんだか不思議な感じだ。
私は洗面所に行って極力使う水の量は少なめに、顔を洗う。昨日長々とシャワーを浴びてしまったから節約だ。
リビングに向かうと、母が朝ごはんを作っていた。相変わらず量はないけど、母の愛がこもった料理である。
それにしても、なぜ母がこんなに早くに起きているのだろうか。
「お母さん、早いね。」
「ミナが明日早いっていうから、私も早く起きようと思ってね。娘にだけ頑張らせるわけにはいかないわ。少しぐらい、ミナに協力させて。私も、少しずつ頑張るから。」
母のやさしさに感謝した。弱い身体で、いつもと違う時間に起きるのはさぞかしつらかっただろう。
でも、母の言葉が聞けて、少し不安が和らいだ。
母は調理を終えたようだ。使い込んだお皿に料理を盛り付け、机の前に座った私の前に差し出した。
いつもより私のご飯の量が多く、母の分が少ない。
「お母さん…。」
「これぐらいしかできないけれど、元気出して行ってほしいから。」
母は微笑んだ。やはり親は親。
私がつらい時、そばにいてくれたのはいつも父と母だった。
身体的には弱くても、心は強くて格好いい母。本当に励みになる。
「ありがとう。頑張ってくるね。」
母はにっこり笑ってうなずいた。
朝食を食べ終え、身支度を整える。
身支度とはいっても立派な服なんて持っていなくて、一番ちゃんとしているのは高校の制服ぐらいのものだけど。
やめた高校の制服なんて着ていけるはずもないので、一番きれいな服を身に着ける。それでもみすぼらしいかもしれないけれど、それでいい。
それでいいのだ。これが一番私らしいだろうから。
「行ってきます、お母さん。」
「行ってらっしゃい。」
母のやさしい声に背中を押され、私は職場となるであろう薬屋へ向かった。
ついたのは5時43分。不安要素が多かったからかいつもより歩行スピードが速くなっていたらしい。
約束の時間よりも、大分早く着いてしまった。
どうしたらいいのかわからず店の前をうろうろしていると、店主が出てきた。
「早かったね。さ、入って入って!」
早くきすぎたことを咎めることもなく、彼は店の中に私を招いた。
何か言われるだろうと思っていた私は、少し驚いてしまう。
「店の奥が俺の家なんだけど、話したいから入ってもらえる?」
「はい。わかりました。」
促されるままに、店主の家の中に入る。こういうの不用心なのかもしれないけれど、私に仕事をくれるかもしれない人を疑うのは嫌なのだ。
家の中に足を踏み入れる。外側からは見えなかったが、中は意外に広くきれいだ。
とっさに自分がこんなところにいていいのかと思い、私はあとずさる。
「大丈夫大丈夫。何も気にすることはないさ。さ、そこに座って。」
恐れ多かったが、私は見るからに上等そうな椅子に腰かける。
座った瞬間、こんなにもすわり心地の良い椅子がこの世に会ったんだと心底びっくりした。
ここにある家具はおそらく、全ていいものなんだろうなと考えながらあたりを見回していると、店主が口を開いた。
「まず、自己紹介から始めようか。」
そういえば店主の名前すら知らなかった。店主もまた、私の名前を知らないだろう。
名前すら知らず、家に上げてしまったりしていいものなのだろうか。
なんかいろいろ適当に進んでしまっている気がするが、それはたぶん店主の人柄ゆえだろう。仕方がない。
「俺は、チェルソという。知ってのとおり薬屋の店主だ。君は?」
「私はミナと言います。父が病に倒れてしまって、私が働かなければならなくなって…今に至ります。」
事実をさくっとまとめてチェルソに言った。嘘をつく理由はない。
「だから高校も退学せざるを得なかったんだね。何かあるとは思っていたけれど、そんな理由だったのか…大変だったね…。」
同情するようににこりと笑いかけてくるチェルソ。少し、安心感が芽生えた。
「そういえばさ、何でミナは僕が今まで人を雇わなかったのを知っててここに来たの?顔?」
思いっきり首をかしげた。顔?
「顔と言いますと?」
そういう私を見て、チェルソさんは大声で笑った。
なんで笑うのだろうか。今笑う部分はあっただろうか…。
「そりゃぁいいな!いい人材だ!」
「へ?」
私は状況がつかめない。顔…顔…。
「君ぐらいの女の子ってさ。俺の顔目当てが多いんだよ。男もたまにそういうやついるけど。採用前で色目使われたら即時退場さ。」
確かにチェルソはかなり整った顔をしている。しかし、生憎私は人の顔というものにあまり興味がないのである。基本中身重視だから。
いや、そもそも恋愛をしたことがほとんどないから、その辺本当に良くわからないのだけど。
しかし、店主の顔で職場なんて決めるものだろうか。過ごしやすさが重要だろ思うのだけど。
「確かに整った顔をしていらっしゃいますけど…昨日はそれどころじゃなくて。私、人を雇わないっていう噂しか知らなかったので、一人ぐらい雇ってくれるかなって思っただけなんです…。自信過剰でしょう。」
しまった、口が滑った。と思った瞬間。ひときわ大きな笑いが目の前から聞こえてきた。
さっきからこの人、笑ってばかりだ。
「その通りだよミナちゃん!!顔なんかどうでもいいんだよ。あまりにも顔目当ての人が多すぎて、俺もおかしくなっていたみたいだ。」
やっぱりくすくす笑っているチェルソ。思考回路おかしくなっちゃうぐらい色目使われるって…結構大変なんだろうな。
私は先ほど漏れた言葉を反省し、少しチェルソに同情した。
「すみません…なんか。」
「いいんだよ。俺は君みたいな人を求めていたんだよ。余裕の正式採用だよ!!」
こんなことで採用を決めていいものなのか。この人の考え方には驚かされてばかりだ。
とりあえずちゃんと仕事をもらえるらしい。まだ少しあった肩の荷も、ほとんど全部降りてしまった。
「あ、ありがとうございます…!」
「じゃあ、まあ仕事しながらいろいろ教えるね。開店は9時だから、それまでに必要事項は伝えておこう。」
現在朝6時過ぎ。私の仕事が正式決定した。
「そういえば、私はあなたのことを何と呼べば…?」
「どうせ二人しかいないんだし、呼び捨てでいいよ。君のことはどう呼べば…?」
年上を呼び捨てで呼べと…?ここは恐れ多いことが、随分とたくさんあるみたいだ。
「なんか恐れ多いんですけど。あ、私は呼び捨てで構いません。」
「君だけ呼び捨てとかずるくない?」
ずるいってなんだ。
「わかりました…。」
なんか本当に恐れ多いけど、ずるいとか言われちゃ逆らえない。逆らう気もない。
「あ、ミナ。制服とかあった方がいい?」
制服…。制服と言われても私は服を買うお金を持っていない。
しかし、こんなみすぼらしい服で仕事をするのもどうかと思う。
「あったほうが、なんていうかけじめ的にはいいのでしょうけど…。でも、お金ないですし…。」
今は食べていくだけでせいいっぱいなのに、それ以外のことにお金なんて使えるわけがない。
「俺が買うから大丈夫だよ。」
「でも…もうしわけないですよ。」
「ずっといい人材を探していたのに見つからなくて、困っていたんだ。それが見つかって万々歳なんだよ、本当に。制服ぐらい提供させてくれ。」
そこまで言われると、断れない。私はチェルソの言葉に甘えることにする。
「チェルソがそういうなら…お言葉に甘えさせていただきます。」
「そうでなくちゃ。8時に近くの服屋さんが開くから、開店までにそこでそれらしいものを買っていこう。…まぁとりあえず、仕事の話に入ろうか。」
チェルソは店の方に私を誘導した。
本格的に仕事の話だ。ちゃんと飲み込んでいかなくては…。
「基本君には掃除とか、俺がどうしても外さなきゃいけない時の店番とかを頼みたい。」
「はい。わかりました。」
そんなに高度なことは頼まないと思っていたが、やっぱりそんなに難しいことじゃなさそうだ。
掃除なら慣れている。昔は…よく掃除を押し付けられてしまっていたからなぁ。
「薬に至っては、まあそのうち見た目で判断できるようになるだろうから、それまでは触らないでおいてくれ。あ…多分棚の奥の方に変な色の薬あるけど、気にしないで。」
