第一章 幼馴染がおかしなことを言い出しました(5)
二日を挟んで次の土曜日の午後。
「さ、行くよカズ」
と授業終了ともに俺の手を掴んで連れ出そうとするメルと、
「まずはガイシャに事情聴取です、行きましょう、四切助手」
と反対の手を掴もうとする美空に挟まれるようにして、俺は拉致された。ちなみにかばんは両手がふさがった俺の代わりに美空が持った。
向かったのは一年生の教室で、メルと美空はお互いに相手がいないかのようにほぼ同時に安森を呼び出す。
「お忙しいのにありがとうございます。では早速、子犬を見に行きましょう」
安森は自分のかばんを持ってかけてくると、二人を先導して校外に向かって歩き始める。
この段階で、メルも美空も俺の手を離していて、ようやく俺は自由になっていた。
「……二人と約束してたのか、その、現物を見るって」
俺が安森に話しかけると、
「ええ、二人とも別々にメール送ってくるものですから、別々に見せなきゃならないのかと思ってたんですけど、ご一緒だったんですね。でもどうして――」
なんとなく話が読めた。
「別々に。たとえば文面に、相手には秘密で、とか書いてなかったか?」
「そうでは無かったですけど……安和小路先輩は、助手の四切先輩を連れて行くって書いてましたし、時任先輩は二人で行くって書いてあってちょっとちぐはぐだなあって」
言いながらも、あれ? という風に首をかしげる安森。
間違いなく、お互いに出し抜こうとしていたようだ。しかも、なぜか俺を同伴者として巻き込んで。
「あら、ごめんね、安森君。助手君だけ連れてくるつもりだったんだけど、変なのがついてきちゃったわね」
「こっちこそごめんねー、ポンコツ探偵がなんだか勝手についてきちゃってるみたいで」
美空とメルがそれぞれに言うと、なんとなく事情を飲み込めた風の安森だが、なんだか、小さくくすっと笑ったように見えた。
そんな話をしていると、すぐに安森の従妹の家というのが見えてきた。
そう、まさしく見えてきたのだ。はるか遠くから。
何だあの邸宅。
少なくとも間口だけで俺の家の十倍はある。緑の木々が生垣を作っていて、外からどんな建物が建っているのかさえ分からない。生垣が途切れた一箇所に、立派な和風の門が見えていて、その奥にちらりと広い庭が見えているだけだ。
どうやら今歩いている道も、その家に続く私道のようで、両脇にはちょっとしたアパートと駐車場。たぶん、大地主なのだろう、自宅周辺の土地を適当に運用しているのだと思う。
「ここです、僕の従妹の……あ、大丈夫ですよ、勝手に入っても」
安森は、入り口で思わず足を止めた俺たち三人に、中に入るように促す。
入ってみると、奥行きが五十メートル近くはあろうかという庭、その奥に、平屋の古風な家だ。古風とはいえよく手入れされていて、屋根も窓もピカピカだ。屋根に太陽光発電パネルがあるのがずいぶん雰囲気を壊している。もうここまでくると、節約とかの趣旨じゃなくて趣味なんだろうな、なんて思う。
すぐに出てきたのは小さな女の子だ。小学校の低学年だろうか。たぶんこれが安森の従妹。こんな子供が子犬の里親探しなんて、確かに大変だ。親のコネで何とでもなりそうなもんだけど。
「こちら、僕の従妹のあゆみちゃん」
「こ、こんにちは」
たぶん事前に俺たちが来ることは聞いていたのだろう、丁寧にお辞儀して挨拶する。
見ると、彼女の胸には、そう、新種黒ブチレトリーバーの子犬が抱えられている。
「この子の飼い主を探してくれるそうで、ありがとうございます」
あゆみはもう一度頭を下げる。礼儀正しい子だ。誰かに見習わせたい。
「きゃー、かわいい! あゆみちゃんもわんちゃんも、超かわいい!」
