第六章 どうやら俺も能力に目覚めてしまった勘弁して(3)
奈々美の発動したレベル256が文字通りのレベルなのだとすれば、512秒、つまり、八分以上は奈々美は能力を再起動できないだろう。
だから、俺はとりあえず奈々美を再び縛めようとは思わなかった。
実のところその必要さえない。
彼女は彼女で、泣きながら崩れるように座り込んでしまったからだ。
こなとが駆け寄ってしゃがみこみ、ハンカチを取り出して顔に当てている。
泣く少女となだめる少女と、それを見下ろす男女が四人。
うわ、これ、イジメの構図じゃん。
イジメ、カッコワルイ。
しかも周りにはさっき降ってきた大量のどんぐりが床を埋め尽くしているし。下手に動くとどんぐり踏んですっ転びそうだし。
ある種の地獄絵図?
絶対動くなよ、メル?
「ちょ、ちょっと落ち着きな――」
俺の不安を読み取ってリアクション芸人的空気の読み方をしたのか、一歩踏み出そうとするメル。
そして。
ゴッ。
「ごへっ」
はい、フラグでした。
どんぐりを踏んでひっくり返るメル。
はじけ飛ぶどんぐり。
翻るスカートともろ見えのパンツ。
水色の縞パンて、ベタにもほどがある。ありがたいものを拝んだはずなんだが、その本体がメルってのが、どうにも納得いかない。人生一度あるかどうかのラッキースケベがこれか。もう死のう。
「いってててて……カ、カズ! 何見てんの! 死ね!」
はい、死にたいです。
「ちょ、ちょっと、まずこのどんぐりどうにかしてよ!」
メルが顔を真っ赤にして奈々美に抗議する。
「うぅ……けっ、消せるわけないでしょっ……嫌がらせなんですからっ……」
何度かしゃくりあげながら、奈々美が言い返す。
嫌がらせだから消せないとか。
まだそんな悪態をつく余裕があるのかよ。
「もうそんな立場じゃないのは分かってるだろ? それに、美空も戻ったんだ、これ以上お前をどうこうするつもりはないからさ……」
俺が諭すように言うと、顔を上げたのは、こなとだった。
「……そうじゃない」
彼女は一度メルに視線をやり、それからもう一度俺にそれを戻した。
「奈々美様の能力は、『嫌がらせの能力』。ありとあらゆる嫌がらせをすることができる」
「嫌がらせしかできませんのよっ!」
こなとの言葉に被せるように奈々美が叫び、そしてまた小さく嗚咽を漏らす。
「い、嫌がらせの能力?」
俺は思わず復唱する。
なんとまあ、えげつない能力だ。
あのメタ野郎のやりそうなことといえばやりそうなことだが。というかあのメタ野郎の存在自体が嫌がらせみたいなもんだよな。
「あっ、あなたに分かりますかしら? この何も役に立たない能力を身につっ、つけてっ! ここでどんぐりを消してくれと言われても消せないんですのよっ」
しゃくりあげながらも眉を吊り上げて叫ぶように奈々美は言う。
「いやまあ、そういう能力なら、仕方がないとしか言えないけどさ……」
「えらそうにっ! そりゃあなたは、誰の能力でも自分のものにできるなんていうインチキだから、私の気持ちなんて分かりませんわよねっ!」
奈々美の涙は、俺に対する強い敵愾心によるものに変わりつつある。
確かに、あのメタにある日突然、『お前には嫌がらせの能力がある』なんて告げられたら、ガックリを通り越して絶望もんだよなあ。
「私は、そりゃちょっとしたお金持ちの家庭に生まれはいたしましたが、努力を惜しんだことはございませんわ! この学校に入るのだってっ、毎日毎日塾家庭教師塾家庭教師……学校に入ってからも今度は偏差値いくつ以下への大学進学は許さないだの不祥事のあったどこそこ大学は許さないだの毎日毎日重圧をかけられて……友達一人作る時間なんてなくてっ!」