変な色の薬…チェルソが気にするなといっているし、触らないでおこう。きっと危険な薬なんだろう。
「はい。そのままにしておけばいいですよね?」
「うん。ほったらかしでいいよ。」
危険なのかそうでないのかぐらいは聞きたかったけど、また今度聞けばいいか。
「ほかに何か重要なことはありますか。これだけは知っておいて欲しいこととかあったら、今のうちに言っておいてください。」
なんせ薬屋だし、うかつにものを触っちゃいけないだろう。ほかの店より、注意が必要な気がする。
「危険物とかか…。薬作ってるのは家の中だし、基本店に触るだけでやばいようなものは置いていないよ。ただ…まぁ、本当に俺の部屋はやばいから。もし入る機会が訪れたとしても、絶対にものは触らないでおいてくれ。君のためにね?」
薬の作り方とか知らないけど、そりゃ中には劇薬とかもあるだろう。言われなくても、絶対に触りたくない…。
「了解です。」
「8時まで、店に薬を並べるのを手伝ってくれ。」
初仕事は、店頭に商品を並べることらしい。
そこで待っていてと言われたので、店の中の薬を眺めながらまっていると、チェルソが籠に瓶に入ったたくさんの薬や、薬草などを詰めて持ってきた。
店に並んでいたものもあるし、さっき店を見回した分では見ていないものもある。
「一部新作だから、値札とか作らなきゃいけないんだよね。…今並べられるものだけ並べようか。」
「そうですね。値段は一通り並べ終わってからですね。」
「うん。」
チェルソが新作だけまとめておいてくれたので、私は既存の物だけを手に取り同じ商品を捜し、並べる。
可愛らしい小さな便を並べていくのはとても楽しかったし、薬草とも縁がなかったので眺めるのはとても楽しい。
瓶を並べている途中。チェルソに棚に一部の薬をしまっておいてと言われたから、棚を開けた。多分並べられない分だと思う。
中には、もちろん薬がたくさん入っていたのだが、一つだけ、かわった形の瓶に入った薬があった。薬の色もなんだか気持ちの悪い色だ。
もしかして、これがチェルソが気にしないでくれと言っていた薬だろうか。
何の薬かはわからないけれど、放っておくしかないか。私に気にするなと言われた薬を飲む好奇心なんてものはない。
私はその薬を動かさずに、先ほどチェルソに言われた分の薬を棚に入れた。
やはり作業はある程度の人数がいた方が早い。薬と薬草を並べる作業はすぐに終わった。
「こんなに早く終わったの初めてだよ!!すごいね!二人って偉大だね…。」
チェルソは感動したように、棚に並べられた薬を眺めていた。今まで、二人で30分以上かかる作業を一人でやっていたのか…。倍以上時間がかかってしまうだろうな。
一人で店を回すのは大変そうだ。…というより、大変だろうな。
「じゃあ値札、書こうか。ミナは字を書くのとか好き?」
字を書くのは嫌いじゃない。そういえば値札は全部手書きで書いてあったな。
「嫌いではないですよ?きれいに書けるかどうかは別として。」
「少なくとも俺の字よりは味気があるだろう。書いてみて。」
チェルソは私の前に小さな長方形の紙と、黒と青のペンを差し出した。
「なんて書けばいいですか?」
「2ユーロって書いてくれ。ユーロは記号でよろしくね。」
私は言われた通り手を動かす。自分の中ではありったけ綺麗な字を書いた。きれいかは自分では判断できないけど、私は満足だ。
チェルソがじっと私の手元を見ているので、不安になる。
「…どう…ですか?」
「とってもいいよ…!!こういうの求めてたんだ…!!全部書き換えてほしいぐらいなんだけど…。」
全部書き換えるとか、それまた恐れ多い。
チェルソが今までコツコツ増やした値札のはずだし。そういうのは大切にしてほしい。
「今まで書き溜めたものなんですから、そのままにしておきましょう?」
「ミナがそういうなら、そうしておこうか。」
私の発言に責任を持たせないで欲しい…。ここにいること自体恐れ多いのに。
「私の発言なんかで決めちゃっていいんですか?」
「なんかとかいうなよ。君はもう大事な仕事仲間なんだからね?意見ぶっとばしていいんだよ。」
あんまりちゃんと人と関われたことが少ないような気がするし、仕事は初めてだし…。
どうもよく距離感がつかめない。
「そうなん…ですか?」
「俺は人の意見は聞いたことがないからね。いちいち嬉しいんだよ?今話す人がいることもさ?」
チェルソがそういうなら…いいのかな。
チェルソが何歳なのかはわからないけれど、少なくとも私よりは仕事に慣れているはずだ。だからチェルソが言うことは私より、正しい。
「ぼちぼち頑張りますね。」
「すぐ慣れるさ。」
そうなのかなぁ?
「あ、ミナ。給料の話していなかったね。」
すっかり忘れていた。今一番必要なもののはずなのに。
「あ!すっかり忘れていました。」
「サクッと説明すると、まぁミナの働き次第だけど。低くても、これぐらいかな。」
チェルソはそっと手で数字を作った。それはかなりの額を表している。
「そんなに…!?あれ、見間違いですかね…。」
「多分見間違いじゃないよ。いや、薬屋この辺うちしかないし、結構ね?」
その金額は、父の手術をしても余るぐらいだった。
仕事の話とか個人の話とか、いろいろ話しているとあっという間に8時になった。
ちなみにチェルソは18から薬屋をやっていて、現在25歳だということが分かった。
「服屋に行こうか。あそこの服屋は俺の御用達だからね、いいよ~。」
チェルソの御用達ということは…高そう…でもすごい上等で着心地良いんだと思う。想像のつかない世界だ。
店から出て少し歩くと、すぐに服屋に着いた。
私が仕事を探しているときには来なかった方向だ。
すべて手作りの服らしいその店はやはり、手触りの良い服が並んでいた。
「ミナ。こういうのがいい、とかある?」
服をデザインで選んだことなんてなく、たいてい値段で決めてしまう。
いつも安いもののなかで選ぶから、デザインの幅なんて底知れているのだ。
そんな私に、要望なんてあるはずもなく…。
「派手じゃなければなんでもいいです。あと、すごい似合わないの以外なら。」
私の発言にチェルソは驚いているようだった。
そんなに驚くようなこと言っただろうか。
「女の子ってみんな欲望の塊みたいな人ばかりだと思っていたよ…。買ってもらえると言われたら、ばんばん買い物かごに突っ込んじゃうものかと…。」
そんなことするわけないじゃないか。
服なんかにそんなお金を掛けたらもったいないだろう。それに買ってくれる人にそんな態度はとても失礼だと思う。
「しませんよ、そんなこと。私服なんてろくに選んだことがないので、わからないだけです。」
「そっかぁ…なんかごめんね。俺が選んじゃっていいのかな?」
チェルソは見たところ、自分に似合う服を把握しているようで服もばっちり決めている。
きっとセンスもいいのだろう。チェルソに頼めば失敗もなさそうだ。
「構いません。店の店主、チェルソですしね。よろしくお願いします。」
チェルソはにまっと笑った。
「俺に任せなさい!」
制服とはいっても、制服っぽいものを選ぶわけではなく、単に店で着る用の服を買うようだ。
チェルソは店の中の服をざーっと物色していく。
慣れた足取りでそそくさと歩くチェルソに必死で着いていく私。
これはチェルソに任せて正解だな…。
チェルソは店にあるものを人通り見たあと、小物の前で立ち止まり少しの間うなっていた。
そしてすぐに、何かを決心したように服を数着と装飾品を持ってきた。
私から見れば、とても高そうなものを。デザインは見ていない。というか見る余裕がなかった。あまりにも高そうだったから。
「ねぇ、俺が装飾つけろって言ったらつける?」
「チェルソ、私なんかよっりよっぽどセンス良さそうですし従いますよ。」
「OK、ありがと。」
チェルソは私の返答を聞くや否や、すぐにレジへ向かっていった。私も後ろからついていく。
チェルソは慣れたように店員と会話をした後、カバンから財布を取り出した。
