第一章 幼馴染がおかしなことを言い出しました(2)
さて、盛大にメルを無視した翌日。
別に毎日一緒に登校しているわけでもないのだけれど、今日はメルは一緒の登校ではなかった。それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが(もし昨日の戯言をまだ引きずっているなら同伴登校は確実に不運だと言える)、それにしても、高校についてすぐに俺の席に来て、宿題見せろ、ってのはあんまりだと思う。
三軒隣だしね? 昨日のうちに一言あっても良いよね? それ以前に宿題は自分でしような?
そんなお小言を言い聞かせても、どこ吹く風なのがメルだ。
「だってめんどくさいじゃん」
「はい、メル様のお言葉ごもっともでございます。しかし、宿題とは本来めんどくさいものにございます」
と、精一杯馬鹿にしてみるのだが、
「私はめんどくさいことは嫌いだし、なんだかだで爺やがやってくれるではありませんか」
爺やって俺か。
「教育上よろしくありません」
「爺やに教育は頼んでいません」
くそっ、アホの癖に。
「あの」
突然、横から、妙な声がする。
見ると、クラスメイトの、えーと、なんて名前だったか……。
「……あ、名前思い出せない顔だ。四切君、相変わらずだねえ。安和小路美空。まだ覚えない?」
そうそう、妙な名前の、ってところまでは覚えてたんだけど。安和小路美空。
「や、ごめん、人の名前覚えるの苦手で」
「その割には時任さんの名前はすぐ覚えたよね? もう下の名前で」
「言わなかったっけ? こいつ、幼稚園のころからの付き合いで」
俺が言うと、なんだか微妙に硬直していた美空の頬が緩んだ気がした。
安和小路美空。何度かしか話したことが無いクラスメイト。二年に上がってから顔合わせしたもんだから、まだ顔と名前が一致しなくて困る。
……んだけど、なんというか、一見ものすごく目立たないどこにでもいそうな顔だちが、その、ふふふふふくよかなお胸を強調していて、一度見たら忘れられない。うん、そのあたりだけは。
だから逆に名前を覚えられないんだよなあ、なんてことを思うわけで。どうしても、胸部インパクトが優先されて名前という二義的記号が頭に残らないのだ。しかしじっくりと見てみると、やっぱり真っ直ぐ黒髪と目立たない顔だちで中肉中背、メルよりちょっと背が高いくらいだろうか、うーん、これだけ特徴が無いと覚えるのも大変なもので……。
なんていう失礼なことを面と向かって言っちゃうほど俺はお馬鹿さんではない。だから彼女に対しては、俺は『人の顔と名前を覚えるのが苦手』ってことになっている。
「その……二人は、付き合ってるんですか?」
考え事をしていると美空はふいに妙なことを妙に丁寧な口調で訊いてくる。
「ばっかねー、私がこんなのと付き合うとでも?」
俺が回答を考えるより先にメルが全力で否定した。まあ俺も全力で否定したいところではあったが、馬鹿って評価はこいつにこそ突きつけてやりたいと思うところであり、彼女の回答は実に不適切だ。
「宿題見せろって来たんだよ。美空……さんは、当然自分でやるよな?」
「うん。だめよ、時任さん? 宿題は自分でやらなきゃ」
きゃぴ☆ という擬音が出そうなウインクをしてみせる美空。完全にメルを馬鹿にしている。いいぞもっとやれ。
「だってめんどくさ――」
「たかが授業の復習じゃない? 五分でぱぱっと終わるような宿題がめんどくさいなんてねえ」
ピリッ。
という音が、今度はしたような気がする。
メルのイイワケに被せるように言う美空の言葉には確実にとげが含まれている。
のはいいんだが、それを受けたメルも、きっ、と睨み返すものだから、それらが、なにやら俺の頭を超えて見えない火花を散らし始めたような。
