挿話01=アンナ探偵事務所の安穏な日々
★★★ おまけ ★★★
サブヒロイン、安和小路美空の思い出帳的な作品。作中で語られなかった彼女と四切一之の出会いの物語。
挿話01=アンナ探偵事務所の安穏な日々
私の名前は安和小路美空。気軽にアンナと呼んでもらって結構よ。
駆け出しとは言えすでに依頼殺到のアンナ探偵事務所の探偵だ。だけれども、そんな私にも、確かに暇と言える一日は、ある。
今日もそんな一日。
あの日のことを思い出す。
我が探偵事務所の新進気鋭の助手、四切君との出会いの日。
***
私の通う高校は、東京近郊のごく一般的な県立高校。
高校のすぐそばにショッピングモールがあるのが風紀を乱す、なんて意見もあるみたいだけど、あの古臭いショッピングモールで我が校の制服を見たことなんて一度もない。そもそもあの古臭い、『服屋』しか入ってないあれが、ショッピングモールを名乗っていることさえ不思議なくらい。しま○らが『ファッションの中心』を名乗っているくらいに不思議な謎のショッピングモールだ。
話がそれた。
ともかくそんなたいして目立つところもない県立高校、入学すぐのオリエンテーションは、馬鹿げたことに『遠足』だ。たぶん今年もやっている。
もちろん、ただ近所の公園に歩いていくような幼稚園の遠足と同じにしてはいけない。きちんとバスを借り切って近郊の軽く山登りのできる名山に泊りがけだから、高校生なりのメンツは保たれている、と思う。
当然、私も入学してすぐにそれに参加する。
全部で六クラスの一年生が合同で参加するのに加え、クラス内の『班』と、クラス横断の『ヨコワリ』という組織が作られる。『班』を通じてクラス内の融和を図り、『ヨコワリ』を通じて他クラスの知り合いを作って後の校内活動の円滑化に資する、そんな目論見のようだ。要するに『タテワリ』の反語の意図なんだろうけど。
そのヨコワリに、『彼』はいた。
「二組、四切、一之です。芝中学校から来ました。趣味は、えー、特にありません。よろしくお願いします」
彼の自己紹介を、まばらな拍手が追いかける。その隣にいた私は、拍手が消えるのを待って立ち上がる。どうでもいいけど、ジャージの胸がきつい。一つ上のサイズを買いなおさなきゃ。
「一組の安和小路美空です。宇野谷中出身です。珍しい苗字ですが貴族とかの末裔じゃありません、たぶん。ジイサンが家系図をたきつけに使っちゃたらしくてもう先祖をたどれない程度の家で――あ、趣味は、今は読書と勉強です。よろしくお願いします」
家系図のくだりで二人ほどくすりと笑うのが見えたので、まあよしとする。
ともかく、四切君との初めての顔合わせは、こんな感じだった。
***
夕刻のヨコワリ会はすぐに解散し、班での登山計画の作成とやらが始まる。
そんなもん、前もって学校でやれよ、と思うんだけど、そこまで含めてのオリエンテーション、ってことみたい。
結局やることは登山ガイドに従った標準的な時間配分を自作の登山図上にトレースするだけのもの。ただ、それぞれの班の出発時間はあらかじめ決められているので、時刻表記だけが微妙に異なっている。
もちろん、自主性は重んじる、ってことだからいろいろ名所見物のオプションを付けるのも自由なんだけど、山内っていう班のちょっとアホそうな男がガイドブックをしげしげと見ながら、
「見ろよ、なんかあるぞ、山猫岩だってさ」
「ん? 何それ」
アホさでは同様の留木という男子がつられて覗き込んでいる。
「昔ここに逃げ込んできた偉い殿様を、1.8メートルもある大山猫が助けたんだってさ」
「マジ!? 1.8メートル? すげー!」
なんで偉い殿様がこんな山に逃げてきてんのよ。
そのうえ1.8メートルの猫って何よ。
ガバガバだなその伝説!