値段は怖いので見ないことにする。私はチェルソの方からは目を離して、店の商品を眺めた。
会計を終えたらしいチェルソが私のもとにやってきた。
「待たせたかな?」
「いえ。私が着る物を買ってもらっているのに、そんなこと思いませんよ。」
この状況で待たせてんじゃないよとかいう人がいるなら、私はその人とは分かり合えないな。
「そうかい?さ、店に戻ろう。店に戻って着替えてくれ。」
私はチェルソがどんなものを買ったのか、よく見ていない。だから着てみるのがとても楽しみだ。
「はい!似合ったらいいんですけど…。」
「僕のセンスを信じるんだろ?」
やっぱりチェルソは、少なくとも私よりは自分に自信がある人間だと思う。
店に戻り、チェルソに服が入った紙袋を渡される。
「とりあえず2セットあるから、好きな方に着替えて。袋分けてもらったから。」
紙袋を覗いてみると、中で二つに分けられていた。
てっきり一着だと思っていたのだが、律儀に二つ用意されていた。
もう申し訳なさで心が押しつぶされそうだ。でも、もう何を言っても遅い。おとなしく服は頂くことにする。
「あの、どこで着替えればいいですか…?」
「そっちの右の方にある部屋で。あ、心配しなくてものぞいたりしないよ?」
何故か焦ったように言うチェルソ。そんないい方したら余計怪しいが、少し話しただけでもチェルソがそういうことをしない人間なのはわかった。
「そんな心配してませんよ。じゃあ着替えてきますね。」
「いってらっしゃい。もし、髪飾つけられなかったら、俺やるから。」
髪飾まで準備してくれたことに少し申し訳なさのようなものを感じながら、私は指定された部屋に向かった。
入った部屋にはやはり、私には縁のないような上質そうな家具が並んでいる。配置もこだわりがあるのだろうか。すべての家具がきっちと並べられていた。
見た感じ、ダイニングっぽい感じだ。
私はとりあえず床に紙袋を置き、中身を見る。
片方は手触りの良い、青ベースのワンピースと、髪飾など。
もう片方は、暖色系でまとめられた一式だった。
どちらも自分が着たことのないようなものだったから、どちらにしようかなで着る方を決めた。
結果は青系の方。私はそっちの一式が入った袋を紙袋からとりだし、中身を出した。
そこには律儀に靴まで入っていた。
「下着以外全部ある…申し訳ないな。」
思わず小さくつぶやきながら服を手に取る。
とりあえず早く着替えてしまおう。
一式着替え終わり、髪飾は自分ではきれいにつけることができなかったので右手に持って部屋からでる。
もちろん左手には、買ってもらったもう一式の服と来ていた服が入っている紙袋がぶら下がっている。
「チェルソ。着替え終わりましたよ。」
店の方で開店の準備をしていたチェルソに後ろから声を掛ける。
チェルソはすぐに振り向いて私を見ると、すぐに満足そうな顔をした。
「すごい似合っているよ。」
「そうですか?」
「もちろん。嘘なんてつかないさ。髪飾はつけられなかったんだね。こっちおいで。」
チェルソが手招きをしたので、私は彼の方に駆け寄る。
そして手を出すチェルソに、髪飾を渡した。
「これ自分でつけるの大変だろうね…。ま、今後も俺がやるつもりだけど~。」
チェルソは軽やかに私の髪を少しいじって、髪飾りをつけた。
どこでそんな技術を身に着けたのかはわからないが、とにかく軽やかだった。
というか、ほぼ毎日私の髪の毛いじるつもりなのだろうか、この人は。
「ありがとうございます…。」
「いえいえ。すごく似合ってるよ~!俺の想像通り、とってもかわいい!」
私のことをいろんな方向からじろじろ見るチェルソ。この人はこういう人なのか…。
すぐにそういうことを言ったら女の子から嫌われてしまうぞ…っていっても、明らかにチェルソは女の子の扱いに慣れている。
普段どうしているのか気になってきた。そのうち分かるか。
「そう…なんですか?」
「あとで鏡を見るといいよ。あっちにトイレあるんだけど、そこに鏡あるから。あとで行ったときとかに見てごらんよ。」
いつもみすぼらしい恰好しかしてこなかった私が、大した容姿になるとは思えないが…。
上等な服を着た自分の姿なんて到底想像もつかないから、あまり見たいと思えない。
「ああ、はい。まぁ…少しだけ、見てみますね。」
チェルソはにこりとわらってうなずいた。
チェルソとしては私の見た目の出来に満足しているようだが、やっぱり自分は自信を持てないものである。
「あ、その荷物、さっきの部屋に置いておいで。もうあの部屋ミナの更衣室みたいにしちゃっていいから。」
私が先ほどからずっと左手に持っている紙袋のことを言っているようだ。確かに少し重く感じ始めていたところである。
というか、部屋のことをそんなに軽く決めてしまっていいものなのだろうか。
もう少し悩んでくれたら私の気も軽くなるのだけど。
私は申し訳なさはあったが、荷物を置いてしまいたい気持ちはあった。だから私は再びチェルソの家にあがり、先ほど着替えた部屋に荷物を置いた。
そして、すぐにチェルソのもとに戻る。
「本当に部屋使っちゃっていいんですか?荷物とか置いていっちゃうかもしれませんよ?」
「いいのいいの。こんな大きい家に一人暮らしだと部屋も余るよ。」
じゃあなぜもっと小さい家にしなかったんだ…。
私は首を傾げた。
「なんでこんな大きい家に住んでいるんですか?」
「親がこの家だけ残して、ほかの国に行っちゃったからかな~。」
無責任な親なのだろうか。18から働いていると聞いたが、それぐらいから一人暮らしなのだろうか。
「ほかの国…子供ほったらかしで?」
「うちの親、ボランティアでいろんな国まわっているんだよ。だから、同じ国にはあまりとどまらないんだ。俺は、小さいころからずっと薬に興味があって薬屋になりたかったから、ここに残ってこうして薬屋を営んでいるんだよ。」
小さいころから夢があるってすごいな。そして今、その夢をかなえているのは本当にすごいと思う。
なんで興味があるのかとか、いろいろ聞いてみたいけれど開店時間も近くなってきたし今度聞くことにしよう。
「そうなんですね…。ご両親も立派な方なんですね。」
「そうだね。子供よりボランティア!ってかんじだけどね。ああ、そろそろ店を開ける時間か。」
もう9時になる5分前だ。
「私は今日は何をしていれば?」
「まあ、棚ふいといてくれよ。あと商品を見栄えよく並べなおしてくれ。客が来たら退けばいいし。」
「わかりました。」
9時になる直前、チェルソは店のシャッターをあけた。
店の前にはたくさんの…女性客がいた。
確かにこれは自意識過剰になるのも無理はない。平日の開店時間からこれじゃあ、ねえ?
チェルソがいらっしゃいませと連呼しているので、私も真似ていらっしゃいませを言う。
私の存在に気付いた女性客たちはすぐにチェルソのほうに私のことを聞きに行った。
「チェルソさん、あの子は?」
チェルソはやっぱり女性の扱い方を分かっているようで、咄嗟に嘘をついた。
「親戚の子なんですよ。働き場所必死で探してたみたいだったので、ここで働いてもらうことにしたんです。彼女は、あんまり俺に頼りたくなかったみたいなんですけどね。」
ここで事実を言っていたら多分、ここの常連客のような女性たちは納得しなかっただろう。でもチェルソの違和感のない嘘にみんなだまされたようだ。
これで、私が働かせてくれと言いに行った店の人も怪しく思わないだろう。
「あら、そう!やっぱりやさしいのね。」
チェルソの好感度が上がったようだ。まぁ私に目が向かなければそれでいい。
閉店は19時で、休憩時間は12時から一時間。休憩時間は店を閉めて、家の中で店ご飯を食べるのだと言っていた。
だからとりあえず12時まで働くのだが…。
「ねぇ、何でここで働いているの?」
「親戚でして…お世話になってしまっているんです。」
てっきりチェルソだけが質問攻めを食らうかと思っていたのに、私の方にも容赦なく質問が飛んできた。
女性の恨みは怖いから、当たり障りのないように返さないといけない。私も同じ女だから、わかる。男と食べ物の恨みは怖い!