見習わせたい誰かの一人であるメルは、挨拶もそこそこにあゆみと子犬に飛びつき、早速子犬を抱っこしてなでている。子犬は気持ちよさそうに目を細めている。
「こらっ、いきなり抱いたらだめじゃない。わんちゃん、こっちにいらっしゃい」
出遅れた美空は脇から手を伸ばしてなでようとするが、メルがそうはさせない。まったく、くだらない意地を張るのはやめれば良いのに。
「見てあゆみちゃん、私がポスター作ったのよ」
子犬をあきらめて、美空は自作の凝ったポスターをあゆみに見せた。
「えー、すごい! これ、お姉ちゃんが作ったの!?」
「そうよ? もうあちこちに張らせてもらったから、すぐ見つかるよ。あっちのお馬鹿さんに任せなくてもね」
「すごいすごーい、これ、もらってもいい?」
「いいよ、ほしかったらもっと印刷してあげる」
さすがに複数枚はいらないだろうに。
そんな話をしている間、子犬はメルの腕の中でなにやらジタバタし始めている。
「放してやれよ、もう結構大きいから、遊びまわりたいんだよ」
「そう? あゆみちゃん、放していい?」
「うん、お庭の中だったらいいよ!」
あゆみの答えを聞いて、メルは子犬を地面に。
大喜びで駆け出す子犬。
それを見てさらに大喜びで子犬を追いかけるメル。
そして、なぜか広がる、子犬とメルの距離。ええー。
「あゆみちゃーん、お電話よー」
遠くの邸宅から、あゆみの母らしき声が聞こえる。
「はーいお母様ー。子犬ちゃんちょっとだけお願いします!」
あゆみは、こちらに一度ぺこりと頭を下げてかけていく。
いやはや『お母様』ですよ。本当に礼儀正しいし。育ちの違いってすごい。
「……礼儀正しい子ね」
「そうだな。里親探してやんなきゃな」
美空のつぶやきに答えると、美空は、ちょっと目を細めて俺の顔を眺めている。
「四切君って優しいよね、あんなアホ子ちゃんにもかまってあげてるし、文句言いながらも里親探しに付き合ってくれてるし。私ね、そんな――」
ゥワンワン!
「あっ!」
美空が何かを言いかけていたところに、ちょっと貫禄のある犬の吠え声と、安森の悲鳴に近い叫び。
驚いて彼の指差す方向を見ると、無邪気に走る子犬と、その正面にブルドッグのような大犬。
ちなみにメルは十メートルは引き離されている。
この家の別の犬だろうか、一応首輪はしているが、少なくとも子犬の母親とかでは断じて無い。
そして、子犬に対して友好的な態度でないことも明らかだ。
「危ない――」
俺が叫びながらかけだそうとした瞬間。
すっトロいはずのメルが、ありえないほど機敏な動きを見せる。
瞬きするほどの間に子犬を追い抜き両腕を突き出しながら大犬を押さえつける態勢。
が、あれほどのウェイトのありそうな大犬を、比較的華奢なメルが押さえ込めるとも思えない。
案の定、大犬にぶつかって足が止まるメルは、さらに、押され始める。
だが、さらに奇妙なことがおきる。
突然、メルと大犬の足元が崩れた。
「へぶぅっ」
「ぎゃわんっ」
情けないホモサピエンス(メス)と犬(性別不明)の悲鳴が重なる。
見ると、メルの胸から上だけが突き出している。その下半身と大犬様は、直径一メートルほどの穴の底だ。
そう、見事に落とし穴というやつだ。
「よ、よかったぁ、あんなところに偶然落とし穴があるなんて」
安森が胸をなでおろしながら、へたり込んでいる。あーもう、こいつは、男の癖にかわいらしいな!
それを後ろにちらりと見ながら、すぐに子犬に追いついた俺は、子犬を抱き上げる。
こいつはこいつで、ピンチだったことなどどこ吹く風で尻尾を振っていやがる。ああ、かわいいな!
「なっ、なんでこんなとこに落とし穴が――ほげっ!」
メルの恨み言の最後に追加された悲鳴は、どうやらメルの膝小僧に大犬様が噛み付いたことを示しているようだった。