「なあなあ、集合は昼食も各班で終えて中腹のヒノキ平ってとこに14時だろ? 普通の計画だったら2時間よゆーあるしさ、こういうとこ見て回って山頂に着く前にメシ食って、一気に登頂してから14時に駆け下りようぜ!」
「何言ってるの? 山猫岩は登山道から五百メートルも脇道よ。山道で五百だから、往復で一時間はかかるわよ」
私は思わず突っ込みを入れてしまう。
伝説もガバガバならこいつらの頭もガバガバだ。
「大丈夫だって、逆は下りなんだから」
「そうね、せっかくだからそういうのも織り込んだ計画作るのもいいね」
何を感化されたか、横山って女子も賛成のようだ。まあ、そこまで慎重になることもなさそうだから、私は黙ることにする。
「分かった、オプショナルツアーは任せるわ。あと、中腹の広場は『エノキ平』って読むのよ。書き写すとき気を付けてね」
私はそれだけを付け加えてあとは黙った。
結果として、マージンゼロの素晴らしい観光登山計画ができてきたが、私なら体力にはほどほどに自信があるけど、ほかがだめでこりゃ不味いってことになればいくつか飛ばして挽回することになるだろうな。
***
起床後、6:00に宿を出てバスに乗り、中腹の登山道を7:00に出発。
その時、もう一度ヨコワリ会が開かれて、それぞれの班の計画書のコピーが交換される。もし何か気づいたことがあったりしたときに、指摘しあったりするのが目的らしいけど、ペラ紙数枚とはいえ荷物が増えるだけなのはちょっと勘弁してほしい。
私たちの班の計画を見たほかのメンバーは、へぇーっと目を丸くしている。そりゃそうよね、あんな無茶な計画。だけど名所よりどりのスペシャル計画。いろんな意味でため息が漏れると思う。
そんな儀式も済んで、いよいよ登山開始。
はじめ一時間はほぼ計画通り順調に進んだ。
だけど、あまりに計画通りなのに少し不安になる。
ガイドブックの標準時間ってこんなに正確なんだ。
ってことは、この時間にマージンを足しておかないと、何かあった時本当にアウトなんだ。
そんな思いの中、最初の分岐点、山猫岩に向かう分かれ道に差し掛かる。
多くの班がまっすぐ登頂を目指すのを横目に、私たちは山猫岩に向かった。ただ、同じことを考えた班が全くいないでもなく、数班の団体行動となった。
そして、見通し通り、きっちり一時間で分かれ道に戻ってくる。
そりゃたしかに、猫がちょこんと座った形の巨大な石は見ごたえがあったけど、ここまできっちり時間を消費してしまうと焦りが先に来る。
計画通りそこで10分休憩し、次を目指す。
次は、『二股クヌギ』というたぶん残念名所だ。
そこに向かう分岐点で私たちと同じ方向に向かう班は、早くもゼロになった。
そして二十分を余分に費やして見た二股クヌギは、予想通り、残念な名所だった。ものすごく大きくなったクヌギの根元に生じたうろが貫通して二股になっただけ。なにこれ。どこの山にでも一本や二本はありそうなもの。
そんなこんなで、ほぼ単独行となって昼食予定の『エノキ平』に着いたのは11:30。ここから山頂まで一時間以上かかる。30分で食事を終えて出発しなければならない。
そして12:00にきっちり食事を終えて出発。その頃には、ちらほらと戻ってきた班もいて、すれ違うようになってきた。ストレート組。あるいは、勝ち組。あー、なんでこんな班なんだろ。
***
さすがに頂上までの最後の難関だけあって、険しい道に何度も行き当たった。
一番は、二メートル近くの段差を、設置されていた鎖とわずかな岩のくぼみだけで乗り切らなきゃならなかったところ。それ以外にも両手をつかないと登れない場所が何度も出てきて、きれいなままで終わると思ってた新品のグローブは山土まみれになってしまった。
頂上に着いたとき、もうほかの班は一班もいない。
一般の登頂客がちらほらといるだけ、そんな人たちももう下山の準備を始めている。