12時前。チェルソが昼休憩を取ることを知っている女性たちはこない。
「ミナ、そろそろ休憩にしないか?疲れたろ?…というか、普通に俺が疲れた。」
「そうですね。私も疲れてしまいました。」
店に客がいなくなったから、私たちは昼休憩を取ることにした。
チェルソに家の中のリビングへ誘導される。
「そういえば、ごはんってどうするんですか?」
「俺が作る。」
この人に駄目なところはあるのだろうか。顔もよくてセンスもよくて、家事もできて。
これじゃあ女の人が寄ってくるのも無理はないし、むしろ寄ってきてくださいと言っているようなものだ。
なんか、始めに自意識過剰とか言ってしまって申し訳なく思えてきた。
「何か手伝うことはありますか?」
「初めての仕事なのに何回も同じ質問されて、疲れただろう?だからそこに座っておいて。」
なんだかチェルソに頼りっぱなしで、本当に申し訳ない。チェルソだって私のせいで、大量の質問を食らっていたから疲れているはずなのに。
「なんかすみません…迷惑かけっぱなしで。」
「仕事とはそういうものさ。迷惑をかけあうんだよ。今度何か作ってくれればいいから。ね?」
チェルソが念を押すように言ってくるので、私はおとなしく言われた椅子に座った。
どこをみていいのかもわからず、心優しい店主の手元を眺める。料理も、慣れたような軽やかな手つきで、手際よく作られていく。
きっと、もともと器用な人間なのだと思う。
チェルソは10分程度で調理を終え、私の目の前にいい香りのする料理を並べた。
「はい、どうぞ。味には自信あるよ?」
「ありがとうございます、いただきます。」
チェルソも席に着いたので、彼が作ってくれた食事を頂くことにする。
一口、口に含んでみる、
「おいしい…。」
すごく美味だった。お母さんの作るごはんとは違うおいしさ。
まず食材が違うのかもしれないけれど、技術が光っているのは確かだ。
「そういってくれるとうれしいよ。簡単なもので申し訳ない。」
「いえ、こんな短時間でこんなにおいしいものが作れるなんてすごいです。大満足ですよ。」
つい力強く言ってしまった。だってこんなにおいしいもの食べたことなかったから。
短い時間でいろいろできてしまうチェルソの手は、まるで手品師のようだ。
「ミナにそういわれるとうれしいなぁ。ま、食べてくれ。」
私は大きくうなずいて、食事を再開した。
食べ終わるといつも食べている量より多かったからか、食べ終えた後の満足感が私の心を満たした。
「ご馳走様でした。」
先に食べ終わっていたチェルソは台所から、私に笑いかけた。
「いえいえ、少し疲れは和らいだ?まだ時間はあるけれど。」
「結構疲れも取れた気がします。とてもおいしかったですよ。」
あと20分くらい、休憩時間は残っている。
私は食器を洗おうと思ったけれど、またチェルソに止められてしまった。だから食器を彼に託し、もう一度椅子に座った。
「それにしても、あそこまで質問攻め食らっちゃうとは思わなかったよ…。怖いね、女の子って。」
苦笑いをしながら言う店主を見て、私も少し微笑んだ。
「そうですね。驚きました。」
自分も同じ女だけど、あそこまでぐいぐい来る人を見るとさすがに驚く。自分にはそういう部分があまりないのが原因だろうけど。
「それに比べてミナは、ああいうねちねちしたのはなさそうだから安心だよ。」
まだ一日も一緒にいたわけではないのに、この信頼感。
もちろん私もチェルソへ信頼を寄せている。
「まだわかりませんよ?」
「わかるよ。ネコかぶってるとね、必ずどこかでぼろが出るんだ。そういう人たちにいっぱい出会ってきたから、わかる。」
チェルソと一緒にいると、顔が整っている人も大変なんだなとひしひしと感じる。
自分はそういうごたごたに巻き込まれたことはないし、自分の顔にも自信はないので何も起こらない。
「チェルソも大変ですね。」
「意外とね。」
皿を洗い終えたチェルソが私の正面に座った。
「ミナは自分に自信がない?」
突然何を言い出すんだ。自信?あるわけない。
今まで家が裕福でないという理由だけで、軽くいじめを受けてきた私だ。とっくに地震など消失している。
「ありませんよ、そんなの。持つ要素ないじゃないですか。」
「学生やっているとき、告白されたこととかないの?」
告白…そういえば何回か好きだと言われたことがあるような?
「あると思いますけど…そのときはとんだ物好きもいるものだなと思いながら断りましたね。」
「ミナはわかってないなぁ。ミナ、きれいな顔してるのに。」
ナンパみたいなこと言わないでほしい。べつに私のことをおだてなくても、好感度低いわけじゃないから大丈夫なのに。
「お世辞入りませんよ。」
「お世辞じゃないよ…そのうちわかる。」
そのうちっていつになるんでしょうか。来ないと思いますよ。これに至っては本当に。
「チェルソ、そろそろ1時ですよ。」
「あ!お店再会しなきゃね。」
チェルソはそそくさと店の方に出て行った。私もそれに続く。
さて、午後も質問攻めにうまく対応しなければならないな。
やはり午後も質問攻めにあったが、特に大きな問題が起こることもなく一日の仕事を終えた。
初仕事なのにこれだけ人に絡まれるとかなり疲れるものである。
「お疲れ様!服、どうする?制服もどき、置いていくなら洗濯しておくよ。」
それはあまりにも申し訳なさすぎる。しかしそれ以上に、うまく服を選択できないような気がする。
こんな上等な服着たことがないから、そこら辺の扱い方が良くわからない。
「自分でやると言いたいところですが…チェルソにお願いしたほうが失敗がなさそうなのでお願いしてもいいですか?」
チェルソは私の答えを予想していたかのように、にっこり笑った。
「それでいい。あの部屋に置いておいてくれ。」
「分かりました。」
着替え終わり、今日着ていた服を丁寧に畳んでから、チェルソの家を出る。
「今日は本当にお疲れ様。明日は7時半ぐらいに来てくれればいいから。」
「わかりました。お疲れ様です。」
私は深く頭を下げ、帰路に着いた。
家に帰ると心配そうな顔の母が待っていた。
「ミナ…大丈夫だった?」
かなり心配してくれていたみたいだ。そりゃあそうか。高校に通っているはずの年齢の娘の、初仕事だもんね。
「大丈夫だよ。今日は特に問題もなく、仕事できたよ。」
私がそういうと、母はほっとしたように微笑んだ。
「それは良かったわ…。晩御飯できてるから食べちゃって。」
母を心配させないぐらい立派になれたらいいと思う。
次の日からも水曜日の定休日以外は毎日、必死に働いた。掃除と値札をつけるぐらいしか私にはできないけれど、それでもチェルソはありがたいと言ってくれた。
でも一方で、私の精神を削る存在もいた。
それはチェルソのファン的存在の、女子学生だった。
彼女たちはいつも二人で店に来る。そして私をじろりとにらみ、チェルソに話しかけに行くのだ。
初めは睨むだけだったからまだよかった。でも最近はそれがエスカレートしてきたのである。
私はいつも店の方に出て、掃除や商品を並べたりしているのだが…。
彼女たちがそれを、わざとらしく邪魔するのだ。
私はその時、チェルソに言われた薬を棚に並べていたのだが…。
「これ新しい薬かな?何の薬だろう?」
「何かな~?」
彼女たちはそんなことを言いながら並べたばかりの薬の位置を、ぐちゃぐちゃにしたのだ。
一回目はたまたまだと思ったのだが、二回目三回目と続くとそうは思えない。確実にわざと私の仕事を妨害しているのである。
それだけではない。
私が集めたごみを散らかしたり、掃除したばかりのところを汚したりと同い年としてかなりみっともない気持ちにさせられた。
働き始めて一か月がたった。もう一か月もたったのかと、しみじみと過去を振り返ってしまう。
仕事を必死で探していた時のことが、もう遠い昔のことのようだ。
少しだけだが薬の判別もつくようになったし、仕事の勝手もわかった。個人的には上出来だと思っている。