「四切君、時任さんに付き合ってるとあなたまでお馬鹿になるわよ?」
俺もまあほどほどによろしくない成績ではあるんですけど。
「……何コージさんでしたっけ? ずいぶん失礼なこと言うじゃん?」
つーか、メルも挑発すんな。お前の成績がどん底なのは事実だろーが。
「じゃあ私がどうして四切君に声かけたと思うの? なんか絡まれてる風だったから助けに来たの」
正解。絡まれてました。
「はあ? 私とこいつは親友同士。ちょっとした絡み絡まれは親友同士のじゃれあいの範囲なんですけど」
「へえ? 付き合っても無いのに朝っぱらから教室で堂々と絡み合ってるわけ?」
あー、なんとなく、美空がやってきたわけが分かったかも。
朝っぱらから教室の隅っこで公認問題児メルがややこしいことを言ってたら、確かにうっとうしいよね。
そう、メルはやっぱり公認問題児(でもなぜか嫌われてはいない)なのだ、この八剣高校でも。
とはいえ、他のクラスでメルのうわさだけを聞いていた美空から見れば、メルに集中的に絡まれている俺を見てさすがに不憫に思った、そんなところだろう。
うんうん、俺ってばやっぱり不憫なんですよ。よく分かってらっしゃる、美空さんは。
「とにかく、幼馴染だかなんだか知らないけど、四切君が迷惑してるんだから、わきまえなさいよ。自分が特別だとでも思ってるんでしょう?」
「特別だとか……思って……ないけど……あ、安和小路さんこそ、口出ししなくても……いいじゃん」
「迷惑がってる人をほっとけないだけよ。こんな些細なことがストーカー事件とかに発展するんだから! 事件を未然に防ぐのが社会の一員としての勤め! 事件が起こるのを待ってる漫画の中の名探偵なんかとは私は違うの!」
どんなたとえだよ。
なんて思っていると、なんだかメルは機嫌を損ねたか、ほっぺを膨らませてぷいっと去っていってしまう。
まあ、俺以外にあまりしかられたことが無いメルには、ちょっといい薬だっただろう。
「……ねえ、四切君」
「んあ?」
不意の呼びかけに、変な声で答えてしまった。
「陸上部の名簿で四切君の名前見たんだけど……その、練習には、出てる?」
しまった。
陸上部、確かに入部はしたんだけど、完全に幽霊部員。
「あ、いや、サボっちゃだめ、とかって話じゃなくてね、この前体験入部してみたときに、姿見なかったから、どうしてかな、って思って」
「へえ、美空さん、陸上に興味あるんだ」
「うん。あ、美空って呼び捨てにして。時任さんも呼び捨てでしょ。あ、それで、今度はいつ、練習に出るのかな、って」
「あー、その、すまん、実はあんまり才能無さそうでさ、いまさら追いつけないし……」
「そんなことないよ! ……きっと。ね、今度、一緒に練習しよ」
練習って言ってもなあ。フォームがどうこうで追いつけるレベルじゃないんだよな、本気でやってる連中って。基礎体力が違う。
「う、そ、そだな、今度考えてみるよ、誘ってくれてサンキュー美空」
と、とりあえずは当たり障りの無い返事をする俺。問題を先送りにしただけかもしれない。
「そうよ、それに、私一応、勉強得意だし、ね、テスト勉強とか……それに、いろいろ面白い特技とかあるし……」
面白い特技、かあ。
まさか、時間を止める能力に目覚めた、とか言わないよな。
「……ふふっ、どしたの? なんか変な笑い浮かべて」
ああ、メルの馬鹿っぷりを思い出してにやけてたみたいだ。
「あ、いや、なんでもない、分かんないとことかあったら遠慮なく聞くよ」
「うんうん、ぜひそうして!」
そうして、美空はなにやらふんふーんと鼻歌を歌いながら自席に戻っていった。
なんだろうね。人気者のメルに何か対抗意識を燃やしている気がしなくも無い。
あまり俺を巻き込まないでくれると助かるんだけどな。