独り占めの景色、解放感。
馬鹿げた計画だったけれど、ここまで来てみれば、かえってよかったかも、なんて思う。
きっと他の、普通の計画を立てた班はみんな一緒にここについて、この狭い山頂でひしめいていただろうな。
それが無かっただけで十分な価値があるかも。アホの山内にはちょっとだけ心の中で感謝する。アホにはアホなりの良いところがあるんだな、なんて。私も時にはアホになってもいいのかな、なんて。
そんな風に山頂を堪能し終えて、集合場所に向けた下山が始まる。
ここからは下りだから、早い。標準時間でも35分。今、1:25。なんとまあ、ぴったりなこと。
だけどここまで来ると、ガイドブックの標準時間に対する信頼はうなぎのぼりで、私でさえ、もう絶対間違いなく集合時間に到着できると確信している。
一方、横山さんは、ちょっと焦っているようだ。
さっきから様子がおかしいのだが、どうやらかなり疲れている模様。あまり体力の無い子だったのかも。
だから、一分の猶予もないことが彼女を焦らせてるんだな、ってことはすぐに分かった。
「横山さん、大丈夫よ、今までだってガイド通りに休憩を取りながらぴったりたどり着けたんだから」
私が声をかけると、
「うん……はぁ……はぁ……ありがと、美空さん、でも、下りって結構体力使うから……急がなきゃ……」
彼女が応える通り、ガイドブックには確かにそう書いてある。
「だからこそ焦らないで行こ。後ろ私以外誰もいないし」
こっそり予習していた山歩きの基本、『体力のある者より体力の無い者を前に』の通り私はなるべく横山さんの後ろを歩いている。アホ男子二人はアホ面で前だ。アホめ。その二人がやや早めのペースのために横山さんが焦っているのが手に取るようにわかる。
「うん、頑張る」
そう言って、再びぴょんと駆けだす横山さん。
分かってない。
頑張っちゃダメっつってんのに。
***
結局、それが起きたのは、ガイドブックに載っている難所五選の五番目、つまり、一番下の難所の、大きな高低差のある岩場だった。
横山さんが、私の前を、左手でつかんだ鎖を頼りに降りはじめようとしていたとき。
「うぉっ、あぶね」
下から留木の声が聞こえて覗き込むと、最後の岩の足場で足を滑らせてあおむけに転んだ留木が見えた。
それだけなら、ただ単に、彼のアホな単独事故だ。
だが、岩場を降りようとしていた横山さんにとっては一大事だった。
残り少ない体力、左手一本に支えられた体重、一秒でも早く下の足場にたどり着きたいと思っていたところに、下の足場が留木の転倒でふさがれたのだから、パニックを起こしたのだろう。
ガシャガシャ、と、鎖が激しく打ち付けられる音と同時に。
ドサリ。
落ちた。
留木の左半身に重なるように、横山さんが落ちている。
動いている、意識はある。
焦る気持ちを押さえて、ゆっくりと降り、少し不安定な別の足場から二人の様子を見る。
留木は、息を詰まらせたような悲鳴を上げている。
横山さんは、左足を押さえてうずくまっている。
「大丈夫か、動けるか!?」
アホの山内もさすがに焦って駆け寄り、彼から近い留木の様子をうかがっているが、留木は小さく、ぎっ、とか、ぐっ、とか声を上げるばかりで何も答えない。
「まずい、相当重傷かも、山内、まずは横山さんを」
言いながら横山さんの様子を見るが、彼女も、左足を押さえたままで、呻くばかりだ。
そして、山内と私で横山さんを留木の上からどけようとするが、ただでさえ狭い足場が二人でふさがっていて、なかなかうまくいかない。
その上、私が上半身を引きずり起こそうとすると、下の留木がぎゃっと悲鳴を上げるのでやりにくい。
ああもう。
どうしてこんなことになってんの?
何が悪いの?
誰が悪いの?
アホな計画を言い出した山内?
それに乗った留木?
考えなしに賛成した横山さん?
――止めなかった、私?
馬鹿じゃないの?