私は少し過去を振り返りながら、棚を拭いていた。
4時過ぎぐらいにまた、女子学生二人組がやってきた。
私はもう、この二人に仕事を邪魔されるのは慣れっこだった。なんだって、続けば慣れてしまうものなのだ。
私は、同じようなことをされるのだろうと思いながら仕事を続けた。
ちなみにチェルソは私が、この二人にいろいろされていることに気付いていない。
すると突然、目の前に足が出てきた。私は瓶の薬を一本持っていたが、突然の出来事に対応できず足を引っ掛け…前に転んでしまった。
「きゃっ!」
必死に薬を守った。
結果薬は守られたが、私の腕は犠牲になってしまった。
「わ、大丈夫ですか~?」
くすくす笑いながら私を見ている学生二人。さすがにこれには腹が立った。
でも、ここは私の店ではない。彼女たちに怒鳴って店の評判を下げたりしたくない。
私が立ち上がろうとしていると、チェルソがやってきた。
「ミナ、大丈夫?」
チェルソは私の方に手を差し出した。私をこけさせた少女たちには目もくれず、私の方をまっすぐ見て。
「大したことはないです。ごめんなさい…。」
真横にチェルソのファンがいるのに、その手をつかむのは気が引けたか、派手に転んでしまったせいで自分の力だけではうまく立てなかったからその手をつかんだ。
チェルソに手伝ってもらい立ち上がる。膝と腕がずきずきする。血が出ているみたいだ。
「血が出てるね。」
「結構派手に転んじゃったみたいです。」
私とチェルソが話しているのを女子学生二人はじっと見ている。
見ているというより、私を睨んでいる。
「手当てしようか。っと、その前に、君かな?ミナに謝ってくれるかな。」
チェルソの声が突然とげとげしいものになった。怒っているみたいだ。
私のことなのに、自分のことのように。怒っている。普段温厚なチェルソが。
突如として飛んできたチェルソの言葉に、その女子たちは戸惑っているようだ。
「え…この人が勝手に転んだだけじゃないですか…。」
「いまさら白を切るつもり?俺見てたよ。足かけるところ。」
チェルソの声はより一層低くとげのあるものになる。私を転ばせた張本人は、さすがにこれ以上何かを言うのはまずいと思ったのか、あわてて謝罪した。
「ごっごめんなさい!」
それだけ言って、彼女たちは逃げるように店から消えてしまった。
彼女たちの口から理由を聞いてみたかったものだが、まあ聞いたところで何も変わらないし、どうでもいいか。
「ミナ、けがの手当てしよう。」
そう言った声は先ほどとは打って変わって、やさしいものだった。
「こんなの大丈夫ですよ。」
大丈夫と言いながらも、今もなお血が出ているそこはかなり痛い。
「嘘はだめだよ?さぁ、手当てしちゃおう?」
「…はい。」
チェルソにはかなわない。今も、多分これからも。
店に時間ハズレの食事中の札をだし、私たちはチェルソの家の中に入る。
「リビングに座ってて。」
たぶんいつも食事を食べているところだろう。私はお言葉に甘え、リビングの椅子に座っていた。
間もなく、チェルソが救急箱をもって私のもとにやってきた。
「まず膝からかな?」
腕で体を支えたので膝はそこまで怪我をしていない。少し血がにじんでいる程度だ。
チェルソは手早く私の膝を消毒して、絆創膏を貼った。
「ありがとうございます…。」
「次は腕ね。」
結構流血がひどい腕は、かなり痛い。
チェルソが消毒液を垂らすと、傷に染みて私は少し飛び上がった。
「いっ!」
「ごめん!大丈夫?」
チェルソが焦ったように、謝ってくる。何も悪いことなんてしていないのだから、謝らないでほしい。
「すみません…大丈夫です。」
「しみるよね…ごめんね。」
そういいながら彼は手早く手当てをした。大きめの絆創膏を貼って、終わりだ。
「はい、おしまい。お疲れ様。」
「厄介かけてすみません…。有難うございました。」
「いいのいいの…。で、あの子たちに今までも何かされてた?」
あんまり聞いてほしくない質問だった。いろいろ言ってチェルソに心配をかけるのは嫌だった。
「そんなに…。」
「あったよね?」
チェルソの声は少し咎めるようなものだ。私は正直に答えることにした。
「…仕事初めて、1週間後ぐらいから。あの子たちが来たときは毎日、掃除の邪魔されたりとか、
並べた商品ぐちゃぐちゃにされたりとか…しました。」
思い出すだけでも何となく嫌な感じのことを口に出すのはあまり好ましくないなと思った。
さてチェルソは私を咎めるだろうか?その時はその時だな…。
でもチェルソから発せられた言葉は咎めとはかけ離れていた。
「ごめんね、気づけなくて…。」
彼は後悔しているようだった。私が妨害を受けていたことに気付けなかったことに対して。
チェルソが気に病む必要なんてまったくないのに。
「いいんですよ、ほら!今回は怪我しちゃいましたけど、今まで怪我したりしなかったし…。」
「でも、今怪我しちゃったじゃないか…。ごめんね。」
なんて優しい。私はチェルソに前々から相談しなかったことを後悔した。頼っていい人ということをちゃんとわかっていなかった。
「これからはそういうことないようにすればいいんですよ。私も隠していてごめんなさい…。」
私がそう言ったらチェルソはニコリと笑って、私の頭に手をのっけて、撫でた。
「次からはちゃんと言ってね?俺もなるべく、そういうことに早く気付けるようにするから。約束だよ。」
チェルソが小指を突き出したので、私も同じように小指を差し出す。
そしてる義に家の中に響いたのは何とものんきな歌声。
「ゆびきりげんまん嘘ついたら針千本のーます。指切った!」
なんとも可愛らしい約束だ。これぐらいが私たちにはちょうどいいかもしれない。
「あ、指も切らないし拳万もしないしハリセンボンも飲ませないから安心してね?」
「比喩みたいなものでしょう?わかってますよ。」
私たちの間に隠し事はしない、お互いの行動を見守るという約束ができた。
その日の帰り、チェルソは私に封筒を差し出した。
「はい、これ。1カ月分の給料。」
何故か封筒にへたくそな私の似顔絵が描かれている。子供っぽい絵だ。面白い。
「これ、私ですか?」
笑いながら問うと、彼もまた笑いながら返した。
「そうだよ?従業員愛だから。」
便利に使ってくれるのなら、私としてはとてもうれしいことだ。少しでも役に立てたらいい。
そういえば思ったより封筒が分厚いことに気付く。小銭は入っていないみたいだし。
ちらっとのぞいてみると、中には私からしたらとんでもない額のお金が入っていた。
「…え!こんなに…。」
「結構儲かっているんだよ、この店。」
「でも…私これだけもらうだけの働きしてませんよ。」
まだ薬の見分けだってちゃんとつかないし。客からも嫌われるし…。
「いいのいいの。君のおかげで男性客も増えたしね。ま、何も言わずにもらって。」
なんだか納得いかなかったが、ここで何かを言っても無駄だと思いおとなしく鞄にしまった。
これから給料以上の働きをして見せる。
母は私がもらってきた給料を見て、腰を抜かした。
「これだけあれば、お父さんの手術もすぐできるわ。」
「本当!?」
自分が働いてもらったお金(金額には納得いっていないが)それでお父さんを助けられるというのはうれしいことだった。
自分は親の役に立てたみたいだ。
「本当よ。それでも少し余るぐらい。明日お父さんがいる病院に行ってくるわ!」
久しぶりに見た母の笑顔。心の底から安心したような顔に、私も安心した。
これで、元の生活が戻ってくる日も近くなったかな?
初めて給料をもらって2日後もいつも通り出勤だ。
お父さんの手術もさっそく行われ、無事成功したようで、回復に向けて一直線である。
そういえば仕事場に行くのもかなり慣れたなと思う。そんなに遠くないけど、始めは道に自信がなくなることも多々あったものだ。
仕事場の近くに着いた時、お店の周辺には人が集まっていた。
なんでこんなに人が集まっているのだろうか?