私立七星高校は、入試で親の年収まで査定される超ハイソ高校であるばかりでなく、極めて高い学力も要求される高校で、当然ながら、出身者は高偏差値大学への進学がほぼ決まっている。
だが、一方で、二年生時点で模試を受けさせられ、一定レベル以上の大学へのA判定が出ないと留年させられ、あるいは、中退をほのめかされる、なんていうまことしやかなうわささえ聞こえる高校でもある。
「父の会社は兄が継ぐことが決まっていて、どうせ私なんてどこかの良家筋に嫁がされることが決まってて! こんなに努力していったい私って何してるんだろう、って思うじゃない!」
そう言われてしまうと、俺には何も言えない。
そんな人生、思いもよらなかった。
アホとはいえ幼馴染と馬鹿やったり。
ストーカー気質のクラスメイトとくだらない話をしたり。
暇な休みにはどこにだって遊びに行ける。
暇だな、と思ったことはあっても、自分の人生を使い減らしてる、なんて思ったことはない。
奈々美が、どれだけ世界から切り離されてきたのか、ようやく想像の取っ掛かりを得た気分だ。
「そうしたらある日よ! 突然、頭がくらっとしたと思ったら、神様みたいな人が私の頭の中に現れて」
はい、メタさん、来ました。
ああ、それは絶望するわ。
そんな陰鬱な精神状態であいつが来たら、絶望だわ。
ってか、奈々美的には、あれが神様って扱いなのか。
「私が、他の人の持てない不思議な能力に目覚めたって! 世界で唯一、私だけが持てる不思議な能力に目覚めたんだって! 私の世界が急に広がったのよ!」
……で、あんな教団を? なんで?
「だからってどうしてあんなへんてこ宗教なわけ?」
俺の思考の疑問と重なるように、メルが言う。
すると、今度は、奈々美の憤怒の視線がメルに刺さった。
「……分からないでしょうね、あなたみたいに、怪奇小説の主人公みたいな能力をもらえた人には」
あ、ハイソなお方は、こういうとき、漫画とかアニメじゃなくて怪奇小説って言葉が出てくるんだ。ハイソ用語なの?
「……能力をもらえた。それは、神様が私だけのために考えてくださったギフト。……なのにっ」
奈々美はまた、小さく咽んで、鼻をすする。
「どうして『嫌がらせの能力』なのよっ……この私には嫌がらせがお似合いってこと? ……一生友達も作らず人に嫌がらせをし続けて生きていけってこと? 神様は、私にそう生きろっておっしゃったのよっ……」
……っあの、メタ野郎!
てめえの面白半分で、こいつの人生危うくめちゃめちゃじゃねーか!
せめて自分は神とかじゃないし所詮面白半分だから面白半分で楽しめくらいのこと――。
言うわけないな、あれは。あれは、どっちかって言うと、こっち側の勘違いや思い込みに自分を合わせていくタイプだ。
奈々美が、あれを神様だと思い込んでるのなら、むしろそっちに自分を合わせていくタイプだ。
くそ。死ね。メタ野郎に死っていう概念が通用するなら今すぐ豆腐の角に頭ぶつけて死ね。
「……だから、決めたの。私には対等の友達なんて要らない。すべての人を、私の力で這い蹲らせるの。私に逆らうものには容赦ない嫌がらせを。それが私の見つけた生き方。さあ、この私の生き方に文句がおありなら、今すぐこの私を殺してみなさい♪」
突然顔を上げ、開き直ったように口の端に笑みを浮かべて、挑戦的に俺をにらみつける奈々美。
俺はそれを見て、いろいろと心に湧きあがったものをすべて右手に込めて。
振り下ろした。
ぱしん、という乾いた音が、静かな図書室に響く。
そして、頬を片手で押さえる奈々美。
俺は、女子を平手で殴ってしまった。