考えれば分かるじゃない。
しょせん高校一年生の子供が何やってんだろ。
ああ、なんで人間ってこんなに重いの。
助けて。
誰か、助けて。
「おい、安和小路、泣くなよ、まずは二人を動かしてやろう」
「泣いてなんかないわよっ!」
馬鹿なことを言う山内に怒鳴り返してから。
濡れている頬に気付く。
だけど意地でも、拭わない。
泣いてなんかない。
私は泣いてない。
「――あっ、お、おい、どうした!?」
ふもと側の遠くから、聞いたことのない人の声がした。
よかった。誰かに気付いてもらえた。
でもすぐに、私はその声を二度だけ聞いたことを思い出した。
ヨコワリの、四切君だった。
***
彼はすぐに私の隣に来て、二人がかりで横山さんを引き上げてくれた。二人で持ち上げている隙に、山内は留木を引っ張り出し、安全なところに。
それから、広くなった足場を使って、横山さんを抱え上げて、留木の隣に並べて寝かせた。
その頃には二人ともだいぶ落ち着いていて、様子がはっきりしてきた。
まず留木は、左腕の上に横山さんが落ちてきたようで、肩関節をどうにかしてしまっているらしい。骨折か脱臼か、どちらにしろ重症の部類に入ると思う。
横山さんは、あわてて留木を避けようとして左足に無茶な体重のかけ方をしたらしく、捻挫のようだ。だが、靴下を脱がせてみると人体とは思えないような腫れ方をしていて、思わず目をそらしてしまった。
やってきた四切君は、てきぱきとあれこれを指示した。
五人分の荷物の一切を私に持つように言う。面食らったが、そのあとの行動で納得がいった。
負傷している留木の肩に負担をかけないよう、私と四切君で持ち上げて、山内に背負わせる。三着のジャージの袖口を固く結んで脇と股下を通し、山内に完全に体重を預けさせる。
次いで、自分は横山さんを背負った。こちらは負傷しているのは足なので、自分で彼にしがみつくことができた。
こんな体制となれば、当然私は荷物持ちだ。
軽装とはいえ、五人分の荷物は腰と体力に堪えた。
それでも、やはり私は一番後ろを歩くことにした。
「ありがとう……四切君、でも、どうして?」
そして私は、前を歩く彼に問わずにいられなかった。
「あ、いやさ、登山計画書もらっただろ?」
「あ、うん……」
私はばつが悪そうに返事をする。だって、あんな無謀な計画書を(たぶん)得意満面で渡して、結局こんな事故。
「結構攻めるなーって思ってたんだけどな、もし下山がぎりぎりになったら無茶するかもって思って、ちょっと班の奴らに無理を言って様子を見ることにしたんだ。結果としてよかったよ、見に行って」
なんて機転の利く人なんだろう。
なんて行動力のある人なんだろう。
それに比べて私なんて。
「……やっぱ、そっか。ごめんね」
「班だけで解決できない時のためのヨコワリだっつってただろ、先生も。当たり前のことだ」
その当たり前のことができない私がいまーす。
あーあ、今度こそ悔しくて涙が出てくる。
「まあ本当に何も起こってなかったら俺が赤っ恥だったからな、ははっ」
馬鹿じゃないの。その赤っ恥を背負う覚悟でこんな……。
「なんだよー、事故って良かったみたいな言い方かよーひどいな」
前でようやく軽口を叩けるようになった留木。
「えー、だってお前のおかげで、俺、ヒーロー」
軽口で返す四切君。
こんなところに、彼の優しさが見える。
事故をやらかした当人たちを気負わせまいと、わざとあんな悪態をついてるんだと思う。
「四切さんって力持ちなのね。惚れるわ」
痛みに顔をしかめながらも、横山さんまでそんなことを言う。
――そうかもね。私も、きっと、彼に。
***
一年がたった。
四切君と同じクラスになった。
その偶然に驚いたのと同時に、あの時の気持ちが鮮やかによみがえってきた。
何か、話を交わすきっかけが欲しくて、部活名簿を片っ端から漁り、陸上部員だと知った。
陸上部に仮入部してみたけれど、彼はいなかった。あいつ万年サボりだからなー、なんてほかの部員は言っていた。
だったらしかたがない。教室で声をかけよう。
事務的に話をしたことくらいはあったけれど、きちんと私から声をかけて、友達になろう。
そう決心して。
何度も機を逃したある朝。
……なんだあのアホ女。
なんで四切君にあんなになれなれしく!
うわ、呼び捨て!?
むかつく!
むかつく!
――彼の席に近づき。
「あの」
あ、名前覚えてないって顔だ。そっからかあ。
まあいいや、それも面白そうだし。
★★★ おまけあとがき ★★★
というちょっとシリアスな出会いなのでした。