この雰囲気でお店に入るのは、何となく気が引ける。とりあえず店の周りにいる人に話を聞いてみることにした。
女性はチェルソのファンの人がいそうだから、男性に聞く。
「すみません。何かあったんですか?」
「君はここで働いている子か。いやあ、なんかね。ここの近くに住んでいる女子学生がさ、昨日の夜に眠り薬かな?なんかを飲ませられて、起きないらしいんだ。」
眠り薬?チェルソはあんまり強い薬は私の知っている限りじゃ、容易には販売していないはずだけど。
「…そうですか、ありがとうございます。」
「いやいや、大丈夫だよ。」
大丈夫と言いながらにやにやしている男性のことは気にしない。
…それで薬屋に人がごった返しているというわけか。
あれ。そういえば、棚に変な薬があったような。まさか。
チェルソに限ってそんなことはないはずだ。私は、人込みをかき分け、店の中に向かった。
店に入ると警察の人がいた。チェルソは相当疑われているらしい。
それなのに彼は私にのんきな挨拶をしてくる。
「おはよう、ミナ。」
今はあいさつなんてしている場合じゃないだろう。でも無視するのは悪いと思って返そうとしたら、警察の人が私に話しかけてきた。
「ミナさんですか?」
「はい…そうですけど?」
警察の人はメモを持っている。聞き込みだろうか。
「おとといの夜は何を?」
「すぐに家に帰りました。母に聞けば分かると思いますよ。」
一昨日は給料をもらったから、一目散に家に帰って母とずっと話していたわけだが…。
「ミナは、あんなことしないよ。そもそもきつめの薬は店頭に並べていないし、俺の部屋に置いてあるから彼女が持っていけるはずないでしょ。」
チェルソは私がやるはずないと主張した。しかし、どういう話かよくわからない。
「たしかに…なぁ。まぁアリバイは親に聞けば分かるだろう。」
警察の人はチェルソにはなぜかため口だ。知り合いか何かだろうか?いや、そんなことは今どうでもよくて。
「ごめんなさい…よく状況がつかめないんですが。」
私がそういうと警察の方は、はっとしたように頭を下げてから話し出した。
「えーっとですね、昨夜10時ぐらいに警察に連絡がありまして、娘がおとといの夜から一度も起きていないと。それで眠り薬を飲ませられたのではないかということになり、チェルソが疑われている次第です。」
そういうことか。
「チェルソにアリバイはあるのですか?」
「それがないんだよねぇ。だから、犯人は。俺か、どこかで眠り薬買った人ってことになるんだけど…。まぁ俺が一番怪しいよね。」
チェルソは一人暮らしだ。だから誰かと出かけていたりしない限りは、その行動を証明する人間がいない。
そしてこの町に薬屋はここしかない。
チェルソは待ちで唯一の薬屋で一人暮らし。確かに怪しいけれど…。
「チェルソは、やったのですか?」
「やってないよ。でも証拠がないんじゃ、何も言えないよ。」
なんでもっと否定しないのだろうか。もっとはっきり自分は絶対にやっていないと言ってくれないのだろうか。
これじゃあ、チェルソが犯人になっちゃう。
「とりあえず、警察にいこう、チェルソ。その方がいいだろう。捜査はちゃんとするから。事件が解決するまでは警察にいた方がいい。市民がうるさいだろうしな。」
「そうだねぇ。そうじゃないと誰かに殺されちゃいそう。」
チェルソは警察官にへらへらと笑いかけている。
それでも、何もしていないのに警察に行くというのか。その間店はどうしたらいいんだ。「なんで?やっていないんでしょ?」
敬語も忘れてチェルソに訴える。
おかしい。この人が薬の使い方を間違えることなんてない。ましてや意図的に、劇薬を使うなんて、絶対にない。
証拠はないけど、二人で働いているのだ。お互いのことなんて嫌というほどわかってしまう。
「なんでそんなにあわてているの?」
「チェルソが…あまりにも落ち着いているから…。」
もっと激しく否定してくれれば、私だってチェルソがやっていないって思えるのに。
あの薬の存在があるから、正直少し疑ってしまうのだ。
「大丈夫だよ。そこの警察官も知り合いだし、そのうち無罪を証明してくれるよ。」
だから、なんでそんなにのんきでいられるの?自分が疑われているのに、なんで。
「チェルソ、そろそろいこう。市民が結構集まってしまっている。早めに出た方がいい。」
「そうだね。あ、ミナ。鍵渡しておくね。店は開けなくてもいいけど、ちょくちょく掃除とかしてくれるとうれしいぁ。」
それじゃあ、警察に長くいるみたいないい方じゃないか。
チェルソは私に店とういうより、自分の家の鍵をわたして、警察に連れて行かれた。
私は店の中、一人取り残される。なにをしていいのかもわからず、その場に立ち尽くした。
そうだ。あの薬。あの薬があるなら、私にとってチェルソを疑う要素はあまりなくなる。
あの薬さえあれば。ほかにチェルソがどんな薬を作っているかはわからないけれど、怪しい薬はあれだけだ。
私は、前に薬を見かけた棚を開けた。
そこには前と変わらず、変な色の薬が佇んでいた。
これなら、私にはチェルソを疑う要素はない。あくまで私にはだけど。
犯人は私が見つける。
その日から私はいろんな人にチェルソのことを聞いて回った。
当てなんてあるはずもない。
何度も聞いた。
「すみません、あの薬屋の店主を20日の夜どこかで見ていませんか?」
「ごめんなさい、知らないわ。」
この繰り返しだ。
なんでそんなに真剣なのかと何度も聞かれた。あの人以外疑いようがないのに、なんであの人をそんなにも信じるのかと。
それは、信頼だろう。あの薬が棚にちゃんとあるのを見て確信した。チェルソは絶対にやっていない。
本当に根拠なんてないけど、1か月二人だけで仕事をしたのだ。
それに、ずっと働くことを断られてきた私を雇ってくれた。チェルソはとてもやさしい人なのだ。
だから、根拠なんてなくても、私は信じる。彼は何もやっていない。
1日、2日…1週間、2週間。どんどん時は過ぎていくけれど、一向に犯人は見つからない。
でもわたしは諦めることなんかしない。絶対に犯人を見つけてみせる、そう思いながら今日も聞き込みを続ける。
事件が起きてから1か月ほど経っただろうか。いまだに、あの女子学生は目覚めていないらしい。
私は聞き込みを続けながらも、店の掃除は毎朝欠かさずにやっていた。チェルソはたまにでいいと言っていたけど、どうも放っておくのは気が引けたのだ。
その日、店はやっていないのに、客がやってきた。
「すみません…。あのー。」
店にやってきたのは、一時期私の仕事を妨害していた少女の一人だった。
チェルソが怒ってから一度も来ていなかったが、何の用だろうか。この周辺に住んでいる人ならば、チェルソが今いないことは知っているはずだが。
「店はやっていませんよ?」
悪いことをしていた少女だからといって、別にほかの客と違う対応なんかしたりしない。私は普通に彼女に言った。
「違うんです…あの…。」
突然口を濁らしだす、彼女。何かあったのだろうか。
私はどんな言葉をかけていいかもわからず、彼女が次の言葉を発するのを待った。
大分間が開いて、彼女は意を決したのか話し出した。
「あの事件で、眠り薬を飲ませたのは私なんです。私が、あの子に…。」
途中で彼女は泣き出してしまった。
この人が薬を飲ませたとはどういうことだろうか。恨みとか?
「どうしてか、聞いてもいいですか?…あ、立ち話はしんどいから、こっち座って?」
店の端に置いてある椅子に座るように促す。
自分にいじめまがいのことをしていた人間だからといって、放っておくことなんてできなさそうだ。
彼女は、泣きながら言った。
「私とあの子はチェルソさんのファンなんですよ…。それで…、私たちあなたの存在がすごく嫌で。」
私とあの子…ということは、店に一緒に来ていた女の子が薬を飲まされたということか。
いや、でも仲良さそうだったじゃないか。いつも一緒に来ていたし。
「…ああ、はい。そうでしょうね。でも、何であんなことするぐらい私のことが嫌だったんですか?」
前から気になっていたことを思い切って聞いてみる。
詳しい理由もわからず何かをされたことに、少しもやもやしていたのだ。
「私たちもバイトとして雇ってほしいって言いに行ったんですよ。…でも、雇ってもらえなくて。私たちは雇ってもらえなかったのに、親戚だとしても女性のあなたが雇われているのがすごい気に食わなかったんです…。」
そういうことか。この子たちも、チェルソが言う色目を使ったのかな。
しかし、これに至っては本当に仕方がないことだ。チェルソは顔が良すぎるから、知らず知らず女性がらみの問題を起こしてしまうのだ。
「まあ仕方がないですね。それに至っては。」
「怒らないんですか?」
怒ってほしいのだろうか。いや、私は単純に、チェルソが彼女たちに怒った後何もやらなくなったから、もういいやと思っていたんだけど。
「だって謝ったじゃないですか。別にいいですよ、あれぐらい。それで、私のことが気に食わないということと、その友達の女の子に薬を飲ませるということに何の関係があるんです?」
現段階ではまだ話が繋がっていない。彼女は何が言いたい?
「えーっとですね…あなたに罪を擦り付けようってことになったんですよ。二人で。眠り薬を片方に飲まして、数日間起きなかったら確実に事件になるでしょう?それで薬がらみの事件が起きたら、まず薬屋さんが疑われるんだろうなって思って。」
まあそうだろうな。強い薬だったなら尚更、始めは薬屋に目が飛んでくるだろう。
薬屋が直接何かをしていないとしても、この町には薬屋が一軒しかないから、薬を犯人に売ったのは薬屋だな、とまあ普通なら考えるだろうな。
それで彼女たちは、薬に詳しくない私が間違えて劇薬を売ってしまったと思われると思ったわけだ。
しかし、実際は私は客に薬を売ったことは無い。薬を売るのは必ずチェルソがやっている。
「薬屋初心者の私が疑われると思ったら、逆に薬に詳しいチェルソが疑われてしまったってわけですか。」
なんとも迷惑な話だ。それにしても、私は大層嫌われているようだな。
「そう…です。それに、本当は1週間ぐらいで起きる予定だったのに、あの子全然起きなくて!」
人を呪わば穴二つ、って感じになってしまったわけか。
そういえば、彼女たちはどこで薬を手に入れたのだろうか。
「あの、薬はどこで手に入れたんですか?」
莫大な量の睡眠薬や、劇薬をチェルソの店で買うことはできないはずだ。そこらへんかなり徹底しているから、あの人は。
「となり町に、量り売りみたいな薬屋があって。そこだと、どんな薬でも好きな量買うことができるんですよ。」
要は、適当な店と、そういうわけか。
チェルソと一緒に働いていて思ったんだけど、チェルソは薬の扱いは本当に徹底している。それぞれの客に何の薬が欲しいか、どんな症状が出ているかなどをしっかり聞いて、その人に合った薬を処方しているのだ。
彼は女性客に囲まれているからと言って、仕事で手を抜くことは絶対にしなかった。
「でもなんで、私に話しかけようと思ったんですか?嫌いなんでしょう?」
嫌いな人間にネタばらしに来るなんて気が知れない。それならば警察に直行したほうがいい気がするのだけど。
「ミナさん、すごく頑張ってチェルソさんの無罪証明しようとしてたじゃないですか。それ見て分かったんです。ミナさんの人柄がいいから、チェルソさんも雇っているんだなって。だから先に謝りに来たかったんです。今までミナさんがいい人だって気づけなかったことがみっともないです。気づかなかったせいで、私たちは…。」
彼女はとうとう泣き崩れてしまった。
多分彼女は、もともとそんなに悪い子じゃないのかもしれない。
ただチェルソの影響で魔がさしてしまっただけで。そう思う私はお人よしなのだろうか。
「ごめんなさい…ミナさん。本当にごめんなさい。私たちのせいで、ミナさんにもチェルソさんにも嫌な思いをさせてしまいました…。」
あの時は逃げるように言っていた謝罪とは全然違う、本気の謝罪だった。
謝罪を求めていたわけではない。でも、とてもすっきりした。彼女たちに対する嫌な思いが、なんというか吹っ切れた。
さっきまではなんとなく、いやな気持ちがあったのだけど、それがもうまったくない。
「大丈夫です。私はもうあなたたちのことを悪く思っていませんし、チェルソも理由を聞いたら怒らないはずです。」
「ミナさん、チェルソさんのこと理解してらっしゃるんですね…。」
当然だ。仕事場に二人しかいないのだ。そりゃあお互いのことも大体見えてくるだろう。
「当たり前ですよ。一か月も一緒にいたら、だいたいわかります。」
私がそういうと彼女は少し笑った。気持ちが和らいだのだろうか?そうだと嬉しい。泣き顔を見るのはあまり得意じゃないのだ。
「うらやましいなぁ…。ね、ミナさん。ミナさんは、チェルソさんのことが好きなんですか?」
「チェルソのこと…ですか?」
チェルソのことは信頼している。頼りになるし、だれよりも優しいし。
しかしそれを好きにつなげたことは今までなかった。どうなんだろうか。
「そう、チェルソさんのこと。あれだけ必死に情報探して回っているから、てっきり好きなんだと思っていたんですけど。」
はたから見たら、そう感じられるのか。でも本当に意識していなかった。ただ当然のことだと思って、犯人を捜しまわっていたから。
「チェルソのことは信頼しています。でもそういうふうに考えたことは今までありませんでした。…ただ、チェルソにここ一か月ぐらい会えなくて、とても寂しかったです。」
警察に会いに行こうとも思ったけれど、なんか犯人も見つかっていないのにそんなことをするのは気が引けて、結局今まで一度も行くことはできなかった。
そのあいだ、結構寂しい気持ちはあったし、何となく会いたい気持ちもあった。
「そういうの好きっていうんですよ。顔見たらきっと何かしら湧き上がってくると思います。」
先ほど流れていた涙を拭きながらそういう彼女。私は彼女の言葉の意味がよくわからなかった。
そのあと、彼女に一緒に警察に行ってほしいと頼まれたので、一緒に警察に行くことにした。
多分、頼まれていなくても一緒に行っていたと思う。なんとなくチェルソに会いたかったから。
警察所について、彼女はすぐに自首をした。言い訳なんて何もせず。
「私があの子に薬を飲ませました。チェルソさんは何もしていません。」
彼女は泣くこともせず、そうはっきりと告げた。その背中に、私をいじめていた時の面影はなく、凛としたものだった。
連れて行かれる直前に、私は彼女に言った。
「あの子を目覚めさせる薬は、きっとチェルソが作ってくれるから安心して。」
彼女はお礼を言いながら、にっこりと笑った。
彼女が連れていかれた後、私はチェルソが出てくるのを外で待っていた。
すぐに出てくるかなんてわからなかったけど、なんとなく早く顔を見たいと思ったから。
結構な時間が過ぎても、チェルソは警察署から出てこなかった。
もう帰ってしまおうかと思った、その瞬間。後ろから聞きなれた声がかかった。
「ミナ、こんなところで待ってたの?風邪ひいちゃうよ。」
振り返ると少しやせたようなチェルソの顔があった。
私はすっかり安心してしまって、涙がぶわっとあふれでた。
「心配させてごめんね?泣かないで~。」
あわてて私の涙をふくチェルソ。
改めて、チェルソの顔を見る。その時わかった。さっきあの子が言っていたことの意味が。
よくわからないけど、好きだなーっていう気持ちがあふれてきた。
「もう、こんなことはやめてね?」
やっぱり敬語はほったらかし。
「なかなかならないよ、こんなこと。だから安心して?」
チェルソと一緒に店に戻る。
「いやーそんなことに巻き込まれるとはね。びっくりだよ。まぁミナが疑われなくてよかった。」
「私は、チェルソが疑われる方が嫌でしたよ。」
「なんか愛を感じるね。っていうか、ミナ。敬語やめたんじゃなかったの?」
「あれは勢いで…。」
合計2回、年上のお方にため口を使ってしまったわけだが、1回目はチェルソがのんきな顔しているからで、2回目はうれしさがこみ上げたからで。仕方がなかったのだ。
「もう、使わないでくれよ。俺たちの仲だろ?」
私たちの仲ってなんだ…一応出会ってから2か月ほどしか経っていないのだが。そして年齢差も大きいのに。
「チェルソがそういうなら…そうするけど。」
「実は俺、敬語がすごい苦手なんだよ。お、俺たちの店に到着だー!1か月も見てないとなんか懐かしく感じるな~。」
一か月は短いようで長い。懐かしく思って当然だと思う。
しかもその1か月が刑務所の中じゃ尚更。
「毎日掃除はしていたから、汚れてはないよ。」
「さすがミナ!ありがとう。」
私は店の鍵を開ける。チェルソが警察に行く前に、私に全部渡したからチェルソは今、自分の家の鍵すらも持っていないのだ。
中に入ってチェルソは自分の店と家をまじまじと眺めていた。
「ああ…懐かしい懐かしい!」
そういえば、私はこの人のことが好きなんだった。自覚したのはさっきだけど。
思えば、ただの信頼している店主だったら、無罪にしてやろうなんて思わなかっただろう。チェルソだから、あの行動ができたのだ。
私は自分の気持ちを、チェルソに伝えることにする。
普通の女の子だったら、告白にものすごい勇気を要するんだと思う。高校の時、友人が告白したくてもできないとずっと言っていた。
でも、私には勇気は必要なかった。
自分に自信があるわけではない。ただ、恋したのなんか初めてだけど、なんかこういう気持ちを心にとどめておくのは得意でないらしいのだ。
だから、すぐに、自分の想いを言葉にする。
「ねぇ、チェルソ。」
「なぁに?」
チェルソが笑顔で振り返る。
「私、チェルソのことが好きみたい。」
「奇遇だな。俺も、ミナのこと好きになっちゃってたんだよね。」
「え?」
チェルソが私のことを?
断られる気満々だったのに、予想外な答えが返ってくると動揺してしまう。
「なんで焦ってるの?自信があって言ったんじゃないの?」
「あるわけないよ。歳の差考えて?」
普段はあんまり気にしていないけれど、私は17歳。チェルソは25歳だ。8って結構なさじゃないのか?
「気にしたことなかったな。歳なんて。単純にミナの人柄が初めから大好きなんだよ。容姿もね?」
そういうものなのか?
まぁ自分はすでに、8個上の人に恋をしてしまったわけだし、チェルソもまた8個も下の人に恋をしてしまったわけだから、もう後戻りしようがないけど。感情に至っては特に。意図して嫌いになることなんかできないから。
「そう…なの?」
「あー、こうなったらあの薬はもういらないや。」
あの薬ってなんだろう?
そう思っていると、チェルソはある棚に一直線に向かっていって、棚の奥から一つの瓶を取り出した。
それは、私がチェルソは何もやっていないと確信するために使った、あの不思議な形の瓶に入った、変な色の薬。
「それって何の薬なの?」
「これは惚れ薬だよ。僕がもし誰かを好きになったら飲ませてやろうかと思っていたんだけど…。もうこんなのいらないね。」
そういって、チェルソは瓶を店の床に投げつけた。
瓶の破片が散乱し、液体は床にひろがる。
「何してるの…!?」
チェルソの行動に驚いた。まさか割るとは思わなかった。
それに中身が惚れ薬だなんて、思っていなかった。
「いらないから、捨てただけだ。こんなものを使わなくたって、本当にその人を愛していたら愛は生まれるだろう?」
「…そうだね。いらない。」
たしかに、こんなものがあったら使ってしまうだろう。本当に聞くかは別として。
これは作ってはいけないものだ。人間の本当の気持ちに反するから。
「ミナ、俺のために犯人捜ししてくれたんだってね。」
「なんで知ってるの?」
私は言っていないし、警察の人間はそんなこと知らないはずだ。
「あの犯人の女の子がね、俺のところに来たんだ。それで、その子が教えてくれたんだ。ミナのおかげで、自分の過ちに気付くことができたんだってさ。なんでか聞いたら、ミナのことを聞けたってわけ。」
言わないでほしかった。こんな状況になるとなんだか恥ずかしいから。
「そんなこと言わなくてよかったのに。」
本当に恥ずかしくて、頬が赤く染まってしまう。
それを見たチェルソはやっぱりにっこり笑って、言った。
「ありがとう、ミナ。」
「いいよ、別に改めて言わなくたって。」
「言わせてよ?」
言いたいなら言えばいいけどさ。恥ずかしいから後にして?そんなことを言うと、チェルソはかわいいとかいいながら笑った。
「ミナがここに来てくれて本当に良かったー!」
気が抜けたように叫びだすチェルソ。びっくりした。
「いきなり何を言い出すの…。」
「キザに言うと出会えてよかった的なやつだよ。」
キザに言おうとしなくても、チェルソは十分キザな人間だと思うけどね。
まぁ、そのことは私の心の中にとどめておく。
「そういってもらえて光栄です!あ、チェルソ。私、あの薬飲ませた女の子と約束したの。今、ずっと目を覚ますことができていない友達を、起こしてあげるって。解毒剤みたいなの作れる?」
毒があれば解毒剤もある。薬に詳しいチェルソは作れると確信していたが一応聞いておいた。
「もちろん。そんなの朝飯前だよ。さっそく作ろうか…っとその前に。」
チェルソは私の前に駆け寄り、耳元でささやいた。
「本当にありがとう、大好き。」
その行動に驚いて固まっていたら、不意打ちでキスされた。
私はとっさに何も言えずにチェルソのほうを見て、少し経った後やっと言葉を口にすることができた。
「別に不意打ちじゃなくてもいいのに。」
「ミナったら、そういうこといっちゃう?じゃあもう一回。」
今度は宣言してから、チェルソは私に口づけた。
なんかすごい幸せだ。
「なんか幸せかも。」
「まだまだ、これからだよ?」
チェルソは再び、にこっり笑った。
後日店に行くとさっそく解毒剤ができていた。
そして、チェルソが昨日、床に投げつけた瓶と液体も、きれいさっぱりなくなっている。私は昨日掃除すると言ったのだが、申し訳ないと言ってやらせてくれなかったのだ。
「もう解毒剤できたの?」
「朝飯前だって言っただろう。あとで警察の人が取りに来るよ。」
もう手配済みという事か。まぁ、これであの事件は一件落着するだろう。よかった…。
「そっか、じゃあもう一安心だね。」
「そうだねぇ。」
今日は店を開けるつもりらしい。
やっと日常がもどってくる。日常にありがたみを感じた。
「そう、チェルソ。今日ね、お父さんが退院するの。」
1か月前の給料日の後日手術を行い、昨日までリハビリやらなんやらで入院していたのだがやっと退院できることになったのだ。
家の大黒柱が返ってくるのは、大変ありがたいし嬉しい。
「何時ぐらいなの?」
「3時ぐらいだって聞いているけど。」
「じゃあ早めに店を閉めて、迎えに行こうか。」
その言い方だったらチェルソも一緒にいくということだろうか。
私はチェルソと長い時間一緒にいたいと思っていたりするわけだが、親に紹介するつもりとかはなかった。
「チェルソも一緒に行くの?」
「うん。行く。お父様に挨拶にね?」
「退院早々心臓に悪そう。」
お父さんどんな反応するんだろう?
2時半ぐらいに店を閉めて、電車に乗ってお父さんが入院する病院へ向かう。
「電車なんて乗ったの久しぶりだ。」
「今までどうやって病院に行ってたの?」
「徒歩。」
お父さんがいる病院は電車で2駅だから、徒歩だと1時間ぐらいで行ける。
お金をかけるぐらいなら歩こうと思って、いつも知らず知らず歩いているのだ。
「あんな遠くまで…!?すごいなぁ…怠け者の俺には到底マネできないよ…。」
たしかに、チェルソが長々と歩いているところなんて想像できない。店でも大体座っているし。
観光しているところも…学校に通っているところも想像できない。
「チェルソ歩くの嫌い?」
「疲れるから嫌い~。」
運動もろくにせず、結構食べているのに太らないチェルソがうらやましいよ…。
病院についてお父さんの病室に向かう。
その途中に先に行っていた母と、退院が済んだらしい父が正面から歩いてきた。
私は父に駆け寄った。
「お父さん!大丈夫?」
「おかげで快調だよ!…後ろの彼は?」
父がじろりとチェルソに目を向ける。父が娘にくっついている虫を吟味するような感じで。
こういうことになるとは思っていたけど、もう少し穏やかでいてほしい。
いい年した大人の男なんだから。
「あ、俺はミナが働いている店の店主です。チェルソって言います。」
「ああ、君が…。」
お父さんは納得したようにうなずいて、すこし表情を柔らかくした。
「あと、ミナの現恋人です。」
せっかく柔らかくなった父の表情が一気にこわばった。
このタイミングでああいうことを言っちゃうチェルソ。さすがといった感じだ。まあ彼らしい。
父と母は、腰を抜かしそうになっている。なんだか申し訳ない気持ちになるが、事実だから仕方がない。
「本当なの?ミナ。」
「うん。まぎれもない事実です。」
私の迷いのない返答に母はうんうんとうなずいた。
「迷いがないのね。ならいいわ。」
「ママ~、この人僕よりイケメンじゃないか…。」
父が母に縋り付いているが気にしない。父の対応は誰よりも母が慣れているから。
「あなたには私がいるでしょ?」
「ママ~!」
うちの親は仲良し夫婦なのだ。結婚して結構たっているけれど、カップル時代の中の良さは今も健在である。
「ミナの両親は仲いいんだね。」
「もうあきれるぐらい仲がいいの。でも、チェルソとはもっと仲良くなる。親を超えるつもりでね?」
まだ出会って二か月だから、まだまだ仲良くなれるはずだ。
無事退院したお父さんは、退院後日からバリバリ働いている。病気だった面影はなく、なんとも元気そうだ。
お父さんが帰ってきたから、母も毎日楽しそうである。そんな母を見て、やっぱり父と母は夫婦なんだなと思った。
チェルソが警察に飛ばされる理由となったあの事件も、無事終結を迎えた。
チェルソが作った解毒剤が効いて、眠り続けていたあの少女も目を覚ますことができたのである。
私の周りのすべてが、いい方向に向かっていた。
そして私も。
もう働かなきゃいけないわけではないし、高校にまた行ってもいいと言われているけど、まだチェルソの店で働いていた。
理由は一つ。チェルソと一緒にいたいから。
最近では、親たちが二人でいたそうだからチェルソの家に泊まることもある。
「新しい薬作ったの?」
「うん。これは売れる自信あるんだ。」
珍しく達成感に満ちた顔をしている。本当にいい薬ができたみたいだ。
「それで、どんな薬なの?」
「勇気が出る薬だよ。告白、仲直り、友達づくり。何事にも勇気が必要だからね。別名、幸せへの一歩だ。」
「別名変だよ?でもいいね。きっと売れる。私も勇気がなかったら、こうしてチェルソと今一緒にいることができていないもんね。」
「そうだね。勇気って大切だ。…この薬で頑張る人の背中を押したい。」
「きっと、できるよ。」
「値札とPOPよろしくね。」
「任せて。」
今日も町で唯一の薬屋は開店中だ。
店は今日もたくさんの人でにぎわっている。
そしてその真ん中には、仲の良い夫婦がいる。
読んでいただきありがとうございました。